第166話 グロシアーナ砂漠
宿に戻って出発の支度を済ませたザガート達はミントベリーの町を出る。魔王軍の幹部がいるだろうと目される砂漠を目指して進んでいく事となる。
ミントベリーの西に広がる平原を一時間ほど歩き続けると、視界の彼方に砂地が見えてきた。草原の切れ目から西に広がる砂地こそ、西大陸最大面積を誇る大砂漠だ。武器屋の店主はグロシアーナ砂漠と呼んでいた。
頭上に太陽が燦々と照り付けており、砂地からは猛烈な熱気が漂う。砂漠とその周囲の気温は非常に高く、空気は渇いている。この周辺一帯の砂漠化が進行している様子を窺わせた。
見渡す限り何処までも砂の景色が続いていて、村もオアシスもありそうな気配がしない。迂闊に足を踏み入れたら命を落としそうな印象を見る者に与える。
「魔王よ、どうするのじゃ? ラクダも馬車もなしにこんな所を通ったら、普通なら死んでしまうぞ」
鬼姫が何の下準備もせずに進めば命を落とす危険性を訴えて、今後の方針を問う。
「問題ない……ちゃんと考えてある」
ザガートが心配するなと言いたげにニヤリと笑う。
「聖なる力よ、我が旅を助けたまえ……補助移動ッ!!」
正面に右手をかざして魔法の言葉を唱える。魔王の手から金色に輝く光が放たれて、六人の体をバリアのように覆う。光はスゥーーッと薄れて消えていき、目に見えなくなる。
「体の表面を覆うようにバリアを張った……この結界内部では気温は一定に保たれ、脱水症状を引き起こさない。どれだけ歩いても足が痛くならないし、歩く速度も少しだけ速くなる。どんな悪路だろうと足を取られる事もない」
魔王が呪文の効能について説明する。仲間を覆った不可視のバリアに特別な力があり、徒歩での旅路を助けてくれるのだという。
話を聞いていたレジーナは「なんて都合のいい魔法だ!」と声に出しかけたが、野暮なツッコミだと考えて慌てて口をつぐむ。
「これで砂漠を安全に渡れますね」
砂地の危険性が無くなった事を確信してルシルがニッコリ笑う。他の者達も彼女に同意するように頷く。皆が安心すると臆する事なく前に一歩踏み出す。
◇ ◇ ◇
砂漠に足を踏み入れて三十分ほど経過……一行はただ黙々と歩く。
入る前の予感通り砂漠には村もオアシスもなく、延々と砂の風景が続くだけだ。もし呪文を唱えずに入ったら速攻で干上がっただろう。
魔物が現れずとも、とても危険な場所だ。いくら近道になるとしても、好き好んで通るような箇所ではない。
何も無い砂漠を更に一時間ほど歩き続けた時……。
「……妙じゃな」
鬼姫が不意に口を開く。
「いくら生物の生育に適さぬ環境とはいえ、サボテンの一本、サソリの一匹も見かけぬのはおかしい。この砂漠に入って随分時間が経つが、我ら以外に生き物の姿を全く見かけぬではないか」
頭の中に湧き上がった違和感を並べ立てて、自分達が今いる場所が普通でない事実を指摘した。
(彼女の言う通りだ……確かにおかしい。この砂漠からは生き物の気配が全く感じられない。まるで砂漠全体が死に絶えたような、無機質で呪われた空間……正に死の砂漠と呼ぶに相応しい場所)
ザガートが心の中で女の言葉に同意する。彼もまた一連の光景に違和感を抱いており、とてつもない不吉な予兆を感じ取る。
(魔族は、魔族以外の生き物を排他的に捕食する傾向がある……元からこの砂漠に生息していた者達は、サンドウォームに狩り尽くされてしまったのか?)
魔族の生態について思いを馳せて、天然の野生動物が絶滅させられたのではないかという考えに行き着く。
魔王がこの異常事態を前にして深く考え込んでいた時……。
「……ムッ!?」
何らかの異変を察知して、慌てて後ろを振り返る。
次の瞬間、砂漠全体が音を立てて激しく揺れた。それと同時に「ウォオオオーーーーンッ」とバケモノの咆哮のような声がこだまする。
地震は震度7クラスの揺れがあり、まともに立っていられない。この地震だけで大地が裂けて天地が崩壊しそうな勢いだ。
しばらく経つと激しい揺れが収まっていき、地震がピタリと止む。場がシーーンと静まり返り、俄かに静寂の空気に包まれる。何かが起こりそうな気配は無い。
今のは一体何だったんだ……そんな言葉が皆の頭をよぎった瞬間。
「オギョォォォォオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
突如けたたましい雄叫びのようなものが発せられた。魔王達から十メートルほど離れた大地が大きく盛り上がり、それをブチ破って巨大な何かが姿を現す。
地中から現れたのは、大人のライオンを丸呑みにする大きさの巨大なミミズだ。全身の皮膚は土のような茶色に染まっており、体のあちこちにイボのような突起物がある。先端の頭部には十字の切れ込みが入っていて、そこを境目にしてバックリと割れた口になる。口の中に牙がびっしり生えていて、暗闇の中から蛇のような長い舌を出す。
ただ通常のミミズと異なり、平らになっている腹の左右にムカデのような足が生えていた。
サンドウォームと思しき物体は最初の一体が姿を現すと、次々と他の者達が地中から出てくる。最後は合計十体の集団となる。ただ武器屋の店主が言っていた紫の個体は見当たらない。
虫の集団は一行を取り囲むように配置されていた。獲物がノコノコとやってくるのを地中で待ち伏せしていたようだ。
「……砂漠の住人サマのお出ましのようだ」
ザガートが皮肉めいた言葉を口にしてニヤリと笑う。その表情に焦りの色は微塵もない。




