八七話 実験場の森にて
枝葉の擦れ合う音が鳴り止む。マリエッタに口を塞がれていた俺は、視線の先から見覚えのある少女がやってきたことに気づいた。
鬱蒼と茂った木々の枝葉の隙間を割って、巨大な葉に乗せられた魔法使い風の少女が俺とマリエッタの頭上で静止する。
「ノウン様……」
彼女の姿を見て、俺は首を絞められたかのような声を漏らしてしまう。
一七〇センチの俺より頭二つほど小さな少女。確か身長一四八センチのその女の子は、ケネス正教の防衛機構や食糧生産体制強化に携わる――言わば彼らの生活を根底から支えるケネス正教幹部序列六位の魔法使いだった。
ノウン・ティルティ。何故こんな場所にやってきたのだ。
もはや『幹部』という存在そのものに良い印象を持てていない俺は、ゆったりとしたローブに身を包む少女に目を奪われて動けなくなった。
両脚をぶらぶらと動かしながら目と鼻の先まで降りてきたノウンは、正教兵の格好をしたマリエッタを見て小首を傾げる。
「おぬし……ポーメットの部下のマリエッタじゃな?」
「はい。お久しぶりです」
「こんなところで会うとは偶然よのう。何をしておる?」
「実は色々と立て込んでて……あたしも何が何やらで」
「まぁ……真面目一徹のマリエッタのことじゃ、その男と逢引の最中でもあるまい?」
マリエッタは俺に覆い被さるようにして身を挺していた。傍から見れば俺を襲おうとしているように見えなくもない。
「そ、そんなわけっ! この人は別に、そういう人じゃ――」
かっとなって言い返そうとしたマリエッタが俺から離れる。少し落ち着いたところで、ノウンは触手のように伸ばした植物の蔦や茎を操って、視界の奥から複数の荷物を運んできた。
何かと思えば、六組の服ではないか。根や茎に絡め取られ、洗濯物のように吊るされている。
ただ、何か変だ。生乾きの昆布のようなものが張り付いているように見えた。
不可解さを感じて目を凝らしてみると、服の隙間に詰まっていたのは人間だった。中身を吸い取られて萎びた肌が露出していたのだ。
薄く引き伸ばされた六つの死体を吊るし上げたノウンは、俺達二人にひけらかすようにして事情を話し始める。
「見よ。こやつら、わらわの実験場に迷い込んだ邪教徒じゃ」
邪教徒? ……まさか、俺を監視していたヨアンヌの手下なのか?
であれば、この六つの死体は恐らく俺を監視するための精鋭部隊・アレックス隊だった者達だ。
だけど、死体の中に特徴的な金髪坊主・アレックスの姿はなかった。
一つだけ頭のない死体があったが、記憶の中の彼とは体格にかなりの差があるように思える。中身が無くなったせいで見劣りを感じているのかもしれないが――とにかくアレックスは死んでいない。そんな確信があった。
アレックスはヨアンヌとはまた別の底知れなさがある。あれほど不気味な人間、ノウンの襲撃から逃げ延びていなければ嘘だ。奴はここで死ぬようなタマじゃない。
しかし、ノウンの手によってアレックス隊が半壊したということは、教団やヨアンヌからの直接的な監視が完全に無くなったということだ。ヨアンヌやアレックスに助けられていた場面は多かったが、彼女達は教祖アーロスと繋がっている。根本的に信頼し切って良い奴らじゃなかった。
そんな彼女達との繋がりが一部断たれたと分かって、少しだけ肩の荷が下りたような気がした。まだ完全な解放だと確定したわけではないのに、暗雲が晴れたかのような気分になってくる。……ノウン・ティルティが味方ではなく新たな刺客かもしれないのに。
(……俺はノウンの好き嫌いまでよく知ってるけど、この子からしたら俺は見知らぬ邪教徒だ。ヨアンヌの薬指が無くなってアレックス隊の庇護下から離れた今、これからは本当に誰の助け舟も入らない。言動ひとつで生死が分かれることになる……)
記憶喪失状態の俺はアレックス隊の加護を受けていた。ドルドン神父に目をつけられて殺されかけていたあの時、アレックスが円卓会議に姿を現したのが何よりの証拠だ。
アレがなければ、ドルドン諸共俺は死んでいただろう。記憶を取り戻した今、ヨアンヌやアレックス隊の加護は消え失せた。トレードオフで前世の知識を思い出せたという点で優位に立てそうな分野もあるが、この世界には知識を持っているだけでは回避できない危険もある。
今の孤立状態が吉と出るか凶と出るかは……まだ分からない。
「おぬしら、この森に近づくなと告示されていたのを知らぬわけではないだろうな? この者共のような末路を辿ることになるぞ」
ノウンは冗談か本気か判別できぬ声色で脅してくる。
ノウンの魔法は植物に魔力を流し込み、異常な成長を可能にさせた上で少女の意思を反映させる性質を持つ。
彼女に操られた植物は意思に反した行動を取ることがないため、人払いをしているのなら、不測の事態が起こりうる危険植物もしくは情報を漏らしたくない『何か』に関する実験を試行しているということだ。
(自立型植物もしくは罠型植物に関するテストに巻き込まれてアレックス隊は壊滅した……? それに、ノウンは情報統制をしてまでそれを開発したいと見える。……まさか、ノウンはここで『アルファ・プラント』を開発しているのか?)
俺はその植物の性質を良く知っている。対人用の植物兵器として開発され、最終決戦にて邪教徒の大軍に壊滅的打撃を与えた正教勝利の立役者なのだから。
だが、開発されるスピードが明らかに早い。原作の流れであれば、実践的な実験を行っていたのは最短でも数年後のはず。
ノウンの先の発言を鑑みるに、アレックス隊の精鋭六人を始末したのはアルファ・プラントなのだろうが……何故こんな早期にアルファ・プラントを実践レベルまで持っていけたのかが分からない。
……俺が『移動要塞計画』もとい『転送』の戦術的価値を高めてしまったから、それに追随するようにして技術の発展スピードが飛躍的に向上しているのか?
不確かな考察に頭を悩ませていると、ノウンが緩い胸元を露わにしながら覗き込んでくる。
「……して、そちらの男は誰なのかな?」
三白眼気味の瞳がじろりと俺を捉える。確かノウンは三白眼をコンプレックスに思っていたはずなのに、少女は前髪を弄って目元を隠そうともしない。
初対面の人間には目を隠して接するのが常だった少女が、だ。どうしようもないくらい、警戒心剥き出しである。
俺は考える。
こういう時は俺が喋るよりも、ノウンの知り合いであるマリエッタに喋らせた方がいいだろう。その方が話は早い。
君は迷っているんだろう、マリエッタ。俺が邪教徒側の人間であると分かっているのに、不可解なことが多すぎて断罪し切れないんだ。
短いなりに彼女と関わってきたからこそ分かるが、マリエッタは俺を世界の敵だと断定するような言い方はしないだろう。
いや、できないのだ。自惚れでなければ、マリエッタは俺に小さくない好意を向けている。
根拠もある。俺をダスケルで出会った命の恩人だと思っていること。円卓会議の時、邪教徒疑惑があるにも関わらず俺を庇ったこと。マリエッタとドルドンが戦っていた時、何故かドルドンに嫉妬していたこと――
とにかく、彼女もヨアンヌやスティーラほどではないが拗らせているのだ。色々なことが起こりすぎて、精神的に不安定になっているのだ。だから俺への評価を決めかねている。
俺はそんな彼女の話術を信じて祈るしかない。幹部に対して口八丁で立ち向かうしかないその姿は、フアンキロに尋問されていた昔の俺を想起させた。
「……彼の名前はオクリー・マーキュリーです」
「オクリー? ――まさかおぬし、あのオクリーか!?」
ぎょっとして距離を取るノウン。マリエッタとノウンの身体が空中に投げ出されたかと思うと、俺の右足首に微かな違和感が巻き付いた。
「うおっ!?」
両脚を何かに巻き取られて逆さ吊りにされてしまう。一八〇度回転する視界の中、巨大な葉を足場にして距離を離していく二人の少女の姿が目に入った。
「ノ、ノウン様っ! ちょっと待ってくださいっ!」
「何を待つ必要がある!? こやつは正教の敵じゃ! 今ここで殺す!」
マリエッタが悲痛な声で叫ぶ。彼女が抗議の声を上げる中でも攻撃は全く衰えない。触手のようになった茎に四肢を絡み取られ、空中で磔のような格好にさせられる。念には念を入れよと言わんばかりに、細く尖った植物の先端が四方八方から飛んできて、俺の表皮を薄皮一枚だけ切り裂く所で動きを止めた。
一歩たりとも動けない。瞬きすら憚られる。呼吸する際に上下した肩が植物の棘に掠って、微かに出血してしまうほどの圧迫感だった。
やはり、ただの植物ではない。硬度、自在性、瞬発力……何を取っても一級品だ。本当に、俺じゃどうにもならないな。マリエッタに祈ることしかできない。
「待ってくださいっ!! 確かにオクリーさんは邪教徒です! でも、それだけじゃ説明がつかないことがあるんですっ!!」
「……説明できないこと? オクリー・マーキュリーと言えば、ヨアンヌ・サガミクスの右腕じゃ。ダスケルの街を滅ぼしたのもこやつだと聞いておる。それ以外にこやつを説明する言葉が必要なのか?」
両者の視線が激突し、火花を散らす。睨み合いの最中にあっても、ノウンの拘束は緩まるどころか窮屈さを増していく。俺は首を締め上げられながら声にならぬ絶叫を噛み殺す。
ここまでは想定通り。マリエッタは俺の殺害を躊躇っていて、説得を試みようとしてくれている。
ポーメットやマリエッタとの間には奇妙な関係があるものの、ノウンとは完全な初対面だ。オクリー・マーキュリーという名前に悪印象を持っているのは明らかだった。
邪教幹部候補としての名声が勝っているせいで、マリエッタと再会した時のような好反応が得られないのは理解していた。だが、俺の脳内にはケネス正教へ寝返ってゲルイド神聖国の崩壊を食い止めるための計画がある。ここで死ぬわけにはいかないのだ。
教祖アーロスの計画は二次作戦として進行中だ。およそ二か月後に迫った『幻夜聖祭』で、邪教徒の計画を止めなければケネス正教の敗北は決定的なモノになってしまう。世界が混沌に満ち、阿鼻叫喚の地獄が大陸中へと広がっていき――やがては世界全土を覆い尽くすだろう。
そうなってしまえば、俺の望む世界は永遠にやってこない。
もう、なりふり構っている時間はないのだ。
「かはっ! マリ、エッタ――っ」
足裏に力が入り、痰が絡んだような声が喉奥から漏れる。
頼む。お願いだ。俺は君の説得を信じるしかないんだ。
涙目の懇願。霞む視界の中、唇を噛んだマリエッタがノウンの両肩を揺らした。
「ノウン様っ、どうか、この場での判断は保留していただけませんか!! 彼はダスケルの街であたしを救ってくれた命の恩人なんです! それに、ポーメット様を窮地から救ったのも彼なのです! 判断を下すのはポーメット様と合流してからでも良いはずです!!」
「ポーメットを救った……だと?」
ノウンによる拘束の手が緩まる。呼吸できるだけの余裕を確保した俺は、激しく咳き込みながら、焦がれていた酸素を何度も吸気した。
「なるほど、わらわには判断するだけの情報が足りておらんようじゃ。聖都サスフェクトへ向かい、ポーメットと連絡を取って合流するのが先決じゃな」
「…………」
顎に手を当てるノウンの隣。半信半疑、殺されなくて良かったという安堵の表情と、本当に生かしてよかったのだろうかという懐疑の混じった複雑な表情のマリエッタと目が合う。彼女は唇を噛んでいた。
「……ありがとう、マリエッタ」
「…………」
茶髪の少女は目を逸らした。俺の言葉に判断を惑わされたと思っているのか、後悔しているようだった。
ひとまずはこれでいい。ポーメットと合流してからが本番だ。マリエッタとノウンとポーメットを言いくるめ、俺がケネス正教の味方であると打ち明ける。最初は信じてもらえないだろう。だが、正教陣営を信じさせるに足る手札は揃っている。
『正教側が把握していないフアンキロの情報』、『洗脳されたセレスティアの行方』、『洗脳の解除方法の提案』、『聖都サスフェクト襲撃作戦の概要』、『アーロスの野望の実現方法』――パッと思いつく手札はこのくらいだが、まだ根掘り葉掘り頭の中をほじくり返せば情報は出てくる。記憶を取り戻した今なら充分言いくるめられるはずだ。
「ちんけな邪教徒が六匹釣れただけかと思っておったが、とんだ拾い物をしたのう。マリエッタ、聖都へ向かうぞ。ついてまいれ――」
聖都サスフェクトに連行された後は、まず説得を完璧にこなさないといけないな。
また連行されるのか、と溜め息が出そうになったその時、視界の奥に陽光が差し込むほど開けた場所があった。
倒木が重なり合い、地表の植物にも光が差し込もうかという僅かな空間だ。
そこに、天使のような裸の少女が立っていた。
「――――…………」
ヨアンヌ・サガミクス。透き通るような白い肌に、艶やかな髪。強烈な引力を発しているのではないかとさえ思える螺旋状の瞳。軽く微笑んだ少女は、その場にあった倒木を無造作に鷲掴みにした。
この森に自生する樹は太く長い。
倒木は直径五メートル、全長二〇メートルはあろうかという大きさで。
「っ!? ノウン様っ、危ないっ!!」
マリエッタの声が飛ぶ。
巨大な倒木を軽々と扱ったヨアンヌは、大上段から叩きつけるようにして大質量の樹を放り投げた。
刹那、爆音と爆風が全身を叩く。
夢中で身体を丸めた。自分の頭を抱えて、必死に目を瞑った。
振動と風が収まり、反射的に顔を上げる。
土煙の巻き上がる視界の中央で、数多の植物を顕現させたノウンがヨアンヌの投擲を真正面から受け止めていた。
大木の根、巨大な葉、花弁、繭のような塊となった茎――九尾を連想させる密度の防御だ。不意打ちの大木投擲を完璧に防ぎ切ったノウンは、ローブに付着した土汚れを払って呟いた。
「ヨアンヌか。久しいのう」
「ようノウン、相変わらずおっぱい小っさいな~」
「減らず口も相変わらずか……」
大地を揺るがす植物の操り手と、覚醒した少女が距離を縮めていく。
途轍もない衝撃を予感した俺は、傍で茫然と立っていたマリエッタの手を取った。
「マリエッタ、一旦離れるぞ!」
「あっ、えっ!?」
俺は全力で二人から離れていく。そんな俺達の後ろで、けたたましい轟音が鳴り響いた。
(またヨアンヌが……! 俺を取り戻しに来たのか!?)
次から次へと、状況の激変についていけない。
ケネス正教幹部序列六位ノウン・ティルティと、アーロス寺院教団幹部序列六位ヨアンヌ・サガミクスの戦いが始まった。




