第37話 覚醒! ウェアウルフ vs ザガート!!
「さて、ケセフよ……お前の部下は全員死んだぞ。これからどうするつもりだ? またバハムートが死んだ時のように逃げる気か? それとも潔く観念して死を選ぶか? まぁいずれにせよ、貴様がここで死ぬ事は確定した訳だが……」
手駒を全て失って一人だけになった小男に、ザガートが冷たく言い放つ。降伏を許す気など微塵もなく、逃れられぬ死という残酷な事実を突き付けた。
どのみち卑屈で嫌味ったらしい性格の小男など、配下にした所で満足行く働きをするとも思えなかった。
下を向いたまま、相手の言い分を黙って聞いていたケセフであったが……。
「……クソが」
ボソッと小声で呟く。プルプル震わせた顔は真っ赤に紅潮し、こめかみに血管がビキビキと浮き出て、眉間に皺を寄せた阿修羅のような顔になる。
ストレスではらわたが煮えくり返りそうになり、全身の血から炎が噴き出そうなほど熱くなる。
「よくも……よくもやってくれたなぁッ! 一度ならず二度までも俺様をコケにしやがってぇ! 許さん……絶対に許さねえぞッ! ズタズタに引き裂いて、なぶり殺しにしてやるッ! この魔王ヅラした、スカしたヤリチンのクソ野郎がぁぁぁぁぁあぼびゃろれらぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーッッ!!」
胸の内に湧き上がった怒りを声に出してブチ撒けた。正気を失ったあまり呂律が回らなくなり、最後何を言っているのか分からなくなる。
これまでの敬語をあさっての方向にぶん投げて、汚らしいチンピラ口調になる。
「俺様の本気を見せてやるッ!」
そう叫ぶや否や、服のポケットから紫の液体が入った一本の注射器を取り出す。それを一片の躊躇なく自分の首に突き刺す。中の液体がドクドクと注がれて空になると、針を引き抜いて注射器をポイッと捨てる。
「グオオオオオオッ……!!」
それから数秒が経過すると、ケセフが声に出して苦しみ出す。突如その場にうずくまると、彼の体がドクンドクンと激しく脈打った後、全身の筋肉がムキムキに膨れ上がる。体全体がどんどん大きくなっていき、着ていた服が破れて全裸になる。
背丈が三メートルほどに達すると肉体の変化が止まる。それに伴い痛みが治まったのか、男が丸めていた背筋をピンと伸ばす。
全身は紺色をしたフサフサの毛で覆われており、手と足には鋭い爪を生やす。首から上は狼のようになっており、大きく裂けた口元にはギザギザの牙を生やす。屈強な体付きをしていたが、適度に引き締まっており、余分な肉が付いていない。
正に絵本に出てくる『狼男』と呼ばれる怪物そのものの姿をしている。
「これが俺様が本気を出した姿……魔王軍十二将の一人、ウェアウルフッ!!」
獣人の姿に化けたケセフが自己紹介する。怪物になっても理性は失われておらず、流暢な言葉を話す。
「この姿にだけはなりたくなかった……これに変身するたび、俺の寿命は大きく縮まる。何より直接戦うなんて俺の主義に反する。だが最早なりふりなど構っていられんッ! 魔王ザガート、貴様は俺のプライドを穢したッ! その罪、貴様の血で購ってもらう! 俺は貴様を殺すためなら、手段を選びはしないッ!!」
変身にはリスクが伴う事、最後まで使いたくなかった手段であった事、その禁を侵してでも魔王を討つ決意を固めた事を宣言する。何としても仇敵を抹殺して汚名を濯ぐのだと息巻く。
「俺の動き、貴様には到底見切れまいッ!」
自信に満ちた台詞を吐くと、大地を強く蹴って走り出す。ザガートと一定の間合いを保ったまま、翻弄するように周囲をグルグルと走り回る。
「ザガート様ッ!」
心配でたまらなくなり、ルシルが思わず名を叫ぶ。
狼男の走るスピードは常人には捉え切れないほど速く、少女達の視点では、ヒュンヒュンッと風を切る音が鳴りながら、青い影のような物体が瞬間移動しているだけだ。それが敵と知らなければ、何が起こっているかすら分からない。
レジーナもなずみも、心配そうになりながら戦いを見守る。尋常ならざる速さの敵を前にして、とても戦いに参加できる状況ではない。魔王の足を引っ張るのではないかとの懸念すら湧く。今はただ魔王の勝利を神に祈るしかない。
当のザガートは相手のスピードに動揺せず、好きなようにさせる。表情に焦りの色は微塵もなく、首の後ろを気だるそうに手でボリボリ掻く余裕すら見せた。
全く敵を恐れていないようにも、抵抗を諦めたようにも受け取れる。
ケセフはそんな魔王の姿を見て、彼が観念したと思い込む。
左側面に回り込むと、相手に向かって一直線に駆け出す。
「さらばザガートッ! 不敗の伝説と共に散れぇぇぇぇぇぇええええええええーーーーーーッッ!!」
死を宣告する言葉を発すると、鋭い爪による貫手を放って敵を串刺しにしようとした。
だが狼男の手が触れる直前、魔王の姿がフッとワープしたように消える。
「ど……何処だ!?」
ケセフが慌てて周囲を見回す。敵を見失った事に俄かに焦りだす。
「……ここだ」
そんな言葉が彼の背後から発せられた。狼男が急いで後ろを振り返ると、腰に手を当てて仁王立ちしたザガートが、目の前にデデーーンッと立つ。表情は余裕に満ちたドヤ顔を浮かべており、誇らしげに鼻息を吹かす。
殺そうと思えばいつでも殺せたが、あえてそれをしなかった……そんな感情が伝わる。
「クソッ! い……今のはまぐれだ! そうに決まっているッ!!」
ケセフが悔し紛れに台詞を吐きながら慌てて後退する。攻撃を避けられた現実に向き合おうとしない。
狼男への変身は彼にとって渾身の切り札だ。それが通用しないとなれば、後は殺されるしか道が無くなる。到底受け入れられるものではない。
ケセフは再度魔王から距離を取り、彼の周囲を走り回る。本気の力で走る事によって、さっきの倍の速さになる。これなら避けられないだろうという勝利への確信を胸に抱く。
背後に回り込んで一旦足を止めると、魔王めがけて全速力で駆け出す。
「俺様の力、目に焼き付けて死ねぇぇぇぇぇぇええええええええーーーーーーッッ!!」
大声で叫びながら貫手による突きを繰り出し、男の心臓を貫こうと試みた。
だがザガートは後ろを振り返りすらせず、サッと右に動いて相手の一撃を難なくかわす。その場で時計回りにクルッと回転して、全力の回し蹴りを放つ。
靴を履いた男の足が、突きをかわされて体勢を崩したケセフの後頭部にドガッと命中する。
「バッ……ドブゥルァァァァァァアアアアアアアアーーーーーーッッ!!」
頭を強く蹴られた狼男が、滑稽な奇声を発しながら正面に吹っ飛ぶ。大地をゴロゴロ転がって全身砂まみれになった挙句、だらんと大の字に倒れて意識を失う。数秒間ピクピクしたまま気絶したがすぐに目を覚まし、慌てて両足で立ち上がる。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
後ろを振り返りながら激しく息を切らす。体中にびっしりと汗が浮かんで、手足がガクガク震えだす。表情は疲労の色に染まり、老人のように背筋が曲がった前屈みになる。心臓がドクンドクンと鼓動し、動悸と目眩が止まらない。少しでも気を抜いたら意識を失いそうになる。
「今のがお前の本気か? だとしたら、期待外れも良い所だな……」
疲労困憊したケセフに、ザガートが冷徹な言葉を浴びせる。相手の希望を粉々に打ち砕いた悪魔のような笑みになる。
ここに至って、両者の力の差がはっきり別れる事となる。もはや狼男には一ミリの勝機もありはしなかった。




