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七九話 運命を待つ二人


 逃げ出した馬を何とか集めて聖都サスフェクトへの道を目指す。俺達が相手取った盗賊団は近頃この地方で手配されていた犯罪集団らしい。機動力の高い馬に乗って各地を走り回っていたため、最近ケネス正教の軍隊が手をこまねいていたとか。

 何とか集められた二頭の馬に乗って走っている間、ドルドン神父が様々なことを教えてくれた。道理でドルドン神父が盗賊団を遠目に見た時、いち早く相手の正体を悟れたわけだ。


「じゃあ俺達は偶然世界の治安を良くできたわけか」

「今更治安がどうなろうと知ったことじゃないさ。それに君、自分が随分と矛盾したことを話しているのに気づかないのか?」


 ドルドン神父は馬を減速させて俺の顔を覗き込んでくる。一日中走り続けて夜もふけてきたので、再び適当な場所を見繕って野営の準備に取り掛かった。


「オクリー君の左手はこの国を滅ぼせる爆弾だ。君自身も邪教徒の尖兵であることがほぼ確定している。ワシらはこの国を破壊するために聖都サスフェクトへ向かっているのだぞ? そんな君が治安維持だの何だの――傍から見れば矛盾しておるわ」


 ドルドン神父は投げナイフで仕留めた動物を丸焼きにして、軽く塩を振りかけてかぶりつく。「オクリー君も食べなさい」と食いかけを押し付けてくるが、ドルドン神父と間接キスをするのは絶対に嫌だった。

 差し出された肉を拒否されて残念そうな顔をした神父は、くちゃくちゃと咀嚼音を立てながら黙々とした食事を続ける。手持ち無沙汰になった俺は、盗賊との戦いで思い出した記憶の断片を伝えてみることにした。


「ドルドン神父。俺、少しだけ思い出したんだ」

「うん。うん?」

「俺の昔の記憶。大切な人のことだ」

「ほう、記憶の一部が戻ったのか。どれ話してみなさい」

「神父はヨアンヌ・サガミクスを知ってるか?」

「ヨアンヌ――まさかあの(・・)ヨアンヌ・サガミクスのことか? この国でその女の名前を知らん人間はいない。ケネス正教幹部のセレスティア様と幾度となく死闘を繰り広げてきた話が有名だな」


 ドルドン神父は饒舌な口調でヨアンヌについて話し始める。ここ数十年に渡ってアーロス寺院教団はゲルイド神聖国を震撼させてきた。それ故にアーロスやヨアンヌの悪名は広く轟いているのだろう。

 あぁ、そうだ。あの子のことは俺が一番よく知っている。ヨアンヌの強さ、恐ろしさ。その内側に秘められた複雑な心。全て、この身に染みて知っている……。


「で、そのヨアンヌがどうしたって? まさかその女が大切な人とか言わんだろうな」

「いや、その通りだ。ヨアンヌは俺にとってかけがえのない人……大好きだけど大嫌いで、簡単な言葉じゃ言い表せないくらい大切な存在なんだ」

「……頭でも打ったのか? ヨアンヌは人の言葉を話すが、どれだけ言葉を重ねようと意思疎通は不可能だとセレスティア様から聞いている。記憶喪失になる前の君が邪教徒だったのは分かるが……その記憶は植え付けられた偽物の記憶ではないのかね」

「いや、違う。断言できる。俺の左手を見てくれ。人差し指、中指、薬指が他人のそれと入れ替わってるだろ?」

「…………」


 黒手袋を取り払って、爛々と輝く焚火の前に左手を突き出す。ドルドン神父は言われた通りに俺の左手をまじまじと見つめてくるが、その異形っぷりに若干頬を引き攣らせていた。


 俺の左手の五指のうち、他人のものと入れ替わっているのは人差し指と中指と薬指だ。人差し指の持ち主は恐らく男性で、節くれだった細長い指になっている。中指と薬指はそれぞれ肌の色とサイズ感が異なっているため、別の女性であることまでは何となく予想していたが――

 この三本の指のうち、薬指の持ち主がヨアンヌ・サガミクスなのだ。そして、左手の薬指に拘って肉体組織を交換した理由も覚えている。一部の記憶を取り戻した俺には確信があった。


「左手の薬指部分、この指をヨアンヌと交換した。当初は無理矢理だったけど、将来を誓うための婚約指輪みたいな形で交換したんだ」

「じゅるるっ! 婚約指輪ならぬ婚約指(・・・)ということか。れろ……面白い冗談だ。吹き出してしまったわい」


 真剣に語る俺に対して、軽い冗談だと半笑いで一蹴してくるドルドン神父。押し黙ったままの俺の様子を見て徐々に口角を下げていく老爺は、握り締めた肉を呆然と膝の上に取り落とした。


「……君、頭がおかしいのか? どういう恋愛の形なんだ? やはり君の芯は邪教徒然としておるのう……」

「その発言そっくりそのままお返しするよ」

「えぇ……ワシはかなりマシな方だろ。そのヨアンヌと違って、ワシはたった一九人しか無実の者を殺しておらん。ワシのような英傑が救ってきた人間の数を考えれば安い代償さ」


 人の命を数字で数えようとする神父に多少苛立ちながら、俺は自分で狩った動物の肉を貪る。少しの沈黙の後、ドルドン神父は俺の左手を取って、その部分に触れないようまじまじと薬指を観察してきた。


「それにしても……この薬指がヨアンヌ・サガミクスのものなのか。ハハァ……幹部の姿は初めてお目にかかったわい。こんなに華奢だったとは思わんかった」


 ドルドン神父は髭の中でもごもごさせながら情報を整理する。


「オクリー君は邪教幹部三人の肉片を持たされた邪教徒で……託された三人分の肉のうち、一人の正体はヨアンヌ・サガミクスのもの。そしてオクリー君の爆弾は聖都サスフェクトで起爆される予定と……大体そんなところか。掴めてきたぞ。これは国の治安維持に関わる者にとって大ニュースだ」


 神父はくつくつと込み上げるような笑いを噛み殺す。彼の全て分かったような振る舞いに無性に腹が立ったので、ひとつ冗談を飛ばしてみる。


「なあ。ヨアンヌを呼んでみてもいいか?」

「あ?」

「多分トリガーはこの指を切り落とすことにある。この短剣で切ったらきっとすぐに飛んでくるぞ」

「やっやめろ! ふざけるな! 君の路銀はどうなる!?」

「冗談だよ。冗談だけど……ヨアンヌに会いたいのは本当だ」

「そ、そんなにか。……しかしさっきから話していると、君はケネス正教に味方したいのかアーロス寺院教団に味方したいのかさっぱり分からん。どちらの側につくつもりだ?」

「……それは……」


 思わぬカウンターパンチに言葉を詰まらせてしまう。

 ヨアンヌのことが脳裏に思い浮かんだ後、マケナさんやマリエッタの姿が過ぎる。――確かにヨアンヌのことは大切に思っているが、この国を破滅させようとする寺院教団の味方をするつもりはない。味方をするならケネス正教だ。


 だが、真にケネス正教の味方になるためには、左手に癒着した幹部の指を取り除かなければならない。この爆弾を抱えている限りはケネス正教の敵だ。あの時はポーメットさんの目を欺けたが、動かぬ証拠を見られては誤魔化すも何も無くなってしまう。

 かと言って、この左手の爆弾を取り除く術も分からない。それこそ正教幹部の力を借りれば除去はできるかもしれないが、そもそも邪教幹部の肉片を所有している時点で話を聞いてもらえるとは思えないのだ。


 不審な男が「邪教から離反したいので左手に癒着した邪教幹部の指を綺麗に取ってくれませんか? まぁいつ爆発するか分からないんでガチ他力本願なんですけどね!」などと言って近づいてきたとしよう。

 俺が正教幹部だったなら速攻殺している。同様の作戦で滅んでしまったダスケル街という最悪の実績がある以上、そんな不審者を生かしておけるはずもない。


(……あれ? もしかして俺、詰んでる……?)


 心はケネス正教側につきたがっている。だが、現状維持のまま正教側に寄ってしまうと、どうしようもなく『死』という未来が確定してしまう。

 この異形の左手をひた隠しにして潜伏するのも手だが、いつまでも隠し通せるはずがない。邪教徒の『オクリー』という名が売れているせいもあって、同姓同名――というか同一人物――の俺に「一応確認のためにやるだけだから」と軽い捜査の手が及んだだけでおしまいだ。


(で、でも、邪教徒の側につくのも有り得ない。あいつら、マリエッタの故郷を滅ぼした極悪人共だ。それに、マケナさんの息子スティーブさんを拉致してる。そんな奴らの味方になるなんて無理だ。昔の俺、どんな気持ちで邪教徒やってたんだよ……!?)


 青い顔のまま押し黙った俺に対して、その思考を全て読んでいるかのようにドルドン神父が言った。


「……記憶喪失後の君はケネス正教に味方したい気持ちで溢れているが、記憶喪失前のオクリー君がなまじ(・・・)邪教徒だった分、どう振舞おうとお先真っ暗ではあるな。そして普通の人間が持ち合わせる生存願望でぐちゃぐちゃになって、有耶無耶のまま聖都サスフェクトを目指そうとしておる。……違うか?」

「……図星だ」

「認められるだけ偉いのう」

「黙れ。お前だって正教邪教両方に追われることになるぞ」

「知っておる」

「何……?」

「お前だってもうすぐ死ぬぞ。そう言いたげだな、オクリー君」


 では、何故この男はこんなに冷静でいられるのか。俺は信じられないものを見る目で彼を睨みつける。すると、彼は下卑た笑みを浮かべた。


「……何故ワシがこんなに落ち着いているかって? じゅるる……別に落ち着いているわけではない。内心慌てておる。だがワシはな、どんな状況でも大きく構えておりたいのよ。つまり、惚れた男子の前では『いつでも余裕のあるカッコイイ男』でいたいのだ」

「は……?」

「今この瞬間、ワシは人生の山場を迎えておる。ケネス正教は今頃ワシの殺人を突き止めただろうし、寺院教団はワシがオクリー君を襲おうとしたことを知っている。ククク、君と同じ。ワシもお先真っ暗! 君を聖都サスフェクトに送り届けた途端、何と命の保証がなくなってしまうのだ! アーロス寺院教団は口封じのために刺客を送り込むだろう! そしてケネス正教はワシのことを国際手配して、地の果てまで追いかけてくるだろうさ!」


 ドルドン神父は痰の絡んだ豪快な笑いを飛ばす。この男の言う通りだ。コイツはれっきとした殺人鬼で、俺のことを強姦殺人しようとしたどうしようもないクズ。彼も同様に、死の運命がほぼ確定した絶望的な現状に立たされているのだ。もしかすると、俺より早く死がやってくるという窮地に立たされているはずで――

 しかして、ドルドン神父は心底楽しげだった。本人曰く強がりの笑いらしいが、俺にはその表情が最後の余暇を楽しんでいる豪傑の姿に見えていた。


「オクリー君、ワシは遠くない未来に死ぬだろう。君よりも早く。……ワシだって死ぬのは怖い。『死』は強すぎる。抗えぬ。絶対に不回避だ。己の刻んできた圧倒的な『人生』が容赦なく停止させられると考えると、恐ろしくて震えが止まらなかった」


 ドルドン神父は燃え盛る焚火に生焼けの肉を当てながら、その瞳に猛る情熱を宿す。


「だが、人生の終わりについて考えた時、どうだ。一周回って(・・・・・)ワクワク(・・・・)してきおった(・・・・・・)。恐怖よりも強い興奮さ。ワシは体験してみたかったのだ。死を。ワシが手にかけた一九人の男子がどんな気持ちで死んでいったのか、この目でよぉく確かめねばならん。恐らく正教邪教どちらに捕まっても普通の死に方はできんだろう。それでいい(・・・・・)。楽しみなのだ。降りかかる運命が。君もワシのようにどんと構えたまえ」

「……俺はそんな風にできないよ」

「君は真剣に考えすぎなのだ! どうしようもなくなったら雑に生きてみろ! 実際、完全犯罪に固執しておった時より今の方が楽しいわ!」


 ドルドンという男はクソ野郎だが、その生き方と精神性をどこか羨ましいと思ってしまう自分がいた。彼のように吹っ切れることができたなら、或いは……。


「ワシが残りの人生でやるべきことは二つ。オクリー君を聖都サスフェクトへ送り届けること。そしてこれは最近気変わりしたのだが……双方合意の下性行為に至ることだな」

「は?」

「……ワシにとってオクリー君は特別なのだ。無理矢理手を出したくとも出せぬ。いや、厳密には出せるのだが、心の奥底に潜んでいた純朴な乙女心がプラトニックなお付き合いを望み始めておる。故に君との旅路はワシに残された最期の愉しみなのだ」

「やっぱりお前の話を聞こうとした俺が馬鹿だった」

「聖都サスフェクトに到着するまでに君を恋に堕としたい。ゴールは双方合意の下の性行為にするとして、まぁ残り期間的に行けてキスまでかな……」

「自己評価が高すぎるだろ。さっさと死ね!」


 俺はドルドン神父から目を背け、粗布を地面に敷いて横になる。

 しばらくドルドン神父の高笑いが響き渡った後、薪が弾ける音の中に静かな老爺の声を聞いた。


「今答えを出すのは難しかろう。だが君には僅かな猶予がある。聖都サスフェクトに到着するまであと五日……それまでに自分が何をしたいか、何ができるのか。そして、正教邪教のどちらにつくのか。もしくは己の運命を切り開く第三の道を選ぶのか……しっかり考えておくのだぞ」


 ……分かっている。俺に残された道が全て険しいことを。

 だけど、どうすればいいのか分からないのだ。

 俺はドルドン神父のようにはなれない。


 己の仄暗い未来を考えているうちに、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。眠りに落ちる寸前、俺の背中に毛布が掛けられた気がした。


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