焼き芋売り
私のおじいちゃんには好き嫌いがある。とうもろこしやじゃがいも、さつまいもを食べない。甘いものが苦手というわけではなく、チョコレートや栗は好んで食べている。食感か匂いが嫌いなんだろうと、勝手に想像していた。
そんなおじいちゃんは若い頃、とてもハンサムだったという。
「まじめそうな学生さんでね、倹約で、言葉遣いがきれいで、しかも目が素直だったから惚れちゃったのよ」
おじいちゃんが留守の間、おばあちゃんは私とおやつの焼き芋を食べながら、そう教えてくれた。
「どのくらいハンサムだったの? 写真はないの?」
「研究科の集合写真はあるんだけど、帽子を被っているし、小さくしか写っていないけれど……」
おばあちゃんは食べかけの焼き芋を皿に置いて、「待っていて」と、奥の部屋へアルバムを取りに行った。
久しぶりの焼き芋が懐かしくて、つい孫に惚気話をしてしまった。思い出のアルバムは、奥の部屋の本棚の二列目にあった。つんとかびが匂って、這っていた芥子粒のような虫を手で払う。
よいしょ、と立ち上がり、孫のいる居間へ持っていく。
「ほら、これがおじいちゃんよ」
「おじいちゃん」
小学生の孫はあどけない声で、白黒写真の中のカズさんを呼んだ。学生帽を被って、きれいな目をかっと開いて、他の大学生の列に混じっている。
「おじいちゃん、昔はしゅっとしてたんだね」
「……そうね。他の学生さんよりも」
この機会だ。そろそろこの子も分かる歳だろうし、今日はこの話をしてもいいだろう。
それは、私とカズさんが出会った話。
カズさんは、いわゆる苦学生だった。あの時代の大学生は裕福な家の子が多くてそんな人は少なかったように思えるけれど、入学してからお父さんが倒れたカズさんは、それでも学び続けるために働きながら大学に通うことを選んだ。
しかし忙しい勉強の合間を縫って働いた賃金は少なく、そこから学費を払い、加えてお母さんや兄弟の生活も養っていた。カズさんが一番苦しかっただろうに、家族の食事を減らすまいと「大学と仕事先で食べるから自分の分はいらない」と嘘をついていた。本当は、大学でも仕事先でも食事らしい食事なぞ食べていなかった。
唯一カズさんが食べていたのは、市場の外れの屋台の軽食だった。ある日は茹でただけのとうもろこしを一本、またある日はふかしただけのじゃがいもを一つ。一日の終わりに一個だけ、そんなものを食べていたらしい。
そこに私がいた。私はお父さんと別れたお母さんに連れられ、東京に流れ着いたしょうもない娘だった。店を構えるお金もなかったので、どうにか借りられた屋台で安いさつまいもを焼いて、その日その日を繋いでいたところだった。
「一つ、ください」
初めて出会った、まだ名前も知らなかったカズさんは張りのない声で、古っぽい布の財布から小銭を出した。そのときの私は、夜食にでもしているのだろうと考えてそのまま売った。でも、夜食を取っているにしてはこけすぎた頬だった。
しばらく経って、カズさんはまた焼き芋を買いに来た。
「あら、この前の」
お母さんが、まだ名前も聞いていなかったカズさんの顔を覚えていて話しかけた。カズさんは恥ずかしそうに会釈で返事をした。
「ありがとうね、大きいのどうぞ」
お母さんは「ひいきに通ってください」の意味を込めて、大きな焼き芋を選んで渡した。
カズさんは熱くて大きな焼き芋を受け取って、その熱が手から顔に伝わったように、目を輝かせた。
「また来ます」
狙い通りの言葉が聞けて、お母さんはほくほくの笑顔になった。私はなんとなく、少しだけ年上で、まじめで優しそうな男の人にどきどきしていた。
それからカズさんは本当に、一週間に何日もうちに通ってくれるようになって、次第に打ち解けたような表情もくれるようになった。それが私には商売のこと以上に嬉しかった。お客であっても、見知った友人のような繋がりができたと感じていたからだ。
「一つでいいんですか」
会話をしてみたくて、ある日、あまり深く考えずに急に聞いいてみた。
するとカズさんは、かあっと顔を赤くした。ただでさえ安い焼き芋を一個しか買わない〝けち〟と蔑まれたのだと思って恥ずかしかったのだと、後から説明してくれた。
けれどそのときはそう教えてくれなくて、若い私たちはしどろもどろした。
「すみません……」
「いえ、そうじゃなくて、えっと、その……」
カズさんがあまり恥ずかしそうにするので、私まで恥ずかしくなってしまった。それで、
「よかったら、小さいの、おまけに要りますか」
と口走った。自分でも気づかないうちに、痛いくらいに心臓がどきどきしだしたのを覚えている。それなのにカズさんは、
「いいんですか」
と、言葉では確認しながら、顔と声色では「やった!」と喜んでいるのが透け透けだった。まるで、駆け回る子犬のように。
私は「負けた」と思って、小さいのではなく、中くらいのをあげてしまった。
「ありがとうございます。僕、カズトシと言います。お礼、いつかしますので!」
カズさんは私の目をしっかり捕えて、握手でもするかのようにそう言ってくれた。私の勝手であげた粗末な焼き芋をこんなに喜んでくれて、カズさんはなんていい人なんだと慕うようになったのは、そのときからだった。
「それでね、卒業と就職が決まった頃に、私をお嫁にください、とプロポーズしてくれたのよ」
おばあちゃんの恋バナを聞いているうちに、私はおやつの焼き芋を食べ終わってしまった。おばあちゃんは話すのに夢中で、あと一口残している。
「でも、なんでおじいちゃんは思い出の焼き芋、嫌いになっちゃったの?」
おばあちゃんは残りの一口を食べて、お茶を飲んだ。
「飽きてしまったと言っていたわ。焼き芋も、ふかし芋も、茹でとうもろこしも。本当にそれしか食べていなかったんだもの」
「ふうん」
毎日の食事をその三種類だけでローテーションしたことのない私には、想像してもしきれない悩みなんだろう。
がらがらっと、玄関の戸が開く音がした。おじいちゃんがゴルフから帰ってきた。
「焼き芋の匂いがする」
不満そうに、私たちが食べ終わったおやつの皿をじっと睨んだ。でも、おばあちゃんはびくともしない。
「あなたがいないときに食べたんだから許してください」
「そうだな」
おじいちゃんはあっさりと許してしまった。そして、
「おい、クラブを見せてやろう」
私を誘って、ゆっくり歩いて行く。あんまりしっかりした目で見てきたので、断れなくてついていくことにした。
おじいちゃんは奥の部屋に入って、ゴルフバッグをどすんと置いた。
「あのな、」
ゴルフバッグの中身は見せてくれないまま、私に耳打ちする。
「恥ずかしいから、焼き芋の話をばあさまにさせるな」
今、それを聞いていたところだ。でも私はできる小学生、おじいちゃんの顔を立てるためにそんなことは言わなかった。代わりに好奇心にまかせて、
「なんで?」
と聞いてみた。
「若い頃を思い出して、浮ついてしまう。いいか、秘密だぞ」
〝うわつく〟……〝うわつく〟って、嬉しいときの気持ちのことだったかな。分からないけど、おじいちゃんはそんな優しい目をしていた。
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