第172話 エロ悪魔……その名はインプっ!
「待てぇぇぇーーーーーーーーっっ!!」
四人の女達が大声で喚きながら、下着を盗んだ魔物を追いかける。全裸で裸足のまま、森の大地を颯爽と駆ける。あんなものやこんなものが見えようとお構いなしだ。阿修羅のような表情になりながら、髪を振り乱して山姥のように走る。
当の下着を盗んだ魔物は森の中を軽快に動き回る。体が小さいだけあって、動きはかなり俊敏だ。いつまで経っても女達との距離は縮まらない。
「ヘヘヘッ、ノロマな雌犬どもが。捕まってたまるかよ……このままいつも通り逃げてやる」
魔物が勝ち誇った台詞を口にしてニヤリと笑う。これまでにも同様の犯行を繰り返してきた事を独り言で喋る。
そのまま森の外へと逃げおおせるかに思われたが……。
「!?」
突然魔物の動きがピタッと止まる。金縛りに遭ったように立ったポーズのまま動けなくなる。全身が金色の光に包まれており、体のあちこちをビリビリと電流が走る。よく見ると足元に円形の魔法陣が浮き上がっていた。
「呪術捕縛……あらかじめ不可視の魔法陣を潜ませておいて、通った者を動けなくする設置型のトラップだ」
一人の男が魔法の原理について説明しながら森の奥から姿を現す。側に忍者のような黒い騎士を従えている。
「きっ、貴様達は……!!」
目の前に現れた男の姿を見て魔物が顔面をこわばらせた。彼を待ち伏せていた二人の男こそ、魔族の宿敵たるザガートとブレイズだったからだ。
魔物は人間の子供くらいの背丈をした、裸のゴブリンのような小悪魔だった。背中にコウモリの羽を生やし、耳は尖っていて、舌は蛇のように長い。肌は暗めの緑に染まっていて、見るからに悪い妖精らしさがある。かつて偽ケセフに化けたグレムリンという小悪魔によく似ていたが、肌の色が違う。
彼の右手には女達が脱ぎ捨てた衣服から盗んだ下着の束が、端を掴むようにして握られていた。
「貴様が泉の近くに潜んでいた事は最初から気付いていた……俺達は森の中を散策するふりをして泉から離れて貴様を油断させ、いくつかの逃走経路を想定して、それら全てに罠を張って待ち伏せていた……という訳だ」
ザガートがこれまで取った行動の真意を明かす。魔物の気配を瞬時に察知しており、捕らえるための入念な仕込みを行っていたのだという。
「……彼女達から奪ったものは返してもらう」
そう言うや否や、魔物が手に持っていた下着を力ずくで奪い取る。
「フンッ!」
最後に喝を入れるように鼻息を吹かすと、敵の腹を足のつま先で思いっきり蹴飛ばした。ドガァッと肉の塊を蹴り飛ばしたような、とても良い音が鳴る。
「ウゲェェェェエエエエエエーーーーーーーーッッ!!」
今にも胃の内容物を吐き出しかねない奇声を上げて、魔物が豪快に吹っ飛ぶ。軌道上にあった木を何本もなぎ倒した挙句墜落するように地面に激突すると、うつ伏せに倒れたまま手足をピクピクさせた。
全身を包んでいた光は消えており動きを封じる術は解けたようだが、蹴られた痛みのあまり思うように動けない。
「ザガートっ!!」
裸のまま敵を追いかけてきた四人の女達が森の奥の方から走ってくる。魔王の姿が視界に入ったため、彼の元へと集まる。
ルシルとなずみは恥ずかしそうに顔を赤らめて大事な所を手で隠すが、鬼姫とレジーナは女の恥じらいが無いように平然としている。
「ほれっ、そこでブッ倒れてる悪魔から取り返してやったぞ」
ザガートはこれまでの経緯を手短に話すと、手に持っていた下着を女達に向かってヒョイッと投げる。ルシルとなずみは受け取った下着をそそくさと着て、鬼姫とレジーナは受け取るだけで着るのは後回しだ。
魔王は地べたに倒れた悪魔の前までズカズカと歩くと、その場にしゃがんで相手の頭をじっと見る。
「貴様……何者だ? こんな所で何をしている」
ゴミを見るような目で相手を見ながら、目的と素性を問う。
「ケケケッ……俺様はインプ。女の裸とパンツが大好きなエロ悪魔さ」
小悪魔が顔を上げて薄ら笑いを浮かべながら自己紹介する。自らが変態的な性嗜好の持ち主である事を包み隠さず教える。ちなみに淫夫ではない。
「最初はただ泉に入れず、女冒険者を近くから眺めてるだけだった……下着を盗んだのも、ただの嫌がらせだった。だがそれを何度もやってるうちに、だんだん病み付きになっちまってな……今となっちゃ、それをやるのが楽しくなっちまった」
現状に至った理由を話す。泉に侵入できない腹いせのつもりで行った悪戯、それを繰り返した事が彼をエロ悪魔に変貌させたというのだ。冒険者を襲うはずだった目的が、性的欲求を満たす方向へと歪められてしまった。
「頼む! ここは見逃してくれッ! 俺は冒険者を一人も殺しちゃいない! それは自白魔法を掛けられようと事実だッ! ただ女の裸を覗いて、盗んだ下着を家に持って帰って、クンカクンカしたりペロペロ舐めたり頭に被ったりしただけだ! まぁ盗んだ下着は持ち主に返しちゃいないが……別にパンツが無くなったって、死にゃあしないだろ!? だから見逃してくれッ!! な? な?」
立ち上がったと見るや、すぐさま土下座して許しを請う。死にたくない焦りのあまり、これまで犯した罪をどんどん自白する。殺生を犯していない自分は裁かれるような事をしていないと開き直る。
口ぶりから察するに、覗きと下着泥棒をやめる気は皆無のようだ。
「ど、どうか命だけはお助けをッ!!」
ついそんな台詞が口を衝いて出た。
「……ほう」
インプの言葉を聞いてザガートがニタァッと口元を歪ませた。良からぬ企みをした悪魔のような邪悪な笑顔に染まる。
「良いだろう……ならば言葉通り、命だけは助けてやる。命だけは……なっ!!」
マントを右手でバサッと開いて風にたなびかせると、悪魔を殺さない事を大声で約束する。だが表情に殺意を漲らせており、とても相手を許す者が取る態度ではない。
「穢れた魂よ……地獄の炎に焼かれて、己が罪を贖えッ! 奈落門ッ!!」
両手で印を結んで魔法の言葉を唱える。すると小悪魔から数メートル離れた背後に鉄製の両開きの大扉が出現する。監獄の入口のような大扉が開くと、向こうにマグマが煮え滾る灼熱の地底世界が広がっていた。
扉の向こうに広がる地下世界が、ビュオオオッと音を立てて周囲の空気を吸い込み出す。扉のまん前にいたインプが強い力で引き寄せられて体が宙に浮く。
「あーーーーれーーーーっ!!」
魔物が滑稽な奇声を発しながら手足をジタバタさせた。吸い込みの力から必死に逃れようと抵抗したものの、敵うはずもなく向こうの世界へ行く。
悪魔を完全に呑み込むと大扉がバタンッと大きな音を立てて締まる。使命を終えたようにスゥーーーッと薄れて消えていく。後には何も無い地面だけが残る。
「奈落門……相手を地獄の奈落にある魂の牢獄へと幽閉し、千年の間生きたまま浄化の炎で焼き続ける魔法。千年の責め苦に耐え切れば晴れて自由の身となるが、大半の者は精神が拷問に耐え切れず廃人になると言われている」
ザガートが小悪魔を幽閉した魔法の効果を語る。精神が耐え切れないほどの苦痛を与える恐ろしい技だという。対象の命を奪わない技だと言っても、実質的には死刑判決に等しい。
「相手を殺さないと宝玉が手に入らないため、魔王軍十二将には使えないのが難だ……と言っても、完全即死耐性がある者には術自体が発動しない仕組みなのだが」
敵にとどめを刺さない技であるが故に使う局面が限定される事を、残念そうな口調で話す。非常に強力な魔法に見えたが、万能ではないようだ。
(なっ、なんて恐ろしい魔法だ……千年も炎で焼かれるくらいなら、ブラックホールに放り込まれて死んだ方がまだマシじゃないかッ!!)
レジーナが術の効果を知らされて心底震え上がる。自分が地獄の奈落に幽閉される痛みを想像して背筋が凍る思いがした。それを実際に受けたインプに、敵ながら憐れみの念すら湧く。
同じ異空間に放り込む技としてアビスウォームを思い出し、彼の方がマシだったと考える。
「で……お前達はさっきからそこで何をしている? 受け取った下着を何故穿かない」
状況が一段落するとザガートが女達の方を向く。レジーナと鬼姫が下着を手に持ったまま一向に着ようとしない事に疑念を抱く。
「お主こそおかしいじゃろ! こんなスッポンポンのエロい女が目の前におるのに、何故欲情せぬのじゃ! あんなものやこんなものが見えておるのじゃぞ!! ほれほれ」
鬼姫が魔王の反応に不満を漏らす。年頃の若い女の裸が丸見えなのに、全くムラムラした素振りを見せない塩対応に怒りの感情すら湧く。わざと女の大事な所を見せようと、何度もいやらしいポーズを取る。さながらストリップのショーだ。
「ならお前達は、俺がウヒョーーだのムホホだの言って、顔を真っ赤にして鼻の下伸ばしてデレデレしながらルパンダイブする姿が見たいのか?」
魔王が鬼姫の疑問に言葉を返す。クールなイメージのある自分が、性欲丸出しにした昭和のエロ親父になる姿が見たいのかと問う。
「……見たくない」
レジーナが下を向いたままボソッと小声で呟く。いくら愛する男に裸を見られたくても、クールなイメージを壊す真似はして欲しくない心情が窺える。
「ならさっさと泉に戻って着替えるんだ。もう十分に体を洗っただろう……本来こんな所で遊んでいる余裕は俺達には無い。こうしている間にも魔族が人を殺しているかもしれんのだからな」
ザガートが泉のある方角を指差して服を着るように言う。水浴びを切り上げて先に進むべきだと忠告する。女の態度に苛立ったのか、小悪魔を倒しても何の成果も得られなかった事に不満を抱いたのか、口調は少し不機嫌だ。
「………」
レジーナと鬼姫が無言のまま泉のある方へトボトボと歩く。父親に叱られた子供のようにしょぼくれた顔をする。男の言葉に反論できず、大人しく引き下がるしか無い。
ルシルとなずみが彼女達の後ろを歩く。二人を慰めようと肩に手を掛けたり、憐れみの視線を向ける。
(つまらぬ……全くつまらぬ! これが年頃のウブな童貞男子なら、もっと面白い反応が見られたというのに……これではイジリ甲斐が無いではないかッ! まったく、これだからハードボイルド気取りは……)
鬼姫が他の人に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声でブツブツと文句を垂れる。魔王が性欲において達観した賢者である事に大きな不満を抱く。己のエロさに絶対の自信があったからこそ、強い敗北感に打ちのめされる結果となった。
歴史の英雄を骨抜きにした傾国の美女の如く、魔王をメロメロにしてやると……そう心に誓うのだった。




