第5話 竜王バハムート
ザガートが敵を仕留めた余韻に浸っていると……。
「ホッホッホッ、なかなかおやりになりますねぇ」
何者かがそう言って拍手しながら物陰から姿を表す。
トランプのジョーカーのような赤いピエロの服を着て、白塗りのメイクをした、痩せ細った猫背の中年男性だ。いやらしい目付きをしてニタァッと笑い、妙にねっとりした喋り方をする。
如何にも性格の悪そうな人物である事が伝わる。村の住人とは到底思えない。
「私は魔界の道化師ケセフ……魔王軍の幹部にして、大魔王様の側近が一人。この村を侵略する魔族の総指揮官兼参謀を任されております」
ケセフと名乗る道化師風の男が、頭を下げて自己紹介する。
その男、村を襲撃した魔物を統括する立場であったらしく、ミノタウロスより階級が上である事が窺えた。見るからに弱そうなナリをしていたが、真の実力は底知れない。
「それでケセフとやら……一体何の用だ? 俺の力に恐れを為して、降伏する気にでもなったか?」
ザガートが皮肉を交えつつ男の真意を問う。油断のならない人物だと警戒し、鋭い目付きで威嚇するように相手を睨む。むろん本気で降伏するなどとは毛ほども考えていない。
「ホッホッホッ、ご冗談を……我が主君はアザトホース様お一人。貴方にお仕えする気など微塵もありません」
ケセフが魔王のジョークを笑い飛ばして主君への忠義を示す。
「ザガート……異世界から来た魔王だと言いましたね? 確かに貴方の実力は本物だ。それだけ高い魔力があれば、どこぞの世界で魔王だったとしても不思議は無い」
これまでの戦いから鑑みて、ザガートが異界の魔王だという発言に一定の信頼を置く。ゴブリンやオークのような油断はしない。
「……ですがッ! 今まで見せた実力程度では、アザトホース様には遠く及ばないッ! せいぜい魔王軍の上級幹部に列せられるのが精一杯! この世界で魔王を名乗る事は到底叶いませんよッ!!」
突然クワッと険しい表情になると、ザガートが王になれない見解を早口で述べた。よほど必死だったのか、喋るたびに口から大量の唾が飛び、途中で声が裏返りそうになる。
「貴方が魔王に相応しくないという事、今ここで証明してみせましょう! アブドーラガンダーラ、ボルボルギルヘム、ガルガンゾーア……フェムブフ!!」
話を終えると両手を組んで人差し指を垂直に立てて、何やら怪しげな呪文を唱え出す。それは召喚の呪文だったらしく、詠唱が終わると彼の前にある地面に円形の魔法陣が浮き出て、そこから巨大な何かが姿を現す。
現れたのは古代の恐竜ティラノサウルスより大きな、二足歩行するタイプのドラゴン……全身は純黒に染まっており、体格は幾分スマートで、背中にコウモリのような翼を生やす。瞳を邪悪に赤く光らせており、歯を剥き出しにしてニヤリと笑う。
人型に近い外見、感情表現豊かそうな顔は、知能の高さを窺わせた。
「大魔王様に次ぐ実力を誇る、魔界最強のドラゴン……竜王バハムートッ! 魔王軍における地位はナンバー2! その気になれば彼一人で世界全てを燃やし尽くせる、恐ろしい力の持ち主ッ! この者に勝ちでもしない限り、貴方を真の魔王とは認めませんよッ!!」
ケセフが召喚した竜の正体を明かす。よほど竜の強さに自信があるのか、腰に手を当ててふんぞり返った誇らしげなドヤ顔になる。
「魔王ノ名ヲ騙ル、不届キ者……虚空ノ彼方ニ消エ去レイッ! カァァァァァァアアアアアアアアッッ!!」
そう叫ぶや否や、ドラゴンが大きく口を開けて灼熱のブレスを吐く。太陽の中心温度に匹敵する炎の嵐が吹き荒れて、ザガートを一瞬で呑み込む。痛みを感じる暇すら無かったのか、悲鳴も上がらない。
男を包んだ炎は轟々と音を立てて燃えさかり、いつまで経っても鎮火しない。
「ザッ……ザガート様ぁぁぁぁああああああーーーーーーっっ!!」
男が炎で焼かれたのを見て、ルシルが悲痛な声で叫ぶ。目にうっすらと涙が浮かんで、今にも泣きそうになる。魔王が殺された事実に胸を激しく打ちのめされて、絶望の奈落へと突き落とされた。
「も……もうおしまいじゃあ」
村の長老と思しき年老いた白髪の男性が、顔面蒼白になる。村を救う唯一の希望が失われた事に深く落胆して、ガクッと膝をついてうなだれた。
「ああ……」
「もうダメだ……」
他の村人達も同様に失意に呑まれて、次々に悲しむ言葉を口にする。ザガートならやってくれるはずと心の何処かで期待したからこそ、それが裏切られて心がへし折られた気持ちになる。もう自分達は魔族に皆殺しにされるしか無いと考えた。
「ヒヒヒッ……竜王バハムートが吐く灼熱の炎は、宇宙最硬物質アダマンタイトを飴のように融解させ、あらゆる魔法障壁を貫通するッ! この一撃に耐えられるのは世界でただ一人、アザトホース様のみッ! ザガートよ! これで貴方が偽りの魔王だと証明されたようですねぇっ! ホワーーーッハッハッハァッ!!」
ケセフが悲嘆した村人に追い打ちを掛けようと、大きな声で笑う。ドラゴンのブレスの威力を自慢するように解説して、それに耐えられなかったザガートを大いに罵った。
主君以外に魔王が存在する事を許せない思いがあり、敵を倒せた事に心から気を良くした。あまりに激しく笑いすぎて、顎が外れそうになる。
ケセフが勝利の喜びに浸っていると……。
「ほう……ではこの炎に耐えたら、本物の魔王として認めてもらえる訳だな?」
それに水を差すように、何処からか言葉が発せられた。
「なっ……何ィィ!?」
ザガートらしき男の声を聞いて、ケセフが一瞬にして青ざめた。勝利の余韻は完全に吹き飛び、心臓がバクバクして動悸と目眩が止まらなくなる。男が生きていた可能性に胸が激しくざわついた。
声が聞こえた方角に道化師が振り返ると、煌々と燃えさかっていた炎が急速に鎮火する。やがて炎が完全に消えてなくなると、そこにザガートが立っていた。五体満足で、負傷した様子が全く無い。
「きっ……貴様、ザガートッ!!」
男の姿を目にして、ケセフが激しく動揺する。
「うっ、嘘だ……そんなの嘘だッ! 絶対嘘だッ! バハムートの炎は宇宙最強ッ! それに耐える者がいたなんて、そんな事、絶対にあっちゃいけないんだぁぁぁぁあああああッ! うわぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーッッ!!」
男がドラゴンの炎に打ち勝てた事実が到底受け入れられず、喉が割れんばかりの大声で絶叫した。表情からは余裕の色が消え失せて、額からは滝のように汗が流れて、体の震えが止まらなくなる。「嘘だ、嘘だ」とうわ言のように喚きながら、両手で頭を何度も掻き毟る。パニックに陥って正気を失ったかのようだ。
「馬鹿ナ……」
バハムートもまた、ザガートが無事だった事に驚く。ケセフほど慌てふためいてはいないものの、それでも困惑の色を隠せない。
男は服の表面が微かに焦げていたが、被害はそれだけだ。体にはかすり傷一つ負っていない。それどころか余裕を見せ付けるようにフフンッと鼻で笑う。とても灼熱のブレスを浴びたと思えないほどだ。
「バハムートよ……貴様の炎、なかなかの威力だったぞ。もし喰らったのが並みの冒険者なら、塵も残らず消し飛んだだろう。貴様もまた魔王に値する実力の持ち主であると認めよう。だが残念だったな……それだけの力量があっても、まだ俺には届かん」
ザガートが自分を焼いた炎の威力を褒める。竜王の実力の高さに素直に感心し、敵ながら称賛の言葉を送る。それと同時に、やはりそれでも自分を殺せないのだとこの上なく残酷な事実を突き付けた。
「竜王バハムート……貴様の強さに敬意を表し、我が最大威力の一撃を以てお相手しよう! 俺にこの魔法を使わせた事を、誇りに思いながら死ぬがいいッ!!」
全力の一撃を放つ事を宣言し、両手のひらを相手に向けて魔法を唱える構えを取る。
「爆ぜよッ! 汝の身に宿りし力、外へ向かう風とならん!」
詠唱の言葉を口にすると、男の手のひらに魔力が集まっていき、青白い光を放つ光弾になる。光弾は次第に大きくなっていき、やがてダチョウの卵くらいの大きさになる。
「……絶対圧縮爆裂ッ!!」
魔法名を叫ぶと手のひらにあった光球が正面に向けて放たれる。光球はグングン加速して音速を超える速さに到達すると、ドラゴンめがけて一直線に飛んでいく。
ザガートの攻撃魔法と思しき『それ』が体に触れた途端……。
「グッ……ウガァァァァァァアアアアアアアアッッ!!」
バハムートが声を上げて苦しみ出す。凄まじい痛みに襲われたのか、地面に倒れて激しくのたうち回りながら、体中を両手の爪で何度も掻き毟る。魔法の効果によるものか、全身の皮膚が沸騰したようにボコボコと泡立つ。
ドラゴンの体が眩く光ったかと思うと、次の瞬間針を刺した風船のようにバァンッ! と音を立てて破裂して木っ端微塵に吹き飛んだ。
黒焦げの肉片が雨のように降り注いで、彼の明確な死を印象付ける。
「ひぃぃぃぃ! バハムートが……バハムートがやられたぁっ!!」
頼みの綱のドラゴンがやられた事に、ケセフが情けない悲鳴を漏らす。目からは涙がボロボロと溢れ出し、鼻から大量の鼻水が出て、オモチャを取られた子供のような泣きベソになる。ザガートを挑発した余裕は完全に失い、心が恐怖に支配される。
「いっ……嫌だ……死にたくないッ! 俺はまだ、死にたくないんだぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーッッ!!」
戦意を喪失すると、大声で泣き言を喚きながら村の出口に向かって走り出す。
「逃がさんッ!」
ケセフに追い打ちを掛けようと、ザガートが魔力を凝縮した光線を指から発射する。
だが既に転移魔法を唱えていたのか、光線が触れようとした瞬間道化師の姿がフッと消えた。
(逃げられたか……フンッ、まあ良い。あの程度の小者、生かしておいたとて今後の禍根にはなるまい)
ザガートは敵を取り逃がした事を悔しがりつつ、大きな損失には繋がらないと自分に言い聞かせた。
「……」
ルシルを含む大勢の村人は、男が竜を倒して魔王軍を退散させた光景を、呆気に取られて眺める。あまりの出来事に思考が追い付かず、自分達が助かったと理解するのに時間を要した。