第196話 ヤハヴェは大天使長ミカエルと言葉を交わす
ソドムの村から北に十キロ向かった先にゴルゴダと呼ばれる丘があり、そこに大きな神殿が建っていた。昨日までその場所に神殿は無く、ソドムの村が焼かれた直後に突如現れたのだ。まるで天界からワープしてきたように……。
古代ギリシャの建築物のような神殿……その最奥部にある大広間に玉座が置かれており、一人の男が気だるそうに片肘をついて大股開きになりながら座る。
その者は他ならぬ人類を創造した神ヤハヴェだ。スカートを穿いた鉄仮面の騎士である点は変わらないが、背丈は二メートル程しかなく、これが本来のサイズのようだ。邪魔になるからか、背中の翼と光輪は玉座に腰かけている間だけは折り畳まれている。
ヤハヴェは玉座に座ったまま物憂げな表情を浮かべる。何処か遠くを見るような目をしており、時折ため息のような声を漏らす。村を滅ぼした事に達成感を抱く様子は無く、自分のやろうとしている事に空しさを感じている雰囲気すらあった。
神がただ時が流れるのを待っていると、部屋の入口がある方角から一人の女性が走ってくる。白い衣を着て背中に鳥の翼を生やしたその者は天使であったらしく、頭上に光の輪っかが浮かんでいる。歳は二十代半ばくらいに見え、容貌は整っていて美しい。長めの金髪はウェーブが掛かってサラサラしていて、体のラインの美しさは女神のようだ。胸も大きい。
「ミカエルか……何用だ」
ヤハヴェが天使の名を呼ぶ。この神の前に現れた絶世の美女こそ、神に仕えし四大天使の長ミカエルであったようだ。
「主よ……どうか今一度、人類を滅ぼすのを思い留まっては頂けませぬか」
神の問いにミカエルが口を開く。
「彼らは罪深き者なれど、皆貴方様の子に等しくございます。彼らの血は貴方様の血に等しく、彼らの肉は貴方様の肉も同じ。自らに似せて人をお造りになられた貴方様が、人の死に胸を痛めぬ筈はありませぬ」
人類殲滅を思い直すよう懇願する。人が神の御姿に似せて作られた事実を指摘して、人を殺す行いは我が子を殺す行いも同然と切実な口調で訴える。
「……お前如きが我に意見するのか? 我の被造物に過ぎないお前が、お前を生んだ神である、この我に……」
神がしばし黙り込んだ後言葉を発する。創造主たる神の判断に異を唱えた天使の行いに強烈な不満を抱く。これからやろうとする行いに水を差された思いがあったのか、発言に棘があり、かなり機嫌が悪そうだ。
「はっ……主の下僕に過ぎない一天使めが、出過ぎた発言を致しました」
ミカエルが跪いて頭を下げる。主君の機嫌を損ねる行いをした事を謝罪する。
数秒間無言のままでいた神であったが、申し訳なさそうに謝る天使の姿を見て、行き過ぎた発言をしたのではないかと冷静に思い直す。部下に苛立ちをぶつけた自身の行いを省みて、間違いを犯したのだと深く反省する。
「……すまない。今のは少し言い過ぎた。私もついカッとなった。どうか気を悪くしないでもらいたい」
慌てて椅子から立ち上がると、部下に暴言を吐いた失態を詫びる。数歩前に進んでミカエルの元まで歩いていくと、身を屈めて彼女の両手を取る。
「……私も辛いのだ」
下を向いたまま儚げにそう呟く。
「我とて、いきなり人類殲滅を思い立った訳ではない。何十年、何百年と熟慮を重ねた結果の結論だ。考え抜いて、考え抜いて、考え抜いて……何百年と考え続けて、ようやく出た結論なのだ」
人類を滅ぼす方針が苦渋の決断だったと明かす。長い葛藤の末に導き出した答えである事を強調して、自身の選択への理解を求めた。
声の調子は重く、表情は暗い。時折ため息のような声が漏れており、人類殲滅に前向きではない心情が窺えた。好き好んでやった訳じゃない……そう言いたげだ。
「散々思い悩んだ末に出した答えだ。今更変える気など無い。私の心情を思い量るならば、どうかこの事に口を挟んでくれるな」
自身の決定が覆らない事を告げて、異論を唱えないよう釘を刺す。
「私めの方こそ、行き過ぎた真似をしてしまいました……我が主の苦悩に考えが及ばなかった下僕の浅はかさ、どうかお許し下さい」
ミカエルが顔を上げて神の方針に異を唱えた事を謝罪する。神の苦悩を推し量ろうとしなかった自らの配慮の足らなさを恥じる。
「うむ……それでミカエルよ、例の儀式の方はどうなっている?」
ヤハヴェは女から離れて玉座がある方へと歩いていくと、再び玉座に座る。片肘をついて大股開きになりながら作業の進捗状況を問う。女が部屋へと駆け込んできたのも、本来は進捗状況を報告する為だったと思われた。
「はっ。儀式の準備は完了いたしました。これから彼らの召喚を執り行います」
ミカエルが状況報告を行う。何者かをこの世界に呼ぼうとしており、その為の準備をしたようだ。
「フム……我は玉座に座っておるゆえ、儀式が完了したら彼らをここに連れて参れ」
ヤハヴェは召喚した者を連れてくるよう命じる。自身は玉座から動かず、来訪者の出迎えを天使に任せる。
「はっ! 主の御心のままに!!」
ミカエルは命令を受諾すると、立ち上がって神に一礼した後部屋から出ていく。儀式の間があると思しき神殿の入口の方角へと早足で歩くのだった。




