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六六話 村騒動の終わりに

 森の中に日が落ち、風の音と共に闇が世界を支配する。光源は僅かな星の煌めきと、村の各地に点在する松明だけ。左手に掲げた松明の炎は風の影響を受けて形を崩し、襲い来る魔獣の大群による不安を掻き立たせる。

 屋外に他の村人の気配は無かった。村人達は家の中で震えている。屈強な男衆でも魔獣の大群には敵わないと早々に戦闘を諦め、窓や戸を締め切って家の中の安全確保に専念していた。マケナさんもそうなのだろう。畑の様子を見てくるなどと言って誤魔化して来たが、そろそろ俺が帰ってこないことに気づくはずだ。


 お粗末な理由づけを察することができないほど精神的に追い詰められているのだろう。最後に見たマケナさんは戸締りや窓戸の補強に夢中だったし……。


 家の間を縫って歩いていると、俺がやってきた森の方向から薮の擦れるような音がより強くなり始めた。まるで森が笑っているかのような不気味な音色に武者震いしながら、自らを奮い立たせるべく剣を抜き放つ。

 納屋から持ち出した剣は鞘に収まっており埃を被っていたが、野暮ったい筒から抜き放つと同時に艶かしい光を主張した。この刀身はまだ錆びちゃいない。モノを斬れる時をずっと待っていたのだと言わんばかりの美しい剣だった。


 かつては戦いの際に用いられてきたはずだろうが、魔獣退治をケネス正教の兵士を頼るようになってからは飾り同然だったのだろうか。この剣を用いても戦いに勝てないと分かったから放置されてきたのかもしれない。詳しくは分からないがとにかく――


「やるぞ……いつでも来い!」


 鞘が心のセーフティーロックになっている気がして、物陰に向かって鞘を放り投げる。からん、という虚しい音が響いた後、夜闇が音もなく足元に広がってきた。

 踵から得体の知れない化け物に丸呑みにされてしまうような不安感。こうして剣を構えたのは良いが、魔獣はどこからやってくるか分からない。武器を持って周囲を威嚇したところで、虚勢による虚しさが際立つだけだった。


 「来るな」という気持ちと「来い」という気持ちが同居する中、笹を揺らすような音の中に巨体の揺れ動く些細な異音が混じる。右斜め前方。木々の隙間から姿を現すこともなく、茂みが揺れ動く様子もない。


 風船を膨らませるように緊張感が張り詰める。刹那、村の入り口に設置された門――そこに掲げられた灯火の影響下に、あの時見た獣の影が過ぎるのを見た。


(本当に今夜来やがった!)


 首を振って視界の中央に影を収めようとするが、敵の動きが速すぎて追い切れない。後方から這うように近づいてくる音。背後を取られた。剣を無造作に薙ぎ払うと、右手首に莫大な手応えが走る。想像を絶するような重量だ。視界は追いついていないが、濃い獣の臭いが敵の正体を教えてくれる。


 長い剣を引き抜くようにして一閃すると、甲高い悲鳴が上がった。剣を振り切ると、やっと視界が追いつく。鋼鉄の刃によって切り裂かれる獣毛が目の前を掠った。少し遅れて、熱に満ちた吐息を漏らしながら前傾になって倒れてくる魔獣とすれ違う。

 俺の刃は魔獣の喉笛を深々と切り裂いていた。剛毛に阻まれることなく敵の命を絶った剣はそのまま第二第三の魔獣に対して振るわれ、息つく間もなく二つ三つと死体が転がった。


「やっぱり群れには斥候が居たんだな……!」


 三体の魔獣を殺した後に俺の周囲を取り囲んだのは、三〇を超える魔獣の大群。尖兵を殺されたことで敵は怯んでいたが、俺も内心穏やかではない。何せ、二体目三体目と切っていく毎に剣の斬れ味が落ちていたのだから。血と脂で剣の斬れ味が悪くなるのは知っていたが、まさかこんなに早く悪化するなんて。斬れ味に依存しない武器の方が集団戦には向いているのか。


 脇腹で血液を拭いながら、四方八方から同時に襲いかかってくる魔獣の攻撃を躱す。いなすだけなら何とかなる。結局は俺の身体に攻撃するために近づかなければならないのだから、その瞬間を待ってカウンターを当てれば良い。

 すれ違いざまに四肢の付け根や頚部を袈裟斬りにして、太い血管を破壊して出血多量による殺害を狙うのだ。大口を開いてくる個体には顎下への蹴りをお見舞いし、仰け反って喉元を晒した所に刃を通す。背後から前脚で攻撃してくる魔獣は、剣の平の部分で受け流しながら脇腹を切り裂く。剣の攻撃を受けた魔獣は大きくよろめき、やがて糸が切れたようにして絶命していった。


 森の中で出会った時の俺は、空腹によって動きが鈍かった。混乱の最中で知らぬ間に弱っていて、魔獣の動きを今以上に見切れなかった。

 だが、今は違う。マケナさんによる栄養たっぷりのご飯を食べさせてもらっている上に、彼女の介抱によって俺の肉体は完璧な状態なのだ。恐らく過去の俺が戦闘経験豊富な剣士だったことも相まって、一対三〇の集団戦においても怯むことなく戦えている。


 勝手に身体が動いてくれるのだ。まるで魔獣の大群が(・・・・・・)可愛く思えてくる(・・・・・・・・)ほどの(・・・)敵と(・・)戦ったことが(・・・・・・)あるみたいだ(・・・・・・)

 例えるならば、そう……可愛らしい少女の姿をした化け物。殺しても殺しても絶対に殺せない、肉片が残っているならそこ(・・)から復活してしまう怪物。全力の剣を叩きつけても指先ひとつで弾き返され、渾身の攻撃を子供の遊戯の如く抱き締めてしまえるのだ。けれどその少女は、どうしても殺したくない、心と心で深く繋がってしまうくらいに大好きな女の子で――


「……!?」


 頭痛。歯軋りのような不快な音が鼓膜をつんざき、動きが止まる。その隙に飛び込んできた魔獣に左肩の一部を削り取られ、その余波で松明が遠い地面に投げ出された。


「あっ、く……!」


 魔獣、残り二五体。記憶の残滓が俺を惑わせる。

 直接戦闘に参加できない魔獣は家屋や畑の方へと駆け出し、村の文化を破壊し始めた。残った五体の魔獣は俺を取り囲んでとどめを刺そうと様子を窺っている。左肩の傷はかなり深そうで、左肩から先の力が完全に抜けてしまっていた。じくじくとした熱と共に脂汗の滲むような痛みを訴えてくる。


 だらんと垂れた左手はもう使い物にならない。マケナさんお墨付きの軟膏を塗らせてくれる暇も無さそうだ。

 こうなると、魔獣達は時間をかけて嬲ってやるよと言わんばかりに引き気味の格好になった。剣の間合いからは遥かに離れているが、奴らが飛び込もうとすれば一瞬で間合いを詰められるような距離感。俺の失血死を待つつもりか。……いや、俺が同胞(村人)の住処を破壊されることを許せないと知っていて、お前が動かないなら俺達は家を破壊して人間を殺し尽くすだけだと言わんばかりの行動とも言える。

 いずれにせよ、彼らの漆黒の瞳には邪悪な経験則が浮かんでいた。牙を剥いて嘲笑を浮かべるような魔獣の様子に、俺は腸が煮えくり返るような思いで深呼吸する。


 俺の背後で村人の家が破壊されている。屋根上に登った魔獣共が壁や屋根を食い破り、住居という尊厳を目に見える形で破壊していた。村人達は家を熱心に補強して回っていたから、もうしばらくは破られないだろうが……いつまで持つか分からない。少なくとも残り四日――ケネス正教の兵士達が到着するまでは持たないだろうな。

 残り一〇分かそこら持てば良い方だ。それまでに魔獣の大群を殺し切れなきゃ、この村と俺はお終いだ。


「くっ――」


 脳内が危険信号に満ちた時、虚烈な飢餓感に苛まれる。またこの感覚だ。生の肉にむしゃぶりつきたくなるような、人の肉を欲してしまうような、下腹部に起こる妙な熱。この違和感は何なんだ。頭がおかしくなる。腹を満たさないと。肉を食べないと、死んでしまう――


 衝動のままに駆け出した俺は、足元の石を蹴り上げる。その石は魔獣の眼球に吸い込まれるようにして宙を縫い、夜闇に紛れて敵の目を破壊した。キャイン、と鳴いた魔獣に剣を振りかぶり、縦に叩きつける。頭蓋に当たれば刃の方が負けてしまうので、肩口を割くようにして魔獣を血祭りに上げた。


 窮鼠猫を噛む。獲物を追い詰めていたはずが手痛い反撃を食らって、魔獣の集団は大きな遠吠えをしながら集団戦術を用いてくる。対する俺は、無造作に剣を振った。爆発的な衝動に任せて、右に左に身体を躍動させる。やはり死線を潜ってきたのであろう、極限の動きが身体に染み付いていた。


 前後左右、同時攻撃を捌く。身を捻って、跳躍して、身体の表面を掠めさせながら爪を躱す。致命傷だけは受けちゃダメなんだ。逆に攻撃の際に伸ばされた四肢の先端を切断して、体勢を崩した所に剣で一突きする。喉笛、頚椎、心臓。魔獣の急所を狙って的確に刺し殺していく。


 俺には分かった。この魔獣は沢山の人間を殺してきたのだと。人体の破壊方法を熟知している。手足の付け根、胸部、頚部、頭部――どこを攻撃すれば人間が膝をつくか、本能的に知っているのだ。だからこそ分かりやすい。奴らの攻撃が正確であるほど、俺は攻撃を回避しやすくなる。普通の人間が避けられないからこそ人体の弱点を狙ってくるのだろうが――夢中になった俺にとってはあまりにも単純で貧弱な攻撃だった。


(俺はもっと強い女の子のことを知っている。こんな魔獣なんてデコピンで倒せてしまうくらい、強い子だったはずだ――)


 思い出せるような、思い出せないような。頭痛と飢餓感で脳を掻き混ぜられながら戦って。聖都サスフェクトへ急かす『彼』の福音を聴きながら、今すぐ村から飛び出したくなる俺と、マケナさん達を助けたい俺の人格が分裂しそうになって。俺の頭の中に、俺以外の人間三人分の意思が宿っているような不快感に囚われて、自我を破壊されそうになって発狂しかけて――


 気がついた時には、村の広場に魔獣の死骸の山が転がっていた。巨大な死骸が二七……つまり、残る魔獣は三体。村の居住区へと向かった残党だ。


「はぁッ、はぁッ……!」


 正気に戻ってきた時、俺の膝は激しく痙攣していた。息は上がっており、既に限界ギリギリ。全身傷だらけで、上半身の皮膚は幾重にも裂けていた。浅い傷がほとんどだったが、血を失いすぎたようだ。


「みっ、みんな……っ、もう少しだ……!」


 俺を助けてくれたこの村で悲劇は起こしたくない。俺が厄介者なのは分かってる。でも、人死だけは出しちゃいけないんだ。死んだら全てが終わってしまう。生きてさえいれば何とかなるって――かつての自分もそう言っているような気がした。


 残り三体の魔獣の行方を追う。足を引き摺ってある家の方に向かうと、最悪の予感が的中してしまった。


「いやあああ!! 助けてえええっ!!」


 小さな家が完全に破壊されていた。そして、家の中から逃げ出そうと藻掻く子供と、その上から獲物を悠々と押さえつける魔獣。その傍には人の腕らしき肉片が転がっており、付近で喉を脈打たせる魔獣の姿があった。

 恐らく子供の両親が食われたのだろう。ここにいる魔獣は三体(・・)。三人家族のうち二人が見当たらないとなると、それはもう――


「うお、おおおぉぉぉ――」


 考えたくなかった。大口を開いて子供を丸呑みにしようとする魔獣に飛びかかる。

 ふざけるな。卑怯者が。なぜその子の家族を襲った。俺を先に襲え。ずるい(・・・)。人の肉。殺す。俺だって大事な人の肉を食べてやりたい。先に味見しやがって。


(あ、あぁ――頭が、痛い――)


 頭痛では誤魔化せぬ危険な欲望が渦巻いていた。その感情の奔流を真正面に味わって、俺は絶望を胸に叩きつけられた。

 俺は異常者なんだ。普通の人間は魔獣に蹂躙されるばかりの脆弱な人間。俺は兵士ですら隊を組まなければ戦えない相手に立ち向かえている。その原動力は、この歪んだ食欲なのだ。この、悍ましい、人間社会に適応できようはずもない異常性癖なのだ。


 脳の血管が切れそうになるのを堪えて、立ちはだかる魔獣二体へ血液を撒いて目潰しする。そのまま俺を見失った魔獣を切り裂き、同時に屠ってやった。最後に残った魔獣は股抜きするようにして視界外に潜り込み、臀部から刃を入れて大動脈を破壊する。悶絶して身体を捩ったところに、とどめの一撃。心臓に剣を突き刺して捻り込み、念入りに息の根を止めた。


 鋭い遠吠えのような悲鳴が上がる。群れの最後の一体は、森で出会った個体と似た最期だった。上を向き、虚しい響きの鳴き声を残して、ゆっくりと地面に蹲る。そのまま奴は動かなくなった。


「あ、あ……おかあ、さん……おとうさん……」


 だが、死んだのは魔獣だけではない。三人家族の父と母が魔獣に食われてしまった。

 ――守れなかった。人が死んだ。人生が終わってしまった。ケネス正教の幹部だったら、魔獣なんか敵にならないのに。兵隊がすぐにでも駆けつけていれば、俺も協力して魔獣を退治できていたはずなのに。


(……何もかも上手くいかない。人に仇なす魔獣も、人を見殺しにするケネス正教も、魔獣退治の人員を持っていくクソったれな邪教徒も……そしてあの子を食べたいと思っている俺も……何もかも嫌いだ……)


 俺は両親を失った子供に近づくことができなかった。この食人欲求はあまりにも危険だ。この村にはもう住んでいられない。親しい者が多くなりすぎたこの村は、俺の欲求を抑え込むのに難しすぎる土地になってしまった。

 明確に人の肉を食べたくなった瞬間を自認したのもあって、俺は同情することすら許されないと思った。俺は聖都サスフェクトを目指さなくちゃいけないんだ。


 ……何のために?


 事態の収束を察して家の中から出てきた村人達が最初に目撃したのは、山積みになった魔獣の死体だった。最初は自分達が生きているのが信じられないといった様子だったが、血塗れになった俺と刃こぼれした剣を見て全てを悟ったようである。村人にとって、俺は何なのだろう。英雄か、怪物か、それとも厄を呼び込んだ異物か。きっと良い風には囚われていない。名前さえ分からないんだから仕方ないか。


「……お世話になりました、マケナさん。……俺はこの村から離れます」


 子供の両親を救えなかった苦悩、そして今なお肥大する食人欲求から目を逸らすため、俺はいそいそと身支度をして松明を持ち直した。そんな俺を止めるべきか迷っていた村人達だが、俺の腰に縋りついてくる人間がいた。マケナさんだ。


「待って! どうして行ってしまうんだい!?」

「……すみません。どうしても行かないと」


 血と肉に塗れた戦闘によって呼び起こされた食人欲求。マケナさんすら対象にしたその欲望は、危険な領域に突入しつつある。自我すら飲み込もうとする危険な濁流だ。

 有無を言わせぬ雰囲気を悟ったのか、村人は俺の道を開ける。そんな中、マケナさんが涙ながらに叫んだ。


「……っ! いつでも――っ、いつでも帰ってきていいからね!」


 その声に応えることはなく、俺は村を後にした。


 夜闇の中に揺らぐ景色は酷く歪んでいた。何度目元を拭っても、情けなさと悔しさが溢れ返ってきた。


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