第160話 ダンカンの手記
サハギンを返り討ちにした一行は再び洞窟の奥を目指して歩く。クラーケンのいる部屋を……あるいはダンカンの遺品の手がかりを探して、ただひたすらに進む。
魔物の襲撃はサハギンに襲われた一度きりで、その後は襲ってくる気配がない。どうやらクラーケン以外で洞窟に棲む魔物はサハギンだけだったらしく、先の戦いで全滅させたようだ。
すっかり敵の気配が無くなった洞窟の中を数分ほど歩き続けた時……。
『……これは』
右側の先頭を歩いていたブレイズがピタリと足を止める。何かを発見したようにその場にしゃがみ込む。
「何か見つけたのか?」
対岸を歩いていたザガートが魔法で即席の橋を架けてブレイズの方へと渡る。皆が彼のいる場所へと集まる。
『……これを見てくれ』
ブレイズがそう言いながら足元の壁を指差す。
彼が指差した壁をよく見てみると、大地に面した穴がぽっかり空いていた。穴はそれほど大きくないが、大人の男性でも腹這いになればかろうじて通れるサイズだ。
「サハギン達の巣穴ッスかね?」
なずみが穴の正体について推測する。
「いや……彼らは数分水に漬かっていないと皮膚が干上がって死んでしまう。俺の見た所、この穴はかなり奥深くまで続いている。もし彼らが穴に入ろうとすれば、途中で命を落とすだろう」
ザガートがなずみの推測を否定する。サハギンの生態、穴の奥深さ、それらから総合的に判断して、彼らの巣穴ではないと結論付けた。
「調べてみる価値はありそうですね」
ルシルが穴の調査を提案する。皆が彼女の言葉にコクンと頷く。今後の方針が決まると一人ずつ順番に穴に入る。
一行は狭い穴の中を腹這いになったまま進む。六人がズルズルと地べたを這って移動する姿はあたかもイモムシのようだ。
魔王が見抜いた通り穴はかなり奥深くまで続いており、水気が全く無い。サハギンが通ったら間違いなく死んでしまう場所だ。クラーケンの触手も奥までは届かない長さだ。
およそ十分ほど進み続けると開けた空間へと行き着く。そこは人が十人入れるくらいの広さのほら穴だった。元からそこにあったのか、掘られて出来た穴かは分からない。外と繋がっていたのかすきま風がビュウビュウと吹き抜けていたが、角度によるものか雨水は入ってこない。
……ほら穴の隅に白骨化した死体があった。地べたに座ったまま壁に背を持たれかかって死んでいる。着ている服はボロボロだったが、かろうじて船長の服だと分かる。死体の側に燃料が切れたランプがあり、足元に小さな手帳と鉛筆が転がっていた。右手には金属製のロケットペンダントが大事そうに握られている。
「………」
ザガートが無言のまま手帳を拾い上げて、声に出して読み上げる。
△月×日
島に連れて来られて一週間が経った。どうにか安全は確保したものの、既に当初いた船員の半数がやられた。
水も食料も残り少ない。このままでは俺達は全滅する。
どうすればいい。どうすれば……。
今後について話し合ったが、答えは出ない。
○月△日
島からの脱出を試みた。壊れた船の残骸を繋ぎ合わせて、いかだを作った。
だが島から出ようとした瞬間、クラーケンに行く手を阻まれた。
俺達は慌てて引き返すしか無かった。ヤツは俺達を島から出さないつもりらしい。
○月□日
皆で話し合った結果、クラーケンと戦うしかない結論に行き着く。
この島で生きるにしろ、島から脱出するにしろ、ヤツを倒さなければ俺達は生き延びられない。
武器をかき集めて、残された人員でヤツに戦いを挑む。危険な賭けだが、このまま野垂れ死ぬよりマシだ。
○月×日
遂にヤツの弱点を見つけた。だが何もかも遅すぎた。
船員はもう俺一人しか残ってない。とても俺一人の力じゃヤツに太刀打ちできない。
もしこの日記を見た者がいたら、俺達の仇を取って欲しい。そうでないと死んでも死にきれない。
ヤツの八本の足の中に一つだけ吸盤が生えてない足がある。そこがヤツの弱点だ。そこを狙え!
×月×日
水も食料も底を尽きた。もう三日以上、何も口に入れてない。
頭がボーーッとする。足もろくに動かない。
視界がぼやける。鉛筆を持つ手が震えて字がうまく書けない。
これを最後の日記にする。
エリザ……ケン……この島に来てから一日たりとも、お前達の事を忘れた日は無かった。
家に帰りたい。こんな所で死にたくない。でも、もう駄目だ。
死ぬ前にもう一度だけ会いたかった。先に逝く父さんをどうか許して欲しい。
約束を守れない駄目な父さんでごめん。
どうか俺の分まで生きてくれ。
――――ダンカン。
……日記はそこで終わっていた。
「………」
ザガートが手記を読み終えると、場がシーーンと静まり返る。皆が重苦しい表情を浮かべて下を向いたまま黙り込む。船長の苦悩を知らされて胸が詰まる思いがして、何とも言えない気持ちになる。
手帳に書かれていたのはクラーケンに船を沈められて、この島へと連れて来られた船長が書き残した日記に他ならない。過酷な状況へと追い込まれていく事への焦り……何としても島から生きて帰りたいと強く願う気持ち……僅かな希望すら打ち砕かれて、最後はただ家族に会いたいと願って死んでいく孤独……それらが嫌というほど伝わる。
「最後まで家族の待つ家に帰りたかったんスね……」
なずみが今にも消え入りそうにか細い声で呟く。悲壮感に打ちのめされたあまり、目に涙を浮かべて今にも泣きそうになる。
骸骨の手に握られたロケットペンダントを、ザガートが指を壊さないよう慎重に一本ずつ外して取り出す。蓋を開けてみると、中は懐中時計になっていた。既に錆びて壊れている。
時計の裏にはダンカン・アズールと名が刻まれている。
(日記ともども、彼の遺品になるだろう……)
ザガートはこれでエリザとの約束を果たせると考え、手帳と懐中時計を大事そうに服のポケットにしまう。船長の冥福を祈るように数秒間手を合わせると、ほら穴の入口へと向きを変える。
「行こう……彼の死を無駄にしないためにも、クラーケンを倒さねばならん」
モンスター討伐の意思を強い口調で表明する。手記に残された情報を生かす事こそ、彼への手向けになるだろう……そのように考えた。
「船長の……いや犠牲になった船員達全ての敵討ちだ!!」




