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七八話 新旧


 若干窪んだ野営地に向かって馬を走らせてくる盗賊らしき人影。巨大な岩石の傍で燃え盛る焚火の光を当てにしてこちらに走ってきているらしく、ドルドン神父は手遅れと知りながらも火で渦巻く薪を踏み砕く。

 翻った俺は付近で休ませている馬を隠そうとしたが、遥か彼方から押し寄せてきた盗賊の放った矢が馬に程近い地面に着弾し、驚いた馬が逃げてしまった。手綱を握る前にすり抜けた。唯一の足を失ったことに悔やみながら、俺はドルドン神父と身体をぴったり合わせながら岩陰に隠れた。


「思っていたよりも多いのう」

「何で盗賊がここに……」

「奴ら、ここらを拠点とする新興の盗賊だな。ヒトによく似た魔獣だと思え。話が通じると思わない方が良い」


 神父は背中越しに声を掛けてきたかと思うと、盗賊がある程度近くまで接近してくるのを待つため息を殺し始める。それに倣って息を潜めていると、岩を隔てた草原の向こう側で盗賊共が馬を止めた。

 みすぼらしい衣服の上から獣の皮を被っただけの貧相な格好。しかし服の下に逞しい肉体の片鱗が見え隠れしており、結果的にそのミスマッチ感が妙な威圧感を生み出している。まさしくやさぐれ(・・・・)だ。


 岩陰から盗賊の様子を見守っていると、奴らは馬に乗りながら扇状に広がり、隠れている俺達に向かって声を掛けてきた。


「お〜い! 死にたくなかったら金目の物を全部置いてけ〜!?」


 敵の数にして一五人。遥か遠距離にいたせいで敵影を確実に視認できなかったことが数の過小評価に繋がった。

 俺達の位置は完全にバレていた。サテルの街から脱出するために使った馬が補足されていた時点で位置を特定されていたようで、彼らは陣形を広げてジリジリと取り囲もうとしてくる。


 敵の武器はロングソードから戦鎚、遠距離武器のクロスボウや弓など多岐に渡る。対するこちらは、左手が満足に使えない老神父と俺の二人。頭数の差は言うまでもないし、武器差も甚だしい。

 刃渡り三〇センチの短剣で間合いの広いロングソードや射程の長いクロスボウなどを相手にするのは難しいだろう。しかも相手は馬上にいる。相手の武器を掻い潜って間合いの内側に潜り込んだとしても、馬という機動力の差で間合いを仕切り直すことが可能だ。どうしようもなく不利な戦いを強いられる。こちらの馬はいない。周囲は森を抜けた先にある草原のため、都合の良い逃げ場もない。圧倒的不利状況に立たされているのは俺達だ。


 ――が、死の運命が確定しているのは盗賊側だった。ドルドン神父はそこら辺の雑兵が相手にならない程の実力者だ。外見やそのスペックだけでは語れない何かを持っている。

 そして、俺は左手に邪教徒の爆弾を持った異常な存在なのだ。訓練された兵士が数人がかりで討伐するという魔獣に徒手空拳で勝利したり、果ては魔獣の群れを一人で撃退したこともある。今更人間が攻めてきてもあの時よりはマシだろ……という気持ちがあって、正直勝てなくもない戦いなのではないかと思っているくらいだ。


 仮に俺達が死んだとしても、刺激を受けてこの左手から現れるであろう邪教幹部によって盗賊共は消し飛ばされる。つまり盗賊側にメリットは皆無。死にたくなければ今すぐに引き返す他無いのだ。

 俺は隣のドルドン神父と一瞬だけ視線を交わす。お互いに同じことを考えていた。いや、恐らくドルドン神父の方が状況をよく分かっているに違いない。


 この戦いは双方にメリットが無いのだ。盗賊側には生還の可能性が皆無な上、俺達も勝ったところで何を得るわけでもない。新たに馬や武器が手に入るくらいだが、戦闘によるリスクと見合っていなかった。ここはドルドンの神父力(・・・)で説き伏せてもらうしかない。


 俺はドルドン神父に向かって顎を上下させ、説得を試みさせる。彼は眉ひとつ動かさないで首を傾げた。


(何故そんなことを? 奴らどうしようもない人間のクズだぞ)

(お前が言うなっ……戦いを回避できるに越したことはないだろ。奴らを聖職者生活で培った話術で説き伏せてくれよ)

(断言しておくが絶対に無駄だ。まぁ、やるだけやってみるかのう……)


 一応は相手側の対応も見ておくかと言わんばかりに大きく咳払いしたドルドン神父は、ポーチ内を探りながら声を張り上げた。


「――君達、やめておきなさい! 我々に手を出すと後悔するぞ!」


 言いながら、ドルドン神父はポーチ内から謎の黒石を取り出す。それと一緒に、紐のついた筒状の何かを足元に置いた。短剣を短く持ち、黒石をいそいそと擦り始めるドルドン神父。

 俺は嫌な予感を感じていた。緊迫感のせいで、黒石と筒状の物体の名前が思い浮かばない。だが、アレだ。ドルドン神父はアレをやろうとしている。


「年の功を重ねた老いぼれからの優しい忠告だ! 今すぐ引き返しなさい! 人生は長い、今からでもやり直せる!」

「――ブハッ! ハハハハッ! 随分と聖職者じみた説教臭い物言いだな、ええっ!? もしかしてオメー神父かぁ!?」


 そんな俺の焦燥とは裏腹に、ドルドン神父の言葉で大盛り上がりの盗賊たち。ゲラゲラという下品な笑い声が草原に響き渡る。彼らは交渉相手が岩陰で何をしているか知らないのだ。

 黒石を擦る度、異様な程強く火花が散る。ギャリギャリと鋭いモノが擦り付けるような音が響く中、大量の火花を浴びていた紐に火が灯る。あぁ、そうだ。やっと思い出せた。この黒石と紐付き筒、火打石と爆弾だ。この男、いつの間にこんな物を――


 一筋の汗がもみ上げの辺りを伝う。顎先から落ちる。ドルドン神父と目が合った。神父は盗賊に襲い掛かる衝撃を予想してか、粘着質なリップノイズを立てながら満面の笑みを浮かべていた。その瞳はギラギラと『生』の悦びを噛み締めていた。

 しかし、その口調はあくまで慈悲を乞う被害者の声。助けてくださいとまで叫んでしまっている。盗賊を説得してくれという俺との約束など忘れているようだった。


「頼む、殺さないでくれぇぇ! ワシはまだ死にたくないんじゃぁぁ! 助けてくれぇぇ〜!」


 ――悪趣味だ。許しを乞う言葉と殺意に溢れた行動の乖離を目の当たりにしながら、俺はこの男の不気味さをひしひしと感じていた。


「どっちが追い詰められているか分かってねぇみたいだな! おいテメーら、やっちまえ!!」

「おう!」


 小さいながら鼓膜に残る音が刷り込まれる。油の染み込んだ導火線が燃えていく音だ。縮んでいく導火線を間近で観察しながら、ドルドン神父が感極まったように叫ぶ。


「あ、ああぁぁ! 来ちゃう! くる、来るっ! 来ないでぇぇぇ〜!!」


 盗賊にしてみれば絶望の絶叫。しかして、彼の隣から見れば絶頂に伴う嬌声にしか聞こえなかった。口角が上がり切っていた。

 導火線の火が起爆点に達する寸前、ドルドン神父は岩石から身を乗り出して爆弾を放り投げる。放物線を描く拳大の物体。一瞬だけ盗賊の動きが止まる。呆気に取られていた。誰しも、棒立ちになって眺めることしかできない瞬間がある。盗賊たちにとって、運悪く、今がそれだった。


「えっ――」


 盗賊のリーダーが素っ頓狂な声を上げる。

 次の瞬間――轟音。鼓膜を通じて直接脳髄を揺らされるような衝撃を浴びる。一瞬遅れて顔面を叩く風圧の壁。地面の振動。大地全体に響き渡るような地震の音だ。


 俺という人間はそこそこ重い。体重にして六〇キログラム前後。そんな俺が、軽々と足元を掬われた。尻もちをつかされた。人ひとりを容易く殺せるエネルギーが爆裂したのだ。

 黒煙が立ち昇り、一面に血と肉の雨が降る。リーダーの姿はすっかり消えていた。代わりに残ったのは、半径二メートルの穴と放射線状の爆発痕だけ。突如として大きな音を浴びたせいで、盗賊の騎乗していた馬が立ち上がり暴れ回る。人よりも聴力に優れた馬にしてみれば、天地がひっくり返るような衝撃だったに違いない。


 残された盗賊は馬を制御することもできず、次々と馬から振り落とされていった。リーダーの死亡を理解し切れない盗賊たちは、突然目の前に現れた巨漢神父に喉笛を切り裂かれて絶命していく。爆弾を持っていると認識していた俺でも爆発直後は動揺しっぱなしだったのだ、彼らを襲った混乱は相当のものだろう。

 爆弾の衝撃から立ち直れたとしても、リーダー不在となった集団は統制が取れなくなる。ドルドン神父はその隙を突いて、爆発直後の三〇秒で七人の敵を殺害していた。


「あ〜あ。ワシの言うことを聞いていたら無事だったのになぁ……」


 腰を抜かした盗賊の首に短剣を突きつけるドルドン神父。八人目の血飛沫が舞う。雑草で短剣の血脂を拭いつつ、神父は残った七人に向き直る。先んじて遠距離武器持ちを率先して狙ったのはドルドン神父の冷静沈着さがなせる技だった。

 出遅れた俺も混乱に乗じて三人の盗賊を殺害していたが、こちらはこちらで異常事態が起きていた。


(や、やばい……何かめちゃくちゃ腹減ってきた。肉。人の肉が食べたい。またこの感覚だ……)


 短剣にこびりついた血脂を舌で舐め取る。少しだけ渇きは収まったが、決定的に何かが足りなかった。例えるならば、そうだなあ――女の子の肉だろうか。この食欲の(・・・・・)原因となった(・・・・・・)誰かの身体(・・・・・)を食べたくなった。


(俺は何を考えて……くそ、頭が痛い。でも、食べること以上に……会いたい子がいる。……俺にはもっと……大事な子がいたはずだ……)


 食欲に関係するお姫様のような女の子も大切ではある。

 しかし、彼女よりも、俺の心の奥底に根を張っているような……深く繋がった存在がいたはずなのだ。


 俺が会いたいのは――

 猛吹雪に佇むゴシックな女の子ではない。

 血の海で俺を誘ってきた女の子だ。


 敵の身体を切りつけ、肉を飛ばし、鉄の臭いを充満させる中――ふと、精神(こころ)を破壊されても拭えなかった狂気的な記憶がフラッシュバックする。

 引き金は草原に立ち込める血の海と香りだった。


 ――血の海と内臓の山。深紅の中、幻想的に浮かび上がる白い肌。肋骨が浮くほど痩せた華奢な身体。俺を抱き締める柔肌。血と体温が混じって熱くなった肢体。大きく膨らんだ双丘。


『好き――好きだよオクリー』


 耳元で囁いてくる優しい声。愛ゆえに負けられないという決意に満ちた声だ。目と目が合う。ぐるぐると螺旋を描いた翡翠色の美しい瞳。蛇のように絡みつき、甘く注ぎ込んでくる舌。血と甘さの混じった匂いがする、繊細な髪。刈込鋏。


『だから、もう諦めてさ……アタシの色に染まって、一緒に生きよう……?』


 大嫌いで、大好きで。分かり合えたようで分かり合えていなくて、でも根っこではお互いのことを想い合っていて。一言『恋』という言葉で表すにはあまりにも難しすぎる複雑怪奇な俺とあの子(・・・)。愛憎入り交じった激的な感情が撹拌されて、それでも好きだと思えるような関係で。

 混ざり合った二人の血の海と、肉の証。絶対に(・・・)忘れる(・・・)ことなんて(・・・・・)できない(・・・・)思い出(・・・)が想起されて、魂が震えた。血の臭いに誘われて思い出したかけがえのない記憶の断片が、俺に過去の記憶の一部を取り戻させていた。


「……よあ、んぬ。……ヨアンヌ……ヨアンヌ・サガミクス……」


 ――ヨアンヌ・サガミクス。血肉を分け合った存在にして、アーロス寺院教団幹部序列六位の女傑。……あの子のことを思い出した。

 それ以外は……まだ分からない。不気味に靄がかかっている。だが、次第に思い出せるはずだ。俺を聖都サスフェクトへと向かわせようとする声が誰のモノで、もう一人の少女が誰なのかも。


「どうしたオクリー君」

「え? ……お、おおっ!? ビックリした。爆発の余波でボーッとしてた」


 現実に帰ってきた俺は、足元で呻き声を上げる瀕死の盗賊に驚いてドルドン神父の陰に隠れてしまった。他の盗賊たちは死んでいた。あれだけの大所帯はどこへやら、皆地面に転がって血の海を作っている。

 残ったのはどうやら彼一人らしい。俺とドルドン神父は最後の一人を見下ろした。


「だから言っただろう、後悔すると」

「だ、黙れぇぇ……クソ神父ぅ、ぶっ殺してやる……!!」


 俺ではなくドルドン神父を睨みつける最後の盗賊。彼は修羅の如き形相になると、神父の足元にすがりついて怨嗟の涙を流した。


「テメーらケネス正教はオレ達を救ってくれなかった! 俺を救ってくれたのは……アニキだけだったんだ……!」

「ほう、それで?」

くそ(・・)正教がこの国を牛耳るくらいなら……アーロス寺院教団()が国盗りしてくれた方が……よっぽど嬉しいね……! そしたらアニキだって……きっと……喜んで…………くれる…………!」

「長い。早く死ね。君達のリーダーは面白そうな子だったが、残念ながら君に興味は無い」

「…………」


 最期の力を振り絞ってしがみついてきた盗賊の手を足蹴にする神父。無言で盗賊の頚椎の辺りに短剣を突き刺した後、踵を返して剣の血を拭い始めた。


「血の臭いで魔獣がやってくる。盗賊共の馬をかき集めて、一刻も早く聖都サスフェクトを目指そう」

「……あぁ」


 盗賊と戦う前にドルドン神父と話したことを思い出す。

 ケネス正教はまともな部類に入るらしい。恐らくそれは、大多数の人間を救い上げて庇護できているからなのだろう。ただ、彼ら盗賊のような少数の人間は取りこぼしてしまう。


 もしかしたら、邪教徒の教祖アーロスも、ケネス正教の救いの手から零れ落ちてしまった人間なのかもしれない。そう思った。


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