七三話 絶体絶命×5
土砂崩れにより行き止まりとなった山道の整備活動を行っていたマリエッタは、すっかり疲れ切った身体でサテルの街に帰還した。邪教徒を撃滅するべく正教幹部を目指しているため、彼女は組織内での立場を固めるべくあらゆる任務を受けている。
日頃から世話になっているポーメットの役に立てていること、そして命の恩人オクリーに会って時間を忘れることが今のマリエッタの精神を支える大きな柱となっていた。
「ただ今戻りました〜……」
「おう、おかえりマリエッタ」
ふらふらと覚束無い足取りで駐屯所に戻ってきたマリエッタは、入口で槍を構える兵士に挨拶しながら豪奢な建物の中に入ろうとする。そんな彼女の華奢な背中を思い出したように呼び止めた兵士は、先刻あった印象深い出来事を話し始めた。
「そういえばマリエッタ、今日妙なことがあったよ。オクリーって名乗る汗ダラダラの不審者がお前を探してたんだ。緊急の用事だからマリエッタ・ヴァリエールと面会させてくれ〜……ってさ」
「えっ、いつ頃?」
「午後だよ。そいつマリエッタがいないことにめちゃくちゃ動揺しててさ、真っ青な顔して逃げちまった。な、変な話だろ?」
眉をひそめて困惑気味の半笑いになる兵士。マリエッタも同じように混乱した顔になっていたが、とりあえずは一緒に帰ってきた仲間と共に任務の報告をするのが先だ。
マリエッタはポーメットに任務が恙無く完了したことを報告すると、次なる任務が課されないことに安心した。
「うむ、任務ご苦労だったな。今日はもう休んでいいぞ」
「ありがとうございますポーメット様」
本日早朝、任務から帰還したポーメットは数分の滞在の後に再出発しようとしていたが、頼むから休んでくださいと部下から泣きながら懇願された結果、仕方なく今日だけは休息日にすることを決めていた。肉片から全身を復活させることが可能なほど化け物じみた生命力を備えるポーメットでも、例えば全細胞を焼き焦がされてしまえば死亡するし、寿命による死からも逃れられない。幹部が過労死したなどという前例は無いが、仮に過労死して復活できなかったら大問題だ。
ポーメット的にはバリバリ働いて国の脅威を排除したかったのだが、信頼する部下達に泣き疲れては無理を通せなかった。穏やかな陽気に釣られて椅子の上で目を閉じてみたり、しばらく読めていなかった本を読んだりして、ポーメットはおよそ一年ぶりの休養を彼女なりに楽しんだわけである。もっとも、最初の数時間は休み方を忘れていたために執務室でペンを転がすだけの時間を過ごしていたのだが。
メタシム及びダスケルの街が崩壊してからは様々な任務に追われてきた。久しぶりの休養で柔らかくなった雰囲気のポーメットは、目にかけてきた部下マリエッタにも休息を取るように命じた。
不器用なポーメットは部下と交流を深めた方が良いのだろうかとしばらく思案した後、意を決して言葉を絞り出すことにした。
「……ま、マリエッタ、たまには一緒に湯浴みでもしに行かないか?」
「えっ、一緒にお風呂に行くってことですか? それはちょっと……」
「嫌だったなら断ってくれて構わない。……一人で行く」
マリエッタの微妙に断りたそうな雰囲気を感じ取ったポーメットは、タイミングの悪さを誤魔化すように、こめかみの辺りに垂れた金髪を耳にかけた。
多忙を極める幹部の多くは、風呂に入る時間すら惜しい。古くなった肉体組織を新品に入れ替えるため、切り落とした肉片から全身を再生することで実質的な肉体洗浄とする者が多い。ある程度時間のかかる風呂に対して、近場への『転送』ならたった数秒で完了するからだ。幹部にとって風呂は贅沢の一種と成り果てていた。
残念そうに碧眼を伏せるポーメットに対して、マリエッタは手を振って大慌て。他の者に比べて随分親しい仲とはいえ、ケネス正教が誇る大幹部の誘いを断るのは気が引けた。しかし、オクリーに関する妙な報告が頭にチラついて板挟みの状態である。
「いやっ、違うんです! 急用というか気になることがあって、それが終わった後なら全然お風呂に行きたいって言うか!」
「……差し支えなければ、どんな用事なのか訊いてもいいかな?」
「最近あたし外出しがちじゃないですか。実は前から話題に挙げていたオクリーさんに会いに行ってるんです」
「何? 『オクリー』に会っているだと……?」
柔和な面持ちから一転、女騎士ポーメットの雰囲気が剣呑なものになった。風呂とか休息とかつい先程まで考えていたことなんて全て吹き飛んで、一気に『ケネス正教幹部序列四位』の思考になっていく。
マリエッタの言うオクリーと邪教徒のオクリーは名前どころか外見の特徴すら一致している。マリエッタの命の恩人とはいえ、個人的に疑いをかけている人物に会いに行っていたと聞いて、心中穏やかでいられるはずがなかった。
「いつから会っている」
「え、えっと、数日前に再会したんですけど、オクリーさん記憶喪失になっちゃってて……昔の話とか世間の一般常識とか色々とあやふやなんです。だからあたしが沢山教えてあげなきゃって言うか」
指の腹同士をくっつけてもじもじとするマリエッタ。彼女の言葉が半分しか入ってこない。ポーメットは深く思考するより先に言葉を発していた。
「マリエッタ、ワタシを彼に会わせてくれ」
「全然良いですよ! お風呂はその後に行きましょうか?」
「……そうだな」
ポーメットは深く腰掛けていた椅子から立ち上がり、言語化できない嫌な予感に任せて聖剣を持ち出して鞘に収める。
「オクリーさんの様子を見に行ってお風呂に入りに行くだけなんですし、聖剣はいらないんじゃないですか?」
「……お守りのようなものさ」
ポーメットは己の勘がよく当たることを自認していた。それも、悪い予感の時は大抵当たる。最近はその予感に対して素直な行動を取るように心がけているが、今日ほどこの感覚が的外れであってくれと思う日はなかった。
可愛い部下の恩人と邪教徒のオクリーが同一人物でありませんように。ポーメットは露出の少ないロングスカートの私服の腰に剣を携えて、同じく私服に着替えたマリエッタと共に夜闇の支配する街へ歩き出した。
――同時刻。ドルドン神父にその正体を看破されたオクリーは、口の中に突っ込まれた神父の指を食いちぎっていた。
「――ぎゃああぁぁぁああっっ!!」
活力を失っていたはずの青年から返ってきた手痛い反撃に、ドルドン神父は己の左手を押さえながら飛び上がった。耳をつんざくような悲鳴が誰もいない教会内に響き渡る。
ドルドン神父は人差し指の大部分と親指の一部が噛みちぎられたのを確認した後、憤怒を露わにしながらオクリーを睨みつける。その表情は驚きと怒りに満ちていたが、やがて疼くような快感と期待で上書きされていった。
「……じゅる、じゅるりら。良い。こんなにワクワクさせてくれる男子が今まで居ただろうか? いないよねっ、オクリー君。そんな愛撫されたらもぉワシだって年甲斐もなく勃起しちゃうよぉ?」
ぼたぼたと大きな音を立てながら垂れ流される血を他所に、神父は固くなってしまった巨大な逸物の位置を血塗れの左手で直す。神父の双眸は魚介類の如き不気味な質量を帯びており、完全にスイッチが入っているようだった。
変態と相対するオクリーは衝動的に湧いてきた食欲に身を任せ、敵の指を勢いのままに嚥下していた。彼は知る由もないが、あれほど嫌って恐れていたスティーラの爆発的な食人衝動に救われた形になる。
これまで極限の恐怖と不安に襲われた時に彼を救ってきたのは、歪な愛情を煮え滾らせてきた二人の少女の残滓だった。スティーラに由来する抑制不可能な食人衝動が今のオクリーを救い、そして苦しめてきた。ヨアンヌに由来する異常な他我の影響もあって、彼は記憶が戻っていないにも関わらず己の生きる道はここにしかないと思い始めていた。真人間であろうとしても、人間の道理から外れた道を歩まざるを得ない。ヨアンヌやスティーラと共に堕ちていくしかない。ヨアンヌと心を共有し、スティーラによる汚染もまた進む中、彼女達の支配と狂愛から逃れる術は皆無だ。
そして、その支配があらゆる空間を超えてしまうことをドルドン神父は知らなかった。
オクリーと左手の薬指を通じて深い繋がりのあるヨアンヌは、既に彼の異常を感じ取っている。ドルドン神父の名前までは分からないが、知らない男に想い人が襲われそうになって思考回路がめちゃくちゃになっていることくらいは共有できていたからだ。
万が一オクリーの左手の薬指が切り落とされ地面に衝突してしまえば、超越的な治癒魔法の使い手であるヨアンヌが忽ち現れ、愛の名のもとにオクリーを守るだろう。
直接的な肉片の繋がりはないものの、驚異的な精神汚染によって繋がりを獲得し始めているスティーラも、薄ぼんやりとオクリーの異常に気づいていた。
場所は変わって北東支部――所用で拠点を訪れていたヨアンヌはスティーラと顔を突き合わせながら、両者共に最愛の人ロスによって目を血走らせている。
「おいスティーラ、何となく分かってるだろ。アタシのオクリーが今ピンチだ。正教の街でとんでもない変態に襲われてる」
「……この疼きはそういうことだったのね。……でも、『とんでもない変態』だなんて……ヨアンヌが言えた口かしら?」
「は? ……は? オマエ、冗談言うタイプの人間だっけ……」
基本的に二人の反りは合わない。オクリーが台頭してきてからは口論にならなかったことがない。……にも関わらず、サテルの街が生んだイレギュラー・ドルドンを前にして、二人はいつでも行けるぞと言わんばかりに出撃準備を整えていた。
二人がオクリーを思う気持ちは本物だ。片や『二人だけの世界の構築』を望み、片や『熟した最愛の彼との食べさせ合いっこ』を望む二人。結末は違っても、今ここでオクリーが死ぬことはどうしても許せなかった。
「オマエ、オクリーの身体に肉片ついてないから転送できないもんな。アタシがぶん投げて送ってやろうか?」
「……本当はあなたを頼りたくないけれど、お願いするわ。……スティーラより先に食べられるなんて……絶対に許せないから」
「……アタシはオマエがオクリーを食おうとしてることも許せないけどな?」
いずれにしても、オクリーを追い詰めれば追い詰めるほど、ドルドン神父は邪教徒によって行方不明にさせられる可能性が上がっていくのだ。いや、ドルドン神父が行方不明になるだけならまだ良い。激昂したアーロス寺院教団幹部の二人によってサテルの街が焼け野原と化す可能性の方が高いだろう。
「あと一段階ヤバくなったら助けに行く。……それで文句はないよな?」
「……えぇ。……聖都サスフェクト襲撃作戦のためにも派手な行動は控えておきたいところだけど……オクリーが食べられるのだけは阻止しないと」
「ウチんとこのアレックスが動いてる。……アイツが何とかしてくれりゃ騒ぎにならなくて済むんだろうが、そう上手くいかないかもな」
場面は戻って、サテルの街。ヨアンヌが言う通り、街に忍び込んだ邪教徒アレックスが教会内の物陰から弓を引いていた。アレックスの『楽しければ何でもいい』『ギリギリまで見物していたい』という悪癖のせいで今まで弓は放たれていなかったが――かくしてオクリーは多大なる邪教の加護によって手厚く守られていた。死の危機に瀕しているのはドルドン神父の方なのだ。
――だが、この場所にマリエッタとポーメットという二人が接近してくることによって、事態は更に混沌を極めようとしていた。
かつては邪教陣営に属しており教団を内側から破壊しようと画策していたが、現在は記憶喪失に陥ってしまい世界を彷徨うオクリー・マーキュリー。
正教陣営に属してはいるが、邪教徒の存在すら利用して欲望を叶えた上に己の罪をひた隠しにする極悪人。殺人も強姦も経験したことのある正真正銘の異常者ドルドン神父。
『楽しそうなこと』のためなら自分の安全を厭わない、破滅願望のある邪教陣営の犬にしてヨアンヌの駒アレックス・イーグリー。
未だに癒え切らない危うい精神状態で、命の恩人に対してやや傾倒しすぎている正教陣営の幹部候補マリエッタ・ヴァリエール。
圧倒的な正義を掲げる正教幹部序列四位ポーメット・ヨースター。
思惑も、背景も、所属組織も十人十色な五人が一堂に会する時――誰も予想できない展開が巻き起こる。




