第110話 妖刀ムラマサ
時計の針が『八』を指した朝……太陽が昇り始めて周囲が明るくなりだした頃。
村の入口に、出発の準備を終えたザガート一行が立つ。彼らを見送るべく数十人の村人がいる。鬼姫と仲良くなったメイ達数人の子供もいる。
村人の中に本来いるべき村長の姿が見えない。カザーブ村の村長カルタスは「渡したいものがあるから待って欲しい」と言った。それでザガート達は出発せずにいたのだ。
村長を待ち続けたまま、およそ十分ほど経過した時……。
「救世主どのーーーーーーっ!」
村長が大声で叫びながら村の入口へと駆け込んでくる。その手には長い棒のようなものが握られている。一行の前まで来ると慌てて立ち止まる。
「ハァハァ……お待たせして申し訳ありません。何分倉庫の奥の方にしまってあったので、見つけるのに時間が掛かりました」
ゼェハァと激しく息を切らせながら言葉を吐く。表情に疲労の色が浮かび、背筋を曲げて前屈みになる。
「村を救って下さったお礼として、これを貴方様にお渡しします」
村長はそう言うと、手に持っていたものを正面に掲げる。
村長が倉庫の中から持ってきたもの……それは鞘に収まった一振りの日本刀だった。非常に精巧に作られており、一目で貴重な品だと分かる。鞘に彫られた模様がマサムネと異なっており、別の刀のようだ。
「この刀は?」
ザガートが興味深そうにまじまじと眺めながら問いかける。
「これはムラマサと呼ばれる妖刀です。なんでも世界に三振りしか存在しないと伝えられる、最強の刀だとか……かつてこの地を訪れた侍が持っていた物だそうです」
村長が刀について説明を始める。非常に珍しい宝であり、太古の侍の所有物であった事を明かす。
「その侍はかつて勇者と共に世界を救ったパーティの一員だったようですが、この村に落ち着いた後、剣の道を捨てたそうです。村の若い娘と結ばれて、田畑を耕す農民となって生涯を終えたとも。それで彼が使っていた刀が村の宝として残ったと、そう言い伝えにはあります」
侍が腕の立つ戦士だった事、戦後村に定住した経緯、彼が持っていた刀が村に伝わった事などを語る。
「この刀には意思があります。刀が一流の戦士と認めない者が鞘から抜けば、命を吸われて死んでしまう……ですがマサムネを自在に使いこなし、ギルボロスを瞬殺した貴方様であれば、問題なくお使い頂けるでしょう」
刀がリスクのある武器だと前置きしながらも、ザガートほどの男なら使いこなせるだろうと確信を抱いて、話を終わらせた。
「村に代々伝わる宝を……本当にもらっていいのか?」
こんな貴重な品を受け取っていいのか、と魔王が恐縮する。説明を聞いて内心欲しいと思いながらも、それほど大事なものならば、村で保管しておくべきではないかという考えがあった。
「元々、魔神を討伐したギルドの冒険者に、報酬としてお渡しする予定だったものです……貴方様がお受け取りになるのが筋というもの」
ギルボロスの討伐報酬にするつもりだった事を村長が明かす。魔神を倒した勇者である魔王が受け取るべきなのだという。
「そうか……そういう事なら、ありがたく受け取らせてもらう」
村長の言葉を聞いて、ザガートが刀の受け取りを承諾する。
爺から手渡されると、早速確かめてみたいと言わんばかりに鞘から刀を引き抜く。
「……美しい刀だ」
ザガートが思わず口にする。刃には一点の曇りなく、まるでダイヤのような輝きを放つ。太陽の光を反射しただけで眩しく感じられる。職人の技術が結集したであろう鋼は見るからに鮮やかだ。長い年月を経たにも関わらず、経年劣化した様子が全くない。
マサムネも素晴らしい刀だが、ムラマサはそれを優に上回っていた。正に最強の刀と呼べる品だ。
やはり妖刀であるらしく、鞘から抜いた途端紫色のオーラらしきものが刃から溢れ出た。だが魔王が命を吸われる気配は無い。刀が一流の戦士と認めたという事なのだろう。
「ありがとう……これほどの素晴らしい刀、いつか必ず役に立つ日が来るだろう。アンタ達の好意は決して無駄にしない」
ザガートは感謝の言葉を述べると、刀を再び鞘に収める。自分の真横に空間の裂け目を生じさせると、ムラマサを大事そうにしまう。
「こちらこそ、村を救って頂いた事に深く感謝しております。これではまだお礼として足りないくらいです。もし貴方がたに救って頂かなければ、この村は全滅していたでしょう……」
村長が謙遜するように頭を下げる。村を滅亡の危機から救ってくれた事に恩義を感じており、宝を差し出した程度では感謝の気持ちとして足りないほどだという。他の連中も彼の意見に賛同しており、ウンウンと納得の表情で頷く。
「だがまだ絶対に安全とは言えない……敵が再び攻めてくる可能性もゼロではない。だからこれを渡しておく」
ザガートが懸念を口にしながら、懐から小さな『何か』を取り出して、村長に手渡す。それは紐からぶら下がった風鈴のような鈴だった。魔王がリザードマンの村を発つ時、村長に渡したのと同じものだ。
「村に危機が訪れたら、それを複数回鳴らせ。俺が一瞬でワープして駆け付けて、事件を解決してやる」
魔王に危機を知らせる道具である事を教える。せっかく村を救っても、自分がいなくなった間に滅ぼされては意味が無いという配慮が窺える。
男の気遣いに感激して、村長が何度も頭を下げる。熱い友情で結ばれたようにガッチリ握手を交わす。
「お姉ちゃん……ホントに行っちゃうの?」
メイが顔をうつむかせて寂しげな表情をする。鬼姫の着物の裾を掴んだまま離そうとしない。せっかく仲良くなった相手と別れる辛さ、もう二度と会えないかもしれない不安、それらの感情が表に出る。
あえて口に出さずとも、相手を引き止めたい気持ちが嫌というほど伝わる。
「若い女子が辛気臭い顔なぞするものではない……何も今生の別れをするというのでは無いのじゃ。戦いが終わったらまた遊びに来るゆえ、それまで良い子にして待っておれ。さ、分かったら笑顔で見送らぬか」
鬼姫が少女の頭を撫でながら優しく言い聞かせる。村を訪れる事を約束して、暗い顔をやめるよう言う。
「……うんっ!」
メイは一瞬悩んだものの、すぐに顔を上げて嬉しそうに笑う。胸の内に抱えた不安が晴れてスッキリしたような笑顔になる。
「ではそろそろ行くとしよう……皆、元気でな」
別れの挨拶を済ませると、ザガートが村の外に向かって歩き出す。他の四人が彼の後に続く。一旦ゼタニアの町に戻るために、村へとやってきた道を引き返す。
「約束だよ、お姉ちゃんっ! 絶対遊びに来てねーーーーーーっ!!」
メイが大きな声で叫んで手を振る。他の村人達も歓声を上げて送り出す。
一行は何度も後ろを振り返って笑顔で手を振り返す。快く見送られながら村を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
「フッフ、フッフフーーーン」
村が見えなくなるほど遠く離れた頃、鬼姫が上機嫌で鼻歌を唄い出す。満面の笑みを浮かべてスキップした挙句、最後は魔王と腕を組んで歩き出す。完全に有頂天になってウキウキしている。
魔王は無言のままズカズカと歩く。あえて彼女のなすがままにさせる。
明らかに尋常ならざる様子の彼女を見て、後ろを歩いていた三人がヒソヒソと小声で話をする。
「……やったのね」
「……やったな」
「遂にやったッス」
……そんな言葉が口から飛び出す。昨晩何があったかを、女の態度から察する。
三人の会話が耳に入り、鬼姫が後ろを振り返る。一旦腕を組むのをやめて魔王から離れると、少女達に駆け寄っていく。
「んんーーー? 何じゃお主ら、妾が魔王とズッコンバッコンしたのが羨ましいのかえ?」
仲間の前に立つと、これ以上ないほどのドヤ顔になる。腰に手を当てて胸を前面に突き出したポーズで、昨晩男と一夜を共に出来た事を誇らしげに自慢する。「フフンッ」と鼻息を吹かせて勝ち誇った笑みを浮かべる。
「抜け駆けしてすまんのーーー、うぬらがもたついてる間に、我が魔王の貞操を頂いてしまったわい。ウェヒヒヒヒッ」
自分が真っ先に魔王とヤったと思い込んで、ニヤニヤしている。
彼女は知らないのだ。男が既に他の三人に手を付けていた事を……。
「あの……鬼の姐さん。真に申し上げにくいんスけど……」
なずみが何とも気まずそうな表情をしながら言葉を濁す。事実を伝えるに伝えられず、下を向いたまま口をモゴモゴさせた。
とても真実を言い出せない彼女の代わりにレジーナが口を開く。
「私達は三人とも魔王と経験済みだ。つまりお前は初めてでも何でもない、ただの四人目という事になる」
残酷な言葉をサラッと吐く。自分が最初だと思い込んで有頂天になっていた女に、ありのまま事実を突き付けた。
「なっ……何じゃとぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおーーーーーーーーっっ!!」
鬼姫が大地が割れんばかりの勢いで驚く。喜びに満ちたはずの顔は一瞬で青ざめて、下を向いてガクッと膝をつく。自分が初めてでなかった事に心底落胆する。
間違った認識でドヤっていた事に、恥をかかされた気になり震えが止まらなくなる。恥辱を味あわせた男に対する怒りが湧き上がる。
「どどど、どういう事じゃ、まにょ……魔王ッ! 妾を抱いたのは、大切にすると心に決めたからではないもにょか!!」
すぐに立ち上がると、感情の赴くままに猛抗議する。早口でまくし立てたあまり、途中で噛んでしまう。自分が特別な存在でなかった事に納得の行く説明を求めた。
「あーー……それはだな。俺はお前の事を大切に思っている。それは事実だ。だが四人とも同じくらい大切に思っていると……つまり、そういう事だ」
魔王がすっとぼけた表情しながら質問に答える。女と視線を合わせようとせず、あさっての方を向いたまま目が泳いでいる。口調も力が篭っておらず、何とも頼りない。こんな説明で女が納得しない事など、とうに分かっているのだろう。
「そういう事とは、どういう事じゃ! この淫乱スケベ魔王ッ!! 我がそんな言葉で納得すると思うてか! さんざん澄ました顔しておきながら、ヤる事はしっかりヤりおって! 許さん、絶対に許さんぞ! かくなる上は、じわじわとなぶり殺しにしてくれるわ!!」
むろん女の怒りが収まるはずもなく、大声で怒鳴り散らす。ありったけの罵詈雑言を喚いた挙句、最後は感情に身を任せるように、男の頭を両手でポカポカ殴り出した。
「痛い痛い! 馬鹿、やめろ鬼姫ッ! お前が本気で叩くとシャレにならん! このまま叩かれ続けたら、俺は本当に死んでしまう!!」
魔王が暴力行為をやめるよう懇願する。魔王クラスの実力を持つ女のパンチは凄まじい破壊力があり、その力で殴られ続ける事に生命の危機を感じる。
だが鬼姫による制裁は、彼女の怒りが収まるまで数十分は続いたのであった……。




