第54話 デス・スライムの悪趣味な行い
謎の声に導かれるまま南の森へとやって来た少年ジャン……亡き父と再会する。
感激のあまり抱き着こうとしたジャンだったが、相手が父の姿に化けたスライムだったと知らされて深く絶望する。悲嘆に暮れたジャンを、スライムが飲み込もうとした。
その時、何処からか飛んできた火球がスライムに深手を負わせる。スライムは敵の襲撃を恐れて後退する。
呆気に取られた少年の前に、一人の男が姿を表す。
「キッ、貴様……ザガートッ!!」
男の姿を目にして、スライムが名を叫ぶ。
その男こそ、ジャンを救出するために森の中へと入った魔王に他ならない。探知魔法を使って少年の居場所を把握し、ここまで追って来たのだ。
「ザガート様ッ!」
ルシル達三人が魔王の名を呼びながら、遅れて駆け付ける。彼女達も男の後を追ってこの場に来ていた。
「お姉ちゃん……ううっ……うっ……うわああああああんっ!」
ジャンがたまらずに大声で泣き叫びながら、ルシルの胸に抱き着く。命が助かった安心感と、魔物が父に化けていたショックがグチャグチャに混ざり合い、声に出して泣きじゃくる。母親に甘える子供のように泣く。
「父ちゃんの声に呼ばれて、森の中に……そしたらスライムが父ちゃんに化けてて……ウッウッ」
ヒクッヒクッと泣きながら、途切れ途切れに言葉を発して、何が起こったかを簡潔に説明する。
「………」
深い悲しみに呑まれた少年を、ザガートが物憂げな表情で見る。何か思う所があったのか、暗い顔をしたまま黙り込んだが、やがて敵の方へと向き直る。
「デス・スライム……貴様の使命はリザードマンを降伏させる事。彼らを精神的に追い詰めて殺す事では無いはずだ。にも関わらず、何故こんな真似をする? こんなセコい悪事を働けば、彼らが服従すると本気で考えたのか?」
少年を騙した真意を問い質す。魔王からすれば、敵のやっている事は非効率的だ。明らかに当初の目的から逸脱した悪趣味な行いは、到底納得の行くものではない。
「フンッ……ヤツラヲ服従サセル事ナド、トウニ諦メタワ」
魔王の問いに、スライムが腹立たしげに鼻息を吹かせながら答える。
「ソンナ事ヨリ、ヤツラヲ ジワジワト苦シメテ、絶望ヲ味アワセテ殺ス方ガ、何倍モ楽シイッ! ドレダケ苦シンデ、ドレダケ絶望シテ死ンデイッタカ、ソレヲ食ッテ確カメルノガ、最高ノ愉悦ナノダッ!!」
ニタァッと口元を歪ませると、リザードマンに精神的苦痛を与える快楽に目覚めたと明かす。散々苦しませた末に捕食するのがどれだけ楽しいかを雄弁に語ってみせた。
「ジャン……貴様ノ父ハ最高ノ味ダッタゾ。自身ノ無力サ、家族ニ会エナイ無念、ソレラヲ抱イテ、最後マデ息子ニ謝リナガラ死ンデイッタノダカラナ……ギッショッショッショッショ! ギーーロギロギロッ!!」
ジャンの心を奈落に突き落とそうとするように、彼の父が最後に抱いた苦しみを生々しく伝えた。
「父ちゃん……ウッウッ……うあああああっ……」
父の無念を知らされて、ジャンが深い悲しみに呑まれる。最後は大きな声でわんわん泣く。目から大粒の涙が溢れ出し、涙と鼻水で顔中グシャグシャに濡れる。
鋭い爪で心を深く抉られた気がして、胸の痛みが治まらない。この世全てが終わった心地がして、生きる希望を失いかけた。
深く傷付いたジャンを、ルシルが優しく抱く。少年を心から不憫に思いながら、何度も頭を撫でた。掛ける言葉が見つからず、今はそうするより他にしてやれる事が思い付かない。
「……不愉快だな」
ザガートがボソッと小声で呟く。
敵の言い分を黙って聞いていた彼だったが、明らかに機嫌を悪くしている。
発した一言には怒気を含んでおり、表情がみるみるうちに怒りに染まっていく。
「……こっちの世界に来てから、ここまで不快な気分にさせられた事は無かった」
そう言葉を続ける。スライムの態度に心象を悪くしたのが一目で分かる。
「……デス・スライムッ! 貴様のような下卑た悪党、一秒たりとも生かしておく価値は無いッ! 魔王の名に賭けて、貴様を塵も残さずこの世から消し去ってくれる!!」
敵の方へと向き直ると、マントを右手でバサっと開いて風にたなびかせながら、死を宣告する言葉を発した。
魔王は内心本気で怒っていた。感情を大きく表に出す事はしなかったが、それでも胸の内には熱いマグマのようなものが煮え滾る。感情的にならず、あくまで冷静に、論理的に怒っていた。
相手を一分一秒たりとも許しておけない気持ちになる。たとえどんな手を使ってでも、この世から消し去らねばなるまいと決意を抱く。
いたいけな少年の心を弄んだ敵に対する怒りで爆発寸前になる。
「ギショショショッ! 貴様如キガ、ドウヤッテ俺ヲ殺ソウト言ウノダ? 出来モシナイ事ヲ、軽々シク口ニスルナッ!!」
スライムが敢えて挑発的な態度を取る。相手を煽る台詞を吐いて、火に油を注ごうとする。前回の戦いの記憶から、魔王には自分を殺せないだろうとタカを括る。
「貴様コソ、腸ヲブチ撒ケテ、ブザマニオッ死ネ! 食ラウガイイ! 速射水砲ッ!!」
そう叫ぶや否や、人型部分の口が大きく開いて、彼の体液と思しき酸が一筋のレーザーのように発射された。
リザードマンの肉を容易に溶かす酸が眼前まで迫っていても、魔王は避けようともしない。ただ何もせず棒立ちになる。
敵が回避を諦めたと感じて、ニヤリとほくそ笑んだスライムだったが……。
「……何ィィ!?」
数秒後に起こった出来事に、目の色を変えた。
黒い体液がザガートに触れようとした瞬間、目に見えない壁に激突したようにビシャアッ! と弾かれたのだ。酸はボタボタと地面に落下して白煙を立ち上らせたが、魔王には一滴たりとも触れていない。
直後彼を覆うように、半透明に青く透けたガラス板のようなものが浮かび上がる。
「以前下級スライムと戦った折、体液を飛ばす技を使ってきたのでな……似たような技を持っているだろうと踏んで、事前にバリアを張っておいた」
下位のスライムとの戦闘経験から、敵が切り札を隠し持っていた事、それに備えて防御の結界を張っていた事を明かす。
「スライムよ……恐らく速射水砲とやらが、最も貫通力に優れた奥の手だったのだろう。という事は、だ。今の一撃で破れなければ、この先ブレスを吐こうが体当たりしようが、バリアを破れはしない。貴様に俺を殺す方法は一つとして残されていないという事になる」
先ほど防いだものが最大威力の一撃だったと見抜いて、自分を殺す手段が無くなったと伝える。
「ヌッ……グヌゥゥゥゥウウウウウウッ!!」
勝利宣言を突き付けられて、スライムが思わず声に出して唸る。相手の言葉に反論できない悔しさのあまり、割れんばかりの勢いで歯軋りする。激しい勢いで頭部を掻き毟る。
言い返したいのは山々だが、魔王の指摘は的を射ており、ぐうの音も出ない。
ただ黙って相手の言い分を聞き入れるしか無い。




