九五話 いたずら好きな……
俺はアーロス寺院教団の孕み袋から誕生した没個性的な男子だ。
教育課程の中で聞いた話だと、アーロスは神の使いというか神そのものらしい。かなり昔のことな上、内心くそみそにこき下ろしながら聞いていたため、ぼんやりとした記憶だが……真面目に聞くだけ無駄な捏造の話だったのは確かだ。
じゃあ原作ゲーム中で如何様な説明をされていたのかと言うと、こちらでも割とぼかされていた。
異分子、仮面の男、悪のカリスマ、最凶の人格者、サイコパス……。アーロスを形容する言葉は数多存在するが、その正体に真に迫ったテキストはあまり出てこなかったように思える。
俺は所謂『考察勢』ではなかった。
恐らく、原作ゲームのテキストを網羅し、その上で考察を重ねていれば、アーロスの正体に行き着くことができるのだろう。
今こそ、それをする時だ。
正教兵と和解した翌日。泥酔して泥のように眠る兵士に囲まれていた俺は、幼女の声とフライパンの轟音に思わず背筋を伸ばした。
「起きんか、たわけども! 新しい朝が来たぞ!」
実験場に積み重なる死体のような兵士達に向けて、ノウンが叫ぶ。どこから持ち出してきたのか、彼女が操る蔓の先にはフライパンが一〇個ほど握られていた。
「うるせぇ……!」
「ノウン様ほんとに勘弁して〜……」
からからと笑いながらフライパンをかき鳴らすノウン。俺は思うところがあって眠れなかったから良いけれど、悪酔いして爆睡していた兵士達にとってこの音は不愉快すぎる。
彼らは耳を塞いで苦しんでいたが、やがて我慢ならなくなって疎らに起床し始めた。
「ノウン、物を粗末に扱うな」
フライパンを乱暴に扱ったせいか、静かに怒った様子の女騎士ポーメットがノウンの蛮行をやめさせた。目を覚ました兵士達は持ち場に戻っていった。
結構な騒音を鳴らされてキレない兵士はやっぱりメンタルが強いなぁと思いつつ、俺はポーメットを手招きをした。
「何か」
「聖祭までの間、誰が俺を監視するんだ?」
「ワタシということになっている」
クレス達は洗脳返しの更なる研究のため手が離せないのだろう。
俺はこれから外に出て、ケネス正教の歴史を調べようと思っているところだ。図書館等の場所に出入りするためには幹部の顔パスが必要になるはずなので、幹部がついてくるのなら誰でもよかった。
「お前はケネス正教に詳しいか?」
「それはどういう意味だ? 教義? 文化? それとも歴史的な意味か?」
「歴史的なアレだな」
「歴史か。まぁ人並み以上の自信はある」
「そうか。なら、アーロス寺院教団の成り立ちについては?」
「……ぼんやりとしか知らんな。いや、聞いたことはあるのだが、いまいち要領を得なかったと言う方が正しいか。詳しいところはサレン様しか知らぬようだ」
「なるほどな」
やはり国のトップであるサレンはアーロスについて何か知っているようだ。原作テキストでしか世界を知らない俺よりも、現実として体験してきた彼女の方が何倍も物知りなのは当然か。
(触れられる程度とはいえ、諸々の情報が明かされたのは、サレンのルートと正史ルートくらいか。やはりサレンとも話がしたい……が、アーロスの過去を掘るよりも先にするべきことがある)
「で、何をするつもりだ?」
「国立図書館に行って歴史書や古文書を調べたい。アーロス寺院教団の性質を解き明かしたいんだ」
これは俺の予想だが、古の時代について記された文書を辿れば、世界のシステム――『科学』というルールに従っていた現代とは違って、魔法や『神』の力に強く縛られているこの世界の法則――が分かるはずなのだ。
この世界を外から見たことがあるのは俺だけであり、メタ的視点も用いて世界の法則を解き明かす。そして、その法則から逆算して『アーロス寺院教団』を撃滅する手立てを考えるのだ。
何故、たった一人の男が自死を選んだだけで邪教が生まれたのか。
たんに『死』がトリガーであるなら、あちらこちらに宗教の『主』が生まれてしまう。
彼の自殺は、他の死と何が違っていた?
世界の法則をどのように利用して宗教の祖に成った?
俺は知らなくちゃならない。
ケネス正教の『唯一神』は、選ばれし七人の信者に力を与え、『聖遺物』という魔道具を現世に遺すに至った。
現在、アーロス・ホークアイという人間は、その『唯一神』とほとんど同格の扱いを受けているように思える。実際、邪教徒に対して力を与えることが出来ている以上、彼の格は『神』や『主』のそれに近いものなのだろう。
――でも、それはおかしい。
感覚頼りではあるが、俺にはアーロスが神同然の存在だとは思えなかった。
あの男は確かに妙な雰囲気を纏っている。間違いなくカリスマだろう。ただ、神話を今から始めようという伝説の人間には思えないのだ。
――例えば、奴には“いたずら好きな神”の後ろ盾がある、とか。
そんな仮説があった方が、今の彼の状態には納得がいきそうなものだ。
とにかく、国立図書館の蔵書を漁り、全てを理解する。その上で議論を重ねなければ、とてもじゃないが、この大きな謎を解明することなんて不可能だろう。
「後々、この国の賢人と話す必要があるかもしれない」
「邪教徒を倒すために知識人との議論が必要なのか」
「そう、とにかく俺だけじゃダメ……皆の知識がいるはずだ」
日本の常識を根本としている俺が一人で考えたところで、見えないこともあるだろう。ケネス正教を身に染みて理解している知識人――幼少の頃からゲルイド神聖国で育ってきたような人間が必要になる。
アーロスの過去を話したがらないサレンも、引っ張り出して話させなきゃいけない。
「サレンはいつ暇になりそうだ?」
「サレン様は先程教会に向かわれた。上層部を集め、改めて各所に指示を出されるそうだ」
「……そうか。いや、分かった。アーロスの過去はやっぱり後だな」
まずは世界の法則を探りに行こう。
外に出ようとしたが、そういえば、と思って立ち止まった。
俺、外出を禁じられていたんじゃなかったか。くそっ、早く調べたい。『幻夜聖祭』が始まるまでうかうかしていられないのに。
「……ポーメット? 何してる」
視界の端でポーメットがモゾモゾしていたので声をかけると、彼女はあっけらかんとした様子でこちらに向き直った。
「何って、図書館に行くんだろう? これを被っておけ」
放り投げられたのはフード付きの外套。慌ててキャッチした。
「外出許可は出ているのか?」
「監視兼護衛がついていれば問題ない。そのような伝言をサレン様から頂戴している」
「それはそうだが……」
「心配か? あまり舐めるな。聖都で泳がせていた邪教の諜報員を利用して、この街に潜んでいた敵は大半始末している」
「そ、そうか、そりゃ凄い……!」
今までずっと正教側が泡を食わされていたから忘れていた。邪教徒は強いが、ケネス正教もまた怪傑揃いなのだ。そんな奴らが知略を巡らせて邪教徒に対抗しているのだから、こうした成功があってもおかしくない。
これまで独りで戦い続けていたからだろうか、流石に心配性が過ぎたようだ。俺はもっとこの人達を頼ってもいいのかもしれない。
「この街の有象無象を片付けるついでに、『幻夜聖祭』に向けて造られたであろう簡易拠点を破壊した。街の外れの洞窟にあった中継地点だ。少なくとも今後一週間は邪教徒の来襲に怯える必要も無いだろう」
渡したフードはあくまで念の為だ、とポーメット。聖都の安全には自信アリというわけだ。
「……心配し過ぎだったみたいだ、気遣い助かるよ」
「あぁ。では、図書館に赴くとしようか」
出ていく前に周りを見渡す。マリエッタがいなくてホッとする自分がいた。
「マリエッタは?」
「さあ? 連れていきたいのか?」
「……分からない。あの子は苦手だけど、見捨てようとも思えないんだ」
「お前、案外頑固だものな。良い意味でも悪い意味でも」
「どういう意味だ」
「ふっ。行くぞ」
勝ち誇ったような顔。長い睫毛が伏せられて、肩をポンと叩かれる。勝手に腹の底を理解されたような気がして、無性にモヤモヤしてしまった。
ともかく、マリエッタは外しているようだ。彼女に特別な用があるわけではないが、まぁおっぱいを吸わせてもらった仲だ。気にかけたくなるのも致し方ないだろう。
外套を羽織り、周囲から顔を見られないようにフードを深く被る。
ポーメットもまたフードを被って正体を隠すようだ。
「時間は待ってくれないぞ」
ポーメットに尻を蹴られながら外に向かう。盃を交わした兵士達と会釈しながらすれ違って、蟠りを解消したホセと話してから別れて、厳重な植物の扉の二重扉を潜る。
「――外だ」
言葉通り、俺は外にいた。ゲルイド神聖国の首都、膨大な人口と土地を抱える最大にして最古の街……。
空が青い。何と言うか、機密にされているはずの『実験場』関連施設と外界の隔たりがあまりにも曖昧というか、こんなにあっさり外に出られて良いのかという驚きがあった。
突然、ばちんという弾けるような音がする。
振り返ると、『実験場』の建物が消失していた。
驚きつつ近寄ってみると、建物があった場所に微弱な紫電が迸っていた。
クレスの魔法による迷彩だ。道理で内側から外を見渡すことができたのか。建物を隠すなら街の中――的なやつだろう。確かに、広大で複雑で高低差もある聖都の街並みなら、こういった運用方法も有効になる。
段々と聖都サスフェクトの地図を思い出してくる。モニターで見るよりもずっと大きく、古臭くて、人々の生活の息遣いが感じられる街だった。
「これが、聖都の街並み……」
自然と足が動いて、大通りの方へと歩き出していた。
街を歩いていると、あちこちに目が移った。
凄い。とにかく活気に溢れている。人々の往来が多い。馬車が走っている。商業地区ではとにかく商売が盛んで、値切りを要求する声とこれ以上はまけられないという声が飛び交っている。
突如として襲ってくるモンスターや邪教徒、ドルドンのような異常者に怯えなくても良い『普通』の街。その有り難さがあまりにも身に染みた。
「そこのフード被ってるキミ! これ買ってくかい!?」
「……?」
日に焼けた若い兄ちゃんがよく通る声で話しかけてくる。
ポーメットが数歩控えた位置で俺のことを見ている。程々にあしらえよ、という感じだった。
で、彼の言う『これ』とは、シャコともムカデとも似つかぬような謎の蟲的な何かだった。
「……これは?」
「こりゃ海の幸ですわ! キミ、旅人かい? 美味いんですわぁコレが」
「…………」
いや、普通にモンスターだろう。
どこかで見たことがある気がする。原作のフィールド採取素材とか、ドロップ報酬だろうか。いや、違う。もっと身近なもの……。
――そうだ、ホイップ=ファニータスクの『ミルクちゃん』だ。
あの蟲とは外見が少々違うようだが、街ではこんなゲテモノが売り捌かれているのか。
目線でポーメットに確認を取ると、「それは海の幸だ」と深々頷かれた。俺の知らない食文化があるらしい。
押し売りはやんわり断った。
「前話さなかったっけ。邪教の北東支部にはホイップ=ファニータスクっていう凄腕の信者がいて、身体の中に甲殻虫を住まわせてるって話……」
「知らんな。しかし、農作物にポークの屍毒が混入される事件が起こってから、モノを売る際は国の認可を得なければならなくなっている。問題はない」
「……そうか」
「アレは本当に海の幸だ、断じてモンスターではない。かなり美味いぞ?」
「や、それは遠慮しておく……」
恐らくは前後関係が逆で、海の幸とやらがホイップの蟲に似ているのではなく、ホイップの蟲が海の幸に似ているのだろう。『ミルクちゃん』単体で街に潜入するための布石という可能性もある。
聖都サスフェクト襲撃作戦の失敗は許されない。ホイップを含めた北東支部の精鋭達が事前に街に潜入してくるのは安易に予想がついた。
調べ物が終わったら、改めてホイップ達の危険性や特徴を伝えることとしよう。
商業エリアを抜けて街の中心部に向かうと、一気に人の質が変わった。
聖都の中心にある最大最古の教会で祈りを捧げようとする敬虔な信者や、俺達のように公共施設を使うためにやってきた市民が明らかに増えた。
「そこを右に曲がった場所に国立図書館がある。一般の利用者や学生もいるから、くれぐれも気をつけろ」
「了解」
国立図書館に入ると、ポーメットが受付や衛兵に素顔を見せて話をつけてくれた。
厳重な警備と魔法防衛システムを越えて図書館の一般人立ち入り禁止エリアに入った俺は、周辺に誰もいなくなったことを確認してフードを脱ぎ去った。
「フードを被ってるとアーロス寺院教団時代を思い出すな」
制服姿の学生、余暇を持て余した老人などもいない。俺達が通された部屋は貴重な歴史書や古文書を貯蔵する書庫になっていて、紙とカビの臭いが一際強く漂っていた。
ここにケネス正教の歴史を示した本があるはずだ。
「ポーメット、一緒にそれらしき本を探してくれるか」
「うむ。……お前、字は読めるんだな」
「一応な」
「そうか。良いことだ」
摩天楼のように立ち並ぶ本棚の中から目当てのモノを探す中、ぽつりぽつりとした雑談になる。
「そういえば、培養槽から産まれてきた信者は識字教育を疎かにされてきたような気がするな。大抵成り上がるのはスカウトされた奴とか攫ってきた普通の子供だし……」
「…………」
「あ、そうか。使用用途の違いか。雑兵役として作った頭数だから、知識を与える意味がないって思ってるんだろうな」
「気が滅入る話はやめてくれ。……本当に、お前の存在は奇跡なのだろうな」
「う〜ん……奇跡にしては下品すぎる」
「どういう自己評価だ」
「…………」
雑談にしては重すぎる内容かもしれない。
時々生まれる微かな笑いも、どこか肌寒い。沈黙が重くのしかかった。
「文字が読めない、言葉を知らない。それは選択肢の狭さを意味する。分からないことが分からないのは残酷だと……そうセレスティアが言っていたのをよく覚えている」
「あぁ……」
「あの子は民の教育水準を上げることに腐心し、その必要性を熱心に解いていたなぁ。……ワタシにはその重要性がよく分からなかったが、今なら分かる気がするよ」
寂しそうな声色。正教幹部達は強い信頼関係で結ばれているが、とりわけ皆からセレスティアへ向けられる感情は大きいように思える。
心を擦り減らす毎日でも、良識的で善性に溢れていて、明るい彼女の存在は密かな支えになっていたのだろう。
今の正教幹部の様子を見ていると、皆の兄貴分クレスが若干無理をしつつ彼女の役目を引き継いでいる感じがある。精神的な観点からも、セレスティアを早く取り戻したいものだ。
「お」
「ん?」
「ポーメット、これ……」
こっちに来いと手招きすると、ポーメットがひょこひょこと近づいてくる。
――偶然目についた本だった。
タイトルもないのに、職人技の刺繍や装丁が施されていて、ずっしりと重い歴史の貫禄を感じさせるような……どこか特別な本だった。
「この本が何だと言うのだ」
ぶつくさ言いながらも、女騎士は本を手に取って内容を吟味し始める。
頁を捲ると、意味不明な文字列が刻まれているのが見えた。恐らく古代文字か何かだ。
「ポーメット、読めるか?」
「……あ、あぁ。古代文字はセレスティアに教えてもらって……。しかし何だこの本は、見たことも聞いたことも……」
食い気味に本を開いたポーメットの低い声が、内容を読み上げる。複雑な言葉があって解釈に困った部分もあるのか、時々黙り込みながら、つらつらと文章を音読していく。
「――はるか昔、柱たちは壮絶な戦いの中にあった。殺戮、裏切り、同士討ち……その果てに勝利を掴み取った『唯一神』が、我らの天上を治めたのだ」
これは、数百年、ひょっとすると数千年前に書かれた歴史書で、古の時代におけるケネス正教の成り立ちを詳細に語る本なのだろうか。
突然この世界の重大情報を聞かされて、身が引き締まるような思いになった。
「敗れていった柱たちは霧散した。人々の心から忘れられ、次第に名前も姿も消失していき、『失われし神々』とよばれた」
「しかし、最古の柱は『唯一神』に抗った。偉大なる闇の神……夜にまぎれるかのものを消し去ることはできなかったのだ」
一言一言を噛み締めるような声。彼女の凛とした声は、すっと溶け込むように俺の脳へ浸透し、頭の回転を促進させた。
この本が書かれた当時でさえ、これらの話は遥か過去の出来事だったらしい。
『失われし神々』のうち、最後まで消滅しなかった一柱。曰く、その名は――
「――『邪神』」
「――『原初にして世界を産み落とせし神』」
「――『闇を司る神』」
「――『いたずら好きな神』」
――様々な異名を以て語られていたらしい。
「いたずら好きな神……だと?」
俺はその名称に嫌な聞き覚えがあった。
それはふとアクセスした『幽明の求道者』ファンサイトの考察スレッドにおいて、まるで常識のように使われ語られていた単語だ。原作の端々から拾ってきた資料を読み込んでいることが前提で、その意味さえ教えてくれない閉鎖的な雰囲気についていけなくて、俺はファン交流スレッドを覗くことをやめた。
物語の核となる情報は、原作ゲームに転がっていたのだ。この世界に転生することが予想できていたら、嬉々として考察スレに入り浸っていたのに。本当に、神ってやつは転生する人間のチョイスを間違えてやがる。
「ポーメット、俺はその邪神とやらが重要な存在だと考えている。他に情報はないか?」
「この章にはまだ続きがある。どれ――……邪神は恨みを晴らすべく、太陽の子へ攻撃を仕掛けた。……それは魔獣の誕生、龍の息吹、大地の揺動、迫り来る海水の壁となって人間へ襲いかかった……」
――邪神の攻勢に対抗するため、唯一神は人の子たちに『鏡』を与えた。
人の願望をうつし、増幅させて現実に顕現させる魔の鏡……。
「――『天の心鏡』のことだ」
ごくり。いよいよ良く知る『聖遺物』の名前が出てきて、俺達は生唾を呑み込んだ。
この本は何なのだ。どうしてここまで詳細に古の時代を語った本が出てくる? 疑問はつきないが、本の流れを塞き止めるような無粋な真似はできなかった。
「それから『黎明の七人』がケネス正教を救ったことは言うまでもない……と書かれている」
「て、手がかりが掴めてきたぞ……」
邪神。唯一神。天上。太陽の子。キーワードは揃ってきている。
だが、今の俺達には嫌な違和感が拭えなかった。この本の存在は、あまりにも都合が良すぎたのだ。
「こ、この本は今まで取り沙汰されることがなかったのか? こんなクリティカルな内容、誰かの目に止まってもおかしくないだろうに……」
「それはワタシも気になっていたところだ。ノウン、セレスティア、ジアター、サレン様は国立図書館の本のほとんどに目を通していたはず。……有り得るのか? あの四人の網を潜り抜けて、偶然放置され続けたなんてことが……」
偶然、目に入らなかった。死角に入って気づかなかった。
偶然、この本を手に取る前に急用ができた。出動命令があった。
そんな悍ましいほどの偶然が、この本を守っていたとでもいうのか。
「有り得ない……」
ひとつ言えるのは、因果の外からやってきた俺が偶然この本を手にしなければ、恐らくこれは永遠に日の目を浴びぬままだったということ。
呪いとも祝福ともつかぬ、何か大きな力によって守られた歴史書。
『聖遺物』とはまた違う、まさに『魔力』に満ちた魔書だ。
ポーメットは頁を遡って著者の名前を探し当てた。
「――カイル・デュピティ……サレン様の御先祖だ……」
「…………」
寒気が止まらなくなってくる。必死に自分の身体を抱き締めた。
自分の身体がこんなにも頼りなくなったのはいつぶりだ。
「……天上を治められたのは我らの主、そして太陽の子はケネス正教徒のことか……?」
ポーメットが真っ青な顔色で考察を口走っている。
彼女もひどく動揺していた。あの武人ポーメットが、わなわなと震えていた。
「……『邪神』とやらの見えない力がこの書物を埋もれさせていたのか……? それとも、『失われし神々』になった邪神の存在が、この本と歴史を巻き込んで忘却されたことで偶然この本が守られた……?」
ポーメットは更に頁を捲る。
「――太陽の子らに降り注ぐ厄災は質も量も異常なほどである」
碧眼が高速で廻る。
「わたしは確信した。『邪神』が怨嗟のため、厄災に姿を変えて我らを攻撃していると」
滝のような汗が、床に滴り落ちる。
「世界を照らす太陽に成り代わって、再び世界を闇で覆わんとする邪神……やつは虎視眈々と復活の時を待っている」
「人の心の闇にまぎれて……ずっと……」
「……この本を遺すことで、後世への警告としたい。厄災尽きぬ我らの世界に、どうか暖かな平和を」
「天上におわします唯一絶対の神よ、か弱き我らに祝福を与えたまえ。救いを与えたまえ」
「そして、この本を読んだ者に伝えたい」
「悪意にまけてはならない……」
カイル・デュピティの警告は、邪神が引き起こした偶然によって埋もれていた。
そして、幾年もの時を経て、此処に辿り着いた。
これは運命のいたずらか、それとも……。




