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六四話 男衆


「それにしても貴方、随分とその――おかしな左手をしているのね」


 俺は自分の左手を見下ろす。右手の五指と見比べてみれば、その異質さがありありと浮き彫りになる。節の目立つ人差し指。細く柔らかな曲線を描く中指。一回り小さなサイズかつ病的なまでに白い薬指。俺もこの手の所以は分からないが、どれだけ譲歩して考えても怪しさ満点だった。

 化け物の手。異常者の手。悪魔の手。パッと見でも考えうる言葉は数十とある。だって、三人の指を持ち歩く(・・・・)人間はどう捉えたってまともじゃない。


「すみません。俺にもさっぱりで……」

「……まぁ、そうよね。貴方、魔獣どころか自分の名前すら分からないんだものね」


 マケナさんは俺の左手を不躾にじろじろと眺めてくる。この左手の理由を考察するに、俺は記憶を失う前に他人の指を集めるコレクション癖があったのかもしれない。若干の食人欲求と合わせると、これが現実的な線である。

 ……いや、現実的か? とにかく俺の左手はそう易々と他人に見せるべきではない。同じ答えに行き着いたらしいマケナさんは、黒い手袋を手渡してくれた。


「その手は隠しておきなさい。どう考えても他人に見せびらかすべきではないわ」

「は、はい……でも、こんな正体不明の男に良くしてくれるなんて……何とお礼を言ったらいいのか」

「私の気まぐれよ。それに、怪我人を助けることは当たり前だもの」

「マケナさん……」


 初めて出会った人がこんなに善良な人で良かった。俺は込み上げる涙を噛み締めながら、彼女に深々と頭を下げるのだった。


「……ところでマケナさん、邪教徒って何ですか?」


 まだ処置は終わっていない。肩口に軟膏薬を塗り込められながら、俺は『邪教徒』についてマケナさんに問うてみる。

 曰く、邪教徒とはケネス正教に仇なす『アーロス寺院教団』という組織のことらしい。ケネス正教についてもよく知らなかったので、専門用語の説明を受けている時に新たな専門用語を使われて更に疑問符が増えるのだった。


「ケネス正教の幹部様達は魔法を使えるの。私は一度も会ったことがないけれど、とても偉大な方達と聞いているわ」

「へ〜」

「ケネス正教のことはまだよく分からないでしょうけど、これからゆっくり分かっていけばいいわ」


 上半身を包帯でぐるぐる巻きにされた俺は、「はいおしまい!」と肩をシバいてきたマケナさんのせいで悲鳴を上げた。


「いっってぇ!! 何するんですか!?」

「しばらく安静にすること。まぁ……二、三週間はここにいなさい」

「そんなに!? 俺には行かなきゃいけない場所があるんですよ、そんなに長居はできません」

「……行かなきゃいけない場所?」

「――上手く言えないんですけど……どうやら俺、聖都サスフェクトに用事があるみたいなんですよ。幻夜聖祭の日に……そこに居なくちゃいけないんです……」

「ケネス正教のことは知らないのに聖都サスフェクトと幻夜聖祭のことは知っているなんて……矛盾が生じているけれど?」

「それは……」


 眉根に皺を寄せるマケナさん。客観的かつ当然な意見をぶつけられて、より自分自身が分からなくなってくる。俺を突き動かすあの声は何なんだ? 助けてもらったのはいいものの、俺自身が怪しすぎてマケナさんに申し訳が立たない。


「ますます分からないわ。貴方本当に怪しさ満点ね」

「……す、すみません。その、聖都の方向を教えてくだされば直ぐにでも出ていきます。これ以上の迷惑はかけたくありませんから……」


 彼女に迷惑をかけるくらいなら放浪を続けた方が良さそうだ。うつむき加減でそう口走ると、マケナさんは俺の左手を包み込むようにして「迷惑だなんて思っていないわ」と言ってくれた。彼女の瞳は俺を真っ直ぐに見つめ返してくる。マケナさんは息子であるスティーブと俺を重ねているように見えた。


「幻夜聖祭までは三ヶ月の猶予がある。それに、聖都サスフェクトは怪我を治してからでも間に合う距離にあるわ。まずは怪我を治すこと、それが貴方の役目よ」

「…………」

「……さて、今日はもう日が沈みそうだから寝なさい。怪我を治すには健康な生活が一番よ」


 見知らぬ俺を治療してくれたばかりか、家に泊めてくれるらしい。彼女は「私はソファで寝るから」と毛布を持ってきて、鈍痛で動けなくなった俺に肩を貸して寝室に案内してくれた。


「本当にありがとうございます……」

「いいのよ、私みたいなおばさんは若者のために頑張れるうちが花だから。おやすみ」

「おやすみなさい」


 明かりが消える。身体を動かす度に上半身が痛かったが、横になると案外すぐに眠ることができた。


 次の日、マケナさんの家に複数の村人が押しかけてきた。先日マケナさんに連れられて村に来た際、俺を通してくれた男衆である。横になってぐったりした俺を取り囲んで、早くも質問攻めの構えだ。

 家から外していたマケナさんは家に訪問してきた男衆に対して「怪我人がいるんだから」と苦言を呈していたが、彼らが俺を攻撃する意図が無いのを分かっていたのか、それ以上は特に言及することもなく包帯の取り替え作業をしてくれた。


 マケナさんは彼らのことを知っているかもしれないが、俺にとってはほぼ初対面の他人でしかない。彼女と一緒の村に住んでいるという点で警戒心は薄くなっているとは思うけど、会話するのが初めてな以上ある程度訝しむような目で彼らを見つめてしまう。そんな俺の態度に苦笑した壮年の男性は、熱い息を吹きながら真正面にゆっくりと腰掛けた。


「おう、そう警戒するな坊主。別に取って食おうってわけじゃない、お前さんが魔獣に襲われた経緯を知りたいだけだ」

「オレ達一般人にとって魔獣の存在は村の存続に関わる。大怪我しているところ申し訳ないとは思うが、こちらの気持ちも分かってくれ」


 俺が先日倒した化け物は、村の農作物ひいては人そのものを食い荒らす魔獣の一種らしい。この村の近隣においてあのタイプは最も出没頻度が高い魔獣で、三年前にも隣の集落で多数の犠牲者を出しているとか。そのような説明を受けて、確かにあのレベルの生き物が群れて襲ってきたらひとたまりもないだろうなと思った。


「……分かりました。では簡単な経緯をお話します」


 記憶喪失であることは既にマケナさんから聞いていたのか、そこら辺の説明はすんなりと進む。しかし、遭遇した魔獣のことを話し始めた途端、男衆の顔色は曇っていった。

 俺が遭遇した個体は体高が胸の高さくらいで、全長にすれば成人男性の身長を優に超える。毛並みは黒々としていて、生半可な攻撃は通用しない。その魔獣は一体だけで、他の魔獣の姿は見当たらなかった。戦いの様子を伝え終えると、彼らは顔を見合せて口々に話し始めた。


「サイズ的には一般的な四足歩行型の成人個体だが……そんな大きな魔獣が孤立して森を彷徨い歩いていたってのは引っかかるな」

「その魔獣が群れの斥候役だったらまずいぜ」

「けど、そこの彼がこうして村に辿り着けているんだし、その個体は群れから追い出された魔獣だと思いますけどね」


 会話に置いていかれたが、確かにあいつは群れを成すタイプの魔獣に見える。群れを成す生物であれば、当然仲間を殺した敵を絶対に許さないだろう。つまり、あの個体がはぐれた魔獣じゃなかった場合、俺やこの村の人間は地獄の果てまで付け回される恐れがある。

 孤立した魔獣であろうが群れの斥候であろうが、会話の終着点はケネス正教の正規軍を頼るという方向に定まった。


 仮に魔獣の群れが村にやってくるとなった場合、一般人には対処が不可能だ。訓練された兵隊を呼んで対処してもらわない限り、村人は蹂躙されるだけになる。

 だが、魔獣被害に遭っているのはこの村だけでない。国土全域が魔獣の影響範囲なのだ。しかも各地で要請が相次いでいることに加え、正教上層部が邪教徒狩りを優先する旨の声明を発表しているため、この村に助けがやってくるのはいつになるか分からなかった。


 この村の規模は小さい。地理的にも僻地に存在しているため、依頼を出したところで後回しにされるのがオチだ。

 国の兵士は無限にいるわけじゃないし、魔獣討伐だって確実に成功するかは分からない。怪我をした兵士は戦えなくなるし、死んでしまえば代わりの兵士が育つまで大変な時間と労力が掛かってしまう。魔獣から人々を守り、治安を維持するべく各地に駐屯し、その上で邪教徒狩りも行われているとなれば、この国の兵士は常に逼迫した状態なのではなかろうか。


「とにかく最寄りの街の駐屯兵に頼み込むしかないな」

「オレが行ってくる。……期待はできないだろうが、行かないよりかマシだろ」

「しばらく村の外に出るのは禁止だな。女子供年寄りに限らず一人で行動させないよう徹底的に指示しよう」

「あぁ、分かった。今日は解散して今後に備えようか」


 俺が魔獣と出会ってしまったばっかりに、こんな大事になってしまった。背中に大量の汗を流しながら押し黙っていると、一人の村人が俺の肩を励まそうとしたのか叩こうとして――血の滲んだ包帯を見て俺の状態に改めて気づいたのだろう――すんでのところで動きを止め、照れ臭そうに頬を掻きながら呟いた。


「……坊主、魔獣の問題はお前さんのせいじゃないから気にすんな。逆に村人総出で感謝したいくらいなんだぜ?」

「えっ……」

「何せ、お前さんが魔獣を倒さなかったら、マケナさんが襲われてただろうからな。ハハ、そっちの方がよっぽど最悪だったぜ」

「……!」


 その言葉を最後に、男衆はマケナさんの家から去っていく。絶対安静と言われていたが、この状況で動かないわけにはいかなかった。気持ちが「動け」と命じていた。

 訓練された兵士でも失敗するという魔獣の討伐を、俺は徒手空拳で成し遂げたのだ。武器と防具さえ整えれば、群れの規模によっては一人で何とかできるかもしれない。少なくとも時間稼ぎくらいならできるだろう。


 終始緘黙を貫いていたマケナさんはそんな俺の感情を読み取ったのか、ただ一言「横になって休んでなさい」とぴしゃり。彼女の言葉には逆らえなかった。


 それからの数日間はやきもきした感情を抱えていたが、村に来て四日目――驚異の回復を見せた俺の身体は、村の散策が可能になるくらいまで傷が塞がっていた。激しい運動は厳禁だが、単に歩くくらいなら大丈夫と判断されたのである。

 マケナさんの薬の効果か、俺の身体が頑丈だったのか、それともその両方か。いずれにせよ、初めて村を自由に散策できるようになったので、俺は村人と交流しながら現状を確認していった。

 実際に村の中を歩いて村の地理的状況を知っておくことはもちろん、記憶喪失であるため村人と会話を重ねて様々な知識を吸収しなくてはならないからだ。


 俺が特に知りたかったのは、魔獣についての情報と、二つの宗教について。ケネス正教徒である村人の暮らしに触れ、彼らからアーロス寺院教団について聞く。魔獣について聞く。 思いついたことをとにかく聞きまくった。

 思うような答えが得られないこともあったが、今日を通じてこの世界のことが少しだけ分かったような気がした。


 ひとつ。ケネス正教徒には『七人の幹部』が居て、魔法の力を授かった彼らによって国が収められているということ。幹部一人ひとりが戦争を起こせる力を持っているらしい。

 ふたつ。アーロス寺院教団にも『七人の幹部』がいるが、その正体はほとんどヴェールに包まれていること。邪教徒の拠点が一向に見つからないのは幹部の魔法によるものらしいのだが、そのせいで対邪教徒の計画が上手く進まないんだと。


 そして、みっつ。幹部も兵士もいない時、正教徒は神に祈るしかないくらいには無力である。

 村を散策中、ケネス正教のシンボルだろうか――特異なモニュメントに祈りを捧げる村人達の姿があった。具体的な魔獣対策を考える村人もいたが、やはり魔獣というのは一般人には荷が重い化け物なのだろうか――全てを諦めたように泣き叫ぶ者すらいた。


「神様……至高の御方達よ……どうか我々をお助け下さい……!」

「どうか、どうか……!」


 哀れな彼らの姿を見て、俺の胸に燃えるような闘志が滾っていた。


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