第190話 決着の果てに……。
「爆ぜよッ! 汝の身に宿りし力、外へ向かう風とならん!」
ザガートが正面に両手のひらをかざして呪文の詠唱を口ずさむ。彼の手に青白い光が集まっていって、ダチョウの卵くらいの大きさの光球になる。
「呪イノ力ヨ……我ガ敵ニ、約束サレタ死ヲ与エタマエ……」
数秒遅れてアザトホースが詠唱と思しき言葉を唱える。ザガートの方を見ていた目玉の正面に白い光が集まっていって、長さ二メートルに及ぶ細長い金属の針が生まれる。彼も魔王の意思に応えて、この一撃で勝負を終わらせるつもりのようだ。
「……絶対圧縮爆裂ッ!!」
「……死ノ結末ッ!!」
両者がそれぞれの必殺奥義と思しき魔法を同時に唱える。
大魔王が生み出した魔法の針が音速を超える速さで飛んでいって、魔王の胸元にブスリと突き刺さる。金属の針が魔王の胴体を貫くと、傷口から真っ赤な血が噴水のように噴き上げた。
魔王は胸を串刺しにされて苦悶の表情を浮かべたまま、崩れ落ちるように床に倒れた。血の海に沈んだままピクリとも動かない。
だが既に魔王の手元を離れていた光球は唱え主が倒れても消える事なく、グングン加速していって軌道の先にいる大魔王を直撃する。光球が触れると大魔王の体はドクンドクンと脈打った後、皮膚が沸騰したようにボコボコと泡立つ。
「ナッ……グワァァァァァァアアアアアアアアーーーーーーーーッッ!!」
断末魔の悲鳴を上げた瞬間、アザトホースの体が針を刺した風船のようにバァンッ! と音を立てて破裂した。千を超える数の肉片が床に降り注いだが、超高熱の炎で焼かれたような黒焦げになっており、砂のように崩れ落ちて灰の山となる。
一陣の突風が吹き抜けると、かつてアザトホースであった灰は風に飛ばされて空に散っていき、後には死体すら残らない。
「………」
戦いが終わりを迎えて、場がシーーンと静まり返る。誰も一言も発しないままカカシのような棒立ちになる。目の前で起こった出来事に思考が付いていかず、ただ茫然と立ち尽くすしかない。
冷たい風がビュウビュウと吹き抜けて、魔王のマントの裾がバサバサと揺れた。
血の海に倒れたまま動かない魔王と、極大魔法を受けて爆散した大魔王……そこに勝者の姿は無い。両者が共に致命的な一撃を食らって死んだらしい光景を、その場にいた者達は呆気に取られて眺めていた。
「相討ち……だったのか」
レジーナが不意にそう呟く。魔王が死んだかもしれない光景を目の当たりにして、真っ先にその事実を受け入れた。眉間に皺を寄せて苦虫を噛み潰した顔しており、額からは冷や汗が垂れ落ちる。
彼女の言葉がきっかけとなり、他の仲間達も冷静に現状を把握しだす。魔王を失った事実が実感として湧き上がると、深い悲しみが急激にこみ上げて、絶望で胸が張り裂けそうになる。
「ザガート様ぁぁぁぁぁああああああああああっ!!」
メンバーの中でルシルが真っ先に悲痛な声で叫ぶ。目に涙を浮かべて今にも泣きそうな顔しながら、床に倒れた魔王の元へと駆け寄る。
他の女達も後に続くように男の元へと走り出す。ただ一人ブレイズだけは何かに気付いたのかその場に立ったままであり、主君の元に駆け寄らない。
「ザガート、死ぬな! 死ぬんじゃない!!」
「師匠ッ! オイラ、こんな結末は絶対嫌ッス!!」
「魔王ッ! 我を……我を置いていかぬでくれぇぇぇぇぇぇええええええええええッ!!」
女達の口から悲しみの言葉が漏れ出す。四人の女は魔王の上半身を抱き起こして彼に寄り添ったまま、わんわんと声に出して泣く。瞳から大粒の涙を溢れさせて、何度も立ち上がるように声を掛けた。
四人の女達は魔王が死んだ事実を頑なに受け入れようとはしない。彼が生きているはずだと心の中で思い込む。
少女達の願いも空しく、魔王は目を閉じたままだ。安らかな死に顔を浮かべて死んだかに思われたが……。
「……ムッ!!」
それまで閉じていた魔王の瞼が突然グワッと見開かれた。胸に針が刺さった事実など無かったようにムクッと起き上がる。
「うわぁっ! ザガートが生き返ったあっ!!」
男がゾンビのように息を吹き返した事に仰天して、レジーナが心臓が飛び出んばかりに驚く。目を丸くさせてこの世の終わりを見たような顔しながら、反射的に後ろへと飛び退く。
他の女達も同じ反応をして、全員が魔王から離れる。さっきまであった悲しみの感情は一瞬で吹き飛ぶ。
ザガートは二本の足でゆっくりと立ち上がると、自分の胸から突き出ていた針の端っこを片手で掴む。
「フンッ!!」
気迫の篭った言葉を発すると、胸に刺さった針を力任せに引き抜く。針が抜けると傷口が急速に塞がっていき、ドクドクと流れていた血が止まる。床に溢れていたトマトジュースのような赤い液体も、スゥーーッと薄れて消えていき、掃除したように綺麗な床へと戻る。
ザガートは手に持っていた金属の針を、部屋の隅の方へと乱暴に放り投げた。
「ザガート……無事だったのか。てっきり死んだものとばかり」
レジーナが顔を引きつらせたまま、恐る恐る男の元へと歩いていく。間違いなく死んだと確信を抱いた男が生きていた事への衝撃を言葉で伝える。
本来大切な仲間が無事だった事を喜ぶべき場面だが、それよりも驚きの感情の方が大きかった。
「ああ……大魔王の放った一撃が心臓を狙ったものだと瞬時に見抜いた俺は、すかさず横に数ミリ動いた。おかげでヤツの魔法は心臓からずれた位置に命中し、俺は致命傷を免れた……という訳だ」
ザガートが王女の問いに答える。敵の狙いに気付いて反射的に回避行動を取り、急所を逸れていた事実を伝える。さすがに心臓に刺さったまま生き延びた訳では無いようだ。
「まったく……相変わらずデタラメなヤツじゃのう」
魔王の話を聞かされて鬼姫がウンザリしたような溜息を漏らす。
男が生きていた喜びと、いつもの不死身ぶりに呆れた感情が入り混じって、少し疲れたような顔をする。このノリに付き合わされたら、寿命がいくらあっても足りない……そう言いたげだ。
(だが避けるのがあと0.1秒遅かったら、俺は今の一撃で確実に死んでいた。さすが大魔王……この世界最強と呼ばれただけある)
ザガートは先程の戦いを回想して、アザトホースの強さを高く評価する。自分をあと一歩の所まで追いつめた実力を思い起こして、互角に渡り合える強敵と呼ぶに相応しい相手だったと畏敬の念を抱く。
戦いが始まる前こそ侮辱したが、彼も立派なこの世界の魔王だった……そう思わされた。
物思いに耽ていた魔王であったが、ふと目をやると大魔王が死んだ場所の真下にあった床に、人間の手のひら程度の大きさの一匹の蜘蛛がいた。蜘蛛はザガートに見られていた事に気付くと、部屋の隅の方へそそくさと走り去ろうとする。
「フンッ!!」
ザガートは服のポケットから一本の金属の針を取り出して、蜘蛛に向かって投げ付けた。針は蜘蛛の足の一本をブスリと貫いたまま床に突き刺さり、彼をその場から動けなくする。
蜘蛛は必死に逃れようと手足をジタバタさせたが、串刺しにされた足を切り離せる程ではなく、床に固定された状態となる。
ザガートはズカズカと歩いていって針を引き抜くと、蜘蛛を指で摘んで持ち上げる。自分の顔の前まで持っていくと、興味深そうにまじまじと眺める。
「ザガート、その蜘蛛がどうかしたのか?」
レジーナが不思議がるように首を傾げた。何の変哲もないただの蜘蛛にしか見えない物体に、魔王が興味を示した意図が全く理解できない。
「……これが魔力を失ったアザトホースの真の姿だ」
王女の疑問に魔王が口を開く。何の力も持ち合わせない無力な虫けらこそ、さっきまで激闘を繰り広げていた巨大な化け物の正体だというのだ。
「えっ……ええええええぇぇぇぇーーーーーーーーっっ!?」
耳を疑うような言葉に、魔王の仲間達が目ん玉が飛び出そうな勢いで驚く。あまりに突拍子も無さすぎて、とても俄かには信じられない。
……魔王の口から発せられた真実は、正に天地がひっくり返るような衝撃があった。




