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第38話 ウェアウルフ死す

「ハァ……ハァ……クソッ、何故だ! 何故俺の攻撃が当たらない! 貴様に俺の動きは見切れないはずなのにッ!!」


 ケセフが思わず声に出して問いかける。二度も攻撃をかわされた事にどうしても納得行かず、質問せずにいられない。


「フゥーーッ……」


 ザガートがやれやれと言いたげにため息をつく。いつまでも負けを認めない男の見苦しさに心底あきれたように頭を手でボリボリとく。


「あの程度の速さに付いて来られないと、本気で思ったのか? 俺がその気になれば、今の貴様より十倍は速く動けるぞ」


 自分が音速をえたスピードで動ける事を教える。顔を斜め上に向けたまま目だけ相手の方を見て、敵を見下すような視線を送る。

 彼の発言がでまかせでない事は、これまでの状況をかんがみれば明らかだ。


(クソッ! ダメだ……今更いまさら疑った訳じゃないが、やはりこいつは本当に異世界の魔王ッ! とても俺なんかがかなう相手じゃない! 正面からまともにぶつかり合って勝てる相手じゃない! このまま戦い続ければ、俺は間違いなく殺される! 殺されてしまうッ!!)


 圧倒的な力の差を思い知らされて、ケセフが深く落胆する。逃れられぬ死という現実を突き付けられて、恐怖と絶望で頭がおかしくなりかけた。口の中が急に酸っぱくなり、脳の血管がキューッと締め付けられた感覚を覚える。心臓をワシづかみにされたような気がして、胸が苦しくなる。


(どうすれば……どうすればいい! どうすれば俺は生き残れる!? 何でも良い……俺が生きて帰れる方法を考えるんだッ!!)


 狼男の脳細胞がフル稼働する。この場をしのぐために、どんなさいな方法でも見つけようとする。

 精神的に追い詰められて冷静さを失いかけたケセフであったが、ふと周囲を見回すと、ルシル達三人の少女が視界に入る。


(……どんな手を使ってでも)


 そんな言葉が頭をよぎり、ニヤァッと口元をゆがませた。

 次の瞬間狼男が全速力で駆け出し、三人の背後に回り込む。少女のうち一人を捕まえると、再び全力でダッシュしてザガートの前に立つ。


 狼男はなずみを捕まえて盾にすると、首筋にツメを当てて人質にしようともくろむ。


「ザガートッ! この女の命が惜し……」


 そう言いかけた瞬間、ケセフの意識が途絶えた――――。




「……あ?」


 どれくらい時間が経過したか、男が目を覚ます。一瞬何が起こったか、全く理解できない。


 視界が横に九十度回転しており、顔が地べたに倒れている。体を動かそうとしても全く反応が無い。首から急激に力が失われていき、脳が冷える感覚を覚える。首から下に、あるはずのものが無い。


 視界の先に、首から上が無い自分が立っている。首の切断面から大量の血を噴きながら、糸が切れた人形のように倒れる。そこから少し離れた場所にザガートとなずみがいる。魔王の右手にはケセフのものと思しき血が付着する。


「人質の作戦など通用せん。俺の仲間を人質に取ろうとしたヤツは、その瞬間に首が胴体から離れている……」


 魔王は冷たく言い放つと、右手を水平にサッと振って、付着した血を払いのける。服のポケットからハンカチを取り出して目障りそうに手をくと、何も無い空間に開いた次元の穴にゴミ箱代わりにポイッと捨てる。


 狼男は自分が置かれた状況をようやく理解する。少女を人質に取ろうとした瞬間、魔王に手刀で首をねられた事、それによって意識が飛んだ事、人質を奪還された事、逃れられない死という運命が迫っている事……それらの事実を。


「あ……あ……」


 首だけになったケセフが、何か言おうとして口をパクパクさせた。死にたくないという叫びか、魔王への命乞いかは分からない。だが思うように舌が回らず、あうあうと言葉にならない声しか出ない。そうこうしている間にもどんどん血が抜けていき、次第に意識が薄れてゆく。


 ザガートがケセフに向かってズカズカと歩く。地べたに転がった狼男の生首に片足をガッと乗せる。このまま待っていても失血死する相手に、あえてとどめを刺そうとする。


「これでお前のブサイクなツラを見なくて済むと思うと、清々(せいせい)する……」


 ここぞとばかりに侮蔑的な言葉を浴びせる。人質を取られた事に相当イラついたのか、ゴミを見るような視線を送る。


「二度と……俺の前に姿を見せるな」


 そう言うやいなや、足をグイッと下に押し込んで、男の顔面をグチャッと踏みつぶす。

 ケセフは潰れたトマトのようになり、断末魔の悲鳴を発する間もなく息絶えた。相手が魔王でなければ数々の手柄を上げたはずの男の、それはあまりにみじめな最期だった。


 敵を仕留めると、ザガートは再びなずみの方へと歩く。ポケットから別のハンカチを取り出すと、少女に付いたケセフの返り血を丁寧にき取る。


「師匠……オイラ……」


 魔王に顔を拭かれながら、なずみが暗い表情をする。下を向いたまま落ち込んだように肩を落とす。

 うまく言葉が出なかったものの、人質に取られた事に、味方の足を引っ張ったのではないかと負い目を感じた様子だ。


「気にするな……お前は何の失態も犯してなどいない。あの状況では、誰が人質に取られてもおかしくなかった。三人の中で、たまたま選ばれたのがお前だった……たったそれだけの事だ」


 少女の心情を察して、ザガートが優しく言葉を掛ける。冷静に状況を分析し、彼女が責任を感じる気持ちを少しでも和らげようとした。


 二人がそうしたやりとりをしていると、何も無い空に魔力と思しき光が集まっていき、野球ボールくらいの大きさの、ガラスのような半透明の球体になる。

 青い光を放ちながらゆっくりと落下する『それ』をザガートが両手で受け止めると、牡羊おひつじ座の紋章が刻まれていた。


(これが大魔王の城に行くために必要な、十二の宝玉の一つという訳か……宝玉を託された幹部が死ぬたびに、こうして空に現れるようだ)


 ケセフの死によって現れた宝玉が旅の目的に必要な道具だと気付いて、魔王がサッとふところにしまう。


「おーーーーーーいっ!」


 魔族の大群が全滅したと確信して、それまで固く閉ざされていた城門が開け放たれる。そこから総勢一万の兵士が一気に駆け出し、ザガート達へと集まる。


「ザガート様、再びこの国を守って頂いた事に深く感謝します!」

「国王陛下も喜んでおられました!」

「ミノタウロス様も、よくぞご無事でっ!」

「姫様も元気そうで何よりですっ!」

「魔王軍の幹部ケセフは死んだッ! これでこの国の平和がおびやかされる事は無くなったでしょう!」


 みなが感激の言葉を口にする。一行を取りかこんでワイワイと大きな声で騒ぐ。ある者は健闘ぶりをたたえるようにミノタウロスの体をペチペチと叩き、またある者は王女と祝福の言葉をわす。国が滅びの危機を脱した事に、誰もが喜ぶ。


「だが、ハンスが……」


 一人の兵士が落ち込んだ様子で、城門の方を振り返る。視線の先に首を切られた男の死体が転がる。ボーパルバニーによる犠牲者が出た事を悔やむ。


「ハンスが死んだか……だが案ずる事は無い。俺がすぐに生き返らせる」


 兵士の死体を見たザガートが心配する必要は無いむねを告げる。


「我、魔王の名において命じるッ! なんじの傷をいやし、魂をあるべき場所へと呼び戻さん……蘇生術リザレクションッ!!」


 蘇生の呪文を唱えると天からまばゆい光がそそがれて、遺体の傷がみるみるえていく。傷が完全にふさがると、男がムクッと起き上がる。


「おお、生き返った……俺、生き返ったぞぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおーーーーーーーーッッ!! ヒャッホーーーーーーーーイ!!」


 ハンスが、辺り一帯に響かんばかりの大きな声で叫ぶ。大の大人が子供のようにピョンピョン飛び跳ねてはしゃぐ。自分が生き返った嬉しさのあまり、ても立ってもいられない。


「うおおおお! ハンスが生き返ったぞおおおお!」

「ハンスッ! ハンスッ!」

「心配させやがって、コノヤロウ!」


 数人の兵士が大騒ぎしながら彼の元へと集まる。一斉に男を取り囲んでもみくちゃにしたり、何度も名前を呼んだり、強く抱き合って泣いたりする。


「みんな……俺、この戦いが終わったら結婚して店をやろうと思うんだ」

「それは死ぬ前に言う台詞セリフだ! 死んでから言ってどうする、バカヤロウ!」


 そんな会話が繰り広げられて、楽しそうに談笑する。戦友が死のふちから生還した喜びを分かち合い、みなが笑顔になる。悲しい空気は一瞬にして吹き飛び、場が和やかなムードに包まれる。


(良かったな……ハンス)


 ザガートが心の中でつぶやきながらフッと笑う。悲劇を乗り越えられた事に心から満足したように穏やかな笑みになる。自分がいる限り、一人の犠牲者も出させはしない……そんな決意を胸に抱く。

 その場にいた兵士の何人かは、仲間が生き返った感謝の証として魔王に敬礼していた。


「……」


 場がお祝いムード一色に染まる中、なずみだけが浮かない顔をする。

 それに気付けたのはザガートただ一人だった。

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