九七話 Achieve a full erection
アーロスからドルドン神父へ向けられる印象は、『威厳の裏に異常な性欲を隠しているな』という感想だった。
しかし、どれたけ本性が黒かろうと、人格が破綻していようと、アーロスは基本的に来る者拒まずの方針だ。得体の知れない気持ち悪さすら受け入れ、教団の躍進に変えてしまおう。そんな思惑があったため、あっさりドルドン神父を受け入れた。
(……それにしても)
オクリーに対する異常な愛はヨアンヌもそうだから仕方ないと納得できる。
だが、脳を覗き見た時の、あの、深遠なる闇から差し迫ってくるような、巨大な睾丸は何だったのだろう。
アーロスが人の頭の中を覗き込む時、いつも最初に見えてくるのは感情という名の『雲』だ。
恐怖や絶望という雲が晴れてから、綺羅星の如く輝く『情報』が見えてくる。その星を糸で引き寄せるようにして脳内を視ていくのが彼の常だった。
今回は違う。
オクリーへの愛という雲が晴れた後、そこにあったのは赤色巨星の如く膨らんだ二つの球だった。
しかも、それの情報量が多すぎて、他の星が見えない。
異常事態だ。確かに脳内リソース的な星の大小はあるが、ここまで成長した星――というか、脳内宇宙で具現化した睾丸――はお目にかかったことがない。
右から見ても、左から見ても、脈動する巨大球が雄大すぎて他に何も見えない。昔、スティーラの頭の中を見たことがあるが、確か彼女もこれくらい大きい星を有していた。こんな具体的な形を帯びてはいなかったけれど、あれも凄い星だった。
(子孫繁栄に熱心なのですかね? それとも単純にオクリー君の金玉に触りたくて仕方ないとか? まぁ、うちは同性愛にも寛容です。教団に協力してくれるなら、好きにしてくれていい)
かくして、アーロスは困惑しながらも魔法の駆使を中断した。スティーラという異常な前例を視たこともあって、嘘偽りないドルドンの姿がこれなのだと納得するしかなかった。
むしろ、アーロスは少し安心していたのかもしれない。信頼を寄せるオクリーのことが好きなら、我が教団にも協力してくれるだろう、と。
アレックスが地を舐める勢いで謝罪してきたのを手で制した後、アーロスは問題児を連れ帰ってきたヨアンヌへ顔を向けた。
『……まぁ、人の個性は無限ですからね。ヨアンヌがドルドンのことを認めて信頼するというなら、私から言うことは何もありません。上手く操縦して教団に貢献させるように』
「あぁ! ありがとうアーロス様!」
ヨアンヌはアーロスの案外おおらかな一面を理解していた。彼は教団に協力してくれる者に対しては受容的な一面がある。
何年一緒に過ごしてきたと思っている。オクリーが出てくるまでは間違いなく最愛の人だったため少し心は痛むが、存分に過去を見させてもらおう。
そして死ぬのだ。世界を支配するのはオクリーとアタシだけなのだから。
話が纏まり、その場を後にしようとするアーロスの背中をドルドンの声が引き止める。
「教祖アーロス様、お待ちください」
『何でしょう』
「ケネス正教の信者共は貴方様のことを悪く言うばかり……私は正しい貴方の姿を知りません。もうしばし、私とお話する時間をいただけませんか」
ドルドン神父は人の心を見抜く力がある。それは数十年の経験に裏打ちされた観察眼によるもので、数分も会話をすれば個人の本性が見えるという確信を抱くまでに至った。
純粋な戦闘はもちろん、『会話』こそ元神父の主たる戦場だ。ヨアンヌやアレックスに目配せして「話を合わせろ」「どうにか金玉との接触を図る」と合図を送った老爺は、立ち話も何ですしと切り出して、近くの家屋にアーロスを招き入れた。
戦火からまだ立ち直っていない、半分壊れかけの施設だった。一目すると、飲食店のような構造をしている。
勝手知ったる動作で椅子を引いたドルドン神父は、教団内階級の高い者から順番に着席したのを見届けて、最後に腰を据えた。
「この建物はね、私が遥か昔に立ち寄った飲食店なんです。何十年も昔のことですが」
『それは……悪いことをしましたね』
「いえ。料理は不味かったし、店員の接客態度もクソだった。神父は税で暮らしている怠け者だとか難癖つけられて、座っていた椅子を引かれました。殺してやろうかと思いました。過去の私もさぞ喜んでいるでしょう」
『そうですか』
ヨアンヌとアレックスは無言で見守る。アーロスは彼の昔話に淡々と聞き入っていた。
会話の中で神父が抱いた感想は『人の良さそうな男』だった。平坦な口調で語気は柔らかいし、敬語を崩さない。仮面で表情は全く見えないが、身体の力を抜いてリラックスしていた。
彼は『素』でこういった言動を取るのだろう。
(だが、アーロスの言う『悪いことをした』はワシに向けられたもの。これまで殺した正教徒に向けられてはいないようだ)
恐怖による抑圧と慈愛による求心のバランス感覚が上手いのだろう。曲者揃いの邪教徒を束ねる人望と繊細な感覚の成せる技か。
しかし、聞き及んでいたカリスマ指導者という雰囲気ではない。まともな人間に見える。
(知らないタイプの人間じゃ。人格者の如きこの男が、本当に虐殺を行ってきたのか……?)
底が見えない。恐ろしい。素顔が仮面で隠れていることも相まって、彼との会話で感じる心地良さが偽りのもののように思えてくる。
彼の本性を探るのを諦めかけたその時、アーロスが言う。
『ドルドン。あなたから見たケネス正教の街はどうでしたか?』
「どう、とは?」
『民は満たされていましたか?』
「そういうことですか。……微妙ですな。税に苦しむ農民、飢えに斃れる貧困層、魔獣の被害に遭う旅人や放浪者……アーロス寺院教団との全面抗争で国が荒れているのもありますが、酒浸りになって現実を忘れようとする者や、戦火で行方不明になった家族を探す者が多く溢れております。そんな者達があちこちの街にいれば、民の心も辟易するというものです」
言ってから、しまった、と思った。
だが、アーロスの次の言葉を聞いて戦慄した。
『大変結構なことです』
その言葉にも感情というものが全く感じられず、淡々としていた。そのくせ、首をかくかくと動かして何度も首肯している。まるでロボットだ。ぞくぞくとした異物感がドルドンの股間を襲う。
(場も股間も温まってきたぞ。そろそろ次の段階に行くとするか)
なるほど、アーロスのことが少しだけ分かったかもしれない。
次は世間話からメスを入れてやろう。
「して、アーロス様。親睦を深めるべく遊戯をしたく……」
『遊戯ですか』
「はい。身体を動かす遊びです」
ドルドン神父は懐から多面サイコロと折り畳まれた風呂敷を取り出す。床の汚れを払うように足を往復させると、風呂敷の中に収まった正方形のシートを大きく広げた。
『これは……?』
「私が編み出した遊びにございます」
正方形のシートには、四色に色分けされた模様が描いてある。
ドルドン神父の説明によると、両手両足を指定された模様の上に交代で置いていくらしい。先に転倒した方が負け、最後まで持ち堪えたプレイヤーが勝利となる。
所謂『ツイスターゲーム』にそっくりな遊戯であった。
老爺が編み出したこの『ドルドン・ゲーム』は、もちろん合法的に男子達との肉体的接触を図るために考案されたのだが、意外にも様々な場所で好評を博するなどして水面下での広がりを見せていた。
『これは“ドルドン・ゲーム”ではありませんか。そうですか、考案者があなただったとは』
「ご存知でしたか」
アーロスも名前くらいは耳にしたことがあった。若者達の間で人気だと聞く。俄然興味が湧いてきたアーロスと、乗り気な仮面の男を見て手を引くドルドン。
彼はあくまで「親睦を深めるため」と再三言い聞かせつつ、粘ついた涎を垂らした。
「なら話は早い。我々はここでくんずほぐれつするのです」
話を合わせろ、と心強い目配せをされていたアレックスが、いよいよ堪え切れなくなって拳を握り固める。
一度ぶん殴ってやろうか。そう思って首筋の血管が浮き上がる。そんな彼を見てドルドン神父は「大丈夫だから」と手で制した。何が大丈夫なものか。
その傍ら、結局この男は暴走するのか、とヨアンヌは柳眉を逆立てて頭を抱えた。お膳立ても何もない。普通に性欲に任せてアプローチをしているではないか。
「さぁ、ヤりましょう! 雑談でもしながら!」
『いいでしょう。久々に身体を動かして遊ぶのも楽しそうです』
手足をつける模様を指定される前に何故か四つん這いになり、大きな臀部をふりふりと揺らしながらアーロスを煽るドルドン。本当に気持ち悪い。アレックスは口元を押さえて表情を歪めた。
せめて見目麗しい男女が遊んでいるのなら耐えられたものの、目の前にいるのは仮面の男と気持ち悪い老人だ。
言ってはなんだが、このメンツならヨアンヌにやらせてナンボだろう。何故枯れた男同士の絡みを見せつけられなければならないのか。アレックスは頬を引き攣らせているヨアンヌの美貌で心を浄化させつつ、多面サイコロを握る。
(まぁでも、偶然を装ってタマに触るにはこれ以上ない機会っすね……ほんとムカつく。盤面を荒らして格上に果敢に挑みつつ自分の欲求も満たすこの男、はやく死んでくれないかな……)
ドルドンのことがすっかり気に入ったのか、雑談に興じるアーロスは襟元を弛めてゲームにやる気満々だった。
「……アタシ達は何を見せられているんだろうな」
「さぁ……分かんないっす」
「でもこれ、オクリーと一緒にやりたいな。考えるだけで興奮する。笑ってくれるかな」
「あぁ……そうっすか……」
金髪坊主は机の上にダイスを転がす。
全員最悪の人間だ。まさか、混沌を求めていた自分がここまでげんなりさせられるとは思わなかった。
溜め息を吐く男の前で回るダイス。
かくして、『ドルドン・ゲーム』が始まった。
☆
サレン・デピュティは、己の記憶を探るようにしてぽつりぽつりと話し始めた。
「アーロス・ホークアイ。年齢不詳。性別は……恐らく男性。
私が父から伝え聞いた話を話そう――」
三〇年ほど前。アーロス寺院教団が誕生する前、ゲルイド神聖国は明確に腐敗していた。
父の話ぶりによると、六〇年前に竜が大暴れしたのを最後に平和な世が続いていたため、国には平和ボケと腐敗が蔓延していたのだとか。
私が産まれる前のことだから詳しくは知らんが、違法な薬とやらも流通していたという。
メタシム地方出身のアーロス・ホークアイは、そんな腐敗の世を嘆いていたらしい。元より敬虔で真面目なケネス信徒であったアーロスは、国を変えるべくとある商会へ身を寄せた。
その商会は確か……イリジャード商会? とか言ったか。金儲け主義で、人間関係の希薄なサークルのような、当時の国にはありふれていた商会だ。
お遊びとはいえ少なくない金が入ってくる商会でアーロスは行動を起こした。それこそ、当時の最高指導者であった父の耳に入るほど、ゲルイド神聖国のためを思って行動した。募金をしたり公共事業を起こそうとしたりして、疲弊した地方の経済を回そうとしたんだ。
父の部下からは、馬鹿なヤツだと笑われていたよ。
実際、アーロスはカモだった。ばら撒いた金は誰かの懐に収まり、行くべきところに行かず……国の腐敗はおろか、地方の疲弊すら全く解消されなかった。奴には人脈がなかったんだ。
数ヶ月もしないうちに、アーロスは金で物事を解決しようとするのをやめてしまった。当時、そういう話はよくあった。アーロスもその一人だったというわけだ。
それから数年間、アーロスの噂は全くなくなってしまった。
次に聞いた話はこうだ。国立図書館に足繁く通う怪しげな男の姿を見た、と。
歴史や聖遺物に関する書物、学術書などを漁っていたようだ。
今なら分かる。奴は『黎明の七人』や『天の心鏡』に目をつけていたんだ。
その頃のアーロスは、持ち前の話術や巧みな心理掌握を駆使して、商会をすっかり乗っ取ってカルト集団に変えてしまっていた。国に愛想を尽かしたのだろう。再び父の耳に入った時、アーロスは小規模カルトの教祖として危険人物リストの仲間入りをしていた。
ここからは推察も混じえて話をする。
聖遺物『天の心鏡』は、人々の願望を増幅させて叶える神具だ。大衆の心が破滅を願えば破壊的な願望が実現するし、逆も然り。そんなことは滅多に起こらないが、『黎明の七人』が誕生したのは『天の心鏡』によるものだ。……アレは間違いなく本物の神具だよ。
アーロスが再び現れた当時の国勢は最悪だった。貧しい者は更に失い、富んだ者は更に手に入れる……中間層が非常に少ない時代だった。アーロスの他にも行動を起こしていた者がいたのに、その多くは腐敗に呑まれて潰えてしまった。
人々の生活は限界だった。追い打ちをかけるように大竜巻が街を壊滅させてしまい、生活は更に苦しくなった。故に、民の間で、全てを破壊する救世主を求める集合的無意識が形成されても仕方がなかったのだ。
それを察知して、父は手を打っていた。民衆と教会との分離を肌で感じ取り、正教の改革を次々に行ったのだ。旧態然としていたゲルイド神聖国の組織図を一変させ、魔法を駆使して腐敗した人間を消去して回ったと聞く。
恐らく父の脳裏にも『天の心鏡』のことが過ぎっていたはずだ。アーロスがカルトを作る前から国の改革は始まっていた。
しかしある日、この国の空に流星群が降り注いだ。
その日を境に、全てが変わってしまった。
――ここで、話題を『邪神』に移そう。
奴は夜を体現する神らしいな。
偶然にも、ケネス正教には夜や夜空を忌み嫌う伝承・伝聞が多々存在する。皆既日食、彗星の襲来、特定の形を描く星座は、人々の間で最大級の不吉の予兆とされた。
実際、そういう出来事の前後には厄災が多く起こった。
……そういう背景もあって、我々ケネス正教徒の間では、『特定の天文現象=厄災の前兆』だという確固たるイメージが形成された。これはもう共通認識で、そう簡単に振り払ったり拭えるようなものじゃない。心の底に刻まれた恐怖なんだ。
話を戻そう。
国民は天文現象を心底恐れている。
国が腐敗し、人々の生活は限界寸前。大竜巻が街を呑み込み、そんな時に史上初の流星群が観測されたら、人々の心はどうなると思う? 民衆の心を反映する『天の心鏡』はどんな願望を叶えると思う?
『世界の終わりだ』
『もう何もかも嫌だ』
『恐ろしい』
『怖い』
『神は我らを見放したのですか』
『こんな国、なくなってしまえ』
そんな不安定な激情が形を成して、この国を不利に導くような事象が起こったのだろう。
子供の頃の私も、この世の終わりかと思えるような光景に戦慄したのを覚えている。
願望の増幅器『天の心鏡』は、国民の不安を文字通り叶えてしまったのではないだろうか。そして多分、『この腐った国を変えたい』という国民の共通意識も合わさって、アーロス寺院教団が力を持ってしまったのだ。
今考えれば、あの大竜巻は邪神の仕業だろう。人々の心を絶望に陥れ、アーロスを生み出すための前準備とした。その方が、あの不自然な厄災にも納得がいく。
人々の熱量によって叶えられる願いの質は変わる。古の時代と同量の熱量を帯びた我々の感情が歪に実現して、邪教徒が生まれたのだ。
邪神は『天の心鏡』の存在を知っていて――聖遺物の性質とアーロスを利用して邪教徒を生み出した。
それが私の考察だ。
☆
サレンによるアーロスの過去と考察を聞き終えたオクリーは、深い納得感に包まれていた。
『天の心鏡』と『邪神』の情報とも合致するし、この世界の法則に則って力を得たアーロスの意志力には驚きを隠せない。
ただ、もう少し。
もう少しアーロスの感情を反映した『過去』を知れたら良かったのに。
そう思った。




