第15話 大臣の陰謀
「……こんな時間に俺を呼び付けて、一体何の用だ?」
ザガートが怪訝そうな顔で問いかける。
時計の針が二時を指した頃、彼は王女に手紙で呼び出されて、王宮の一階にある廊下へと来ていた。大半の住人が寝静まったのか、城内は夜の静寂に包まれており、鳥が鳴く声だけがホゥーホゥーと聞こえる。
窓から僅かに月光が差し込んだものの、壁に備え付けられたランプは全て消えており、城の中は暗い。
中庭では数人の兵士が巡回していたが、廊下の二人に気付いた様子は無い。
「……」
魔王を呼び出した張本人であるレジーナは、顔をうつむかせたまま黙り込む。相手の質問に一切答えようとしない。顔は暗闇で隠れており、表情を読み取る事が出来ない。
昼間の事を怒っている風ではなく、告白しようと照れている訳でも無さそうだ。
「……レジーナ?」
異変を感じたザガートが王女に近付き、肩に手を触れようとした時……。
「ザガートッ!!」
王女が切ない声で名を呼びながら男に抱き着く。
二人の体が重なり合った瞬間、男の腹にドンッと何かがぶつかった感触があった。ザガートが自分の腹に目をやると、ナイフが深く突き刺さり、赤い血がボタッ……ボタッ……と床に滴り落ちる。
「レジー……ナ……」
ザガートが苦悶の表情を浮かべながら、崩れ落ちるように床に倒れる。目を閉じて気を失ったまま、一向に起き上がろうとしない。ナイフが刺さった箇所からは血がとめどなく溢れ出し、床が一面血溜まりになる。
その光景を、廊下の柱の影に隠れて大臣が見ていた。計略が成功した喜びでニヤリと笑う。
「……精神支配術、解除」
そう小声で呟きながら、合図を送るように指をパチンッと鳴らす。
すると王女に掛けられた術が解けて、ハッと正気に立ち返る。
「ああっ! これは……これは私がやったのか!? 何という事だッ!!」
意識が目覚めた途端ザガートが倒れた場面に出くわし、レジーナが俄かに慌てふためく。一瞬何が起こったのか全く分からずパニックに陥りかけたが、周囲の状況から鑑みて自分がやったに違いないと判断する。
「おいザガート、しっかりしろ! 起きてくれっ! 目を覚ませっ!!」
急いで男の元に駆け寄り、抱き起こして何度も言葉を掛けながら体を揺すった。だがいくら王女が話しかけても男は一向に目を覚まさない。まるで死んでしまったかのように眠る。
傷口から流れ出る血の量は多く、とても止血できる状態じゃない。
「ううっ、ザガート……お願いだから死なないでくれぇ……」
最後は悲嘆に暮れるあまり男の胸にすがり付く。瞳から大粒の涙を溢れさせながら、ウッウッと嗚咽を漏らして泣く。
愛する人を失う悲しみで胸が張り裂けそうになる。自分のせいで彼が死んだらと思うと、とても耐えられない気持ちになる。
「ホッホッホッ、王女殿下……よくぞ魔王をお仕留めになられた」
王女が深く悲しんでいると、大臣が拍手しながら柱の影から姿を現す。悲しみに染まる王女とは対照的に、表情に満面の笑みが浮かぶ。
「ギド、貴様……」
レジーナが憎々しげな顔で相手を睨む。彼の喜ぶ様子から、今回の事件は大臣が仕組んだものであろうと見抜く。
王女に凄まれても、大臣は全く悪びれようとしない。鼻の下のヒゲを右手でビョンビョンいじって、相手を舐めきった態度を取る。
「ヒルデブルク国を滅ぼすには、その男の存在がどうしても邪魔でした。だがもう、そやつは死んだ……いくら鋼の肉体があろうと、魔法で強化されたナイフで刺されれば命は無い」
国を滅ぼすのが真の目的だった事、その為に障害を取り除く必要があったと明かす。もうバレても問題無いと思ったのか、聞かれてもいないのに自分からベラベラと真相を喋る。
「クククッ……これで私の計画を邪魔する者はいない。王女殿下、もうお分かりでしょう……私が貴方に術を掛けて、その男の殺害を実行させました」
自分が魔王を殺させた張本人であると告げて、声に出して嘲笑った。
「何、国を滅ぼすだと!? ギド、それは一体どういう意味だ! 会議が終わった日の晩、お前は私に『国を一緒に守ろう』と声をかけてくれたじゃないかっ! あの言葉は嘘だったのか!?」
レジーナが怒りを抑え切れず、咄嗟に大臣の胸ぐらに掴み掛かる。自分を騙したのかと強い口調で問い質す。
国を憂う同志だと思っていた。だからこそ彼の意見に賛同した。それが全て嘘だったのだとすれば、到底許せない話だ。
「そんなの嘘に決まってるさ……何故ナラ、私……イヤ俺ハ……」
ギドが王女の手をサッと払いのけて、ニタァッと笑う。話の途中で声がドスの利いた低音に変わり、不気味にエコーが掛かる。一人称が『私』から『俺』へと変化する。
「ギド……きさ……ま」
ただならぬ異変を感じて、レジーナが慌てて大臣から離れる。尋常ならざる彼の様子に、頭の中に一つの仮説が浮かび上がる。それは決して的中して欲しくない、とてつもなく恐ろしい内容だった。
「俺ハ……魔族ナノダカラナ」
大臣が自らの正体を明かし、杞憂であって欲しい王女の願いは脆くも打ち砕かれた。
真実を告げると同時に彼の目が赤く光り、全身が影に飲み込まれる。
黒一色に染まった男の体がボコッボコッと不気味に蠢いた後、次第に大きくなる。巨大な化け物の形に変化すると、全身を覆っていた影が消えて、姿がハッキリと見えるようになる。
大臣が変身したそれは背丈四メートルほどにもなる、人型の悪魔だった。
背中にはコウモリの翼を生やし、全裸で筋骨隆々としていて、全身が暗めの赤色に染まっている。首から上は山羊のようになっていたが、明確に感情が読み取れるほど表情は豊かだ。
「俺ハ、レッサーデーモン……魔王軍ノ幹部ケセフ様ノ、忠実ナ僕ナリ……」
変身を終えた悪魔が自己紹介する。かつてギレネス村を襲った魔族の手下であると伝える。
「ああっ……あっ……」
大臣が化け物に変身した姿を見て、王女が顔を引きつらせた。表情はみるみる青ざめて、全身からサーッと血の気が引く。手足がガタガタ震えて力が入らなくなり、思わずその場にへたり込む。目の前に恐ろしい怪物がいるのに、一歩も動けなくなる。
それまで心の中にあった怒りは一瞬にして消え失せて、恐怖と絶望に飲まれた。
「レジーナ……貴様ハ俺ニトッテ、都合ノ良イ手駒ダッタ。当初ノ予定カラ大キク計算ガ狂ッタガ、ザガートヲ殺ス事ニハ成功シタ……ソレモ貴様ノ助力ガアッタレバコソ」
蛇に睨まれた蛙と化した王女に、デーモンが更なる追い打ちを掛ける。
「フフフッ……馬鹿ナ女ダ。俺ガ本気デ国ヲ憂イテイルト、勘違イシタノダカラナ。ダガ貴様ニハ感謝シテイルゾ……貴様ノオカゲデ、コノ国ヲ滅ボセル。ケセフ様モ、サゾヤオ喜ビニナラレルダロウ……フフフッ……ハハハ……ウワッハハハハハッ!!」
たっぷり侮辱する言葉を浴びせて、王女の無知を嘲笑う。彼女に自分が如何に愚かな存在であるか思い知らせて、精神的に追い詰めようとした。
「……ッ!!」
どれだけ皮肉めいた言葉をぶつけられても、王女は一言も言い返せない。完全に相手に言い負かされて、下を向いたまま黙り込む。腹立たしげに下唇を噛んだまま、両肩をプルプル震わせた。
まんまと策略に乗せられたこの状況では、とても反論の余地を見出せない。相手の正論を黙って受け入れるしか無い。それが余計に悔しかった。
(私は……なんてバカな事をしたんだ! 事もあろうに、国を救ったかもしれない英雄を信用せず、あべこべに国を滅ぼそうとした悪魔の甘言に惑わされていたとは……何が騎士の誇りだッ! 何が国を守るだッ! これでは、ただの道化じゃないかッ!!)
自分の頭の悪さを許せない気持ちでいっぱいになる。自分を騙した相手よりも、彼の言葉を嘘と見抜けなかった我が身の愚かさを呪う。
大臣の正体を見破れなかった事実に、人を見る目が無かったと心底嘆く。
(何も分かってなかった……世間も、現実も、自分の力量すら! 分かったつもりになって思い上がっただけの、頭でっかちな子供だ! 井の中の蛙だ! 裸の王様……いや裸のお嬢様だ! 私の大バカ者ッ!!)
心の中で自分を罵って、調子に乗っていた事を深く悔いる。急にこれまでしてきた自分の行いが恥ずかしくなり、穴があったら入りたい衝動に駆られた。
「私の……せいで」
終いにはウッウッと声に出して泣き出す。国を滅ぼす原因になったかもしれない自分があまりにも情けなくて、胸がはち切れそうになる。悲しみの涙が止まらなくなり、悲嘆するあまり床に両手をついてうなだれた。
「……ヨウヤク自分ノ愚カサヲ理解シタカ。ダガモウ遅イ……ザガート亡キ今、俺ヲ邪魔スル者ハイナイ。ココデ貴様ヲ殺シタ後、城ノ兵士モ、国王モ、皆殺シニシテヤル。クククッ……寂シガル事ハ無イゾ。全員仲良ク、アノ世デ暮ラスガ良イ……」
悲しみに暮れた王女に向かって、デーモンがのっしのしと歩き出す。目の前に立つと、勝ち誇った笑みを浮かべながら相手を見下ろす。
「レジーナ! 俺ニ利用サレタ事ヲ、後悔シナガラ死ネェェェェエエエエエエーーーーーーーーッッ!!」
死を宣告する言葉を発しながら、とどめを刺そうと拳を高く振り上げた瞬間……。
「レッサーデーモンとやら……かよわいお姫様をいじめるのは、その辺にしてもらおうか」
それまで気を失っていたザガートが、突然ムクッと起き上がる。顔色は良く、言葉もハッキリしていて、痛みを感じた様子が全く無い。腹には確かにナイフが刺さっており、そこから赤い液体が流れたのにピンピンしている。
その姿がまるでゾンビのようで、何とも不気味だ。
「「ザガートッ!!」」
男が起き上がった光景を目にして、レジーナとデーモンが同時に名前を叫んだ。




