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九六話 HARD-ON


 俺達は本を読み耽り、激しい議論を交わした。気が済むまで言葉をぶつけた後、すぐに聖都中央の教会へと向かう。

 教会に向かうといっても、ポーメットの脇腹に抱えられて便乗する形なわけだが。


 雄大に聳え立つ幾重もの塔。周囲の歴史的建造物よりも抜きん出た豪奢さを持つこの建物こそが、大聖堂として知れ渡った最古の教会である。

 フードを被っていたポーメットが猛然と入口に突貫していく。衛兵達から見れば、素顔を隠した怪しげな二人が絶賛会議中の教会に全力ダッシュしてきている状況。彼らは天に向けていた矛先を何の躊躇いもなく突き出した。


 直前でポーメットがフードを脱ぎ去って素顔を見せると、彼らの槍は俺の目の前で急停止。前髪がはらりと束になって滑り落ち、肉を切られる前に事なきを得た。


「ぽ、ポーメット様!? 大変申し訳ございません!」

「いや、いい!」


 手短に切り上げたポーメットが、再び跳躍する。

 教会の中では、サレンを含めた上層部達が会議の真っ最中だった。


「失礼!」


 扉を蹴り開けるポーメット。俺は床に無造作に転がされた。

 回転する視界。嫌なところを強打して、くらくらする。呆れたサレンの声が頭のてっぺんに突き刺さった。


「ポーメット、会議中だ」

「重々承知しております」


 女騎士が円卓に手をつき、例の本を取り出す。


「とある書物を発見しました。邪教徒共を討滅するきっかけになるやもしれません」

「何だと?」

「カイル・デピュティ。サレン様の御先祖が著者です」

「!」


 サレンは呆れ眉を吊り上げて、有事の際のような顔つきになる。出席していた面々も、様子の違ったポーメットを止めなかった。


 その本の内容が会議出席者に回されていくと、教会内に議論が巻き起こった。

 こんなものは認められない、聖書や神を侮辱していると声を震わせる信心深い者。検証や考察の余地ありと現実的な意見を打ち出す者。いずれにしても、評価は二分された。


「聖書とも神学書とも歴史書ともつかん、不可思議な書物だな」


 サレンが零す。聖書とは、世界の成り立ちから未来の予言までを記したケネス正教の書物である。いつ書かれたのか定かではないが、簡単な内容は以下の通り。


 まず、神が世界を作ったこと。大厄災の発生によって守護者が生まれたこと。最後の文として、『終末きたるとき、すくうものが降臨する』という詩が記されている。

 神はひとりしかいない。世界を照らす太陽がひとつであるように。月は自ら光り輝く太陽の『影』と考えられ、神が唯一であることの根拠となった。厄災は夜にやってくるとされた。


「仮にこの本の名称を『カイル文書』とする。問題なのは、『カイル文書』が世間一般的な聖書の解釈と異なっていることだ」


 『カイル文書』に記された特筆事項は三つ。

 一つ。『邪神』が原初の世界――光のない闇の世界をつくったと記述されていること。

 二つ。闇の世界で勃発した神々の戦いにおいて、最終的に勝利を収めた一柱が現在の『唯一神』であり、『唯一神』がこの世界に光を与えたと回顧されていること。

 三つ。『邪神』の力は強大で、地上から『夜』は無くならず、復活を狙う邪神が今も世界に影響を及ぼし続けていると推察されていること。


 聖書の詩じみた内容と違い、断定するような文調で書かれていることから、カイル・デピュティは邪神の存在に相当の自信を持っていたのだろう。

 それか、大規模災害の際に古の文書が全て失われたとか、遥か昔は『失われし神々』の存在が今よりも強大であり、情報が失伝しなかったとか……。


「聖書とは相違点が相当数ありますな。度し難い」


 震える声で言うのは、神父ローウェイ。この場において彼ほど信心深い教徒は他にいないだろう。

 狂信、とまではいかないだろうが……俺のような無頓着な者と価値観が合わないのは早い段階で分かった。


(失われし神々に、知られざる歴史。アーロス自身は言わずもがな、彼が生まれた経緯には大きな力が働いていそうだな……)


 モンスターの誕生や歴史的災害の背後に邪神がいるのなら、自然とアーロス寺院教団の裏に邪神の後ろ盾が存在するのではという考えに行きつく。

 アーロスも邪神もケネス正教を酷く恨んでいるし、行動理念も一致する。闇を司る神と、アーロスが扱う底知れない闇の魔法……その性質も重なるような気がした。


「ケネス正教の最高指導者としては褒められたものじゃないだろうが、私はこの本が信頼に値する書物だと直感している」

「サレン様っ」


 サレンは俺達と同じく『カイル文書』に光明を見出したらしく、すっかり内容を信じ始めていた。逆に、ローウェイ神父は反抗的だ。


「囀るな、ローウェイ神父」

「その本は聖書の教えに反するのですぞ!! 焚書にすべきじゃ!!」

「聖書は我々が神の御心を勝手に解釈して文章に落とし込み、受け継いできたものに過ぎん。尊ぶべきは聖書の教えではない。我らが主の御心そのものだ」


 サレンはローウェイ神父の発言を撫で切った。

 中々に強い言葉で言い切るものだ。まるで、ローウェイ神父以外の反対意見を事前に封殺するかのよう。


 正教のトップにそう言われては、誰も逆らえない。ローウェイも味方がいないことを察してか、ぶるぶると震え始めた。


「違う――その本は聖書を愚弄している!!」


 唐突に、ローウェイ神父がサレンに飛びかかる。狙いは彼女の手にある古びた本だ。


「おっと」


 老爺の突貫など、サレンにしてみればママゴトである。ひらりと彼を躱した彼女は、ノウンに命じてローウェイを拘束させた。

 床の隙間から生えた(きのこ)が神父の身体を包み込む。その際、ローウェイが振り上げた杖がサレンの手にある本に掠った。


「!」


 本が落下する先には、何故か葡萄酒が並々と注がれた盃があった。いつの間にそんなものが置いてあったのかは分からない。

 偶然(・・)だ。大いなる力による不気味な偶然が、あの本を消し去ろうと世界を歪めたのだ。


 そして、その偶然に対抗できるのは俺だけだ。

 ノウンは植物の力を使っていて対応できない。サレンの隣にいた俺は、葡萄酒に浸される寸前の本をダイビングキャッチした。


「オクリー!!」


 ポーメットが近寄ってきて、立ち上がらせてくれる。本は無事だと伝えると、皆の表情が柔らかくなった。


 だが、直後。

 印象にすらなかった燭台が倒れてきて、盃のあった場所に突っ込んだ。


「はあ!?」


 燭台なんてこの部屋にあったっけ。少なくとも今倒れてくるなんて有り得ない丈夫な構造をしているはずなのに。

 盃は木っ端微塵に破壊され、燃え移った火が机やカーペットを焼いた。すぐに火は鎮火されたが、この場の誰もが言葉を失った。ローウェイ神父さえも困惑していた。


「見たかよサレン。この本を守る力が働いてる。この本の中身を知られたくないヤツがいるんだよ」


 自分でも確信した。やはり出来すぎている。『カイル文書』の記す通り邪神は存在するし、この世に影響を与え続けているのだ。

 得体の知れない力を感じ取ったのか、サレンは俺の手にある本を睨みつけた。


「どうやら、うかうかしている時間はないようだ。その本を複写させ、複数の管理庫で厳重に保管させよう」

「それがいい」

「それと……この場に同席した皆には、私が知る限りのアーロスの過去を聞いてほしい」

「!?」

「カイル文書の内容と併せて、皆に知ってもらいたい。父から伝え聞いた内容だが、今こそ話すべきなのだろう……」


 様々なことが起こった結果、サレンは心変わりするに至った。どのみちアーロスの過去は聞き出す予定だったので好都合。決意に満ちた彼女の瞳が、真っ直ぐこちらへ向けられていた。





 四角い箱のようになったドルドンは、ヨアンヌに手提げの如き雑さで聖都メタシムへと運ばれた。そして、『スカウト』という体で教団内に入り込むべく、満身創痍のままフアンキロと対面することになった。


「……何、この薄汚いジジイは」

「こんにちは!」


 自分の悲惨な格好など気にならないのか、フアンキロの蔑んだ声色を無視して溌剌な声で挨拶するドルドン。

 満身創痍ではあるが、擦り切れた服の下から覗く鍛え抜かれた鋼の肉体、とめどなく溢れる唾液――そして貼り付けた笑顔の裏に悍ましい何かを感じて、フアンキロは少し距離を離した。形容するなら、死にかけの蝉を目の当たりにして、最後のひと暴れを回避しようとする虫嫌いの人間だ。


「ヨアンヌ、これ(・・)は何なの」

「オクリーの代わりに持って帰ってきた期待の新人だ。ほらドルドン、わんと鳴け」

「わん」

「新人って年齢(トシ)じゃないし、犬にしてはデカすぎるわ。って言うか、その傷治してやりなさいよ」

「優しいこと言うんだなオマエ。……ほらドルドン、治してやったから立て」


 バキボキという音を立て、力づくでドルドン神父の折り畳まれた四肢が元の位置に戻される。乱雑な治癒魔法を受けて立ち上がった老爺は、大きく伸びをしながらゆっくりと息を吐いた。


 ドルドン神父の身長は一九〇センチを数える。フアンキロの身長は一六〇センチとヒール分の合計で、彼女からしても「こんなに大きな人間がいるのか」と驚きを隠せないほどその身体は分厚く巨大だった。

 人間は巨大な獣を前にした時、知らずのうちに固唾を飲んで立ち止まってしまう。今のフアンキロはまさにそれだった。魔法を持っているとはいえ、原始的なモノが湧き上がってきたのである。


「……それで、オクリー君の代わりにこいつを連れてきたって何? 意味分かんないんだけど」


 先の発言に引っ掛かりを覚えたフアンキロは、ほとんど裸の少女に鋭く切り返す。ヨアンヌは意地悪な笑みを崩さずに問いを躱した。


「まぁそう睨むな、コイツの経歴は中々凄いんだぞ。おいアレックス、説明してやれ」

「はいっす!」


 オクリーの代わりに満身創痍のデカ老爺を連れてきたヨアンヌに立腹中のフアンキロ。そんな彼女の前にスライディングしてきたアレックスは、ドルドン神父の輝かしい経歴を紹介した。


「このお方の名前はドルドンと言うっす。バキバキ現役七五歳。元ケネス正教の幹部候補なんすけど、政治的な争いに敗北して幹部に登り詰めることはできず、代わりに神父の役目を貰ったっす。それから少年を中心に強姦殺人を繰り返して、何の因果かオクリー先輩と出会ったっす。この人かなり凄い人っすよ、ほんとに」

「どこから突っ込めばいいの?」


 老人の転落人生が分かったところで何だと言うのだ。たとえ正教に仇なす者であっても、聞いている限りだとアーロス寺院教団に協力的なわけでもない。

 都合の良い嘘八百を並べ立て、命かわいさに邪教に取り入ろうという賭けじみた延命行為にしか見えなかった。フアンキロの経験上、そういう尻の軽い人間が最も信用ならないのだ。


 ヨアンヌの後ろ盾があるとはいえ、そもそも彼女自身が頭の悪い方である。口車に乗せられた可能性を考えて、フアンキロはカマをかける意味で『呪い』の発動準備に入った。

 オクリーのことは別に好きではないし、何なら嫌いな側の人間だが、代わりになれる者がホイホイ現れるとも思えない。いや、あの男は空前絶後だ。貢献度で言えば既に幹部候補第一番クラスなのだから。

 ……こんな萎びた老人が、そのオクリーの代わり? スカウトしてきたヨアンヌの勘違いも甚だしい。


 ドルドン神父の『顔』『氏名』『年齢』は今知った。あとは射程距離二メートル以内へ近づくだけ。フアンキロは半身で彼へ歩み寄る。

 次の瞬間、フアンキロは驚愕した。ドルドン神父が魔法の射程範囲から逃れるように半歩だけ後退したのである。


「!」


 まさか『呪い』の詳細を知っているわけでもない神父が、予兆を感じ取って魔法を回避したとでもいうのか?

 否、偶然だ。有り得ない。フアンキロは再度魔法を発動すべく気を練る。


 ――再び(・・)回避(・・)。大きく後退。

 ドルドンは今度こそ完璧な回避行動を取っていた。


 フアンキロの表情から全てが抜け落ちる。ヨアンヌが能力のことを喋っていたのか? いや、ヨアンヌは『呪い』の具体的な条件や制限を知らないはず。特に、射程範囲なんて弱点(ウィークポイント)は、誰であろうと話した覚えはない。仮にヨアンヌが知っていたとしても、ドルドンに話してしまうほど迂闊ではないはず。

 この老爺に初見で勘づかれたのだ。この女は何かを隠し持っている、と。老爺の顔を見ると、事も無げな荘厳たる表情であった。


 ――なるほど。ヨアンヌやアレックスは、この爺のこういう部分(・・・・・・)を見込んでスカウトしたのだろう。純粋な戦力として輝くものがある。

 オクリーが切れる頭を持っているのなら、ドルドン神父は天性の勘と戦闘能力を持っているのだろう。この警戒具合を見るに、二度と射程範囲内に入れさせてもらえそうにない。末恐ろしい男である。フアンキロは頬を綻ばせた。


「いいわ、あんたを認めてあげる。アーロス様が認めてくれるかどうかは別だけど」


 ドルドン神父は、フアンキロの拒絶的な態度が急に軟化したのを疑問に思う。

 我が強そうで、暴力的で、しかも嫉妬深そうな――恐らく最も苦手なタイプの()だから近づいてほしくなかっただけなのに、どういう心境の変化だろう。お互いに歩み寄ったわけでもないのに。


(確信。この女、ワシに惚れたな。ククク……冗談はやめろ、ブス。殺すぞ……)


 そう思いながらもドルドンは無言でいた。いちいち突っかかるほど間抜けでもない。


「何とかなるもんだな」

「美人っすけど当たりが強いんすよね〜」


 フアンキロに見送られた後は、三人で聖地メタシムを歩いた。

 ドルドンにしてみれば、軍の者から又聞きした噂でしか知り得なかった邪教の拠点――それも聖地とされる最も神聖な場所――を見学できるなんて二度とない機会だ。

 生来より邪教への興味が尽きなかったドルドンは、首を振りながらあちこちの風景を観察して回った。


「数十年前に訪れて以来だが、えらく変わったな」

「だろうな」

「して二人共、アレは何だ?」


 ドルドンは聖地メタシムに建てられた邪教のモニュメント――戦闘中に影を纏って戦う教祖アーロスを模しているようにも見える――を指差す。モニュメントの聳え立つ広場には、縋るようにして祈りを捧げる狂信者達の姿があった。


「普通に信者っすよ?」

「あぁ……いや、彼らも普通に祈るのだなと思ってしまった故の質問だ。又聞きか死体でしか邪教徒を知らぬ身からすれば、こんな当たり前の姿すら珍しく見えるものだよ」

「祈祷は信者の使命っすから。日没時には皆が一斉に祈りを捧げるんすよ〜」

「ほう。ケネス正教と差程変わらんのだな」

「沢山の人間が心の底から『何か』を崇め奉る……それだけで物凄いパワーになるっすからね」

「じゅるっ。アレックス君、君は神父に蘊蓄を語るのかい?」

「偉ぶるのはやめるっすよ、変態バカ神父」

「…………」


 反論できぬ事実に押し黙ったドルドンを見て笑うアレックス。そんな彼らの元に、偶然鉢合わせる形でポーク・テッドロータスが現れた。


「やあヨアンヌ」

「おう」

「あれ、そっちは初めて見るおじいちゃんだね。誰?」


 男装の麗人は気さくに尋ねる。

 ポークはおじいちゃん子である。邪教序列三位のシャディクに懐いているし、実年齢は不明だがそこそこ歳を取っているであろうアーロスも大好きだ。


 彼女が老人男性を好きな理由は、無意識下で「もう少しで死んでゾンビの素材になってくれそう」と思っているからだ。そんな利己的な理由はともかく――ポークは一回り二回り年上の男性には大抵好印象であった。

 ドルドン神父が薄汚れた正教神父の服を身に纏っているのは理解していても、ヨアンヌと共にいるという意外性もあって不快感より興味が勝っていた。


「このジジイは期待の新人ドルドンだ。アタシがそこら辺でスカウトしてきた」

「スカウトぉ? ヨアンヌが?」

「おう」

「珍しっ」

「よろしく」

「わぁ、丁寧にどうも。よろしくね、ドルドンおじいちゃん」


 ドルドン神父はヌッと手を差し出す。一直線に向かうはポークの下腹部。そのまま揉みしだいてやろうと思っていたが、近くに寄ったことでポークが男装の麗人であると気づいたドルドン神父は、自然な感じで握手の動きに軌道修正した。

 ポークとドルドンがガッチリ握手する傍ら、アレックスはこの男の見境のなさというか、この期に及んで男漁りを続けようとする豪胆さと性欲の強さにいよいよ恐れ入る気持ちだった。


「おじいちゃん、筋肉あるし結構強そうだね。仮に死んでもちゃんと有効利用してあげる」

「死んだ後の我が身に興味はない。好きに使ってくれたまえ」


 その割り切った言い様を気に入ったポークは、ドルドン神父という人間を様々な質問で掘り下げ始めた。


「おじいちゃん、趣味は?」

「チンコ、亀頭、尻、殺人」

「鎮魂……祈祷? その後は何て言ったの? でも、神父らしい嫌味な趣味ばっかりなんだねぇ」

「うむ。忌み嫌われ追放されてこのザマだ」

「ケネス正教ってそうだったの!? 鎮魂と祈祷が趣味の真面目な神父なのに!」


 どこか噛み合わない会話。女であることを知った瞬間興味をなくしてぶっきらぼうになったドルドンと、そんな神父を更に知ろうとするポーク。

 こんな最低最悪の元神父でも、彼はアーロスの過去を解き明かすためのキーマンだ。アレックスはこの老爺がいつ暴走するか冷や汗が止まらなかった。いや、もう暴走しているのだが。


 しばし話した後、三人は満足気なポークと別れた。

 ヨアンヌはドルドンの尻に蹴りを入れる。


「何をする」

「オマエ、バカか?」

「何故だね?」

「ポークに金玉は付いてねぇよ」

「ヨアンヌ様、突っ込むところはそこじゃないと思うっす」

「黙れ。オクリーの唇とアレックスの身体、オマケでアーロス様の金玉までサービスしてやったのに……オマエの性欲は収まるところを知らないな」

「自制の努力はする。だが、これがワシの原動力じゃ」


 ポークが男子であれば、ドルドン神父の『リスト』に見事記載されていただろう。一瞥した時、それくらい魅力的な美男子に見えたのだ。その分落胆も大きい。よりオクリーの唇が待ち遠しくなってくる。

 恋人との純愛バードキスを想起して、ドルドンは皺の刻まれた乾燥気味の唇をちろりと舐め上げた。


 アレックスはこの男のいやらしさを改めて感じていた。ドルドン神父は、自分が重役を担っているが故、ある程度の自由を担保されていると気づいている。だから己の行為を改めようとしないのだ。


(夜が怖いっす。自分、絶対襲われるっす……)


 ほとほと呆れ返るアレックスの前を、完全に目がイッてしまった信者が走っていく。


「増強! 増強! 増強! 増やさなきゃ! 増やさなきゃ! 増やさなきゃ!」

「何だアレは」

「あ〜アレは人間生産施設の回転数を上げてハイになってるヤツだな」


 その信者は居住区と地下施設への階段を行き来しているようだ。重労働に耐えかねて精神が壊れかけなのかもしれない。


「聖都サスフェクト襲撃作戦が迫っているから、そんなことをしているのか」

「知ってるんすね」

「オクリー君から聞いた」


 ポークの『死体』を操る魔法があれば、培養槽で自我や精神を構築する数ヶ月の時間すら必要ない。つまり、孕み袋から生まれた子供達の肉体を成長させ、その完成した身体をさっさと毒で浸して屍の兵士に仕立てあげてしまおうという算段だ。

 理にかなっている。が、人間の尊厳を究極的に冒涜する行為だ。ドルドン神父の真人間だった部分が拒絶反応を起こす。

 しかしそのうち、ゾンビの身体はどんなだろう、先程のポークとやらに頼んでみようか、なんて考え始めて、全てどうでも良くなった。


 しばらく街を彷徨って、夕陽が空の彼方へ吸い込まれていく頃、仮面の男が帰還した。


「アーロス様!」

『おや、ヨアンヌ。お疲れ様です』

「……ごめん、オクリーを取り返せなかった」

『気にしないで。これまでのあなたの活躍を考えれば、この程度の失敗なんて可愛らしいものです』


 アーロスと初対面を果たしたドルドン神父は、七〇年以上の年月を生きてきた中で、最も『変な感じ』を覚えていた。

 この『変な感じ』は非常に形容しにくかった。例えば、ポーメット・ヨースターという正教の武神がいる。ドルドンがポーメットと会った時は、自分の存在が呑み込まれそうなほど強烈な存在感と、彼女の身体に通った一本の芯を感じたものだ。


 アーロスは違った。粘ついた違和感が付き纏ってくるような、そんな気持ち悪さ。それが幾重にも重なって、アーロスという存在を覆い隠しているように思えた。


「お初にお目にかかります、教祖アーロス様。当方、元正教神父のドルドンと申します」

『……彼は?』

「スカウトしてきた殺人鬼っす! 北東支部の精鋭にも引けを取らない戦闘力があるっすよ」


 平然とアーロスを騙しにかかる一同。アーロスは信頼している部下の言葉に口を挟むようなことはしなかった。


『そうですか。ヨアンヌきっての頼みとあらば、仲間に迎えないわけにはいきませんね』

「良かったなドルドン!」

『しかし、経歴が経歴です。一度、頭の中を覗かせていただきましょう』

「…………」

『見たところ、かなりの精神力の持ち主のようですね。なら、数秒くらいは耐えられるでしょう』


 有無を言わさず、闇を纏った手がドルドンの頭頂を鷲掴む。

 アレックスは悲鳴を上げそうになった。神父の脳内にはヨアンヌの叛逆の計画が詰め込まれている。それに加えて、ドルドンがオクリーへ(ピュア)(ラブ)を向けていること、ヨアンヌがアーロス殺害を企ててドルドンを送り込んだこと――全てが核爆弾の如き重要事項だ。見通されれば謀反で死罪である。


 しかし、アーロスはピクリとも動かなかった。

 代わりに、仮面の下から困惑した声が響いた。


『……金玉?』

「…………」


 ヨアンヌ一行が沈黙する。


『何ですか、金玉って』


 アーロスが神父の脳内に見たものとは――

 ――オクリー・マーキュリーへの愛と、『金玉』だけだった。


『…………』


 アーロスは絶句する。何度見ても上手く記憶を見られない。というか、オクリーへの狂愛と『金玉』ばかりが流れ込んできた。


『な、何なんですか……“金玉”って……』

「――『金玉』。別名『睾丸』『精巣』とは――ウグッ!? 何をするアレックスっ」

「すすす、すみませんっしたぁ! このバカ神父、ほんとに変態でっ! アーロス様にお見苦しいものをお見せしてしまい、大変申し訳ないっす!! どのような処罰でもお受けするっす、はいぃ!!」


 金髪坊主はドルドンの爪先を思い切り踏んづけた。

 いつか見た光景が再現されて、アレックスの胃は破壊される寸前だ。混沌の道化師も、心の中で辟易した気持ちが湧き上がるほどだった。


(さてドルドン、準備はいいか)

(うむ。――さぁ、ヤツの金玉を触るぞッ!!)


 ヨアンヌとドルドンは顔を見合わせる。

 ドルドン神父が教祖アーロスと直に触れ合える機会なんて、数える程しかないだろう。どさくさに紛れてアーロスの金玉を掠めるなら今だ。


 アーロスの『過去』へ至るため、三者三様の戦いが始まっていた。


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