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七四話 混戦模様


 オクリーは激しく混乱していた。ドルドン神父が推察の最中に零した「君はオクリーじゃない。邪教徒のオクリーだったんだな」という言葉のせいだ。

 彼は己の正体はおろか、一年前ダスケルの街を滅ぼしたきっかけを作ったのが『オクリー』であったことも知らない。ただでさえ意味不明だったドルドン神父の言葉がオクリーの思考を更に困惑させていた。


(俺の正体が邪教徒だって……? そんな馬鹿な! 俺は……俺は――普通に――普通に生きたいだけなのにっ! 何でそうなるんだよっ!!)


 オクリーはナイフをぶら下げたドルドン神父をいつでも攻撃できるように隙を窺い始めた。最善策はこの教会から脱出することだが、全ての出入口が封じられているため敵を無力化する他生き延びる術はない。

 ふつふつと湧き上がる食欲に身を委ねていいものか迷いながら、青年は生きるためにやっと反逆を始めようとしていた。


 ――ヨアンヌの駒アレックスは、教会の部屋の窓をピッキングして建物内に侵入しており、神父の悍ましい言動の数々を物陰から観察していた。


(う〜ん。あのドルドン神父ってヤツ、どう考えても邪教徒側の人材っすよね。普通に邪悪すぎるっす。何でか知らないけど先輩の金玉触るだけで正体見破っちゃうし、ケネス正教のジョーカーすぎるっすよ普通に……。この人が上司だったらめちゃくちゃ面白かったんだろうなぁ)


 現在は教会の天井近くの窪みに潜んで弓を引き絞っており、停滞したオクリーとドルドン神父の戦闘を見守りつつ、いつ横槍を入れてやろうか迷っている状況である。

 これは何も『楽しければ何でもいい』というアレックスの行動パターンに則った躊躇いではなく、オクリーを正教の街に送り込んだ理由のひとつに『彼の記憶を取り戻す』ことが含まれていたからだ。


(今のオクリー先輩は腑抜け同然。でも、あの異常に勘の鋭い変態神父と付き合わせることによって、失われていた記憶が戻るきっかけが生まれるかもしれないんすよね。……これは自分の勘っすけど、オクリー先輩は『恐怖』『絶望』『不安』に当てられた時に昔の記憶を思い出せるんじゃないかって……今までの様子を見てるとそう思うっすね)


 記憶が戻ってくるかどうかは全てオクリーの精神任せ。これが中々難しい。何故か金玉に触れただけでオクリーの正体に気づいてしまったドルドン神父は殺すとして、いつ殺すかが問題である。なるべくオクリーに刺激を与えてもらった上で――ついでに場を面白くしてもらって――殺したいのだ、いつでも神父を殺せる今はこの状況を見物しておくべきだろう。

 弓の弦を引き絞る音、呼吸音、足音、それらの雑音を一切掻き消して、気配の一片すら勘づかせないように、アレックスは闇の中に隠伏を続けることにした。


 ――ドルドン神父は、オクリーをどうやって大人しくさせようか悩んでいた。舌を切り落とすことに失敗し、油断のせいで左手の人差し指と親指の一部を失ってしまった。武器の有無で有利を取っているとはいえ、左手をまともに使えないのでは戦闘が長引いてしまうかもしれない。

 彼の正体を見破った後は、舌を切断して四肢を縛り上げて駐屯所にいる兵士に贈呈して、邪教徒共の計画を事前に洞察した英雄として祭り上げられようとしていたのだが――人生は中々上手くいかないもの。その妄想は早くも崩れ去っていた。

 ドルドン神父は靴紐を解いて左手首を縛り上げ、興奮と痛みで息を荒らげながらオクリーを睨みつけた。


(……『転送』の瞬間をこの目で見たことはないが、オクリー君の左手に幹部爆弾がある以上は彼を殺せない。記憶喪失ではあるが、どうやったら爆発するか分からないからのう。左手を切断するのも良くなさそうじゃ。……無理矢理しゃぶらせるのも、一旦はやめておこう。はぁ)


 ドルドン神父はオクリーと一定の距離を保ったまま、まだ見ぬ『転送』について考察を深めていく。

 噂に聞いていた『ダスケルに邪教幹部を召喚した戦法』と瓜二つの手法が目の前に現れて、未知なる恐怖と興奮が渦巻いていた。


 これは正教幹部の側近と親しい者から又聞きしたのだが、幹部に備わった性質として、身体が消し飛んでもそこら辺に飛び散った肉片からニョキニョキ身体が生えて元通りになるというふざけた能力がある。確認できた限りだと、その『転送』の射程は数百メートルらしい。

 つまり、幹部の肉片所有による移動要塞計画は転送射程という一点で相当の不便を被っている。何せ肉片所有者から半径数百メートル以内にいなければ、爆弾は不発に終わるのだから。


 数百メートル程度の転送射程なら、回りくどいことをするよりも、直接空から落下してきた方が効率の良い奇襲だと考えるのが常人の発想だが――


(空からの奇襲が行われないのは、ケネス正教幹部第六位ノウン・ティルティの植物が街の上空を守っているからだ。……この小さな街にも対空防衛システム自体は配備されている。動いているところなんて、見たことも聞いたこともないがのう……)


 ドルドン神父の思う通り、ゲルイド神聖国では空中からの奇襲に備えて『対高速飛行物体用粘着蔓』が設置されている最中だった。

 『対高速飛行物体用粘着蔓』は植物を操る正教幹部ノウンによる特製の植物で、高速飛行物体及び敵性魔法攻撃に反応して街の上空で高速展開される仕組みだ。これがあれば先述の空中奇襲はある程度防ぎ切れてしまう。


 一年前までは聖都サスフェクトを含めた巨大都市にしか配備されておらず、メタシムやダスケルの街は対象外だったのだが、その二つの街が襲撃されてからは全都市に完全配備される流れになっている。


 正教上層部の考察では、大都市に設置された奇襲防衛システムを嫌った邪教徒が『転送』を利用した新たな戦術を開発し、そのテストプレイを行ったのがダスケルの悲劇だとされていた。テストプレイがあるなら本命の作戦も当然存在する。邪教徒は巨大都市に襲撃を仕掛けるつもりなのだ。この考察は議会で度々指摘されていたが、いつどこに襲撃されるのかという予想が難しすぎるため、話題に上がる度に「対策不可能」として有耶無耶にされていた。

 転送の射程という制限を受けながらも、防衛システムや人の目を完璧に掻い潜って奇襲を仕掛けられる移動要塞計画は、それほどまでに破格の戦術なのだ。


(『転送』の限界距離は一キロか、大きく見積っても一〇キロ。ま、それだけの距離を実質的に瞬間移動できるのなら充分すぎるよのう。イキナリ街の真ん中にパッと幹部が出てきたら、そりゃその街はお終いじゃ)


 この戦術を事前に見破るのは困難を極める。

 だからこそ、移動要塞計画の発動以前にオクリーの正体を見破り、彼の身体に癒着した幹部の肉片を発見したドルドン神父の所業は、まさに英雄譚になって語られるほどの神業としか言えなかった。


 ――問題は、ドルドン神父が言い逃れ不可能なほどの屑であること。今までの人生で一九人の尊い少年の命を奪い、あまつさえ悪びれもせずどれだけ完全犯罪を重ねられるかチャレンジしようとしていた男だ。その歪んだ欲望が油断のせいでオクリーに漏れてしまったため、救国の英雄たり得たドルドン神父は己の行いによって首を締められていた。

 この日、この瞬間においては、本物の英雄になれる存在なのに。


「オクリー君。やっぱりもう一度『金玉』を触らせてくれないかのう」


 油断を誘うため、己を奮い立たせるために甘言を漏らすドルドン神父。しかし彼が声を上げた途端、この場にいるオクリー、ドルドン神父、アレックスにとって望ましくない来訪者が現れた。


『――ドルドン神父? そこにいるんだな。ワタシの名はポーメット。この扉を開けてくれないか』


 ――ポーメット・ヨースター。それに、マリエッタ・ヴァリエール。正教幹部ポーメットが、扉越しにドルドン神父の話し声を聞いてドアを叩いたのだ。

 オクリーは助けが来たと歓喜の表情を浮かべたが、ドルドン神父及びアレックスは冷静でいられない。特にドルドン神父。二人がやってきたタイミングが悪すぎた。


(――まずい。ワシの不適切な発言を聞かれてしまったか……!?)


 『金玉』を触らせろという、神父が冗談でも口にしてはならない禁句じみた爆弾発言。しかもポーメットやマリエッタが気にかける『オクリー』に対しての発言である。

 二度、ドルドン神父の無限の欲望が、己の首をきつく締め付けた。


(聞かれた? いや、聞かれてない? いずれにせよ、この扉を開けて確かめなければならん。釈明せねばならん。幹部の前での大失態となれば、ワシの立場は消えてなくなる。いかなる疑いをも抱かせてはならんのだ)


 国家存亡の危機の前に、ドルドン神父は己の進退が掛かった問題を解決せねばならなくなった。激しく狼狽したドルドン神父は、施錠された扉の前で鍵を取り出そうと何度も手間取ってしまう。

 彼にしてみれば、邪教徒や魔獣が襲ってくるよりも己の立場が崩れ去っていく方が余程恐ろしかった。


 その頃、アレックスは邪教徒の大敵である正教幹部ポーメットの襲来に震えていた。さすがの彼でも彼女の来訪は予測できなかった。アレックスは引き絞った弓を慎重に弛め、右手に摘んだ弓矢を背中の筒に戻していく。

 ポーメットの前で神父を殺すなんて言語道断だ。そんなことをしたら逃げる間もなく殺されてしまう。一瞬己の保身を考えた後、幹部の肉片が癒着したオクリーの左手が露出していることに気づいて、金髪坊主はアッと声を上げそうになった口元を押さえつけた。


(うっ!? オクリー先輩っ、すぐに左手を隠してくれっ! ポーメットにそれ(・・)を見られたらマジに一巻の終わりっすよ!!)


 天井の窪みから身を乗り出し、何とかアピールして黒手袋を装着し直せと口パクで叫ぶアレックス。現在のオクリーに潜む特大の弱点は、その異形の左手だ。記憶喪失とか魔獣の群れを退けた実績とか、そういう誤魔化しを根っこから吹っ飛ばしてしまう。


(だっ、ダメっす! オクリー先輩がポーメットに邪教徒バレしたら処刑は必須! そして先輩を守れなかったらヨアンヌ様ブチ切れで自分も死っ! ヨアンヌ様の計画は失敗に終わり、アーロス様も大変悲しまれる結末にっ……!)


 ドルドン神父にバレている分にはまだ可能性がある。何せ彼は一九人もの人間を殺しており、その悪業がアレックス・オクリーの二名に露見しているからだ。その点で神父には付け込める隙があるのだが、ポーメットに関しては彼女自身が正教トップの一角であるため誤魔化しようがない。

 ドルドン神父がまごついている間に左手を隠せなければ、文字通りアレックスとオクリーの人生は終了となる。


(ううっ! 先輩に命を握られているこの状況、絶望的なはずなのに面白すぎて(・・・・・)ワクワクするっす! これだから邪教徒はやめらんないっすよ! ――届けぇぇ、この熱い想いよぉぉ!!)


 アレックスは渾身の念を送ってオクリーに黒手袋を拾わせようとする。少し間を置いて、地面に転がった黒手袋を掻っ攫うオクリー。アレックスの願いが通じたのだ。

 オクリーは神父の視界から外れた瞬間に黒手袋を左手にはめ直していた。オクリーの内側から囁いてくるアーロスの声が、左手を隠さなければならないと信じ込ませたのも大きかった。


 気を取り直したドルドン神父が教会の扉を解錠すると、扉の軋む重々しい音が響き渡る。神父は己の失言に滝のような汗を垂れ流しながら、流れ込んでくる夜風と共にポーメットとマリエッタの両名を教会内に導いた。


「……ポーメット様、このような夜分に如何様でございますか?」

「――――」


 ――オクリーの様子を見に来たマリエッタとポーメットは、それぞれ感情をぐちゃぐちゃにされた。

 まず、ポーメット。オクリーの顔を見た瞬間、一年前のダスケルの出来事が鮮明に浮かび上がったのだ。


(あの顔は……! シャディクとポークからワタシを助けてくれた青年と瓜二つだ! しかも彼はアルフィーを探していた。十中八九、マリエッタの恩人オクリーと同一人物だ……!)


 たった一瞬とはいえ、戦場を共にした顔。ポーメットは手前にいるドルドン神父を無視して、薄暗い教会内にいるオクリーに向かって歩き出そうとする。

 しかし、そんな彼女に左手の傷を見せつける形で神父が進路を軽く塞いだ。人差し指と親指を喪失し、脈打つように出血を繰り返す彼の傷を見て、ポーメットは至極当然の疑問をぶつける。


「ドルドン神父、その傷は?」

「そちらのオクリー青年に噛み付かれまして」

「ちっ、違うっ! ドルドン神父が先に俺を襲ってきたんだっ!」


 左手の指を断たれた神父と、全身の服を剥かれて半裸になったオクリー。早速両者の意見が食い違う。ドルドン神父の意見に押し切られてしまう恐怖から、オクリーは神父の隣を抜けてマリエッタの腰に泣きながら縋りついた。


「ま、マリエッタぁっ! この神父が俺を襲おうとしてきて……っ! なあ、マリエッタは信じてくれるよな……!?」


 がたがたと震えながら必死の形相で訴えるオクリー。そんな彼を細い腰に絡みつかせながら、マリエッタはぞくぞくとした謎の悦楽を感じていた。

 ――あぁ、この人はあたししか頼れる人がいないんだ、と。


「――大丈夫ですよオクリーさん。あたしはいつでも(・・・・)オクリーさんの味方ですからね」


 マリエッタは怯え切ったオクリーの様子を見てすぐに異変に気づいていた。涙を流したせいか痛々しく腫れ上がった両目。母親にべったりくっついて離れない幼子のように弱々しいオクリーの姿は、マリエッタに「ドルドン神父があたしの恩人に良からぬことをした」と直感させたのだ。

 これまで積み上げたドルドン神父の実績を一切無視して、マリエッタはオクリーの言葉を全面的に支持することを決意した。


「……ほんの野暮用で訪れてみたのだが、厄介なことになっているな。ドルドン神父。立ち話も何だ、とりあえず奥で話せるかな? 出血も止めてあげるよ」

「……承知しました」


 ドルドン神父は懐にナイフを隠し、ポーメットとマリエッタを客間へと招き入れた。

 ドルドン神父の左手の治療が行われた後、それぞれの思惑を以て四人の話し合い――天井裏に隠れた物言わぬ金髪坊主も含めると五人の話し合い――が始まった。


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