第117話 デスナイトとなった男
冷たい風がビュウビュウと吹き抜ける真夜中……ゼタニアの町から北に二キロ向かった先にある、神殿跡地の廃墟。
かつてザガートとギースの決闘の舞台であった場所に、今一人の男が立つ。
その者はサソリの甲殻をモチーフにした漆黒の鎧を纏っており、サソリの顔面を模したフルフェイスの兜を被っていた。ただ口元は開いており、それで鎧の中身が生身の人間であると分かる。
右手には片手で振り回すロングソードのような剣が握られており、左手は鎧の篭手とは異なる、金属製の義手になっている。右の二の腕には黄金の輝きを放つ腕輪が嵌められている。マントは羽織っていない。
見るからに暗黒騎士然とした異様な姿の男が、夜風に吹かれながら誰かを待ち続けていると、平原の彼方から人が歩いてくる。それも一人や二人ではない、総数にして十人を超える集団だ。
集団は黒騎士から数メートル離れた場所まで来て足を止める。
「……メッセージは受け取ってもらえたようだな」
集団の先頭にいた、頭に角が生えた男に黒騎士が話しかける。犯行現場に残してきた血文字を、見てもらいたい相手にちゃんと見てもらえた事に深く安堵する。
「アドニス……なのか」
集団を率いてきた男、魔王ザガートが黒騎士に問いかける。鎧の中身が件の人物なのかどうか、本人に聞いて確かめようとする。
「ああそうさ……いちいち兜を取らなくても、声を聞けば分かるだろ? 正真正銘、昼間アンタに恥をかかされた男さ……他の誰でもない」
黒騎士が魔王の問いに答える。血文字で名前を書いた通り、自分がアドニス本人であると明かす。あえて素顔は見せず、声によって成りすましでない証拠とした。口の部分を覆っていないのは、素の声を聞かせる為とも受け取れた。
「アドニスっ! これは一体どういう事だ! 何を考えているッ!!」
ドーバンが声を荒らげて問い質す。大それた悪事に手を染めた若者に理由を聞こうとする。
「どうもこうもない……見ての通りさ。俺は大魔王の忠実な僕、デスナイトになった。悪魔に魂を売るのと引き換えに、魔王を倒せるだけの力を与えられた……たったそれだけだ」
アドニスが事も無げに言い放つ。何を怒っているんだと言いたげに飄々とした態度を取る。事の重大さをまるで理解してない。
(勇者に憧れた男が、大魔王の手下に成り下がるとは……悪い冗談だ)
ザガートが思わず頭を抱え込んだ。若者の支離滅裂な行動に呆れるあまり、頭痛と吐き気を催す。悪い夢ならいっそ覚めて欲しいと願う。
万が一ここで魔王に勝ったとして、人々が彼を勇者と認めるだろうか。冷静に考えればそうならない事は、子供でも分かる。
彼はつまらないプライドの為に……嫉妬した相手を殺すために、たったそれだけの為に道を踏み外した。人々に尊敬される勇者となる道を、自らの手で閉ざした。本人はその事に気付きもしない。
「アドニス、お願いっ! もうやめてッ!!」
エレナが男の名を呼びながら早足で駆け寄る。両肩を掴んでユサユサ揺らしながら、悪事をやめるよう必死に懇願する。瞳は涙で潤んでおり、今にも泣きそうだ。
「気安く俺に触るなッ!!」
少女の説得も空しく、アドニスが大声で怒鳴りながら平手打ちを放つ。バチィィーーーーンッ! と強い音を立てて頬をぶったたかれた少女が後ろに吹き飛ばされて、地面に倒れる。
「アドニス、女の顔を殴るとは気でも狂ったか! うおおおおおおおおっっ!!」
仲間に暴力を振るわれた事にマックスが激昂する。獣のような雄叫びを上げると、感情の赴くままに黒騎士に向かって突進する。若者の腐った根性を叩き直そうと思い立ったようだ。
「ふんっ!」
アドニスは小馬鹿にするように鼻息を吹かすと、右拳によるパンチを繰り出す。ドグォッと音を立てて腹に拳がめり込むと、男の体がフワリと宙に浮く。
「ぬおおおおおおっ!」
悲鳴を上げた瞬間、マックスの体が凄まじい衝撃で弾き飛ばされた。墜落するように地面に激突すると、ゴムボールのように派手にバウンドする。最後は地面に倒れたまま動かなくなる。
「マックスっ!!」
その場にいた数人の衛兵、冒険者、ザガートの仲間達がマックスに駆け寄る。ルシルはすぐに回復魔法を唱えて彼の傷を癒す。それほど深い傷では無かったようで、すぐに傷は癒えた。
レジーナは黒騎士の暴虐な振る舞いに怒りを堪えきれなくなる。
「……アドニスっ! 罪なき衛兵を手にかけるだけでは飽き足らず、かつての仲間までも傷付けるとはッ! お前は本当に悪魔に魂を売り、人の情けまでも失ってしまったのか!?」
仲間を何とも思わない行為を激しく糾弾した。
「フンッ……俺に仲間など必要ない。俺は最強になったんだ。真の強者に仲間は要らない。俺一人で十分だ」
アドニスが王女の言葉を鼻で笑う。絶対強者となった自分に他人の力は必要ないと、自信に満ちた口調で言ってのける。
彼の仲間に対する態度はあまりに辛辣だ。これが素の性格だとしたら冷酷すぎるし、大きな力を得て思い上がったのだとしたら、あまりに小者だ。とても勇者と呼べる器じゃない。
もしかしたら彼は本当に、大魔王に意識を乗っ取られたのではないか……そう思わせるほどだ。いっそそうであって欲しいと、その場にいた者は誰もが思わずにいられなかった。
「ううっ……」
地面に倒れていたエレナが起き上がる。瞳からは大粒の涙がボロボロと零れだし、グスッグスッと声に出して泣く。ぶたれた頬は赤く腫れ上がる。
かつての仲間に顔を叩かれて泣く少女の姿は見るからに痛ましい。体よりも心が深く傷付いた様子が一目見ただけで伝わる。
「大丈夫か、エレナ」
トールが悲嘆に暮れた少女を気遣う。自力では立ち上がれない彼女に肩を貸して助け起こすと、黒騎士から離れた場所へと連れて行く。ポケットからハンカチを取り出して涙をそっと拭う。
「……」
そんな二人の姿を見て、ザガートは胸が激しく痛んだ。自分が若者を追い詰めたばかりに、このような事態を招いたのだと思い至る。他の者が責めなくても、自分のした事に責任を感じる。一連の騒動は何としても自分が解決せねばならないと思いを抱く。
魔王がふと振り返ると、アドニスが彼の方をじっと見ていた。極上の獲物を見つけた獣のようにニタァッと口元を歪ませた。一刻も早く戦いたくてウズウズしたようだ。
「さぁてと……下らん茶番はそろそろ終わりにしようか、魔王。俺がアンタを倒す……ニセの勇者であるアンタを倒して、俺が本物の勇者になる。今まで散々俺を見下してきた連中に、俺が本物なんだと認めさせてやるッ!!」
長い前振りの打ち切りを提案し、魔王を倒して自分が勇者になるのだと強い口調で語る。
男の言い分を黙って聞いていた魔王だったが……。
「……たとえどれだけ力を得ようと、人に情けを掛けられぬ者を勇者などとは呼べん……その事を教えてやる、若僧ッ!!」
目をグワッと見開いて持論を述べると、若者の根性を叩き直す事を大声で宣言するのだった。




