第19話 オークを殲滅せよ
「オークの軍勢……十万匹だと!?」
レッサーデーモンが最期に遺した言葉に、兵士達が俄かにざわつく。
勝利の喜びに浸る間もなく、中庭が騒然となる。城の住人同士が互いに顔を合わせながら、どうしようとうろたえる。
「国王陛下、大変ですっ! すぐこちらに来て下さい!」
見張り塔に上がっていた兵士の一人が、大きな声で叫ぶ。
呼びかけに応じてタルケンも、ザガートとその仲間達も、早足で彼の元に駆け付ける。
「これは……ッ!!」
塔に備え付けられた望遠鏡を覗き込んで、タルケンの表情がこわばった。
王の視界に映り込んだ景色……それは夜の暗闇の中に、赤い瞳が無数に浮かび上がっているものだった。それらは大海の波のようにうねりながら、城に向かって進軍している。
レッサーデーモンの言葉が真実ならば、赤い瞳がオークである事は疑いようがない。目視だけでも総数が十万に近い事が分かる。
まだ城からだいぶ離れていたが、今から一時間ほどで到達する距離だ。
「なっ、何という事だ……」
敵の大軍が迫っていると知り、王がショックのあまり愕然とした。表情は一瞬にして青ざめて、ガクッと膝をついてうなだれる。
今から迎え撃つ準備をしても、とても間に合わない……いや仮に間に合ったとしても、十万の大軍に攻められては、津波に呑まれたアリのように押し流されてしまう。
城を放棄して逃げる以外に選択肢は無く、それは国を奪われたに等しい行為だった。
「………」
レジーナも兵士達も考えは皆同じであり、下を向いたまま黙り込む。
この困難に立ち向かう力を持ち合わせない自分の不甲斐なさを心底嘆く。
「お前達、何をそんなに恐れている? オークの群れを片付ければ良いのだろう……そんなの容易い事だ」
王女達が悲嘆していると、ザガートが事も無げにあっさり言い放つ。敵の襲来を恐れる様子は微塵もなく、恰好を付けるようにマントを右手でバサッと開いて、風にたなびかせた。
「だ……だが、どうやって!!」
タルケンが藁にもすがる思いで問いかけた。いくら魔王の力が強大でも、十万の大軍は蹴散らせないだろうという憶測が頭の中にあり、心配せずにいられない。
「……すぐに分かる」
国王の問いに、ザガートがニタァッと邪悪な笑みを浮かべる。
「お前達、俺から少し離れていろ。今から俺が極大魔法を唱える。それでオークの群れを一網打尽にする」
一転して真剣な顔付きになると、その場にいる全員に的確に指示を出す。彼の言葉に従い皆が距離を開けると、ズカズカと前に進み出て、塔の端に立つ。視界の遥か彼方にある暗闇に、無数の赤い瞳がウネウネしているのが見える。
「天空の星屑よ、流星となりて豚共を薙ぎ払え……隕石群落下ッ!!」
両手を組んで印を結ぶと、呪文の詠唱を行った。
◇ ◇ ◇
城から遠く離れた平野を、フゴッフゴッと鼻息を吹かせながら、むさ苦しい大男の集団が進軍する。トゲの生えた棍棒を手にして、露出度の高い半裸の鎧を着た、力士のような体型をした豚頭の亜人種……レッサーデーモンに呼ばれたオークの軍勢だ。
長い距離を歩いてきたのか全身ダラダラと汗をかいており、そこから白い湯気が天へと立ち上る。間近で見たら吐き気を催しそうなほど暑苦しい光景だ。
「男ハ殺セ! 女ハ犯セ! 金目ノ物、全テ奪エッ!!」
オークの集団が行軍しながら、まるで歌でも唄うようにリズミカルに叫ぶ。彼らにとってそれは自身を鼓舞して士気を向上させる儀式でもあったようだ。
特に女を陵辱する事は彼らにとって一番の娯楽であり、皆性の惨劇が始まるのを心待ちにしてウズウズする。
「アノ城ニハ、レジーナトイウ気ノ強イ美人ノ王女様ガイルト聞ク……一体ドンナ声デ泣キナガラ犯サレルカ、今カラ楽シミダゼ……グヒヒヒヒッ」
群れの先頭にいた一人が、下衆な想像をしてニヤついていると……。
「オイ、アレハ何ダ?」
隣にいたもう一人が、突然立ち止まって空を指差す。
他の者達が後に続くように一斉に上を見上げると、まるで溶岩が煮え滾ったように、天が轟轟と赤く光る。それまで暗闇に包まれていた平原が、空から差し込む光で急に明るく照らし出された。
時折雷が落ちようとするかのようにゴロゴロと音が鳴る。
「ナンダ!?」
「ナンダナンダ!」
オークの集団が俄かにどよめく。この世の終わりが訪れようとするかのような光景に皆が戦慄し、パニックになる。どうにかしなければならないと思い立った者も、空に手が届く筈もなく、ただ右往左往するしかない。
「コッ……コレハ、マサカ!?」
彼らのうち先頭にいた一人の表情が凍り付いた。
……その者だけが気付けたのだ。今目の前で起こっている現象が、自分達を殲滅しようとする魔法が発動する前兆だという事に。
だが、気付いた時にはもう手遅れだった。
次の瞬間、空から巨大な何かが高速で落下する。
それは直径五メートルを超す、大きな岩の塊だった。灼熱の業火を纏い、轟轟と音を立てて燃え盛る『それ』は最初に一つが降った後、後に続くように次々と落下する。
それらは地表に到達すると火が点いたダイナマイトのように爆発して、落下地点にいたオークを一瞬にしてゴミのように薙ぎ払う。
「ギャアアアアアアッ!!」
「ドグワァァァァアアアアアアッ!!」
「アバアアアアアアーーーーーーッッ!!」
隕石が落下するたびにオークの絶叫が発せられて、爆発音と共に黒焦げの肉片が飛び散る。彼らの断末魔の悲鳴が空を埋め尽くし、平原は阿鼻叫喚の地獄と化した。
逃げる場所など、何処にも無い。雨のように降り注ぐ無数の隕石に焼かれて、ただ死ぬのを待つだけだ。それが彼らの運命となった。
(アア神ヨ、ドウカ……ドウカ、オ助ケヲッ!!)
一人のオークが咄嗟に手を合わせて神に祈る。魔族であるにも関わらず、神に救いを求めたのだ。
無論その祈りが、天に届く事は無かった――――。
……五分ほど経過した後、隕石の落下がピタリと止む。
生存者は一人もおらず、ブスブス焼け焦げた肉片と、鼻をつくニオイだけが残る。隕石が落下した跡は巨大なクレーターになっており、惨劇の激しさを物語る。
「………」
オークの群れがあっという間に全滅させられた光景を見て、兵士達がポカンと口を開けた。
本来国が救われた事を喜ぶべき場面だが、あまりに一方的すぎる虐殺に、喜びを通り越して畏怖の念すら抱く。
想像を遥かに上回る男の力に、皆が戦々恐々した。それは世界を滅ぼす力を持った魔王が人類の味方になった事実を改めて浮き彫りにした。
誰もが呆気に取られて棒立ちになる中、ザガートが一人空気を読まずにズカズカと歩く。
「国王よ、喜ぶがいい……戦争は回避され、この国に平和が戻ったのだ」
王の前に立つと、腰に手を当ててフフンッと鼻息を吹かせながら国を救った事を報告する。自身の力を見せてやれた事を自慢するように誇らしげなドヤ顔になる。
あれだけ大きな魔力を使ったというのに、汗の一つも掻かず、疲れた様子が全く無い。彼にとっては些細な行いだったようだ。
「ハッ……ハハハッ……」
タルケンが顔を引きつらせた半笑いになる。口元は笑っているが、目は笑ってない。事故で顔面麻痺したように表情がピクピクする。
王は地べたに座り込んだまま腰を抜かしてしまい、自力で立てなくなる。
「ザ、ザガート殿ぉ……そなたが敵でなくて、本当に良かった……」
思わずそんな言葉が口を衝いて出た。それは偽らざる彼の本音だった。
(わ、私はひょっとして、とんでもない相手に決闘を挑んでしまったのではないか!?)
魔王の底知れない力を目の当たりにして、レジーナは背筋が凍る思いがした。自分はなんて馬鹿な事をしでかしたんだと深く後悔し、恥ずかしさのあまり顔を合わせられなかった。




