第34話 ボーパルバニー、付いた呼び名は『首切りウサギ』
ムーア村が魔族の群れに襲われたのと同時刻、ヒルデブルク城も別働隊の襲来を受けていた。
「大変です、国王陛下っ! 魔物の大群がこちらに向かって進軍しています!!」
見張り塔に上がっていた兵士が、謁見の間へと早足で駆け込む。
「犬とも猫とも付かない小さな白い獣が、百匹以上の群れをなして進行中……更にその遥か後方から、岩のように大きな巨人が歩いてきます!!」
彼の隣にいたもう一人が、敵の部隊編成を伝える。
「あわわ……ヤツらめ、懲りもせずに攻めて来おって。ザガート殿がおられぬ今、我らは一体どうすれば良いのじゃ……」
魔族襲来の報せを受けた王が尻込みする。何度も国が危機に晒される事に頭を抱え込んだ。
他の王侯貴族たちも動揺して浮き足立つ。場が俄かにざわつく。
頼みの綱の魔王がいない不安に皆が押し潰されそうになっていると、屈強な牛頭の男が前に出る。
「国王陛下、私めにお任せあれッ! 不肖ミノタウロス、我が主より国を守る使命を仰せ付かった身! この命に代えても、使命を果たす所存にございます!!」
頼もしい言葉を吐いて握り拳で自分の胸をドンッと叩くと、大斧を手にして城門に向かってズカズカと歩き出す。
「我々も共に戦います!」
彼一人にばかり任せてはいられないと息巻いて、城の兵士およそ一万人が後に続く。ミノタウロスは彼らの勇気に内心深く感激した。
◇ ◇ ◇
牛男と兵士達が城壁の外に出ると、白い小動物の群れが到着する。
朝六時という日が昇りきっていない時刻だった事もあり、遠くからではハッキリとは姿が見えなかった『それ』を、目視で確認できるようになる。
四足歩行する獣の正体……それは小さなウサギだった。見た目だけなら何の変哲も無い、本当にただのウサギだ。
「なぁーーんだぁーー、ただのウサギかぁーー。まったくもう、驚かせやがって」
敵の正体を知って、兵士達が脱力する。緊張感が一気に解けて、ハハハッと笑う声が口から漏れ出す。
「こんなヤツ、俺がやっつけてやる!」
恐るるに値しない敵だと認識して、兵士の一人が手柄を上げんと真っ先に飛び出す。手にした槍で相手を突き刺そうとした。
「待てッ! そいつはボ……」
獣の正体に気付いたミノタウロスが慌てて止めようとしたが、時既に遅かった――――。
それは僅か一瞬の出来事だった。
ウサギがヒュンッと姿を消すように高速移動して、兵士の背後にスタッと着地する。
次の瞬間兵士の首の頚動脈がバックリ割れて、傷口から真っ赤な血が噴水のように噴き出す。
ウサギの前歯に血痕が付着しており、更に兵士の返り血を浴びて全身が赤く染まる。
「……あ?」
男は何が起こったか全く理解できないまま、糸が切れた人形のように倒れて絶命した。
「ひっ……ひぃぃぃぃいいいいいいっ!!」
「ハンスがやられたッ! あのウサギがやったのか!?」
後ろにいた仲間の一人が絶叫し、別の一人が冷静に状況を分析しようとする。
それまでのほほんとしていた空気が一転して恐怖へと塗り替えられて、兵士達が総出で浮き足立つ。無害な小動物だと思っていたウサギが、熟練の暗殺者のように的確に急所を狙った事実は俄かに受け入れられるものでは無かった。
「そいつはボーパルバニー! 中級の冒険者が一撃死させられるほどの、魔界育ちの猛獣ッ! 付いた呼び名は『首切りウサギ』!! 見た目で判断した多くの人間を屠ってきた、狡猾にして残忍な恐ろしいハンターだッ!!」
ミノタウロスが魔物の正体について教える。もっと早く忠告すべきだった、そうすれば余計な犠牲者を出さずに済んだのに、と後悔の念に駆られた。
「こいつらはお前達の手に負える相手じゃないッ! ここは俺が引き受けるッ! お前達は城壁の内側まで後退しろ! 自分の身を守る事を最優先に考えるんだ、良いなッ!!」
兵士達に今すぐ撤退するよう指示を出す。戦力差を客観的に分析した結果、彼らではとても太刀打ち出来ないと考え、命を守る判断を下す。
「俺が相手になってやる! こっちに来やがれ、雑魚チビの糞ウサギどもッ! 俺の首が取れるものなら、取ってみせるがいい!!」
今度は敵の方へと振り返ると、精一杯侮辱する言葉を浴びせた。口から出した舌をベロベロ動かして相手を挑発すると、城から離れた荒野に向かって全速力で走る。可能な限り敵の注意を引き付けようともくろむ。
「キキキッ!」
安い挑発に乗せられたウサギ達が速攻でいきり立つ。耳障りな金切り声で喚きながら、全身の毛を逆立てて見るからに怒り出す。全員がミノタウロスの背中を追って駆け出し、城の方には一匹も向かわない。まんまと男の読み通りに事は運ぶ。
「分かりました、ここは貴方様にお任せします! どうか、ご武運を!!」
仲間を守ろうとする男の意思を尊重し、兵士達が指示に従う。彼の勇気に皆が敬礼すると、城に向かって一目散に退却する。全員が城門に入ったのを確認すると、中にいた兵士が門を固く閉ざす。
仲間の遺体を回収する暇は無かったが、状況を鑑みれば仕方のない事だ。
ミノタウロスは全力で走り続けながら、新たな犠牲者を出さずに済んだ事を深く安堵した。
◇ ◇ ◇
「ハァ……ハァ……」
城から一キロほど離れた荒野……大斧を手にした牛男が、息を切らせたまま大地に立つ。さすがに体力を消耗したのか、額にじわりと汗が滲み出る。
疲労した牛男を、百匹以上もの小ウサギが包囲する。目を真っ赤に血走らせて、ウウーッと唸り声を発して敵を威嚇する。とてもウサギとは思えない鬼の形相を浮かべて、恐ろしい殺気を漲らせている。
「ギギギィィィイイイイイーーーーーーッ!」
やがて群れの中にいた一匹が、先陣を切るように駆け出す。ミノタウロスに向かって一直線に走っていき、彼の脇腹を狙って飛びかかる。
牛男が斧を振り上げようとした瞬間、脇腹にカカッと前歯の一撃が加えられる。ウサギは牛男の背後に着地する。
必殺の一撃が命中した事に勝利を確信しながら後ろを振り返ったウサギだったが……。
「……!?」
視界に映り込んだ光景に、口をあんぐりさせた。
ボーパルバニーの一撃を受けても、男の脇腹には掠り傷一つ付かない。何事も無かったかのようにピンピンしている。兵士の首をたやすく切り裂く、剣のように鋭い前歯で斬られたにも関わらず……。
「ギッ……ギギギギギィィィイイイイイーーーーーーッ!」
攻撃が効かない事に一瞬たじろぎながらも、別の一匹が号令を掛けるように大きな声で叫ぶ。自身の中に湧き上がった恐怖を、仲間を鼓舞する叫びで打ち消そうとした。
その叫びを合図として、全てのウサギが牛男めがけて一斉に飛びかかる。百匹以上の白い獣が、男の周りを軽快に飛び回り、すれ違いざまに前歯で切り裂く。カカカッカッと筋肉と前歯がぶつかり合う音が楽器の演奏のように鳴り響く。
男は敢えて反撃を行わず、相手の好きにさせる。屈強な戦国武将のように仁王立ちしたまま、敵の攻撃を受け続ける。
小さな獣が巨漢の男に群がる珍妙な光景が、時間にしておよそ十分ほど続いた後――――。
「ギィ……ギィ……」
攻撃の手が急に止む。ウサギ達は見るからに体力を消耗しており、激しく息を切らせたまま手足をだらんとさせる。さっきまでの威勢の良さは完全に吹き飛んで、身も心も疲れ果てた。
当のミノタウロスは傷一つ負っていない。血の一滴も流さず、鍛えられた鋼の肉体は日の光を反射してテカテカしている。
ウサギの前歯では、この不沈要塞の如き男の体を壊す事が出来なかった。
「残念だったな……糞ウサギども」
牛男がさも当然と言いたげにニタァッと笑う。
「俺の皮膚は鋼鉄よりも硬い……たとえ貴様らが何百回、何千回……何処を攻めようが、同じ箇所を何回斬り続けようが、俺を殺す事は出来ん……それが俺とお前達の、格の違いというヤツだッ!!」
肉体の打たれ強さを自慢げにアピールする。腰に手を当てたドヤ顔になりながら、フンフンと誇らしげに鼻息を吹かせる。
男には最初からこうなる事が読めていた。だからこそ心置きなく自分を囮にして兵士達を逃がす決断が出来た。
ウサギ達にとって相性最悪の敵だった。速度はウサギの方が圧倒的に上だが、速さを重視した前歯の切れ味は人間の首なら落とせたものの、それより硬い相手に対しては分が悪くなる。ミノタウロス相手では致命傷を与える手段が無くなる。
逆にミノタウロスは相手の体力切れを待つだけで良かった。動かなくなった相手に、体力を温存した一撃を叩き込めば、それで勝負が決するのだから。
「城に攻め入った事を後悔しながら死んでいくがいい!!」
牛男が死を宣告する言葉を発しながら、両手で握った大斧を高々と振り上げる。その姿勢のまま数秒間静止して力を溜める。
「大地よ唸れ……グランド・ブレイクッ!!」
大声で技名を叫ぶと、振り上げた斧を大地に向かって一気に振り下ろす。
斧の刃が激突すると、地面がドガァッ! と音を立てて爆発し、大量の土砂が四方八方へと津波のように飛び散る。
弾丸のように発射された大小さまざまな石つぶてが、ドガガガガッとウサギ達に命中する。
「ギャッ!」
「グエッ!」
「ウゲーーッ!」
石の直撃を受けたウサギ達の悲鳴がこだまする。足で踏まれたカエルのような断末魔の叫びが幾重にも重なり、絶望のメロディとなって荒野に鳴り響く。
死と苦痛と恐怖にまみれた音楽が終わりを迎えた時、ウサギが一匹残らず大地に倒れ伏す。半数以上は岩の直撃で即死し、残りの連中も血だらけになったままグッタリする。
「ギィ……ギィ……」
最後に残った一匹が力を振り絞って起き上がろうとしたが、ガクッと力尽きてそのまま息絶えた。
敵の群れを仕留めたミノタウロスであったが、勝利の余韻に浸る暇は与えられない。
(こいつらの後ろに、岩のように大きな巨人がいたと聞いたが……)
謁見の間に駆け込んだ兵士の言葉を思い出していると……。
「ホッホッホッ……ボーパルバニーの群れを無傷で仕留めるとは、なかなかやりますねぇ」
彼の背後から何者かが言葉を掛ける。それと同時にズシィーーン、ズシィーーン、と大きな音が鳴り、大地が激しく揺れる。突然巨大な影がヌゥッと辺りを覆う。
敵の襲来を察知した牛男が慌てて後ろを振り返ると、数メートル離れた先に二つの人影が立つ。
そのうち一人は二階建ての家くらいの大きさをした、ゴツゴツした岩の巨人だった。全身を構成する物質もただの岩では無いらしく、鮮やかな黒一色に染まり、日の光を反射して黒曜石のようにキラキラ光る。
その隣にちょこんと立つのは、トランプのジョーカーのような格好をした小男……ミノタウロスも見知った顔だ。
「久しぶりですねぇ、ミノタウロスさん。この私自ら、城を攻め落としに参りましたよ……アダマン・ゴーレムを連れてねッ!!」
ケセフが勝利を確信した台詞を吐きながら、ニヤリと口元を歪ませた。




