第169話 アビスウォームの恐ろしい力
「ゲヘナの火に焼かれて、消し炭となれッ! 火炎光弾ッ!!」
魔王が正面に手のひらをかざして攻撃呪文を唱える。男の手のひらに魔力と思しき赤い炎が集まっていき、圧縮されて一つの火球になると、アビスウォームめがけて高速で撃ち出された。
火球はメラメラと音を立てて燃えながら、ミミズのいる方へと一直線に飛んでいく。紫のミミズは攻撃を避ける素振りを全く見せない。攻撃が来るのを待ち構えたような棒立ちになる。
このまま火球が直撃して火だるまになる……誰もがそう確信した瞬間。
「……ワシノ本当ノ力ヲ見セテヤロウ」
アビスウォームがそう口にしてニヤリと笑う。良からぬ企みをした悪魔のようにフフフッと声に出す。
あーーんっと大きく口を開けると、口の中に広がる暗闇がビュオオオッと音を立てて周囲の空気を吸い込み出す。彼に当たる直前だった火球が暗闇の中へと吸い込まれていき、最後は見えなくなる。
アビスウォームは口を閉じると、暗闇に吸い込まれた火球をゴクンと飲み込んだ。
「火炎光弾が飲み込まれた……だと!?」
自身の攻撃魔法を防がれた光景にザガートがポカンと口を開けた。必殺の威力を持つはずの火球が掃除機のように吸われた事実が俄かに受け入れられず、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「フハハハハッ……驚イタカ! ワシノ口ハ直接ワシノ胃デハナク、銀河ノ中心ニアル、ブラックホールヘト繋ガッテイル! ワシニ飲ミ込マレタモノハ、超重力ニ押シ潰サレテ、分解サレテ塵ニナル! シカルニ、ワシニハアラユル攻撃呪文ガ通ジナイ!!」
アビスウォームが攻撃を防いだ原理について説明する。自身の口が暗黒空間と繋がっている事を教えて、攻撃魔法が効かない事実を声高に宣言する。ザガートが放った火球がブラックホールに飲み込まれたというのだ。
「ソシテ、ブラックホールニ繋ガッテイルトイウ事ハ……コウイウ事モ可能ダ!!」
そう言うや否や、紫のミミズがまたも大きく口を開けた。
「……破滅虚無ッ!!」
技名らしき言葉を叫んだ瞬間、口の中に広がる暗闇がさっきと同じように周囲のものを吸い込み出す。その力は火球を飲み込んだ時よりも一段激しく、重さ十トンの鉄塊ですら引き寄せかねない勢いだ。
敵の真正面にいたザガートが風をまともに受けて、ジリジリと引き寄せられる。紫のミミズと魔王の距離がどんどん狭まっていく。
引き寄せられた当の魔王は慌てる素振りを微塵も見せない。腕組みして偉そうにふんぞり返ったまま、銅像のように地に足をついたままスゥーーッと引き寄せられる。
やがて地面から足が離れてフワリと全身が宙に浮くと、暗闇の中へと一気に吸い込まれる。男の姿が消えるとアビスウォームが口を閉じてゴクリと飲み込む音が聞こえた。
「ザガートが……飲み込まれた」
魔王が暗闇に吸い込まれた光景を見てレジーナの表情が凍り付いた。
◇ ◇ ◇
(……ここは)
暗闇の中に吸い込まれたザガートが意識を取り戻す。ほんの一瞬気を失っていたらしく、閉じていた目を開ける。
男の目に映り込んだ光景……それは混じり気のない完全な黒一色だった。水も空気も、光すら存在しない死の空間……むろん生き物の気配は無い。目印になるものは一切なく、どっちが西で、どっちが東かも分からない。出口は当然見当たらない。
当のザガートは腕組みしたポーズのまま、斜めに傾いて宙に浮かんでいた。上も下もない空間で流されるようにその場を漂っていたが、水と空気がない事に苦しむ様子は無い。超重力に押し潰されたりもしない。この世界を満喫するように平然としている。
「ここがブラックホールか……なるほど、確かに何も無い場所だ」
魔王が周囲を見回しながらガッカリしたように呟く。何かあるかもしれないと期待したにも関わらず、何もなかった事を深く残念がる。
「ふんっ!」
目をグワッと見開いて大声で叫ぶと、重力が発生したように男の体が真下へと落下する。何も無いはずの場所に地面があるかのように両足でストンと着地する。
「さて……何も無いと分かった以上、こんな場所からはさっさとおサラバするとしよう」
事も無げにそう言い放つのだった。
◇ ◇ ◇
ザガートが暗黒空間にいた頃、現実世界では――――。
「………」
彼の仲間である四人の女達が、悲嘆に暮れた表情をしていた。魔王が脱出不可能な牢獄に囚われた事に深く落胆して、失意のドン底に突き落とされたように落ち込む。地に膝をついてガクッとうなだれたまま茫然自失になる。
一行の中でただ一人ブレイズだけが、主君が飲み込まれた事に慌てない。まるで何事も無かったかのように平然と立っている。
「フフフッ……」
四人の女が絶望した姿を見てアビスウォームが嬉しそうに声に出す。
「フハハハハッ……異世界ノ魔王ハ死ンダ! 超重力ニ押シ潰サレテ、息絶エタノダ! 万ガ一生キテイタトシテモ、ブラックホールカラノ脱出ハ不可能! ヤツガコノ空間ニ戻ッテ来ル事ハ無イ! 絶対ニダ!!」
ザガートを仕留めた事を大声で叫んで勝ち誇る。彼が暗黒空間から出る事は決して起こり得ないだろうと確信を抱いて満面の笑顔になる。
「異世界ノ魔王ハ死ニ、我ラ魔族ガ勝利シタ! 人類ハ根絶ヤシニサレ、我ラ魔族ノ理想タル暗黒ノ世界ガ訪レルノダァッ! ハァーーーッハッハッハァッ!!」
女達の心に追い討ちを掛けるように気取った台詞で勝利宣言を行い、砂漠中に響かんばかりの声で高笑いした。
「そんなぁーーーーっ」
アビスウォームの演説を聞いて、なずみが間の抜けた返事をする。師匠が倒された事に意気消沈したあまりしょぼくれた顔になる。
「ザガート様……」
ルシルが悲しげな表情で男の名を呟く。目にうっすらと涙が浮かんで、今にも泣きそうになる。
「……」
レジーナと鬼姫は下を向いたまま苦虫を噛み潰した顔をする。一言も言葉を発せぬまま、この期に及んで何も出来ない無力感に苛まれた。
ブレイズは相変わらず平然と突っ立ったままだ。主君の死を悲しんだ様子は全く無い。
「オイ、ソコノオ前……オ前ハ悲シマナイノカ? 敬愛スル主人ガ、倒サレタノダゾ? 何故ソウ平然トシテイラレル」
黒騎士の態度に違和感を覚えたミミズが声に出して問いかける。
『何故、だと? フッ……それは分かりきっているからだ』
不死騎王が魔物の疑問を一笑に付す。相手を挑発するように意味深な言葉を吐く。
「何ガダ?」
何が分かりきっているかが分からず、アビスウォームが再度問う。
その瞬間……。
何も無い空に突然亀裂が入りだす。亀裂はビシビシと音を立てて広がっていき、最後はガラスのようにバリィィーーーンッと割れる。空間の破片がバラバラと地面に落下する。
割れた空間の向こうに広がる暗闇から、一人の男がぴょーーんとジャンプして砂漠に着地する。男がこっちの世界に降り立つと、映像を逆再生したように破片が空に浮き上がり、穴を塞いで元の空間へと修復される。
空間を破って現れた男……それは言うまでもなく、ミミズに飲まれて異空間に飛ばされたはずの魔王その人だ。
『こうなる事が……だ』
タイミングを合わせたような主人の帰還に、不死騎王が誇らしげなドヤ顔になる。その言葉を以て、魔物の疑問への回答とした。
「エッ……エエエエエエエエエーーーーーーーーッ!?」
アビスウォームが砂漠中に響かんばかりの大きな声で叫んだ。




