九九話 タレントたち
オクリーとヨアンヌには精神的な繋がりがある。
しかし、オクリーはヨアンヌの自我を拒絶し続けているため、オクリーからヨアンヌへの情報漏洩は起こりやすい割に、逆方向の情報漏洩は非常に起こりにくい――というかほとんど起こっていない状況にあった。
『幻夜聖祭』まで残り二週間。
精神を通じて青年から要請を受けたヨアンヌは、嬉々として聖都サスフェクトに赴いていた。
(オクリーに会うのも久々だな〜。聖都サスフェクトなんて何年ぶりだ? 後々ぶっ壊す街だし、今のうちに好き勝手観光させてもらうか〜)
防衛兵器は『幻夜聖祭』前の賑わいを受けて絶賛稼働中である。空中はもちろん、地中からの侵入も不可能だろう。だからこそオクリーの移動要塞計画が重宝されているのだ。
ヨアンヌは邪教のフードを深く被り、見下ろす景色に鼻を鳴らす。険しい森の中に造られた聖都は、まるで大海に浮かぶ孤島だ。
――そんな堅牢な街、聖都サスフェクトの外縁部にて、二人の兵士がヨアンヌを待っていた。
平時は固く閉ざされ、騎兵や大隊が街に出入りする際にしか開かれない門だが、ヨアンヌを壁内に招き入れるために閂を取り外され、対邪教徒用に拵えた防衛機能も一時的に封じられている。
「本当にヤツは来るのかね」
ヨアンヌを迎えに来た兵士の一人、ホセが呟く。対するもう一人の男ダロンバティは、いつでも抜剣できるよう精神を研ぎ澄ませながら答えた。
「オクリー氏の潔白は既に証明されています。今更虚言で我々を混乱させる意味もないでしょう」
「いんや、オクリーを信じてないワケじゃなくてよ。あの邪教幹部ヨアンヌが素直に来るかって話さ」
「あぁ……まあ、言えてますね」
「耳にする噂ぜ〜んぶイカれてるもんな。ほんと狂犬とか獣って評価がお似合いの――」
ホセの言葉が唐突に途切れる。異変に気づいたダロンバティは帯剣した柄の部分を握り締め、草薮を踏み均して接近してくる人影を睨みつけた。
ホセは、オールバックに纏めた髪があまりの威圧感に乱れ落ちるのを肌で感じた。薄闇の先に松明を掲げながら、盾とボウガンを構える。
「誰だ」
答えなど分かり切っていた。だが、問いかけなければ殺されてしまう。そんな確信がホセの口を動かしていた。
「オマエらが送迎の人間か」
闇の中から声がする。ハスキーでやや気怠げな女の声だ。
「お迎えご苦労さん」
含みたっぷりな台詞を共に姿を現したのは、ヨアンヌ・サガミクスその人だった。初めて彼女を目の当たりにしたホセは、その異常なまでの美貌に生唾を嚥下する。
奔放に伸びた白い髪、馬の流星の如くコントラストをかける青のメッシュ、長い睫毛の隙間から覗く螺旋状の瞳、肉惑的な肢体の皮下に隠れた筋肉。――獣だ。人ではない。そんな評価を下してしまうほど、知性と野生を兼ね備えた少女の雰囲気は異質だった。
ヨアンヌはローブのポケットに手を突っ込みながら二人の間合いまでずけずけと歩み寄る。反射的に武器を構えるホセ・ダロンバティ両名。そんな厳戒態勢の二人の間をすり抜けて、少女は門を調べ始めた。
「おい、合流した後は勝手に入っていいのか? そこまでは聞いてねえぞ」
防衛機能の恐ろしさを知っているからか、ヨアンヌは迂闊に手を出さず控えめだ。兵士二人は、脅威として見られていないと理解して矛を収めた。
「……ダロン」
「……そうですね。ヨアンヌ、こちらへ来い。案内する」
特定の一時間にしか開放されない予定だった門が密かに開かれ、オクリーが指示した通り、聖都サスフェクトに邪教幹部ヨアンヌが侵入することとなった。
兵士二人の間に挟まれて、ヨアンヌは大人しく路地を歩いた。意味などないと知りながらも、手錠を掛けさせた。無抵抗で手首に鎖を繋がれた少女は、「ほ〜」と楽しげに呟きながら音を鳴らした。
「広い街だ。人の活気もあるし、敵の侵入を許さない堅牢さ、それに反比例するような流通システムの自由さ……流石に世界有数の大都市と数えられるだけはあるよ」
「おい、喋るな」
「ほんと、良い街だ」
「喋るなと言っているっ」
緊張感のあまり、ダロンバティが早まって鋭い言葉を飛ばす。彼は優秀にして冷静沈着な戦士であったが、ヨアンヌがわざと殺意と威圧感を振り撒いているため、滝のような汗を流していた。後ろに縛った長髪が、彼の不安を表すように揺れていた。
夜の街に突然兵士の怒声が響き渡ったことで、街行く人々の訝しむような視線がダロンバティに突き刺さる。市民の押し殺した声に囲まれて焦りを募らせる男を見て、ヨアンヌはフードの下でくつくつと笑った。
「黙りな。アタシのへそ曲げさせて損するのはオマエらなんだぜ? それに、ここにいるヤツらみ〜んな人質だ。下手な言動はやめとけよ〜」
ぎらりと光る眼光。招かれてやってきたはずなのに、まるで侵略行為を始める直前かのような圧に、兵士二人はたじろいだ。
「っ……こっちに来いっ!」
ダロンバティはヨアンヌの手錠を引いて、暗がりに押し込む。少女はまるで、自分がか弱い乙女であるかのように、大袈裟にたたらを踏んだ。ヨアンヌはまだ挑発的なにやにやとした笑みを浮かべている。
生まれて初めて味わう恐怖で、ダロンバティは正気を無くしている。ホセは彼の肩を叩いて耳打ちした。
(落ち着け馬鹿! 遠方からジアター様の召喚獣が見守ってくれてるだろ! それに、ヨアンヌが聖都に来たことは教祖アーロスですら知らない……言わば内通行為だ! 下手な動きができないのはこの女も同じなんだぜ!? クソみてぇな性格から繰り出されるただの煽りだ!)
(……そ、そうですね。すみません、一旦深呼吸して落ち着きます)
実際、ヨアンヌがやたらと人を焚きつけるのは、彼女の歪んだ性格のなせる技である。早々に邪教幹部に成り上がったから矯正されなかった悪辣な性質とも言えるだろう。
ダロンバティとホセは落ち着きを取り戻した後、人通りの少ない地帯に抜け、下水道へ続く地下通路へと入った。
不衛生で薄暗い環境に顔色ひとつ変えず、ヨアンヌは二人に連れられて水路際を歩いた。
ヨアンヌはその間も、聖都は良い街だ、だの、アタシも住んでみたいなぁ、だの、上滑りしそうな感想を口にしていた。ただの挑発なのは分かり切っている。喋っている間に地下の構造に視線を走らせたり、様々な考察を巡らせているのは見え見えだからだ。
彼女の言葉は、言わば独り言のようなものなのだろう。集中している時に漏れる思考の一端とも言えるか。
彼女の道化じみた様子に慣れてきた二人は、程よい緊張感と共に彼女を護送する。
そして目的地に到着した時、地面に張っていたノウン・ティルティの植物の根が昇降機のような役割を果たし、三人を地上へと導いた。
ゆっくりと昇った根の籠が静止すると、そこには正教幹部が腰を据えた円卓が用意されていた。ヨアンヌはもう隠す意味もないだろうと漆黒のフードを脱ぎ去り、その顔を明らかにする。
「よお、オマエら。相変わらず元気そうで何よりだ」
円卓に座ったサレン、クレス、ポーメット、ジアター、ノウンの視線が鋭くなる。末席に座るのは、マリエッタとオクリー、その他には対邪教徒部隊隊長ルツイン、正規軍大隊長アギラオ、正規軍副長オーフェルスという軍部の面々だ。
ホセとダロンバティは床の穴が埋まったのを確認した後、ヨアンヌの死角について背筋を伸ばした。
「――オクリー。会いに来たぞ」
「…………」
「……フッ、まあいい。早速話を始めようか」
敵であるヨアンヌを聖都に呼び寄せたのは他でもない。セレスティアを取り戻し、誰もが苦戦を余儀なくさせられているスティーラ・ベルモンドを攻略するためだ。
確実視されている聖都襲撃の際、より正教有利で事が運ぶよう内部工作を取り付けないと、セレスティア奪還はおろか邪教徒の奇襲攻撃すら止められないだろう。敵がこの作戦にかける想いは並大抵のものではない。
場が落ち着いたのを見計らって、最高指導者のサレンが桜色の唇を開いた。
「ヨアンヌ。まず貴様らが聖都サスフェクトを襲撃しようとしているのは本当か?」
「ああ」
溌剌とした返事に、琥珀色の吊り目がきりきりと角度をつける。彼女のクリーム色のハーフアップ・ヘアーから、溶け出すようにして不死鳥の炎が火を吹いた。
「目的はお察しの通り、聖遺物『天の心鏡』の強奪だ。そのためにセレスティアを洗脳したと言っても過言じゃねえな」
「詳細を教えてくれる気はないのかね。そうすれば、我々としては大助かりだ」
言いながら、背中に尾羽を顕現させそうな勢いで炎のオーラを振り撒く。邪教徒のオクリーがいたため本気の威嚇ではなかったが、ヨアンヌはすらりと伸びた脚を組んだままぴくりとも動じない。異教徒にとっての猛毒、不死鳥の炎の威光を見せつけられても、欠伸する余裕すらあった。
「アタシはオクリーだけの味方だ。正教邪教の両方が弱体化してもらわないと困るんだよなぁ……」
ヨアンヌは行儀悪く椅子にふんぞり返る。これ以上教えてくれる気はないようだ。
「まあ、教えられることとしては……『幻夜聖祭』の一〇日前から始まる前夜祭――ここから露店が爆発的に増えるのは知っているだろう」
「無論だ。許可しているのは我々だからな」
「で、対外用の店を目当てにした観光客や巡礼者に紛れて、邪教の先遣隊がやって来る手筈になっている。ソイツら、街に入り込んで前準備を行うつもりだ。……兵器の運搬だの、奇襲後の脱出準備だの、そこら辺をな。これに対応しないことには、アーロス様の作戦を止めることは不可能だろうよ」
オクリーを凝視し続けながら、他の者には視線すらくれてやらないヨアンヌ。オクリーは深々と頷くと、彼女の発言が真実だと認めた。
「大体はヨアンヌの言う通りだろうな。俺が聞いた限りだとそんな内容だった」
「これ以上のことを教えて欲しかったら、アタシの元に帰ってこいよ」
「お断りです」
「んもう、つれないな」
そんなやり取りを見て、正教幹部達は二人が唯ならぬ仲なのを感じたようだ。サレンはこめかみを押さえて呻いた。
「そんでな。このアタシがど〜うしても他人の力を借りなきゃ殺せないヤツが三人いる。知ってるだろ?」
机の上に人差し指の腹を滑らせて、虚空を指す。その先では、サレン・デピュティの鋭い双眸が燃えていた。
「オマエと、アーロス様と――スティーラだ」
「――本人の前で、よく言えたものだ」
「オクリー。スティーラを殺すために何をすればいいのか、アタシにも詳しく教えてくれよ」
「分かった」
いよいよ、本題が始まる。
「――スティーラを兵糧攻めにする」
オクリーが考案した作戦は、スティーラの食人欲求を逆手に取った大規模作戦だった。
セレスティアを取り戻した後、聖都サスフェクトの外壁を鳥籠としてスティーラを取り囲み、ヨアンヌが邪教幹部の離脱先を持った邪教徒を消し飛ばす。閉じ込めたスティーラが飢餓によって正気を失うまで待ち、来たるベストタイミングで正教幹部の肉片を紛れさせた『オクリー』の肉を差し出す。
すると、スティーラはカモフラージュされた彼の肉を一目散に貪るだろう。胃の中に肉が収まったことを確認したら、スティーラの体内に正教幹部を『転送』させ――身体の小さなスティーラを『上書き』して消し飛ばす。
これが作戦の概要だった。セレスティア奪還を含めて、ヨアンヌによる内部工作がなければ実行不可能と言えるだろう。
セレスティアを取り戻す方法については、以前オクリーが正教幹部達に共有済みだ。
セレスティアは『正教幹部』であり、神殿の防壁たる不死鳥の炎を突破できるのは彼女しかいない。故に、不死鳥の神殿前で『洗脳返し』を持つクレスが待ち構える。セレスティアはアーロスとペアでやってくる可能性が非常に高いため、神殿付近にはクレスに加えてポーメットを配置することとした。
相手方の最高戦力を引き受けてくれたポーメットには、何か秘策があるらしい。
そのため、スティーラを押さえ込んで聖都内に閉じ込める役割は、サレンにやってもらうことになった。
――話を纏めると。
まず、『幻夜聖祭』の一〇日前にやってくる先遣隊を撃退する。
聖祭当日、『転送』されてきた邪教幹部達にそれぞれ対応する。その中で、ヨアンヌは離脱のための肉片を有した邪教徒を殺害する。そうすることで、セレスティアやスティーラの逃亡を未然に防ぐ。
同時刻。セレスティアと戦い、激怒させ、クレスが『洗脳返し』を発動してセレスティアの精神を解放する。ポーメットはアーロスを撃退し、サレンはスティーラを聖都内に押し留める。その他の幹部は邪教徒を追い払う。
セレスティアを取り戻した後は、早急に事情を説明し、天候を操ってもらう。スティーラが飢餓により正気を失うまで聖都を干魃に陥れるのだ。風は止み、大地は枯れ、食料ひとつ存在しない。そんな世界になって、やっとスティーラを殺すことができる。
空腹で苦しむスティーラに差し出すオクリーの肉は、柔らかい頬周りの部位。仕込む正教幹部は、身体の大きなクレス・ウォーカー。
聖都サスフェクト襲撃計画についてのカウンターは、こんなものだろう。
話を纏めたオクリーを見て、マリエッタが引っ掛かりを覚える。
(あの女は信用できないですよ、オクリーさん。ヨアンヌは絶対に裏切ります。絶対に。そんな、正教にだけ美味しい話、黙って従ってくれるはずがない)
この場の誰もが口にしないが、マリエッタの直感は当たっている。ヨアンヌが同席しているから敢えて言わないだけで、実際はどのようにヨアンヌを抑え込むかも考えなければならなかった。
後々、自分からも幹部の皆さんに意見を出してみよう。そう思いつつ、マリエッタはヨアンヌを睥睨し続けた。
当の本人ヨアンヌは、聖都サスフェクト襲撃計画の話が終わったのを感じてか、別の話題に移ろうとしていた。
「話は変わるが……正教幹部の皆さんよぉ。良い話持ってきたんだけど、聞きたいか?」
そうして再びもったいぶろうとするヨアンヌに苛立ったオクリーは、椅子を蹴り飛ばしながら突っ立った。
そのままつかつかと歩み寄り、少女の唇を無理矢理貪った。
「んむっ!!?」
舌が絡む生々しい水音が室内に響き渡る。正教幹部は困惑と敵意とドン引きの入り交じった表情になる。ただ一人、マリエッタだけが怒髪天を衝いていた。
オクリーが唇を離すと、二人の間に透明な銀の橋がかかった。ヨアンヌは相手から攻められることに慣れていないため、腰が抜けてしまったようである。
「そういうのいいから、さっさと言ってください」
「ひゃ、ひゃい……」
骨抜きにされたヨアンヌは、誰かさんのように恍惚と唾液を啜り上げながら、アーロスの過去について情報を得たと打ち明ける。
「アーロスの過去だと? 情報源は」
「情報源はドルドン神父という男だ。……いや、元神父か」
「何っ!? あいつ、まだ生きてるのか!?」
「あぁ、ビンビンしてる。それで、アーロス寺院教団の誕生に『邪神』なる存在が関わっていると分かった。オマエら……特にオクリーはそれについて何か知ってるんじゃないかと思ってな」
オクリーを除いた全員が狼狽する。何故ドルドンといういち神父ごときが重大情報を知っているのか、と。その答えはオクリーとヨアンヌのみが知っていた。
オクリーはヨアンヌが言葉足らずなのを重々承知していたため、仕方なく説明役を買って出た。
「その……ドルドン神父は『金玉』を触ることで人の過去や心の中を見られるらしいんだ。実際、記憶喪失だった俺の正体も見抜いてきた」
「おぬしは何を言っておる? こんな時に茶化すでないぞ」
混乱と失望を通り超えた怒りがノウンの声を震わせる。オクリーは「だから説明したくなかったんだ」と頭を抱えた。
全員の頭の上に疑問符が浮かぶ中、マリエッタとポーメットだけが膝を打っていた。
「そ、そうか! だからサテルの教会であんな意味不明なことが……!」
「……ポーメットちゃん?」
「ウソじゃろ……おぬしだけは信じておったのに」
「ちっ違う! ほ、ほら、マリエッタも何か言ってくれ!」
「オクリーさんやポーメット様の言う通りです。ドルドンがそういう読金術を持っていないと、説明できないことが多すぎるんですよ」
「どくきん……なんだって?」
場が騒然となってしまったものの、神父のそれは『そういうもの』として受け入れざるを得なかった。『邪神』の情報を掴んでいたのが何よりの証拠である。
「は、話を戻すと、我々も邪神について調べていたところでね。とある本に邪神の情報が記されていた。こちらも邪神の情報は喉から手が出るほど欲しいのだが、先に話してもらえるかね?」
「いいだろう。その代わり、本を渡してもらう」
「原典は許可できん。写本なら許してやる」
「充分だ」
「取引成立だな」
ヨアンヌはアーロスの感情を交えた過去と、邪神について知る限りをサレン達に伝えた。共にアーロスを討たんとする思惑が一致しているため、出し惜しみはしなかった。
かくして、オクリー達は情報を交換した。オクリー達は『アーロスの赤裸々な過去』『邪神とアーロスの明確な繋がり』『邪神のいる世界と僅かな容姿』の情報を得て、ヨアンヌは『カイル文書の写本』を手に入れた。
それぞれの情報が欠けた部分を補完し合う内容であり、双方にとって実りあるものとなった。
(ドルドン……あのバカ、死んでなかったのかよ。アーロスの金玉を触るなんて、きっと何も変わってないんだな)
オクリーの脳裏に嬉しさとも忌々しさとも取れぬ複雑な感情が湧いてくる。老爺はオクリーにとって最低最悪の人災であり、人生の岐路に立っていた際の導き手でもあった。
てっきりヨアンヌにぶちのめされて死んだとばかり思っていたが、まだ役に立つからと生かされていたようだ。案外しぶとく生き残るタイプっぽいしな、と口の中で納得の苦笑を押し殺した。
「サレン、他にヨアンヌに話しておくことはないか?」
「特には無いな。さて、マリエッタ」
「はい」
マリエッタが懐から取り出した小瓶の口を割り、中身の粉塵をヨアンヌに浴びせた。
「え、何をして」
オクリーの素っ頓狂な声が飛ぶ。
が、マリエッタの手は止まらない。次なる小瓶を握った茶髪の少女は、ヨアンヌの鼻っ面に硝子ごと叩きつけた。
オクリーは知る由もなかった。マリエッタが、襲撃計画の情報を抜けるだけ抜いた後、ヨアンヌを洗脳する作戦を発案していたことを。
そして、サレン達が一も二もなく了承したことを。
オクリーは全てを察する。最初にかけた液体はノウンの植物兵器『アルファ・プラント』を元にした液体で、次なる小瓶の中身は『聖水』だったのだと。
アルファ・プラントは、花の香りを吸気させた対象を深い昏睡状態に陥らせる。その生物兵器を、容赦なくヨアンヌに差し向けたのだ。
「クレス様!!」
「おうッ!」
狭い室内が騒然となる。正教幹部のそれぞれが魔法を解き放ち、ヨアンヌに向かって発動した。
一番初めに少女に辿り着いたのは、クレスの電撃である。稲光が眩い煌めきを放ち、ヨアンヌの脳天に直撃する。
だが、ヨアンヌは笑っていた。欠損部位を回復せず、攻撃を嘲笑するほど余裕綽々であった。
「おぬし、まさか――」
「吸気が引き金なら、呼吸しなければいい」
欠けた肉体から覗く身体の内側。それを見て、ノウンはアルファ・プラントが何故効かないのかを悟った。
ヨアンヌは肺を置いてきていた。
「写本の中身は全て記憶した。お邪魔みたいだし、帰ることにするよ」
マリエッタの『聖水』を浴びた部位が僅かに爛れ、幹部達の攻撃を受けた箇所から少女の身体が炭化し始める。
彼女は肺のある場所に帰ろうとしている。アレックスの元に保管してある肉片に『転移』するのだ。
「それじゃあ、作戦当日はヨロシクな。マリエッタも、叶わぬ恋なんて諦めることだな――」
意志の宿る肉片が選択され、風化して消えていくヨアンヌの身体。彼女の『転移』を止める術もなかった彼らは、ゆっくりと掻き消されていく彼女を見守ることしかできなかった。




