第124.7話 親子の絆
魔王が状況を打開する為に何らかの行動を起こそうと思い立った時……。
「……母さん」
サトルが不意に小声で呟く。下を向いて泣き続けるのをやめると、顔を上げてゆっくりと立ち上がる。二本の足でしっかり大地に立つと、ガラス球に閉じ込められた母親をじっと見ながら、胸の奥底から絞り出したような小声で語りだす。
「ごめんよ、母さん……僕がバカだった。いつもいつもわがまま言って、困らせてばかりだった。本当は僕、気付いてたんだ。いつも母さんが僕の事を心配してくれてた事……それなのに酷い事ばかり言って、本当にごめん」
今まで迷惑かけた事を深く謝罪する。母親が自分の身を案じる行動してくれた事、にも関わらず、その気持ちに応えようとしなかった事……それらを申し訳なく感じた心情を偽らざる本音によって伝える。
「もう食べ物の好き嫌いしない……しいたけもたまねぎもちゃんと食べる……朝一人で起きられるようになる……学校の宿題ちゃんとやる……ちゃんと歯も磨く……お風呂が沸いたらすぐに入る……夜遅くまで遊んだりしない……だから……だから」
下を向いて両肩をわなわなと震わせると、今にも泣きそうな涙声になりながら、これまでやらかしたわがままに対する反省の弁を述べる。今後は母親を困らせない生き方をすると誓いを立てる。
「もうお母さんの事絶対いらないなんて言わないから……僕の前からいなくならないで、戻ってきてよぉっ!!」
最後は顔を上げて悲しそうな表情になると、球体に閉じ込められた母親を見ながら、家に戻ってきて欲しい切実な思いを訴えた。
(クククッ……バカめ。あの女は眠らされているのだぞ。ションベンくさいガキがいくら吠えた所で、声が届くはずが……)
少年の必死の思いが篭った言葉を聞いても、ガストは歯牙にもかけない。昏睡状態にあるルミエラに声が聞こえるはずがないとタカを括る。
(……ん?)
それでも念の為と思い、球体の方を見た悪魔が異変に気付く。
ルミエラの体が微かに動いたように見えた。よく見てみると体全体が小刻みに震えており、左の瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
魔力で眠らされた少年の母親……その彼女が全力で魔力に抗って、起き上がろうとしていたのだ。
「……トル」
やがて僅かではあったが口が動いて言葉が発せられた。
「サトル……サトルゥゥゥウウウウウーーーーーーッ!!」
両目をグワッと見開くと、腹の底から絞り出したような大声で息子の名を叫ぶ。体育座りするのをやめて自力で起き上がろうとすると、彼女を閉じ込めていたガラスの壁にビシビシと亀裂が入り、ガシャーーーン! とあっけなく割れる。
分厚いガラスのような硬さがあったはずの結界は、女が目覚めると内側からハンマーでぶっ叩いたかのように脆かった。
「サトルーーーー!!」
ルミエラは自力で結界を破るとすぐさま立ち上がり、離れた場所にいる息子に向かって全速力で駆け出す。数日間閉じ込められた事による疲労のようなものは感じられない。
「母さぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーん!!」
サトルが数秒遅れて母親の元へと走り出す。母親の腰に抱き着くと、顔をうずめたまま大声で泣き出す。瞳から大粒の涙をボロボロと溢れさせて、わんわんと生まれたての赤子のように泣き続ける。
「母さん、ごめんっ! ごめんよぉ! 僕……僕……」
これまでしてきた事を何度も謝る。母親が目を覚ました喜びで胸がいっぱいになり、言葉がうまく出せない。
「サトル……貴方の言葉はちゃんと届いてましたよ。もう母さんは何処にも行ったりなんかしません……」
ルミエラは身を屈めて愛する息子を両手で抱き締めると、泣き止ませようと何度も優しい言葉をかける。自分はもういなくならないと言い聞かせて、息子の不安を取り除こうとした。
(クソッ! これは一体どういう事なんだ? こんな事はありえない……絶対あってはならない事だ!! 俺様の掛けた術は高等な魔術……それを親子の愛だの絆だのという、取るに足らないものに破られるなどという事があっては!!)
親子が抱き合う姿を遠巻きに眺めながらガストが酷く困惑する。ルミエラに掛けた術が破られた事に冷静ではいられない。
ガストは自身が掛けた術が魔王に破られる事は想定していた。魔王が破ったのなら仕方ないと自分に言い聞かせて、納得してやるぐらいの気持ちはあった。
だがそうではない。悪魔の掛けた渾身の術は魔王の力によってではなく、ルミエラの思いの強さによって破られたのだ。それは彼にとって決して許せるものでは無かった。
しばらく呆気に取られたまま黙り込んだガストであったが……。
「貴様らよくも……よくも俺のメンツを潰してくれたなッ! 許さん! 絶対に許さんぞ!! まどろっこしいマネをするのはもうやめだ! かくなる上は貴様らの両目を抉って、二度と日の光を拝めなくしてくれるわぁぁぁぁぁぁあああああああああッッ!!」
やがて脳の血管がブチ切れんばかりに怒りだす。眉間に皺を寄せた阿修羅のような顔になると、揺るぎない殺意に満ちた言葉が口から飛び出す。
もはや一分一秒たりとも相手を生かしておけない気持ちにすらなり、親子のいる方角に向かってゴォーーーッと風を切る音を鳴らしながらすっ飛んでいく。悪魔としてのプライドを踏みにじられた気になり、なりふり構っていられなくなったようだ。
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーっ!!」
影の悪魔が物凄い剣幕で自分達に迫ってきた為、親子が二人して悲鳴を上げる。どうにもならない状況に絶望して、死を覚悟しながら互いに強く抱き合う。
ガストの指があと数秒で親子に届きかけた時、ザガートがワープしたように一瞬で駆け付けてガストの前に立ちはだかる。
「ふんっ!」
喝を入れるように一声発すると、右拳による全力のパンチを繰り出す。ひらひらした旗のような物体である悪魔の顔面に、ダイヤモンドよりも硬い男の拳がボフッと音を立ててめり込んだ。
「なっ……げぼばぁぁぁぁぁぁああああああああっっ!!」
直後ガストが滑稽な奇声を発しながら慌てて数メートル後ろへと下がる。相手との距離を保って安全を確保すると、殴られた顔面をいたわるように両手で摩る。薄っぺらい紙のような物体ではあったが、痛覚はちゃんとあったようだ。
「……親子の仲を邪魔しようとするヤツは俺が許さん」
ザガートが恰好を付けるようにマントを右手でバサッと開きながらガストに忠告する。いたいけな親子に手を出そうとした悪魔の所業を、卑怯者の取る行動だと心底見下す。
「日の光を拝めなくなるのは貴様の方だ……ガスト!!」




