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八五話 アレックス隊壊滅


 オクリーの行方を追うアレックス隊は、森の様子がゆっくりと変貌していたことに気づかなかった。林冠から差し込んでくる光の量が次第に薄くなり、陰鬱とした森が更に影を落としていく。

 徐々に変化していく風景は理解を遅らせ、彼らの認知が及んだ頃には全てが手遅れだった。


「甘い香りがします、隊長。……アレックス隊長!?」

「…………」


 森に甘い花の匂いが立ち込め、周辺の空気が澱んでいく。アレックス隊の一員であるフォルテは前方へ釘付けになりながら異常を報告するが、背後からアレックスの飄々とした声は返ってこなかった。


 アレックスを含めた邪教徒七人は、正教幹部どころか邪教幹部の魔法能力の詳細すら知らされていない。

 幹部一四人の魔法能力は彼らにとって生命線だ。部下に魔法能力の詳細を伝えてしまえば、その者が敵陣営に捕縛された時に尋問や魔法行使で情報が流出してしまうかもしれない。故に、アレックス隊は情報戦の段階から気にかけて戦闘する必要があった。


 洗脳されたセレスティアだけは例外的に能力の開示に大らかだが、その他の幹部は基本的に能力の全容を己の内側に留めることで情報を制限している。

 正教幹部序列六位、ノウン・ティルティの能力もまたこの例に漏れず隠匿されていた。アーロス寺院教団はノウンとの交戦経験が非常に少なく、一般信者に共有されている情報もまた少ない。当然の如く彼らは情報不足に陥っていた。


 ノウンはケネス正教陣営の食糧増産や飢饉対策、主要都市防衛システム構築・改造の任務に携わっており、純粋な戦闘面での貢献というよりは市民の生活基盤に根差す形で陣営に献身している幹部である。

 彼女の能力が完全に暴かれてしまえば、生活面はともかく都市防衛という面で大損害を被ることは間違いないだろう。


 逆に言えば、ノウンの能力を細部まで明らかにできればアーロス寺院教団にとっては願ってもない吉報になるはずだ。

 状況をポジティブに捉え、勇猛果敢に幹部に食ってかかろうと考えたフォルテは、この命をどのように消費すればノウンの魔法の情報を引き出せるのか、そして獲得した情報をどのようにして拠点へと持ち帰ろうかと考え始めた。


 ノウンの能力を解析できたとしても、戦いから生き残って報告できなければ当然無意味である。

 七人のうち誰か一人でも生き残れたなら、アーロス寺院教団にとっては大きなアドバンテージになるだろう。フォルテはプランを練り始めた。


「この環境変化、どう考えても魔法でしょう。岩石や土に異変が生じていないことを鑑みるに、植物を操る類の能力です。……であれば、敵の正体は正教幹部のノウン・ティルティしかいません。隊長の言う通り、ヤツがいます」


 周辺を警戒しながら、フォルテはノウンの名前を挙げる。「正教幹部ノウン・ティルティの魔法射程範囲内に入った」という認識を共有した六人は、フォルテと同様の考えを口にした。


「まあ、相手の正体はノウンしか有り得ないっすよね。撤退するのも手ではあるっすけど、今は接触回数の少ない敵幹部の情報を得るのが先決だと考えるっす。どうせ魔法の射程範囲内に入ってるんだし、やれるだけやって死ぬっすよ」

「ハハ! 酷ぇこと言うな隊長。なら情報の伝達役は逃げ足の速ぇフォルテが適任だと思うんだが、どうかな?」


 アレックスが軽妙な口調を取り戻し、それに対して顔面に傷跡の刻まれた信者が返答する。


「そうっすね、なら伝達役はフォルテに任せるっすよ」

「その他の六人は囮ってことね」

「はいよ」

「それで未来が切り開かれるなら後悔はない」

「隊長……皆さん……」


 フォルテは皆の頭の回転が速くて助かったと思った。彼らは自分達の置かれた状況と、陣営の未来に最も貢献できる方法を一瞬の間に選び取ったのだ。流石は北東支部で鍛え抜かれてきた精鋭だ。命を投げ打つ準備もできている。

 フォルテは少しだけ感動していた。露ほども感情移入していないくせに、こんなに優秀な仲間を失うのは辛いなと思った。言葉に詰まったフォルテの様子を見て、長髪の信者が髪の毛を搔き上げる。


「酷い顔してるぜ、あんちゃん。なぁに、俺達はスティーラ様やホイップ支部長代理に散々鍛えてもらってる、タダでは転ばねえさ」


 彼の鼓舞に続くように、精鋭兵達は次々に軽口を叩き始めた。


「その通り。あたくし共はただの市民じゃない……北東支部が誇るエリート兵ですから。最低限の仕事は必ずこなしますよ」

「おう。逆に俺達、ノウンに勝っちまうかもな!? この任務が終わったらスティーラ様と正教兵の人肉ステーキパーティだぜ!」

「挑戦の結果死んだとしても、何ら後悔することはありません。我々の行く先には、いつでもアーロス様の理想郷が待っているのですから……」

「まぁ、フォルテさん以外の六人は、ノウンの魔法能力をできる限り引き出すために行動することは決定事項なんで――あなたはいつでも逃げられるように逃走の準備をしていてください」


 フォルテは得物を持った小隊員を一望して目を合わせつつ、七人の中央に陣取った。


「しかし、ノウンは何故僕達を攻撃しないのでしょう。実は僕達、敵に見つかっていないのでは?」

「どうだかね。様子を見ているのかもしれんぞ」


 アレックス隊の囮役六人は決まった。しかし、ノウン・ティルティはいつまで経っても仕掛けてこない。じりじりとした膠着状態が甘い匂いと共に揺蕩っていた。


 まず、敵の能力をカテゴライズするとしたら、どんな系統の能力なのかを知る必要がある。

 原作知識として一四人の魔法能力を理解しているオクリーと違って、彼らは目に見えている敵の能力の真偽に加えて、フェイクの先にある本来の能力の内容までを考察しながら戦わなければならなかった。


 系統で括るのなら、フアンキロ・レガシィのような呪術系――条件を満たした時に作用するタイプの魔法なのか、それともセレスティア・ホットハウンドのような物理系――周辺の特定物体に働きかけるタイプの魔法なのか、はたまたヨアンヌ・サガミクスのような自己強化系の魔法なのか。

 ポーク・テッドロータスのような特殊型という線も有り得ない話ではない。植物に作用する魔法は見せかけで、もっと大きな括りでの物理系操作魔法という可能性だってあるし、かなり薄い線ではあるが特殊状況下における洗脳や催眠のような魔法という線もある。


 彼らは情報戦に勝利するため、暗中模索の状況から救いを求めた。


(いつまで経ってもノウンは姿を現さない。しかし、今なお異常なスピードで植物が成長しているのを見るに、ここら一帯が敵の魔法影響下にあるのは確実。範囲は極大。逃げ場はない。じりじりと追い詰めようとしているのかも――)


 瞬殺するわけでもなく拘束するわけでもなく、攻撃的な効果が顕現するのが遅すぎる――そんな言葉が脳裏を過ぎった時、フォルテの視界の左端にいた邪教徒が高々と宙を舞った。


「おごッ!?」


 地面の中、死角からの一撃。目に飛び込んできたのは、恐ろしい勢いで地盤を貫いて天を穿つ根茎の集合体だった。

 飛ぶ鳥を落とす勢いで伸び上がった根茎の成長速度は衰えない。放物線の頂点に差しかかり、今まさに落下しようかという男を下から突き上げ、全く地面に下ろしてくれない。重力という絶対的な力に引き寄せられているはずなのに、男は反逆するかのように植物に持ち上げられて空へと昇っていく。


 射程の長い物理操作型だ。今までの遅延行為はきっと、太い根の一撃を溜める(・・・)ための準備時間だったに違いない。情報を反芻するようにフォルテが小声で呟くと同時、顔に傷のある邪教徒が木の根を断ち切る。

 しかし、時すでに遅し。全身をくまなく貫かれた邪教徒は全身に大穴を空けられ、血の雨を降り注がせる形で事切れていた。


「ノウンめ、姿を現さないまま処理するつもりだな!!」


 距離を取るフォルテ。重々しい音が響いたかと思えば、視界右の邪教徒が首を刎ねられていた。

 大木の一部が高速でせり出してきて、彼の頸部を真横から穿ったのだ。人間の反応速度を超えていた。


 即死した二人の亡骸の栄養を吸い上げて、水を得た魚のように勢いを増して暴れ出す植物達。ある者は剣を振るうことなく全身の穴という穴を苔に塞がれて――またある者は全身を巻き取られて雑巾絞りのように扱かれて――ひとり、また一人と刈り取られていく。


 森の中では分が悪すぎた。自然豊かなこの状況において彼女は無敵だ。武器の所持も問題にならない。


「火だ! 火を使――」


 クロスボウや曲刀を手放して火を起こそうとした者が樹洞(じゅどう)に引き込まれ、手の一部を残して消滅する。すっかり動転していたフォルテは、縋りつくようにしてポーチ内の松明と火打石を探った。

 どこだ。石と木の棒。常備しているはずだ。何故見つからない――いや、あった。すぐそこに。バランスを崩しそうになるほどの勢いで二つの道具を鷲掴んだフォルテは、全力で逃走しながら拠点までの経路を想起した。


 この脚では、植物が異常な挙動を見せる領域からは逃れられそうもない。一度、炎で撃退しないことにはどうにもならないか。

 一瞬で火が付けられるかは分からないし、炎が効くかも分からないが、やらないと死ぬだけだ。


「フォルテ、情報は取れたっすよね!? 後は任せたっす!!」


 アレックス隊長の声を背中に受けて、フォルテは一目散に逃げた。

 転びそうになって、思いっ切り前傾姿勢になって、手元が暴れて、火起こしもままならない。それでもやる。ノウンの魔法の挙動や前兆が明らかになっただけでも充分な成果だ。とにかく何を使ってでも逃げろ。はやく拠点に帰るんだ。


 フォルテの背後で、どぱん、と水袋が弾けるような音が響く。かさかさと枝葉の擦れ合う嫌な音が遅れてやってきた。

 ――あぁ、隊長が死んだ。さようなら。またいつか会いましょう。でも、もしかしたら、今すぐにでも後を追うことになるかもしれません。


「アーロス様、スティーラ様――っ」


 しかし、せめてこの情報だけでも、教祖の元へ。そんなフォルテの願いが通じたのか、手元の松明に火が点る。顔の前面を叩くように、空気がかあっと熱くなった。

 これは何も、実際に火が起こったから生まれた赤熱ではない。教祖からの加護が実現したのだという、脳内麻薬の分泌による高揚も一因だった。


 つんと鼻に上ってくる煤の臭い。微かな甘い蜜の香り。直後、振り向きざまに松明を薙ぎ払った。背後まで迫っていた木の根に炎が延焼し、あっという間に根本までが灰へと還っていく。


「う、わ――……!?」


 火の粉が散る。膨張した熱の塊が、最後の足掻きとばかりに身体のすぐ傍を通り抜けていく。

 ざあっという風の音が流れたかと思えば、手元の炎を感知したかのように植物の勢いが収まっていた。まるで警戒心を高くしている蛇のような動きで、フォルテを殺そうとしていた植物達は様子を窺っている。


「は、ははっ……! やっぱりそうだ、ノウンの植物は炎に弱いんだ!」


 フォルテは松明をしかと握り締め、高々と掲げた。

 何ということだ。おお、教祖アーロスよ。僕はやりました。やってのけました。憎き正教幹部ノウン・ティルティの弱点を露わにしたのです。


 熱風と共に吹き荒れる全能感。腹の底を震わせる興奮。爛れるような喜悦。眩暈がするばかりに濃厚な花の香り。

 フォルテは片手で祈りを捧げながらアーロスの聖なる名を口にして、もう片方の手でノウンに操られた植物を打ち払った。打ち払い続けた。


 僕が、この僕が、幹部を圧倒している。かの絶対的な魔法能力を有する上位存在に立ち向かっている。穢れた女教徒を追い詰めている。

 僕は、量産型の生産個体から一躍幹部候補まで成り上がったかの一般邪教徒(オクリー)のように、正教幹部との戦いに生き残ったのみならず、ベールに包まれたノウンの情報を引き出したのだ。


 フォルテは舞い上がった。


「僕は――」


 これで僕は。

 これで僕は、アーロス様やスティーラ様に認められる。


「……あれ?」


 気づいた時には、アーロス寺院教団の北東支部拠点内に立っていた。


「僕の松明は」


 片手が掴んでいたはずの松明はどこにもない。火打石もだ。ポーチをがさごそと探っても何も入っていない。支給品のペンダントくらいなものだ。


 はっとすると、スティーラ・ベルモンドが目の前に直立していた。


「……褒めてあげる。……あなたの働きはオクリーに匹敵……いえ、オクリー以上のものと言っていい。……スティーラは、あなたを次期幹部候補に推薦する」

「ス、スティーラ様……? それは、どういう――」

「……もっと良い褒美をあげる」

「え……」


 黒ゴシックの服がするりと床に落下し、白蝋のような透き通った肌が露わになる。目を逸らそうとしたフォルテの懐に飛び込んだスティーラは、上気した頬を摺り寄せるようにして身体を密着させる。

 花の蜜の香りがした。こんなに優しく、女性らしい香りがするなんて。フォルテはスティーラの体温に包まれて、狂喜に満ち溢れた。


「スティーラ様、僕は――僕は――……っ!」


 スティーラの細腕が背中に回される。フォルテは夢中になった。


「おめでとう!」


 欲望に任せた行為の傍ら、ホイップ=ファニータスクが拍手していた。


「おめでとうな!」


 ヨアンヌ・サガミクスが軽快に笑いながら祝福してくる。


「おめっとさんっす!」


 アレックス・イーグリーが意地の悪い笑みで背中を叩いてくる。


『おめでとう、フォルテ君!』


 スティーラの股の間から、仮面を被った男――アーロス・ホークアイが何度も頷きながら門出を祝っていた。


「おめでとう、フォルテ!!」


 信者の皆が祝ってくれている。目の前に花束があった。結婚のお祝いだ。甘い蜜。花の香り。


「…………」


 隣を見ると、スティーラ・ベルモンドが笑っていた。いつも無表情で冷たい顔の少女が。満面の笑みだ。


「夢みたいだ」


 自分はどうやってノウン・ティルティとの戦いから生き残ったのだろう。松明を振り回して、それからの記憶が断絶している。確かにスティーラには憧れに近い好意を持っていたが、そもそも自分と彼女は私語をするほどの仲でもない。

 ――どうやって、この理想郷に行き着いた?


「ケネス正教は滅んだっす。フォルテの情報をきっかけにして我がアーロス寺院教団は一転攻勢、理想郷を手に入れたっすよ」

「隊長……」


 ――アレックス隊長は森の中で死んだはずでは?

 ドクン。


「やだなあ、自分生き残ったんすよ。フォルテが助けてくれたんじゃないっすか」

「そ、そう、でしたか……」


 鼻腔をくすぐり続ける甘い芳香。嗅覚以外の五感はぼんやりしている。光に包まれたこの光景は酷く現実感がないのに、花の香りだけは強く残り続けている。

 いつからだ? 確かアレは、森の空気が濁ると同時にやってきた。ずっと嗅がされている気がする。


 ――ドクン。


 どうしてこの甘い花の匂いは、ずっと纏わりついてくるのだろう。


 ドクン、ドクン。


「スティーラ様、何かおかしいです」

「……何が?」

「何もかもが上手くいきすぎているというか、足元の浮遊感が拭えないというか……とにかく変なんです!」

「……そうか」

「……へ?」

「気づいたのか」


 スティーラ・ベルモンドの口調が崩れる。

 否、口調というよりは――声そのものが変化していた。

 無機質なスティーラの声から、媚びた女狐のような高い女声へ。いつの間にか、その外見すら変化していた。


「幻覚から自力で抜け出すとは、中々骨のある奴じゃのう」

「ま、待て……お前は……誰……だ…………?」


 スティーラのような小柄な体躯。アッシュグレーの大きな瞳。ライムグリーンの髪。遊び心の見えるおさげ。魔術師然とした大きなローブに身を包んだ少女は操作された蔓に腰掛け、脚を組みながらフォルテのことを見下ろしていた。


 身体が動かない。舌が回らない。呼吸が浅く深く遠くなっていく。

 頬に押し付けられたモノがある。押し退けようと踏ん張ろうとすると、その正体に思い当たる。地面だった。フォルテは地面に横たわっていた。フォルテは今、松明を使ってノウンを撃退したはずの森にいたのである。


 理解が追い付かなかった。記憶と夢と現実が交錯し、自分が今どこにいるのか分からなくなる。


「わらわの魔法の味はどんな感じじゃったかの?」

「ま……ほ、う……?」


 ノウン・ティルティと思しき少女に聞き返すフォルテ。彼の手に握られていたのは、松明などではく植物の一片だった。

 くすくすと口元を押さえて笑った少女は、フォルテの鼻先を軽く叩いて揶揄う。


「おいおい、夢と現実の区別もつかんのか? おぬしが今見ていたのは、わらわが操る植物に見せられていた都合の良い幻覚じゃ。その痛み、苦しみは全て本物。ここが現実なんじゃよ」

「ば、か……な……! 僕は……松明で……お前を倒して……!」

「松明ぅ? その程度の火力でわらわの植物が怯むとでも?」

「だって……僕は確かにお前を……!!」

「信じられんというなら、今この瞬間こそが現実だということを教えてやる。ほれ」


 食ってかかったフォルテの首を植物の葉で方向転換させた少女は、干物のようになって植物と一体化した五つの骸を見せつけた。


「――――っっ!!」


 ――直後、全身を穿つ激痛。フォルテの脊椎に毛根を侵入させ、内部で滅茶苦茶な成長をさせたのだ。その痛みは間違いなく現実のそれだった。


匂いじゃ(・・・・)。おぬしらはこの植物が分泌する花蜜の香りを嗅いだ時点で(・・・・・・)負けていたんじゃよ」


 ノウンの足元に群生するのは、てらてらと光る蜜を溢れさせた花だ。少女の操る植物の一種が、フォルテに都合の良すぎる理想郷を夢見せていたのである。


「な、ぜ……僕らの場所……わか……た……」

「ま、偶然じゃな」


 ノウンはあっけらかんと言い放つ。


 元々この植物は、張り巡らせた地下茎から露出させた花蜜の香りで生物を誘い込み、神経毒入りの蜜を吸わせることで対象を昏睡状態に陥れ、動けなくなった対象の肉を溶かして吸収するという罠型の食肉植物だった。

 この危険な植物を見つけたノウンは種子を採取し、魔法による加速度的な成長を加えて改良を重ねることによって強力な生物兵器『アルファ・プラント』へと進化させた。


 アルファ・プラントは広範囲に花の香りをばら撒き、花の香りを吸気した対象を深い昏睡状態に陥らせて幻覚を見せる。その間、植物は対象の内容物が無くなるまで体液を搾り取り続けるのだ。

 しかし、対象はその事実に気づかない。現実から夢に移行した狭間の瞬間を認識できず、陸続きの甘い現実の中を生きることになるからだ。相手に死んだことすら悟らせない究極の自立型植物兵器――それがアレックス隊を壊滅させたモノの正体であった。


 ノウンは件の植物を利用して対邪教徒用トラップを開発するため、進入禁止の措置が取られている森の一角で魔法実験を行っていただけである。

 マリエッタ、オクリー、ヨアンヌの動きを察知して森にやってきたわけではなく、本当にただの偶然。ついでに言えば、アルファ・プラントに魔力を与えた時、周辺環境にどのような影響が出るかを遠隔実験(・・・・)していただけなのだ。


「わらわも驚いたものじゃ。モンスターでも釣れたかのうと思って来てみたら、邪教徒が六人釣れてたんじゃから。思わぬ早期実験となったわけじゃが、アルファ・プラントが一般人相手には有効という貴重なデータが取れた。この子達はもっともっと繁殖させて、量産型対人用兵器として運用していかないとのう……」


 近隣の山村からのんびり遠隔操作をしていたノウンからしてみれば、アレックス隊との邂逅は戦いですらなかった。

 対邪教徒用生物兵器として秘密裏に開発されていたアルファ・プラントの実験を行う際、都合の良い実験台が向こうからやって来てくれた上、複数パターンのシミュレーションができてラッキーだったというだけの話なのである。


 フォルテは戦う前から敗れていた。ノウンは件の植物を魔法ストレージ内にストック(・・・・)しており、いつでも取り出すことが可能だ。仮に真正面からぶつかることがあったとしても、花の匂いを嗅がされて昏倒していたのは間違いなく、始めからフォルテに勝ち目はなかったのである。


 本当に単なる偶然だった。不運だった。フォルテを含めたアレックス小隊は、運がないばかりにノウンの罠に引っかかって壊滅したのである。


「あ、あ――……!! ――――っ!!」


 フォルテは残り少ない命を振り絞って、声にならない掠れた声で絶叫した。


「そんなに悔しがったってダメじゃ。わらわの能力に歯向かおうなどと、愚かな妄想にして敵わぬ夢よ」


 アレックス隊のみんなと交わした最期の会話も、ノウンの魔法能力考察も、決死の逃走劇も、起点と逆転も、何もかも――全て嘘だった。幻影だった。

 無駄だったんだ。圧倒的な力の前には平伏(ひれふ)すしかない。そんなこと、アーロスに支配されていた時から分かっていたことだろうに。


 こんなに辛い現実にぶち当たるのなら、幸せな幻を見続けていた方が良かった。

 フォルテは幸せな夢の世界に再び飛び込もうと藻掻く。そして、しゃがみながら己を見下ろしてくるノウンの冷たい表情を最後に見て――その顔面を破壊されて短い生涯を終えた。


 ノウンは踏み抜いて飛び散らせた肉片をアルファ・プラントに与えつつ、茎の部分を優しく撫でてコミュニケーションを取った。


「ふぅむ、おぬしら対邪教徒用の兵器としては充分じゃ。合格! えらいぞ! ……ついでに敵の『転送』をピンポイントで未然に防いでくれたりはせんかのう?」


 少女は都市防衛システムの構築の任務を預かりながら、メタシムやダスケルの街を破壊された苦い経験を持つ。

 邪教徒がいる限り、彼女の防衛技術開発は止まらない。


 ――そんなノウン・ティルティから数キロメートル離れたとある場所にて。


「自分の直感に従って良かったっす……アイツら勇敢すぎて死んじゃったみたいっすね……」


 アレックス・イーグリーは、小隊員フォルテが「甘い匂いがする」と呟いたことに違和感を覚え、全力疾走による逃亡を敢行して紙一重のところで一命を取り留めていた。


「早くヨアンヌ様に知らせないと……オクリー先輩がマリエッタ達に連れ去られてしまうっす! そうなったらもう、楽しい世界は終わりだぁ!!」


 疲労困憊の身体を引きずって、アレックスはヨアンヌを探しに奔走し始めた。


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