第157話 クラーケンとの戦い
西の海を渡るために船を出航させたザガート達……魔王が張り巡らせた防御結界により船には一切危害が及ばず、のほほんと船旅は進む。
このまま何事もなく西大陸に着けるのではないかと皆が思い始めた時、船から離れた海で巨大な水しぶきが上がり、アンモナイトの化け物が姿を現す。
魔物は自ら魔王軍の幹部クラーケンと称する。その巨大なアンモナイトこそ一連の悲劇を引き起こした黒幕であり、ザガートが探し求めた宝玉を持つ魔物だった。
「オギョォォォォオオオオオオオオオオオオッッ!!」
クラーケンが大声で叫びながら海を泳いで前進する。眼前にある船めがけて一直線に進み、そのまま勢いに任せて体当たりしようとする。
「オギョ!?」
だがクラーケンの体が触れようとした瞬間、分厚いガラスのような壁に激突して、バチィーーーーンッと音を立てて弾かれた。見えない壁に激突した衝撃で後ろに吹き飛ばされて、アンモナイトの巨体がザバァーーーンッと海に沈む。
「うおおおおっ! すげえ! 実際目にするまで半信半疑だったが、ホントにクラーケンの攻撃を防ぎやがった!!」
化け物の体当たりを跳ね返した結界の凄さにボルツが歓喜の言葉を漏らす。改めて船が無敵の守りを得られた事を確信して、胸のワクワクが止まらなくなる。
他の船員も皆が「ウオオオオ」と歓声を上げる。自分達の身の安全が保証された事にテンションが上がりだす。魔王を無敵のヒーローだと称える。
「よし、魔王よ! このままあやつに攻撃魔法をブチこんでやるがよい!!」
鬼姫が海の彼方を指差しながらトドメを刺すよう命じる。敵がバランスを崩した隙に乗じて勝負を決めるべきだと鼻息を荒くする。
「残念だが……それは出来ない」
ザガートが申し訳なさそうに顔をうつむかせたまま仲間の提案を却下する。船乗り達が意気揚々としているのとは真逆に表情は暗い。そうしたいのはやまやまだが、それをやれない事情がある……そう言いたげなのが伝わる。
「結界を維持し続けたまま、更に別の魔法を唱える事は出来ないのだ。船を守っている間、俺は一切の戦闘行動が取れない」
敵に追い討ちを掛けられない理由を明かす。結界の維持に膨大な力を注いでおり、他の魔法との併用は不可なのだという。
「な、何じゃと!? それならばどうやって、あの巨大なタコを倒すというのじゃ!!」
魔王の思わぬ返答に女が声を上擦らせた。男の力に頼れない以上、いかなる方法でクラーケンを倒すつもりなのかと問いかける。
「だからこそ頼みたい。ブレイズ……鬼姫……俺が戦えない代わりに、お前達二人にクラーケンを仕留めてもらいたい」
ザガートが仲間の問いに神妙な面持ちで答える。表情はかなり真剣で、声の調子は重い。自分一人の力ではどうにもならない切実な思いが伝わる。無敵の力を持つ王であるはずの男が、仲間に頼らねば解決できない事態に直面したのだ。
「我らが……あの化け物と戦うじゃと!?」
魔王の頼みに鬼姫が困惑した表情になる。まさかそういう話の流れになるとは思わなかった心情があり、すぐには首を縦に振れない。
『どうした、女……それがしはやる気まんまんだぞ。貴殿が行かぬというなら、拙者一人で行っても構わんのだが、どうする?』
ブレイズが女の背後から声をかけた。腕組みしたままふんぞり返るように立っており、タコとの勝負に乗り気なのが窺える。あえて煽るような言葉を吐いて女の覚悟を試す。
「ふ……ふんっ! 聞くまでもなかろう! お主一人だけ行かせて、妾が何もせず見ている道理などあるまい! 我が魔王の片腕として有能な所を、お主に見せてやるわい!!」
まんまと黒騎士の挑発に乗せられた鬼姫が激しく息巻く。相手へのライバル心を燃やしたあまり、何としても負けてられないと興奮気味に鼻息を荒くさせた。顔を真っ赤にした猛牛のようになる。
予想外の展開に一度は尻込みしたものの、その恐れは完全に吹き飛ぶ。
『……決まりだな』
不死騎王がニヤリとほくそ笑む。女が期待通りの反応を示した事に心の中でククッと笑う。
今後の方針が決まると、女と黒騎士が船の端に立つ。女は異空間から刀を取り出し、黒騎士は腰に挿してあった鞘から引き抜いて、それぞれ構える。
魔王は結界を維持するため船に留まり、三人の女達は自力で空が飛べないため待機する。
一行が話している間に、海に沈んだクラーケンが体制を立て直して水面に浮上する。船の端に立つ二人の戦士を憎々しげな表情で眺める。瞳は相手への憎悪を漲らせており、何としても彼らを殺すのだという敵意を溢れさせた。
「風の力よ、我が体を浮かせるがよい!」
『……浮遊ッ!!』
二人がそれぞれ異なる呪文を唱えると、鬼姫は水色の、ブレイズは紫の光に包まれる。二人の体がフワリと宙に浮いて、自在に飛行が行える状態となる。
浮遊魔法を唱え終わると、鬼姫が真っ先にクラーケンめがけてビューーーンッと飛んでいく。黒騎士に先んじて手柄を立てようという魂胆だ。
「オギョオオオオ!!」
クラーケンが大声で叫びながら、一本の触手を女めがけてブゥンッと振る。
「まずは足の一本もらうぞ! ぬぅぅぅぅぉぉぉぉおおおおおおおおおおっっ!!」
鬼姫は腹の底から絞り出したような雄叫びを発すると、両手で握った一振りの刀を横薙ぎに振る。自分に向かって振り下ろされた触手を、豆腐を切るようにたやすく斬る。切り落とされた足の先端が海に落下して水しぶきが上がる。
「どうじゃ! 我の力、思い知ったであろう!」
鬼姫が得意げに胸を張る。アンモナイトの足が大した強度ではなかった事に、あっさり勝てるのではないかという気になり、誇らしげなドヤ顔になる。
だが斬られた足の断面がグニョグニョと不気味に蠢いたかと思うと、そこから新たな足が生えてきた。
「なっ……!?」
敵の足がすぐに再生した光景に、女が顔をこわばらせた。渾身の一撃を無かった事にされた事実が俄かに受け入れられず、茫然自失となる。
タコの化け物が回復呪文を唱えた形跡は全く無い。にも関わらず、まるでそうしたかのように傷が治癒されたのだ。どういう原理で傷を治したかが分からず、胸が激しくざわついた。
女が呆気に取られた隙を狙うようにタコが一本の触手を伸ばす。触手は目にも止まらぬ速さで女へと迫る。
「しまっ……」
考え事に没頭していたために鬼姫の反応が遅れた。慌てて迎撃しようとしたものの、既に触手は眼前まで迫っており、攻撃が間に合わない。
このまま触手に巻き付かれてしまうのか――――そんな考えが頭をよぎった時。
『ムゥンッ!!』
女の背後から飛び出してきたブレイズが喝を入れるように一声発しながら刀を振る。彼の放った一撃は女に襲いかかろうとした触手を一刀の下に斬り捨てる。
『今は戦闘中なれば、考え事は禁物ッ!!』
黒騎士が敵に付け入る隙を与えた女を厳しく叱咤する。今後このような事が起きないようにと釘を刺す。
「すまぬッ! 恩に着るのじゃ!!」
鬼姫が仲間に庇われた失態を素直に謝る。手柄を競うライバルと言えど、命を救われた事に感謝の念を抱く。
二人が敵の方を振り返ると、斬られたクラーケンの触手がまたも再生する。やはり呪文を唱えた形跡は無い。
(ちまちまと削っていては殺しきれん……ここは必殺の一撃をぶつけるのが勝利への近道か)
敵の再生能力を目にしてブレイズが思い悩む。このまま続けていても埒が明かないと感じて、極大威力の技で勝負を決めようと思い立つ。
考えが固まると右手に握った刀を天高く掲げる。刃の切っ先は彼の頭上にある空を指す。
『冥王剣……剣ノ雨ッ!!』
技名らしき言葉を叫ぶと、クラーケンの真上にある空に魔力と思しき青い光が集まっていき、一つの大きな塊になる。そこから無数の青い光を放つ剣が、真下にいるクラーケンめがけて降り注いだ。
「ギェェェェェエエエエエエエエッッ!!」
化け物の口からこの世の終わりと思えるほどの絶叫が放たれた。体のあちこちに百を超える数の剣が突き刺さり、傷口から白い体液のようなものが流れ出す。全身を駆け回る痛みに体を激しくよじらせた。
やがてタコの頭上にある光が次第に小さくなっていき、剣の落下が止む。技の効果が切れたように光の剣がスゥーーッと薄れていき、タコは全身傷だらけのままぐったりする。致命傷には至らなかったものの、かなりの深手を負わせた事は明白だ。
「ギヨヨッ!」
クラーケンは一声発すると、左右二本の触手を水面に叩き付けて、大きな水しぶきを上げる。自分の姿を覆い隠すほどの水柱が上がると、すかさず海に潜って何処かに逃げようとする。
このままでは分が悪いと判断して、撤退する事に決めたようだ。海中を泳ぐスピードはとても速く、船で追い付ける速さではない。
「おい魔王サマ! どうすんだい!? このままだとアイツに逃げられちまう!!」
アンモナイトに逃げられそうな流れにボルツが慌てる。せっかく敵を追い詰めたのに、まんまと取り逃がしてはもったいない焦りが募りだす。
「案ずるな。既にヤツの魔力は補足してある……このままヤツを追えば、巣まで辿り着けるだろう。俺が指示した方角に船を進めてくれ」
ザガートが何も心配ないと言いたげに言葉を返す。クラーケンの魔力は完全に把握してあり、たとえ追い付けなくとも彼の居場所まで行けるのだという。
男の言葉にボルツがコクンと頷く。彼の指示に従い、舵を回す。
船は魔王が指差す方角に進路を取る。アンモナイトの住処を目指して真っ直ぐ進んでいく。




