第112話 魔王に突っかかった男
声が聞こえた方角に皆の視線が向けられると、酒場の隅にあるテーブルを囲んだ四つの椅子に、四人の男女がそれぞれ座る。言葉を発したのはそのうちの一人であり、他の三人はオロオロしている。
「エレナ! トール! マックス! それに……アドニスっ!!」
ドーバンが冒険者パーティと思しき四人の名を呼ぶ。
認めないと言葉を発したリーダー格の男がアドニスだ。全身タイツに軽装の鎧を纏ったような姿をした、赤毛の剣士だ。年齢は二十歳くらいに見えたが、顔にはまだ幼さが残る。
顔の下半分を覆面で覆った忍者のような男がトールだ。アドニスより年下のようだが、見るからに冷静沈着な雰囲気を漂わせる。
全身鎧をガッチリ着込んだ巨漢の大男がマックスだ。手には長めの鉄槍が握られている。いかにも敵の攻撃から仲間を守る盾役をやっていそうだ。年齢は二十代後半か。
エレナはパーティの紅一点だ。白いフード付きのパーカーを着て、ミニスカートで、杖を装備している。髪はピンク色のセミロングで、年は十七歳くらいに見えた。身なりから察するに、恐らくヒーラーだろう。
「おいアドニス、認めないとは一体どういう事だ?」
ドーバンが怪訝そうな顔をする。お祭りムードに水を差す発言をした若者に真意を問い質す。
アドニスは男の問いにすぐには答えず、椅子から立ち上がってズカズカと歩く。魔王の前に立つと、敵意に満ちた瞳で相手を睨む。
「言葉の通りさ……俺はこいつを勇者とは認めない!!」
人差し指を向けて、魔王を救世主とは呼ばない事を宣言する。
若者の行動に、酒場の中が俄かにざわつく。それまであった明るい雰囲気は一瞬で吹き飛び、不穏な空気が漂う。皆の視線が若者に向けられたが、決して歓迎的とは呼べず何処か冷ややかだ。お祭りをぶち壊した彼を嘲笑しているようですらあった。
「何……何なの、あの人?」
ルシルが隣にいた冒険者にひそひそと小声で話す。明らかに他の連中とは異なる態度を見せた若者の素性を聞こうとする。
「彼はアドニス……勇者に憧れて、勇者になる事を目指しているつもりの男さ。強さはまぁ……中級よりちょっと下くらいだ。あの四人はギルボロスに戦いを挑んで、命からがら逃げ帰ったパーティのうちの一つだ。ギースに命を狙われなかった事を思えば、勇者の素質が無い事くらい分かりそうなものだが……」
男性冒険者の一人が女の疑問に答える。若者が勇者に憧れた事、冒険者としてのランクは決して高くない事、勇者殺しとして悪名高き傭兵ギースに、勇者候補と看做されなかった事などを教える。男の口調から察するに、あまり評判の良い人物では無さそうだ。
「なぁアドニス……もうその辺にしとけよ」
椅子に座っていたトールが立ち上がり、若者の側まで来て肩に手を掛ける。仲間の無謀な行いをやんわり窘める。
アドニスは仲間の忠告を無視するように、肩に乗せられた手を払う。
「俺達は一度敗れはしたものの、街に戻ってじっくり対策を練り、ギルボロスに再戦を挑んで勝利するつもりでいたッ! もう一度戦えば、間違いなく勝てる相手だった! そこにお前がしゃしゃり出て、獲物を横取りした! 村を救った名声も、村に伝わる伝説の刀も、本当は俺が手にするはずだったんだ! それをお前がかっさらっていった!!」
魔王に手柄を横取りされたと主張し、その事に深い憤りを覚えたと明かす。周囲からチヤホヤされた相手への嫉妬心を隠そうともしない。他人が勇者呼ばわりされてもてはやされたのを見て、対抗意識が芽生えたようだ。
「ザガート、俺と勝負しろ! もし俺が勝てば、お前が持ってるムラマサを頂く!!」
事もあろうに魔王に決闘を申し込む。自分が勝ったら村長から受け取った刀を渡すよう命じる。
「フンッ……良いだろう。もし俺にパンチを一発でも当てられたら、刀はくれてやる」
ザガートが小馬鹿にするように鼻息を吹かせながら、若者の誘いに乗る。完全に相手の実力を格下に見ており、力の差を埋めるハンデとして破格の条件を提示する。
「いくぞザガートッ! うおおおおおおおおっ!!」
アドニスが大声で叫びながら魔王へと殴りかかる。まんまと安い挑発に乗せられたように、右手による全力のパンチを繰り出す。
魔王はサッと横に動いて、相手の一撃を難なくかわす。彼からすれば、あまりの遅さに蠅が止まったようなものだ。ビデオを十分の一の速度でスロー再生したに等しい。
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
全力のパンチを避けられたアドニスが、間抜けな声を発しながら酒場の壁に激突する。そのまま勢いで壁をブチ抜いてしまい、壁の向こう側にある空間へと突き抜ける。
酒場に面した表通りをアドニスがゴロゴロと前のめりに転がる。最後はケツを突き出した状態のままうつ伏せに倒れて、手足をピクピクさせた。
「なんだなんだッ! またいつものケンカか!?」
建物の外にいた街の住人が突然の出来事に驚く。何しろ酒場の壁に穴が開いたと思ったら、そこから若い男が転がってきたのだ。パニックに陥っても不思議じゃない。
その場にいた何人かは「またか……」と呆れ顔で言う。どうやらこの街では冒険者同士のいざこざはそう珍しいものじゃないらしい。
騒ぎを聞き付けて、街中の人間が集まってくる。酒場に面した表通りに黒山の人だかりが出来る。ケンカに巻き込まれないように距離を開けて、壁のようになる。酒場の前に闘技場のようなスペースが生まれる。
酒場のドアが開いて、中から人がぞろぞろと出てくる。
魔王一行、ドーバン、他の冒険者達、そしてアドニスの冒険仲間……彼らは無様な醜態を曝け出した若者に駆け寄るでもなく、ただじっと眺めていた。




