第189話 激突! 魔王 vs 大魔王!!
「ハァ……ハァ……オノレ、ザガート。ヨクモ……ヨクモ我ニ恥ヲカカセテクレタナ」
重力魔法から解き放たれたアザトホースが辛そうに言葉を吐く。百メートルを全力疾走したように呼吸が荒く、ゼェハァと体を上下に揺らして激しく息をしながら、途切れ途切れに喋る。目玉に疲労の色が浮かび、体中にびっしりと汗が浮かんで、全身の触手がグッタリする。千倍の重力を浴び続けた疲労もあっただろうが、それ以上に屈辱を味あわされた怒りで興奮したようだ。
ギョロリと見開かれた瞳が真っ赤に血走り、体中の血管がビキビキと浮き出て今にもブチ切れそうになる。自分を地べたに這いつくばらせた敵を何としても殺すのだと激しく息巻く。もはや二人の激突は避けられそうにない。
異世界から来た魔王と、この世界を統べる大魔王……ここに両者の戦いの火蓋が切って落とされた。
「ゲヘナの火に焼かれて消し炭となれ……」
ザガートが先手を打つように攻撃魔法を唱える。魔王の手のひらに魔力と思しき赤い炎が集まっていって、圧縮されて一つの火球になる。
「ゲヘナノ火ニ焼カレテ消シ炭トナレ……」
アザトホースが一瞬遅れて同じ魔法を唱える。ザガートの方を見ていた目玉の正面に炎が集まっていき、同じ大きさの火球が生まれる。
「「火炎光弾ッ!!」」
両者が同じタイミングで魔法を唱えて、二つの言葉が重なり合う。直後それぞれから放たれた火球が、相手めがけて一直線に飛んでいく。
火球は空中で衝突して爆発すると、天にも届かんばかりの巨大な炎を噴き上げた。互いの威力で打ち消し合ったのか、どちらか一方だけが飛んでいったりしない。
『ヌゥゥ……我が主と大魔王が唱えた火炎光弾の威力は全く同じ!!』
火球が相殺された光景を見て、ブレイズが声に出して唸る。両者の放った攻撃魔法が互角であった事を、その場にいた者に分かるように伝える。この期に及んでどちらか一方が手を抜いたとは考えにくく、火球対決は五分五分だったようだ。
「……ナラバ、アレヲ使ウトシヨウ」
アザトホースが不意にそう呟く。この状況を打開する何らかの手段がある口ぶりだ。
「火炎光弾……五連詠唱ッ!!」
魔法かそうでないのかよく分からない謎の言葉を叫ぶ。次の瞬間目玉の前に炎が集まっていって一つの火球が生まれたが、その規模はかなり大きい。従来の火炎光弾が梨くらいの大きさだったのに対して、大魔王が生み出した『それ』は直径一メートルのサイズがあった。
巨大な火球はザガートめがけて一直線に飛んでいく。従来の火球ではとても相殺できそうにない。
「くっ!」
魔王が焦りの表情を浮かべながら、攻撃魔法と思しき小さな光弾を手から発射する。だが火球は光弾を受けてもビクともしない。威力を全く減衰されずに突き進んだ火球はザガートに触れると大きな爆発を引き起こして、彼を灼熱の業火に呑み込んだ。
「うおおおおおおおおッ!!」
全身を炎に包まれた魔王が大きな声で叫ぶ。爆発の衝撃で後ろに吹っ飛んで地べたに叩き付けられると、横向きにゴロゴロ転がっていって止まる。最後は仰向けに倒れたままピクリとも動かない。炎はすぐに鎮火したが体は黒焦げになっており、ブスブスと白煙を立ち上らせた。
「ざっ……ザガート様ぁぁぁぁぁああああああああああっ!!」
「師匠ぉぉぉぉおおおおおおーーーーーーーーッッ!!」
ルシルとなずみが悲痛な声で叫びながら仲間の元へと駆け寄る。地べたに倒れたまま起き上がらない魔王の姿を見て、彼が死んでしまったのではないかと心配になる。
レジーナと鬼姫は一瞬何が起こったのか状況が飲み込めず、ポカンと口を開けたまま棒立ちになる。ブレイズは即座に状況を理解したように顎に手を当てて下を向いたまま「ムムゥ……」と声に出して唸る。
「い……一体何がどうなったんだ!? 大魔王は何をしたんだ!!」
王女が思わず声に出して問いかけた。最強であるはずの魔王が一方的に打ち負かされた状況にとても合点が行かず、他人に聞いて確かめずにいられない。
『五連詠唱……大魔王は僅か一瞬の間に同じ魔法を五発唱えて、それを重ね合わせて一発の火球として発射したのだ!!』
不死騎王が、何が起こったかについて詳しく説明する。
大魔王が唱える火炎光弾の単発の威力は魔王と同じだ。だが彼はそれを五発同時に発射する事で、相殺不可能な威力の一撃を生み出したというのだ。
「五連詠唱……確かに俺には出来ない芸当だ」
黒焦げになったまま倒れていたザガートがムクッと起き上がる。大魔王の魔法を食らっても死んでいなかったらしく、少し辛そうな表情を浮かべながらゆっくりと立ち上がる。皮膚に付いた焦げ跡がサーーッと消えていき、ボロボロになっていた衣服が時間を巻き戻したように修復されていく。
だがダメージが完全に治癒された訳ではないのか、足元が微かにふらついており、表情に焦りの色が浮かぶ。呼吸は少しだけ荒く、額から一滴の冷や汗が滴り落ちる。
「ザガート様っ!」
「師匠ッ!!」
男が起き上がった姿を見てルシルとなずみが歓喜の言葉を漏らす。絶望に染まった表情が一瞬にして晴れやかな笑顔になる。たとえ負傷したとしても仲間が生きていた事は大きな喜びへと繋がる。
「だがザガート、これからどうするつもりだ? 五連詠唱をお前が使えないんじゃ、大魔王の魔法を防ぐのは不可能という事になってしまう」
レジーナが今後の方針について問いかける。魔王の「俺には出来ない」という発言を受けて、敵が放つ特大火球に対抗する手段が無いのではないかと不安を抱く。
「そうじゃ、魔王よ! あれを……全能強化とやらを使えばよいではないかっ! 五分間だけ全ての能力が十倍になるとかいう、あれじゃ! あれを使えば五発重ね合わせた火球を食らっても、ビクともせんじゃろう!!」
鬼姫が強化魔法を使うべきだと提案する。十倍強くなった状態であれば特大火球の直撃に耐えられるだろうと、そう考えた。
「残念だが……それは出来ない」
ザガートが重苦しい表情を浮かべたまま口を開く。眉間に皺を寄せて苦虫を噛み潰した顔しており、内面に苦悩を抱えた心情が一目で伝わる。やれるなら、とっくにやっている……そう言いたげだ。
「なんでじゃ!!」
鬼姫が声を荒らげて猛抗議する。興奮した猛牛のように鼻息を荒くさせて、提案を却下した魔王に物凄い剣幕で詰め寄る。とても良いアイデアだと思っただけに、理由を聞かなければ納得が行かない。
「ソウ……出来ヌノダ」
アザトホースが口元……いや目元をニマァッと歪ませて笑う。鬼女に真実を教えたくてウズウズしたようないやらしい笑みを浮かべており、とても機嫌が良さげだ。事情を知らぬ相手に種明かしをしてやれるのが嬉しいようだ。
「我カラ半径五十メートルノ範囲ニハ、目ニ視エナイ結界ガ張ラレテイル……コノ結界内デハ、アラユル補助魔法ガ無効化サレル。肉体強化ノ魔法ハ使エナイシ、バリアヲ張ッテ攻撃ヲ防グ事モ不可能ダ……」
自身の周囲に不可視の結界が張られていた事を教えて、その効果について語る。身体強化の魔法で能力を底上げする事も、防御魔法を唱えて相手の攻撃を防ぐ事も出来ないのだという。
特大火球が迫った時ザガートが反射魔法やバリアを張るのではなく、攻撃魔法による相殺を試みたのも、補助魔法が無効化される事実を認識していたのが真相のようだ。
「そんな……」
大魔王の能力を知らされてルシルが今にも泣きそうな涙目になる。この状況を打開し得る唯一の手段が封じられた事実に悲嘆したあまり、ガクッと膝をついてうなだれた。
どう想像力を働かせても魔王が勝つビジョンを思い描けず、勝利を諦めざるを得ない状況に、強い敗北感に打ちのめされた。
「それでも……たとえ勝ち目など無くとも、ここで引く訳にはいかない」
ザガートが勇敢な台詞を吐きながら前へと進む。仲間の少女を巻き込まないようにという配慮からか、彼女達から離れた場所まで歩いていくと、再び大魔王と対峙する。
ルシルは服の袖を掴んで彼を引き止めようとしたが、男は彼女の手を強い意志で払い除けた。
大魔王を見る魔王の瞳は真剣そのものだったが、勝利の自信に満ちていなければ、不利を悟ったような悲壮感も感じられない。何らかの勝算があったのか、単なる強がりなのか、表情からは読み取れない。
それでも一行は魔王の意思を尊重して戦いを見守るしかない。
「フフフッ……勝算ノ無イ戦イニ挑ムトハ、存外ニ頭ノ悪イ男ダ。コノ場ハ大人シク引キ下ガレバ、命ダケハ助カッタモノヲ……」
戦いを続行する道を選んだザガートを、アザトホースが侮蔑の眼差しで見る。戦略的撤退をすれば生き延びられたのに、あえてそうしなかった男の判断を、致命的な間違いをしたと嘲笑う。
「自分ノ愚カサヲ後悔シナガラ、アノ世ヘ行クガイイ! 火炎光弾……五連詠唱ッ!!」
死を宣告する言葉を発すると、ザガートを死の淵へと追いやった攻撃魔法を再度唱える。目玉の前に炎が集まっていって直径一メートルの大きさの火球が生まれると、魔王めがけて一直線に飛んでいく。
轟々と燃えさかる火球が目の前まで迫っても、ザガートは避けようともしない。攻撃魔法で相殺する素振りすら見せず、死を受け入れたような棒立ちになる。そのまま火球の直撃を受けて巨大な炎の柱に呑まれた。
今回は爆発の衝撃で後ろに吹っ飛んだりせず、その場に立ったまま炎に包まれた状態となる。そのままピクリとも動かない。
「しっ……師匠ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおーーーーーーーーーーッッ!!」
ザガートが攻撃魔法の餌食となった姿を見て、なずみが悲痛な声で叫ぶ。家族のように大事に思う仲間が死んだかもしれない光景を目の当たりにして、胸が張り裂けそうになる。もし彼が死んだら自分も生きてはいられない……そう思いを抱く。
魔王が死んだかもしれない事実に胸をざわつかせたのは他の仲間も一緒だ。これまでの流れを見て男が無事でいられたと思う者は一人もいない。パーティの中で最も正確に状況を把握したであろうブレイズすらも、主君がやられたのではないかと考える。
魔王の生存を信じる者が一人もおらず、絶望に満ちた空気が部屋の中に広がりかけた瞬間……。
「……!?」
その場にいた者の中でアザトホースが真っ先に異変に気付く。魔王を呑み込んだまま一向に鎮火しない炎を見つめながら、何かに勘付いたように全身をわなわな震わせた。
次の瞬間、男を包んでいた炎の勢いが急速に弱まっていく。一陣の突風が吹き抜けたように炎がブワッと吹き飛ばされると、五体満足な状態のザガートがそこに立っていた。
「キッ……貴様……ザガート!!」
魔王が無事だった姿を見て、アザトホースが声を上擦らせた。あまりに想定外の事態に遭遇したショックは大きく、思考停止してフリーズしたコンピュータのように固まる。
ザガートは掠り傷一つ負っていない。先程と同じ攻撃を受けたにも関わらず、何事も無かったようにピンピンしている。
しかもそれだけではない。全能強化と同じ金色の光が、魔王の体を包み込んでいたのだ。あれだけ発動しないと前置きしたにも関わらず……。
魔王は右手に小さな『何か』を持っていたが、それが何なのか遠くからでは視認できない。
「馬鹿ナ……我ガ結界内デハ、補助魔法ハ絶対ニ発動シナイ! ソレハオ前自身、ヨク分カッテイタハズ! ニモ関ワラズ、ドウヤッテ発動サセタ!!」
全能強化を発動させた原理についてアザトホースが問う。
先程交わした会話の中で、補助魔法が無効である事はザガート自身が認識しており、深く焦りを抱いていた。にも関わらず彼が補助魔法を発動させた事実は到底納得が行くものではなく、本人に聞いて確かめなければ気が済まない。
「……その真相がこれだ」
ザガートがそう言いながら右手に持っていた何かを、アザトホースのいる方へと放り投げた。
投げられた何かはカランッカラッと音を立てて床を数回バウンドした後、コロコロと横向きに転がっていく。オモチャか何かのように見えたそれは大魔王が目視で確認できる距離へと到達する。
「コレハ……!!」
視界に入り込んだ『それ』にアザトホースが驚愕する。それもそのはず、足元に転がってきた物体に彼は見覚えがあった。
ラベルが貼られていない、透明なガラスの瓶……薬か何かの入れ物のようだが、既に開封済みであり、中身が入っていない。魔王が一滴残らず飲み干したようだ。
「そう……ハイパードリンク。魔法の全能強化と同じ効果を発揮する薬。だがあくまでも薬の効能によるもので、魔法ではない。だから補助魔法を阻害する結界の中にあっても、発動を阻害されたりしない」
ザガートが瓶の中身について説明する。全ての能力を十倍に底上げする効果を持ちながら、結界の中にあっても問題なく使用できると教える。
それはかつて隻眼の傭兵ギースがザガートとの戦いで使用したものだ。非常に優れた効果を持つが現在では製法が失われており、稀少な数しか出回っていない。
魔王が港町ミントベリーの店で怪しげな老婆からこの薬を買ったのは、いずれこういう日が来るかもしれないと想定したからに他ならない。
(だが全能強化の効果は五分しか持たない……その間に勝敗を決めなければ、俺は一切勝ち目が無くなる)
能力を十倍に強化した魔王であったが、表情に余裕の色は見えない。効果はあくまで限定的であり、大魔王が優位に立っている事実は何ら変わらないからだ。万が一長期戦に持ち込まれたら、男の敗北は確定となる。
「アザトホース……次の一撃で勝負を終わらせる!!」




