七二話 イレギュラーによる確信
――ドルドン神父。原作ではケネス正教の腐敗を象徴する悪役キャラとして登場し、多くのプレイヤーを混乱に陥れた。散々アーロス寺院教団を下げてきた癖に、ここで主人公陣営の印象も下げるのかよと。彼の登場によって、プレイヤー達はケネス正教も一枚岩ではないと思い知ることになった。
そして現在。前世の記憶も常軌を逸した覚悟も失ったオクリーを襲わんと準備を進めるドルドン神父は、彼に最後の晩餐を振る舞いながら団欒に興じていた。
「オクリー君の好物はジャガイモなのか。これまでの男子達は肉を要求してきたものだが……質素なのも素敵だと思うよ」
真っ青な顔で俯き押し黙るオクリーに対して、ドルドンは渾身の芋料理を木造のテーブルの上に並べた。蕩けるチーズがたっぷりと載ったじゃがいものガレット。芋のポタージュスープ。肉とじゃがいものオニオンソース炒め――揺れる蝋燭の光に照らされた絶品料理達を一瞥することもなく、オクリーは髪の毛を掻き毟りながら俯いていた。彼は涙と鼻水を垂れ流しながら「助けて」と何度も繰り返しており、誰がどう見ても食事を摂れるような精神状態ではなかった。
「食欲が湧かないのかい? どうせ死ぬなら美味いモン食って死ぬ方が幸せだと思うがね」
溜め息を吐きながら食器の用意を始めるドルドン神父。芋のスープの中には睡眠薬と麻痺毒をブレンドした特殊な薬が入れられており、食事が終わって薬が回った瞬間にオクリーはこの世の地獄を味わうことになるだろう。
カチャカチャといじらしい音を立てながら食器が並び、いよいよ晩餐の準備が整う。ドルドン神父は唯一神を崇めるような改まった言い回しを唱え始めた。
「天上におわします唯一絶対の神よ、か弱き我らに祝福を与えたまえ。救いを与えたまえ。……今日もその御心に感謝いたします。世界に祝福あれ」
ドルドン神父の中にも信仰心は存在する。本気で神を愛し、ケネス正教のために尽力してきた。ただ、それと嗜好による殺人はまた別の話だ。そして、このドルドン神父の二面性は彼の犯行を隠蔽するのに大いに役立ってきた。
表の顔は敬虔で真面目な神父、裏の顔は己の欲望のために殺人を繰り返す異常者――これまで彼の犯行に気づいた者が路地裏の男ただ一人だったのは、表向きの性格があまりにも聖人君子だったからだ。サテルの街にやってきてしばらく経つマリエッタですら、彼の所業には勘づいていない。
「さぁ味わって食べたまえ。ワシの特別料理を食べられた男子は、この十年余でも一九人しかおらんかった。オクリー君は記念すべき二〇人目なのだよ」
「…………」
「お〜そうか。ワシに『あ〜ん』してほしいと言うんじゃな?」
じゅるり。ドルドン神父はオクリーが沈黙しているのを良いことに、都合の良い解釈をして彼の隣に座った。恐怖で心を折られてしまったオクリーは、首を振って拒絶することすらできない。
「ほら、あ〜〜〜〜〜〜ん」
粘性の唾液が奏でるにちゃついた不快な音。舌先でチロチロしながらオクリーの口に料理を押し込んだドルドンは、耐えられなくなったかのように涎を啜り上げた。ここ数日で最も大きな音だった。
「ハァハァ、いかん……舌先が自然に動いてしまう」
ドルドン神父、齢にして七五。長生きと健康のコツは、溜め込んだ日常のストレスを超絶的な欲望と快楽へ置換することである。
神父はこれまで重ねてきた犯行の中で、徹底してリスク排除を行ってきた。まず、若い頃から自身の同性に対する歪んだ欲望を認知しつつも、ある程度の権力を持つまで欲望を黙殺し続けた。初めて己の欲望に気づいたのが一八歳の時。教会の神父になって初めて自分本位な殺人を犯したのが六〇歳の時。つまり、約四〇年に渡って歪んだ情欲を煮込み続けてきたのだ。
また、強行に及ぶ前には必ず街の出生登録簿を閲覧し、同名かつ年齢の近そうな人物がいる場合は犯行を諦めた。もしサテルの街に同名の人物がいなかった場合でも、隣街に遠征してより多くの登録簿や戸籍情報を見に行って情報を収集した。
村出身の者は都合が良い。特に規模の小さな村などは、役所なんて無い場合が多くて最高だ。また、崩壊した街ダスケル出身の者も混乱に乗じて好き勝手できたため好んで選んできた。この一五年で殺してきた者の数は一九名。例外的に犯行が露見しそうになったのは路地裏の男の息子だけと、まさに完全犯罪メイカーである。
オクリーに自慢の手料理を食べさせて昂ったドルドン神父は、これまで犯してきた業の全てをオクリーに打ち明け始めた。
「ワシが初めて男子を殺したのは六〇歳の時。幹部争いから脱落し、僻地の教会に飛ばされてから半年後のことだった……」
ドルドン神父は行き場のない孤児を中心に教会へと招き、彼ら彼女らに引き取り手が現れるか独り立ちするまでの面倒を見ていた。その中で彼が初めて標的にしたのは一五歳のとある少年であった。その名をエイデン・ディッカーズと言い、ドルドン神父は彼を大変可愛がっていたそうだ。
「可愛い子だった。……あぁ、そうか。彼はずっと一五歳のままなのか。羨ましいのう」
エイデンは魔獣の被害に遭った村から何とか逃げ延びてきた天涯孤独の子供であった。大抵ドルドンの元にやってくる子供は家族を亡くしたり故郷を失ったりするなどして悲劇を背負っている。そんな子供達を救い上げた後に、再び絶望に突き落とす。一人の人生を狂わせて未来を断ち切るというのは、ドルドン神父に莫大な快楽を齎したわけである。
ドルドン神父は欲望の限りを尽くし、エイデンの遺体を山の中に埋めた。身体を食べて証拠隠滅を図ろうとしたが、魔獣や動物に掘り起こしてもらって処理させる方が簡単だったので自然の成り行きに任せたのだ。
「――そしてワシは、『子供が行方不明になった』『邪教徒共に攫われた』と何食わぬ顔で嘆き悲しんだ。皆、ワシと同じように悲しんでくれたよ。……この気持ち良さが分かるかねオクリー君。この抑圧と解放はどんな薬物よりも危険な中毒性があるっ」
息を荒らげて机を乱打するドルドン神父。彼は頭を押さえながら床に倒れ伏した後、硬い木の床に向かってヘコヘコと腰を振り始めた。
「鎮まれ……鎮まりたまえ……! 嗚呼、腰が自然に動いて止まらぬわ……!」
――何なんだ、コイツは。オクリーは彼の凶行から目を離せなかった。本来の性格から乖離した完璧超人を演じていただけに、蓄積されたストレスがドルドンを異常行動に導いているのだろうか。だが、滝のような汗を掻きながら股間を擦り付けるドルドンの迫真の表情は、彼が己の衝動に振り回されつつも、全力で今を楽しんでいることの証左に他ならなかった。
「分かるかオクリー君、良い大人が己の欲望に忠実になる理由が!? こういうことなんだよっ!!」
オクリーにはその気持ちが全く分からない。はっとしたオクリーは隙だらけのドルドン神父を跨ぎ、彼の自室から外へと飛び出した。
「待ちなさいオクリー君! 今夜は邪教徒の襲撃があるんだぞぉ!? 行方不明になっちゃうよぉ!?」
真っ暗な廊下を走るオクリー。ゆっくり後を追うドルドン神父。オクリーは必死に走った。これまでずっと首根っこを掴まれて、殺害を仄めかされてきた。この隙は願ってもないチャンスだ。既に教会内の構造は頭に染み付いている。早くこの地獄から逃げ出さなければならない。
ものの数十秒でオクリーは正面入口に辿り着いたが、正面扉が開くことはなかった。扉は固く閉ざされ、ピクリとも反応しない。
「……そんな」
「諦めなさい。全てワシの手のひらの上じゃ」
――ドルドン神父は完璧な犯行のスパイスとして、敢えて過去の犯罪の詳細を語り、逃げ出す隙を与えた上でターゲットを観察するのを大変好んでいた。隙を見せると、彼らは高い確率で希望を感じてくれるのだ。その例に漏れず、オクリーも希望を感じてくれただろう。その上で殺す。希望を与えた上で、地獄に叩き落とす。身体の隅々までしっかり味わって、欲望の限りを尽くす。若い人間に理不尽な目に遭って死んでもらう。それが一番気持ちいいのだ。
「オクリー君。記憶喪失の君に良いことを教えてあげよう」
固く閉ざされた扉の前で項垂れるオクリーに接近するドルドン神父。彼は凡そ常人には理解の及ばぬことを口走りながらオクリーの服に手をかけた。オクリーの身体には麻痺毒と睡眠剤が回り始め、既に彼は抵抗する力を失っている。この薬の効果を含めて神父の計画は完璧だった。
「人の『睾丸』にはその者の体験してきた歴史が宿っている。……いつからかな。ワシは人の睾丸を触ることで人となりを理解することができるようになったんじゃ」
「お前は……何を言っている……?」
「オクリー君。『金玉』を触らせなさい」
自慢の膂力に任せて服を毟り取り、ドルドン神父はオクリーの下半身に手を伸ばす。
「君の心象風景は何色だ?」
――刹那、ドルドン神父の脳に意味不明な光景がフラッシュバックした。
「…………は?」
――悍ましいほどの真紅と、僅かな白。水平線の彼方まで続く血と薬液の海。臓物の島。そして頭上からオクリーの自意識を見下ろす天使のような少女。
これまで手に掛けてきた者達とは一線を画する心象風景に、彼はモノを揉みしだく手を思わず止めた。
「……君、何……あ? この景色はどういう……?」
ドルドン神父はぞっとしながら手の臭いを嗅ぐ。これまでの犠牲者から感じられた内なる光景は、牧歌的な村の風景を映したモノだったり、愛すべき者達を喪ったその瞬間を切り取ったモノだったり――見れば意味が分かる類の光景だった。
だが、オクリーのそれは何だ。意味が分からない。記憶喪失になった人間の心象風景を見たのは初めてだが、過去の記憶が存在しないはずなのにあの光景は異質すぎる。
「血の海? 薬液? 内臓でできた島? 女の守護天使? ……分からん、まるで意味が分からんぞオクリー君! ハハッ、楽しくなってきたのう! もっと君の内なる景色を見せてくれっ!」
ドルドン神父は恐怖を感じると共に、これまでの人生で感じたことのない高揚感に当てられていた。これだから人間は面白いのだ。無限の可能性を秘めていて、いつだって予想を超えてくる。
さぁ、内側からも外側からも君のことを教えてくれ。ドルドン神父は怯え切ったオクリーの上半身を露わにした。
鍛え抜かれた筋肉。首の下から四肢の末端に至るまで深々と刻まれた傷痕。喉仏の下から臍の下までを一刀両断する太い蚯蚓腫れ。大怪我という言葉では済まされないほど痛々しく醜く変色したオクリーの身体を見て、神父は惚れ惚れするような気持ちになった。
記憶喪失の原因はこの傷にあるはずだ。これほどの傷を受ければ、どれだけ素早く適切な治療が施されたとしても、何らかの障害を背負うことになってもおかしくはない。
――知りたい。彼のことを深く理解したい。ドルドン神父の歪んだ欲望と知的好奇心が撹拌されて、爆発的なエネルギーを産む。
人の歴史は睾丸を触るだけでは分からない。断末魔と命乞いを聞いてこそ理解が深まるというものだ。
「……じゅる?」
涎を啜り上げる神父。ふと手が止まる。
脳裏に引っかかるものがあった。それは、『とある噂』と『オクリー』という青年についての違和感だった。
かつてのダスケルの街が崩壊する直前、街の中心部に突然アーロス寺院教団の幹部共が出現したらしい。街の関門には兵士が配置されており、邪教幹部が素通りするのは不可能。仮に外門に邪教幹部が現れるか襲撃されたと分かれば、外壁と地下で構築された魔法システムによって正教幹部へ連絡が飛ぶようになっているため、初動対応が遅れたのは敵が街の内部に直接『転送』されてきたからだと早い段階で断定された。
その転送方法として予想されたのが、邪教幹部の肉片を所持した一般邪教徒が転送源になるというもの。そして、ダスケルの街に幹部共を召喚した人物こそ、大幹部達の腹心である『オクリー』という名の邪教徒なのではないか、と。
ドルドン神父は以上の情報を軍部伝に知ってはいたが、今この瞬間までは目の前のひ弱そうな青年と『オクリー』のイメージが合致しなかった。ケネス正教内でも槍玉に上げられる人物と同名の青年が、独り身でゲルイド神聖国内をうろつくはずがないと思っていたからだ。普通は護衛の一人や二人をつけるはず。それに、彼が記憶喪失状態なのは本当なので、彼が『オクリー』と同一である可能性を除外していた。
「……まさか」
ドルドン神父はオクリーの左手に装着された手袋に手をかける。そして彼の左手の五指を目撃した瞬間、確信に至った。
「――そんな馬鹿な」
人差し指と中指と薬指から醸し出される違和感。
そこには他人の指が移植されていた。
「……そうか、分かったぞ。君の身体の傷、指、そして心象風景から感じた違和感の正体を。……君はただのオクリーじゃない。邪教徒のオクリーだったんだな」
ドルドン神父を支配していた先程までの興奮は立ち消えて――狡猾な悪党の心の片隅に残っていた正義感が疼いていた。
己の欲望のための偽りでも、彼は人生の四〇年近くをケネス正教のために捧げてきた。邪教徒狩りに参加したこともしばしば。自分の行為を棚に上げてはいるが、魔獣や邪教徒によって人が死んでいくと心が痛むのは紛れもない本心であった。
それ故に、彼は己の欲望よりも大義を優先した。少し遅れて、『オクリー』を捕らえたことによる功績で更なる権力を得られるかもしれない――という欲望も働いた。
ドルドン神父はオクリーに服を無理矢理着させて、駐屯所に向かうべく外出の準備を整え始める。オクリーは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしゃくり上げながら、ドルドン神父の凶行が唐突に終了したことに対して困惑していた。無論、再開しないんですかなどと冗談でも問えるわけがなく、オクリーは隅の方で身体を抱いて震えるしかなかった。
そんなオクリーの様子を見てドルドン神父は少し思案する。己の快楽のために『隙』を与えてしまった一連の流れが余計だった。都合の悪いことを喋りすぎたのである。
「……下手なこと喋られるとワシが不利になるな。悪癖が初めて祟ったのう。ではオクリー君、『あ〜ん』しなさい。舌を切ってやる」
ドルドン神父は懐からナイフを取り出すと、慣れた手つきでオクリーの舌を摘む。
次の瞬間、教会にけたたましい断末魔が響き渡った。




