第116話 悪魔に魂を売った男、襲来っ!
アドニスが魔王に負けた日の晩……時計の針が十二時を回った頃。
月明かりに照らされた真夜中の表通りを、フルプレートの鎧を着て槍で武装した三人の衛兵が徒歩で巡回していた。ギルドの冒険者ではない、領主に雇われた正式な官兵だ。
夜の街はシーーンと静まり返っており、三人の他に人の気配は無い。昼間は大勢の人で賑わう街も、さすがにこの時間帯では外を歩く人はほとんどいない。営業している店も無く、窓の明かりは全て消えている。ホゥーーッ、ホゥーーッと鳴く鳥の声が、夜の静けさを引き立てる。
「ふぁーーあっ……退屈だなぁ。なんか大きな事件でも起こらねえかなぁ」
衛兵の一人がつまらなそうにあくびをしながら言う。
「おい、物騒な事を言うもんじゃねえ。もし恐ろしい化け物が襲ってきたらどうする」
別の一人が怪訝そうな顔をする。同僚の呑気な発言を叱りつける。
「へーきへーき、大丈夫だって! 壁や門ならまだしも、こんな街のド真ん中にいきなり化け物が現れるなんて、そんな事絶対あるわけねえ! ワハハハハッ!!」
あくびをした兵士が、仲間の不安を笑い飛ばす。自分達に危害が及ぶ事など絶対に起こらないと確信を抱く。
「……おや、あれは何だ? オイ二人とも、あそこをよく見てみろっ! あんな所に人が立ってるぞ!!」
三人目の兵士が大声で叫びながらある方向を指差す。他の二人が、男が指差した方角を見ると、屋根の上に人が乗っているのが見えた。
全身鎧を着た大人の男性で、右手に武器を持っているようだが、はっきりとは姿が見えない。空に浮かぶ満月も、夜の闇を完全に消し去ったりはしない。
男は屋根から飛び降りると、兵士達から数メートル離れた大地へと着地する。そのまま彼らに向かって歩いていく。
「俺は大魔王の忠実な僕……デスナイト」
自分の名を明かすのと同時に、目が不気味に赤く光る。直後前方に向かってダッシュし、三人へと襲いかかる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
夜の闇に凄惨な悲鳴が響き渡る……。
◇ ◇ ◇
兵士達が襲われていた頃、冒険者ギルド一階の酒場に人が集まっていた。
酒場にいたのはドーバン、ザガートとその仲間達……そしてアドニスの冒険仲間だったエレナ、トール、マックスの三人だ。他にも事件の顛末を知りたいらしい数人の冒険者がいる。
「そうか…アドニスは見つからなかったか」
ドーバンが沈痛な表情で口にする。
エレナが無言のままコクンと頷く。とても思いつめた顔をしており、今にも泣きそうになる。
トールとマックスも下を向いたまま黙り込む。仲間を助けられなかった無力感に打ちのめされた。
彼らはあの後必死に街中を駆けずり回ったが、アドニスを見つけられなかった。敗北感で心をへし折られた青年が、何処へ行ってしまったのか、今何をしているのか……それを考えただけで不安になり、胸が押し潰されそうになる。
「……」
ザガートの表情もかなり険しい。苦虫を噛み潰したような顔をして、とても気まずそうにする。未熟な若者を追い詰めた事に責任を感じた心情が一目で分かる。
彼らの力になりたいと願ったものの、方法が思い付かない。もし仮にアドニスを見つけたとして、どう声をかければ彼の気持ちが収まるのかが分からない。
俺の力はしょせんこの程度なのか……そんな自分を責める言葉が胸の内に湧き上がる。
酒場が重苦しい空気に包まれた時……。
「た、助けてくれぇぇぇぇええええええーーーーーーっっ!!」
フルプレートの鎧を着た一人の兵士が、大声で助けを呼びながら酒場へと駆け込む。
「ああ、店が開いてて本当に良かった! ドーバンさん、聞いてくれっ! 大変なんだっ! とても俺達の手に負える相手じゃないっ!!」
真っ先に店主に話しかけると、慌てふためきながら助けを求めた。よほど急いで走ってきたのか、ハァハァと息が上がっている。全身汗まみれになっており、鎧の中がビショビショだ。
「オイ、一体何があったんだ!? 教えてくれッ!」
尋常ならざる様子の兵士を見て、ドーバンが詳細な説明を求めた。一刻も早く手を打たなければならないと感じて、そのためにも何が起こったかを正確に知ろうとする。
「街を巡回してたら、いきなり謎の黒騎士に襲われたんだ。とんでもなく強えヤツだった……他の二人は殺されて、俺だけが命からがら逃げ延びた。それでここまで走ってきたんだ。ありゃ、ひょっとしたら魔族の手先かもしれねえ……そう言えば大魔王の忠実な何たらだの、デスナイトだのとか言ってた」
兵士が自分の身に起こった出来事を落ち着いて話す。謎の男に襲われた事、同僚が二人やられて、慌てて逃げてきた事を教える。最後に大魔王の手下かもしれない情報を付け加えた。
「このままのさばらせたら、次の被害者が出るかもしれない……まずは現場に向かおうッ!」
ザガートが提案の言葉を発しながら、酒場の外へと飛び出す。遠くから血の臭いを感じたのか、現場のある方角へと迷いなく向かう。
ドーバンも魔王の言葉に同意して、酒場の外に出る。彼の後を追うように走っていく。他の連中もこのままここに残っていても仕方ないと考えて、彼の後に付いていく。
◇ ◇ ◇
一行が現場に駆け付けると、二人の兵士の死体が転がっていた。犯人らしき男の姿は見えない。
ザガートとドーバンはまだ近くに犯人が潜伏していないか用心深く周囲を見回しながら、ゆっくりと死体に近付く。二人が死体の側まで来ると、他の連中も危険は無いと考えて一斉に駆け寄る。
「……ひどい」
地面に転がった死体を見て、ルシルが思わずそう口にする。
兵士のうち一人は心臓を剣で貫かれており、もう一人は右肩から左の脇腹まで袈裟斬りにされていた。どちらも鉄の鎧を貫通しており、苦痛に顔を歪ませたまま絶命している。地面にはおびただしい量の血が流れている。
一片の躊躇なく斬り付けたであろう鋭利な傷口からは、人の命を奪う事に対する良心の呵責は全く読み取れない。これを人間がやったのだとしたら、恐ろしい話だ。
ザガートは地面に膝をつくと、二人の兵士の亡骸にそっと手を当てる。
「我、魔王の名において命じるッ! 汝の傷を癒し、魂をあるべき場所へと呼び戻さん……蘇生術ッ!!」
魔法の言葉を唱えると、天から一筋の光が差し込んで遺体を眩く照らす。傷口がみるみる塞がっていき、完全に襲われる前の状態に戻ると、兵士がムクッと起き上がる。
「ううっ、ここは……そうか、アンタが俺達を生き返らせてくれたんだな。ありがとうな」
兵士の一人がふらつく頭を手で押さえながら意識を取り戻す。自分が間違いなく死んだ記憶と、目の前に魔王がいる状況を鑑みて、自分達が蘇生させられたのだろうと察する。その事に深く感謝する。
「礼などいい……それより、犯人の手がかりや心当たりは無いか?」
ザガートが襲撃犯の情報を聞き出そうとする。
「すまない……俺達も何が何やらサッパリだ。分かるのはせいぜい相手が鎧を着た人間の男性だった事、大魔王の手先デスナイトを名乗った事くらいだ。顔見知りによる恨みの犯行ではないと思う。ヤツの声に聞き覚えが無かった」
質問された兵士が力になれない事を深く詫びる。犯人像に全く心当たりがなく、完全に赤の他人による辻斬りであったと語る。
もう一人の兵士も首を横にブンブン振って、同様に心当たりが無い事を伝える。
「……オイみんな、これを見てみろッ!」
ドーバンが大声で叫びながら、ある方向を指差す。彼が指差した方角を皆が見ると、兵士が倒れていた場所から少し離れた所にある建物の壁に、血で文字が書かれていた。
ルシルが壁の前まで走っていき、文字を読み上げる。
「魔王ザガートへ。貴様に決闘を申し込む。ゼタニアの町北の廃墟にて待つ……もし来なければ、次なる犠牲者が出ると思え。大魔王の忠実なる配下デスナイトとなった男……アドニス」
……それは犯人が魔王に宛てたメッセージだった。またそれにより、凶行を犯した人物がアドニスだという事も明るみに出た。
「そんな……そんなの、嘘よっ!」
ルシルが読み上げた言葉を聞いて、エレナが大声で叫ぶ。声を震わせて今にも泣きそうな涙声になりながら、仲間の仕業だという事実を否定しようとする。
彼女からすれば、到底あってはならない事だ。苦楽を共にした仲間が、大魔王の手下になり、あまつさえ罪なき町の衛兵を手にかけたなどと……。
いっそ彼の名を騙る別人であって欲しいと、そう願わずにいられない。
「ここでどうこう言っても始まらん。結局の所、本人に会わなければ真相は確かめられんのだからな……廃墟で待つというなら、お望み通りこちらから出向いてやる」
ザガートが場の意見をまとめるように一つの提案をする。状況を動かすためにも廃墟に向かう必要性を説く。自分の考えを述べると、仲間の返答も聞かず町の出口に向かって歩き出す。
「そうだな……それがいい。ザガートさんよ、俺も付いていくぜ。本当にアドニスの仕業かどうか、確かめなきゃなんねえからな」
ドーバンが男の意見に賛成する。自分も真相を知りたい旨を伝えて、彼の後に付いていく。
その場にいた他の者達も、ドーバンの後に続いてぞろぞろと歩き出す。ここまで首を突っ込んだ以上、事件を最後まで見届けたい気持ちがあった。
ザガート、その仲間達、ドーバン、エレナ、トール、マックス、他の数人の冒険者、そして三人の衛兵達……総勢十人を超える大所帯となった集団が、夜の街中を歩く。
「……」
エレナは無言のままとぼとぼと歩く。表情は不安に満ちており、仲間が殺人犯かもしれない恐怖に今にも押し潰されそうだ。真相を知りたい気持ちと、いっそこのまま何も知らない方が幸せという、二つの思いがぶつかっているようにも見えた。
「大丈夫か、エレナ」
そんな彼女の様子を見て、トールが心配そうに声をかける。
マックスも仲間の身を案じたように、彼女の肩に手を乗せる。
「うん……私は大丈夫。二人とも、ありがとう」
エレナが二人の方を向いてニッコリ笑いかけた。自分は大丈夫だから何の心配もしなくていいと伝える。
精一杯浮かべたその笑顔は、誰の目から見ても痩せ我慢している悲壮感が読み取れた。
ザガートは後ろをチラッと振り返り、そんな三人の姿を目に焼き付ける。すぐに正面を向いて再び歩く。そして一連の事件を起こした犯人に思いを馳せた。
……確かにアドニスの名を騙る別人が犯人の可能性も無くはない。むしろそうであってくれれば、どれだけ良かった事か。
だが魔王には、黒騎士の正体がアドニスだという、確信に近い予感のようなものがあった。たとえ根拠が無くとも、そう思える何かがあったのだ。
夜の風はただ空しく、ビュウビュウと吹き荒れていた。この先の未来に希望が無い事を教えるかのように……。




