第218話 その攻撃はもう効かない
ザムザはルシルを狙うのを後回しにして、先に他の二人を殺そうと思い立つ。
レジーナを次なるターゲットとして狙い定めると、一振りの刀を両手で握ったまま、彼女のいる方へと歩き出す。数歩前に進んだ瞬間、男の姿がフッと消えた。
数秒後、王女の背後に人斬りがワープしたように姿を現す。
(流石にこの女は指輪を付けていまいッ! ここで死に絶えるがいい!!)
死を宣告する言葉を心の中で発すると、刀を横薙ぎに振って女の胴体に斬りかかる。
後ろを振り返ってからでは防御も回避も間に合わないタイミングだ。ザムザは内心勝ったと、胸の内でそう確信した。
だがレジーナは後ろを振り返らないまま右手に持っていた剣を自身の背後に回して、刃を垂直に構えて相手の攻撃に備える盾代わりとする。互いの刃と刃がぶつかり合って『十』の形になると、ギィンッ! と激しい金属音が鳴って、大量の火花が散った。
「何っ!!」
ザムザが驚きの言葉を発しながら、慌てて飛び退く。女に攻撃を防がれた事実が俄かに受け入れられず、ショックを受けたような棒立ちになる。
レジーナは後ろを振り返ると、相手が動揺した姿を見てニヤリと笑う。想定通りに事が運んだ喜びに胸を躍らせながら、魔王に伝授された作戦を思い出す。
良いか三人とも、よく聞け。ザムザが気配を消して近付いてきた時、ヤツは正面からは絶対に斬りかからない。正面からでは殺気が芽生えてから、相手がガードや回避するタイミングが間に合ってしまうからだ。ヤツは反応のタイムラグを狙って常に背後から斬りかかる。
一度防がれた攻撃を立て続けにやるとは考えにくいが……それでもヤツがもう一度姿を消したら、その時は相手の利き腕と逆の方向から狙ってくるはずだ。そこからの攻撃を防ぐように心がけろ。二度も防がれたらヤツは完全に対策を取られたと思って、もうこの技を使わなくなるだろう。
……以上が、魔王が三人に伝授したワープ斬り対策の全容だ。
敵が背後から襲ってくると読めていた為、王女は適切に対処する事が出来たのだ。
ザムザはしばし今後の方針について思い悩むように黙り込んだが、意を決したように刀を握り直す。さっきと同じ構えになると再びレジーナに向かってトコトコと歩き出す。数歩前に進むとワープしたようにフッと姿が消える。
(利き腕と逆の方向……それは私から見て左ッ!!)
レジーナは右手に持っていた剣を両手で握り直すと、刃を垂直に構えたまま左に九十度向きを変える。
直後ブォンッと風を切る音を鳴らしながら水平に振られた刀が女の剣と衝突して、またも大きな金属音が鳴って火花が散る。ザムザが女の左側面にワープして刀を振り、それが防がれたのだ。
「……ッ!!」
ザムザは攻撃を防がれた事に絶句しながら慌てて後ろに下がる。女から大きく距離を開けると、しばらく考え事に没頭したように茫然と立ち尽くす。渾身の技を同じ相手に二度も防がれた事がよほどショックだったようだ。
(あの女、俺の『気配消し斬り』を二度も防ぐとは……一度目は只の偶然だったと言い張れても、二度目は完全に軌道を読まれていたッ! もはやこの技ではこいつらを殺す事は出来ないというのか!?)
想定外の事態に驚いたあまり冷静さを失う。頭の中を思考がグルグルと駆け回って考えがまとまらず、今後の戦術を思い描けない。完全に計算を狂わされた形となり、深いパニックに陥る。ベテランの暗殺者である彼にとって、ただの女にこの技を止められるなど思いも寄らない事だ。悪い夢であって欲しいとさえ感じた。
レジーナはザムザが石化したような棒立ちになった姿を見て、一瞬どうすべきか迷う。わざと相手の攻撃を誘い出すために隙だらけのフリをしたんじゃないかという考えが頭の中にあった。
だが恐らくそうではない、本当に彼が困惑したのだろうと判断して、今が攻撃を仕掛ける絶好のチャンスだと思い立つ。
一振りの剣を両手で握って構えると、正面の敵に向かって全力でダッシュする。
「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおーーーーーーーーッッ!!」
腹の底から絞り出したような雄叫びを発しながら剣で斬りかかろうとした。
ザムザは戦闘中にも関わらず集中力を欠いていた事に気付いて、慌てて正気に立ち返る。今やるべき事を瞬時に把握すると、刀を両手で握って構える。
「キェェェェェェエエエエエエエエーーーーーーーーッッ!!」
これまでの寡黙なイメージからかけ離れた武闘家のような奇声を発すると、女に向かって全速力で駆け出す。完全に気配を消すのをやめて、揺るぎない相手への殺意を剥き出しにする。
人斬りと女騎士、二つの影が地上で交差した瞬間ギィンッ! とけたたましい金属音が鳴る。
それでも二人は歩みを止めずに走り続けて、互いに十メートルほど離れ合った地点で足を止める。相手に背を向けて剣を振り終えた姿勢のまま微動だにしない。
二人は剣を振ったポーズのまま岩のように固まる。十秒、二十秒が経過しても全く動こうとしない。その状態が永久に続くかに思われた時……。
「……ウウッ」
レジーナが呻き声を漏らしながらガクッと膝をつく。
直後彼女の左の二の腕に、時間差でピッと一本の赤い線が入り、そこからツゥーーッと血が滴り落ちる。深手を負った訳ではないが、斬り合いにおいて敗北した事を窺わせる流れだ。
王女は腕の傷を庇うように右手で押さえたまま立ち上がろうとしない。
ザムザは後ろを振り返り彼女が負傷した姿を見てニヤリと笑う。
勝った……その言葉が頭の中をよぎりかけた瞬間。
「……ッ!!」
ザムザが頭に被っていた藁を編んだ笠、その前面、顔の左半分を覆い隠していた部分が縦にピッと裂けて、小さな切れ込みが入った状態になる。
レジーナが後ろを振り返ると、僅かな隙間から見えた男の左目が、太陽の光を反射して一瞬キラリと光ったように見えた。
「グッ……」
ザムザが笠の切れ込みが入った箇所を慌てて左手で隠す。見られたくないものを見られたと言いたげに顔をうつむかせたまま絶句する。
王女は男の目が光ったのを見て激しい違和感を覚える。彼が何か重大な秘密を隠しているのではないかと疑念が湧く。
(人間の眼球は確かに水晶体で出来ているが、さっきの光の反射は明らかにそれとは異なるものだ……ヤツの瞼に入っているのは、本物の眼球じゃないのか? いずれにせよ、顔を見られたくないから笠を被っているのは確かなようだ)
相手の身体的特徴に思いを巡らせたが、断言するまでには至らず、推測の域を出ない。中途半端なまま仲間に情報を伝えてもかえって混乱を招く危険性があるので、もう少し情報が集まるまで黙っておく事にした。




