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七七話 金玉ぶらり旅


 混沌の夜はまだ終わらない。サテルの街から脱出した俺達は、馬を休ませるために野営を決行していた。

 未だに何がどうなっているのか理解しているわけではないが、ドルドン神父と出会う前と比べると明らかに風向きが変わっているのは分かる。街を抜け出してからというもの、俺は酷い頭痛に襲われて気の休まる暇がなかった。


「オクリー君、もう体調不良なのか? そんな体たらくじゃ旅の行く末が思いやられるわい」

「黙れ……」

「じゅるるっ。何だ、まだ元気じゃないか……安心した」


 焚火を挟んで座る俺達。よくよく考えれば、俺と神父がこうして会話しているのは異常事態だ。ドルドン神父は俺を強姦した上で殺害しようとしていたのだから。普通ならどれだけのリターンを用意されても彼との同行は断って然るべきだろう。

 しかし、俺達にはその異常事態を納得させるだけの出来事が起きてしまった。どうやら俺の正体が邪教徒の尖兵であること、狂気の沙汰としか思えぬ『幹部爆弾』作戦に利用されていること、そして死を恐れたドルドン神父が俺の殺人を諦めたことが転化のきっかけだ。


 もっとも、その変化が『良』に転ぶとは思えない。終わりの見えない薄暗い坂道を転げ落ちていくように、事態が悪化して逆行不可能な状況に追い込まれているような気がする。

 だが、俺はこの神父から逃れられなかった。聖都サスフェクトへの路銀を保証してくれる上、馬を使って行くまでの()になってくれるからだ。無論それだけでは命運を託す理由には足らないが……旅の同行者になったドルドンに色々な話を聞いておきたいというのがあった。


 悩みの種はそこらじゅうにある。一にドルドン、二にケネス正教、三に邪教徒、四にマリエッタと金髪坊主の彼の行く末。

 ドルドン神父は言うまでもない。成り行きで聖都サスフェクトまでの同行者にはなったが、信頼できるわけがないだろう。人差し指、中指、薬指に他人の組織が癒着したこの左手を見られてからは彼の行動も様変わりしたが、それはあくまで外的要因による抑制であって奴の性質が矯正されたわけではない。


 根底では敵対者同士。今は仲良く日を囲んで野営なんてしているが、「血が出るような危害さえ加えなければセーフ」「気持ち良くなってくれたらセーフ」という暴論でキスなどをせがんでくるかもしれないのだ。実際こいつなら有り得る。

 ――と、想像したところで凄まじい嫌悪感と吐き気を催してしまう。冗談じゃない。俺は頭痛と一緒に襲ってきた不快感にうなされることになった。


 すると、俺の様子を見ていたドルドン神父が口端を歪めているのが見えた。赤熱した視界の中、俺は確認するように問いかけた。


「……お前はもう俺を襲わないんだよな。俺の左手が『幹部爆弾』で無闇な刺激を与えられないのと、どこに監視の目があるか分からないから……」

「そうとも。ワシは君に危害を加えない。加えられないのじゃ」

「…………」


 残念そうに涎を啜るドルドン神父。良かった、と呟こうとした時、彼の口が微かに動く。


「だが、俄然として君に対する性欲はある」

「は?」

「ワシの考察はこうじゃ。『オクリー君を』『五体満足で』『聖都サスフェクトへ送り届ける』ことが邪教徒の目的。つまりワシが君を傷つけない信頼感を『監視役』に植え付けられたのなら、双方気持ち良くなろうが邪教徒さん的にも問題ナシということだ」

「お前……」

「安心したまえ、男子の快楽のツボなど心得ておる。じゅる、れろ。フヒヒ、逆に言えばラインを弁えれば何をしても良いということだ。ワシはまだ諦めておらんぞ〜?」


 ――やはりこの男は史上最悪の異常者だ。まさか想定した通り、いやそれ以上の悍ましい発言を引き出せるとは思わなかった。体調不良のせいで満足に動けなかったが、ドルドン神父に対して威嚇のポーズを取ることでその汚い口を塞がせた。

 この男は街を逃げ出してから、すっかりその本性を隠さなくなった。近い将来、正教幹部ポーメットに犯罪歴がバレてしまうとあって、隠すだけ無駄だと感じているからだろう。


「……ふふ、そう睨むな。ワシらの力関係は未だに均衡しておる。お互いに致命的な弱点を抱えているからこそ信頼が築ける、そう思わんかね?」

「…………」


 彼の言う通り、俺達はそれぞれを破滅させることのできる情報を持っている。この左手に刻みつけられた邪教徒の肉片は、俺の人生を容易く終わらせてしまうほどの大きな弱点だった。

 村を襲撃したり、街を崩壊させて人の住めない環境にしたりする邪教徒。そんなカルト教団の操り人形にされている俺は当然排除の対象だ。正直、ポーメットにバレていたら問答無用で拘束されて首を刎ねられていただろう。


「何故アーロス寺院教団が忌み嫌われているか分かるかね?」

「……村や街を襲って人を攫ったり殺したりしてるそうじゃないか。一年前だって、マリエッタの故郷を文字通り滅ぼして地図上から消し去ってしまった。テロ組織として脅威的だからな」

「六〇点の回答じゃ」

「……は?」

「その程度の認識では国民の恐怖に寄り添えておらんと言うことだ」


 ドルドン神父は立派に蓄えられた髭を指先で摘んで伸ばす。犯罪者の癖に随分と尊大な物言いだった。


「ゲルイド神聖国はテロ組織や敵対国家と幾度となく戦ってきた。時には幾万年の眠りから醒めたドラゴンと一世紀に渡って戦い抜き、時には血で血を洗う戦争で人口が激減、国家存亡の危機に立たされたり……それでもゲルイドの民やケネス正教徒は現在に至るまで血を繋いできた。……そんな強大な敵と比べてアーロス寺院教団はどうだ? 国軍より遥かに劣る兵士の質、頭数。いつも雲隠れしている七人の魔法使い。もちろん幹部が恐ろしく強いことには変わりないが、ワシの所感で言えばドラゴンや国家を敵に回す方が余程恐ろしいわ。……つまり、邪教徒は敵としての規模感だけで言えば『中の下(・・・)』程度なのだよ」

「何……? 邪教徒が中の下だって? こんなに苦しめられているのに?」


 整然とした口調で話すドルドン神父。その発言内容に対して反論しようとすると、節くれだった彼の手が遮ってくる。


「規模感だけで言えば、の話じゃ。奴らは今のところ国家と真正面からやり合う力は持っていないからな。……だが、この数百年で最もゲルイド神聖国やケネス正教を苦しめたのはアーロス寺院教団になるだろう。奴らは国家を疲弊させる手段を心得ておる。狡猾さだよ。それがズバ抜けて高い」

「……例えば、どんな?」

「事例を挙げてやろう。……『邪教徒の死体を見ていたところ、数年前に攫われた息子とそっくりな顔をしていた』。『邪教徒に連れ去られた娘が生きて帰ってきたため迎え入れたところ、敵の邪法に操られた死体だった。その村は焼失した』。『市場に売られていた農作物に邪法の毒が仕込まれており、街人数名がゾンビ化した。これ以降は正教公認の商会からのみ卸売されることになった』。……どうだ、吐き気がするほど厄介だろう?」


 今挙げられたのはほんの一例。ドルドンに更に聞いてみると、鬼畜の所業としか思えぬ邪教徒の凄惨な行為の結果がとめどなく頭の中に流れ込んできた。

 普通に話している分には、彼が神父の務めに徹していたことが窺える。芯は異常者そのものだが、数十年間纏ってきた完璧な神父の皮が俺を黙らせた。


「……そして今回の『幹部爆弾』は、国を揺るがす最低最悪の発明品。対処するのも予防するのも不可能に近い完璧な作戦というわけだ」


 俺は左手を見下ろし、三本の指に癒着した肉片をまじまじと眺める。


「……この指の使い方によっては、この国をジリジリと滅ぼすのも夢じゃないってことか」

「その通り。『ゾンビ毒』に加えて『幹部爆弾』……国を内側から滅ぼすには充分すぎるわい」

「邪教徒の目的って、ケネス正教を滅ぼすことなんだよな。何でここまでやれるんだ?」

「……そんなものワシには分からん。数年前に聞いた話だが、正教幹部曰く奴らの目的は『ゲルイド神聖国』を乗っ取って教団規模を拡大することらしい。教祖アーロスが何を考えておるかは知らんが、ケネス正教にかなりの恨みがあると見える。狡猾な手段を多く使うのもそのせいだろう。国盗りは復讐の結果やもしれぬ」


 邪教の教祖アーロスがケネス正教に恨みを持っている。その言葉を聞いて、俺はケネス正教がアーロスに何をしたのか問うてみた。

 返ってきた答えは「知らん」。そんなことは分かっている。特別な迫害をアーロスに与えてしまったとかじゃなく、ゲルイド神聖国で常日頃から行っていることがアーロスの怨嗟の引き金(トリガー)になったのではないかと思ったのだ。


「税に苦しむ民、魔獣被害や農作物被害に悩まされる民、貧困を嘆く民、疫病に苦しむ民……そしてワシのようなクソ聖職者に運悪く苦しめられてしまった民……割と理由は考えられるな」

「ダメじゃねぇか」

「じゅるる。確かにダメだなぁ。しかしワシ、聖職者だから。苦しむ民は見てきても、正直その気持ちは分からんのう。そういう意味でも、この国にアーロスが誕生するのも時間の問題だったと言えるやもしれぬ」

「…………」


 聖職者以外の人間は様々な重石を背負っている。そういえばマケナさんの村も裕福とは言えない村だった。魔獣の群れの対策も後回しにされていたし、マケナさんがいなければ怪我人の治療も病人の看病もままならなかっただろう。

 ケネス正教は完璧ではないが、邪教徒のせいで機能不全が加速しているような印象を受ける。そんな俺の言葉を読み取ったかのように、ドルドン神父はしみじみと告げた。


「ワシが言うのも何だがね……ケネス正教は大分まとも(・・・)な部類に入る。悪い所も多々あるが、大多数の民は普通に暮らせているからな。……破壊することしかできぬ邪教徒共がこの国を制圧したところで、何もかも上手くいかずに終わるだろう。規模が大きくなった教団を引っ張れずに内紛が起きて自滅するか、他国に争いを仕掛けて戦火を拡大していくか……いずれにしてもこの国を引っ張れるのはケネス正教でしか有り得ない」

「本当にお前が言うなって話だな」

「じゅる。まぁ国から追われる身となったワシには全てどーうでもいい話だよ。ケネス正教もアーロス寺院教団も……全てどうなろうが知ったことではない。ただ――」


 神父の顔つきから異常者の顔つきになったドルドン神父は、赤紫色の舌をべろりと鼻先に伸ばした後、犬のように息を荒らげながら俺の両手首を掴んできた。


「――オクリー君。君のことだけは……ずっと考えていたい……」

「ぐっ……!? お前、ふざけ――」


 メラメラと燃え盛る篝火の傍で、身長一九〇センチを数える巨体に押し倒される。叫んで暴れ回ろうとするが、腰の上に乗られてマウントを取られてしまった俺に為す術はない。


「オクリー君。聖都サスフェクトに到着したら式を挙げよう。結婚しよう。ワシの夢だ。あぁ、そうだ。養子も貰おう。君に似て、首の華奢な、黒い目の、少し筋肉質の子だ。子供も作りたい。なぁオクリー君、どこまで実現できるかな?」

「男が赤ちゃん産めるわけねぇだろっ!! 死ね!!」


 ドルドン神父の左手の指が欠けていたのが功を奏した。一瞬の隙を突いて片手を解放し、髭もじゃの顎を拳骨で的確に揺らす。


「お、おおっ……!?」


 巨漢ドルドンにクリーンヒットした攻撃は想像以上の効果を及ぼした。拘束の力が弱まり、辛くも脱出できるようになったのだ。

 素早くドルドン神父の股下から抜け出した俺は、彼に無理矢理握り潰されて青くなった手首を摩った。


「油断も隙もない変態野郎が。本当に死んでくれ」


 ドルドン神父から距離を取って武器を手にして防御する。そんな中、視界の半分が急激に明るくなった。

 光源の方向に首を振ると、ゆったりとした日の出が始まっていた。雄大な山脈から降り注ぐ陽光。色々とやっているうちに朝になってしまったようだ。ドルドン神父は気持ちの良い日の出を忌々しげに睨みつけると、そっぽを向いて靴紐を結び直した。


「興醒めじゃ。ワシは夜にしか男子を襲わないポリシーでやっておる。だから安心したまえ」

「今の流れでどう安心しろって?」

「自分ルールというやつじゃ。萎えてしもうたわい」

「何なんだよその拘り……」


 ドルドン神父は朝日を浴びながら、ぬっと立ち上がる。手荷物の傍に置いた短剣をひったくり、しゃらんと音を立てて抜き放った。


「……ところでオクリー君、気づいたかね?」

「何に?」

「馬の蹄の音。何が来るぞ」


 その発言の直後、水平線の向こう側に集団が現れた。朝日を背景にして、馬に乗った謎の集団がやってくる。

 ドルドン神父は呆然と呟く。「盗賊だ」と。自分で言っておいて少し驚いたのか、神父は俺の方に向き直った。


「盗賊だオクリー君。戦うぞ」

「く、くそっ! 何でこんな目に!」


 俺は慌てて短剣を装備し、左手の黒手袋をはめる。数秒もすると盗賊の姿が明瞭に見えてきて緊張が走った。その数にして一〇人前後。かなり多そうだ。


(だけど――!)


 俺は隣に立つ元神父の男と肩を付き合わせる。分厚い胸板、太い腕。七五歳とは思えぬ鋼の肉体に加え、奴には兵役や殺人の中で培ってきた戦いの基礎がある。

 今はどんな味方よりもこの男に心強さを感じていた。どんな敵が襲ってこようとも負ける未来が見えない。俺は並び立つ老爺に叫び、腰を沈めた。


「ドルドン神父、死ぬ気で俺を守れよ!」

「あぁ。心得ておる」


 こうして俺達と盗賊の戦闘が始まった。


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