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六三話 邂逅!第一村人!若干カニバリズム


 未知の世界で一人きり。食べ物も無いし、地理感覚もない。しかも自分の名前も何もかもが分からないという最悪の状況だったが、当の俺は案外何とかなるかもなぁと気楽に受け止めていた。

 ただ、それは鈍さによる楽観主義ではなく、奇妙な既視感(デジャヴ)による経験則に似た冷静さだった。「食料さえ何とかすれば生きるのには困らないんだし、別に……」という余裕である。


 ……普通に考えて人生稀に見る大ピンチだと思うので、記憶喪失になる前に経験したことが気になってきた俺である。

 もっとも、これ以上の(・・・・・)地獄を(・・・)見てきた(・・・・)からこその(・・・・・)余裕(・・)だと納得できてしまうのもそれはそれで恐ろしいが。とにかく奇妙な既視感(デジャヴ)によって俺は案外心の余裕を保てていた。


 しかし、とにかく腹が減っている。何かを腹に入れないとすぐに動けなくなりそうだ。


「肉が食いてぇ」


 あぁ、そうだ。肉が食べたい。どんな肉だろう。……どんな肉かって? 肉は肉だろう。割りと何でも良いな。最悪人でも構わない。

 ……ん? 何かおかしいような気がする。人って食べても良かったんだっけ? 記憶喪失で失ったのは純粋な記憶のみで、一般的な常識や教養は無くなっていないはずだが……何が正しくて何が正しくないのかすら分からなくなってしまったのか、俺は。


 妙に脂ぎった肉食欲求に駆られながら歩いていると、獣道を隔てた茂みの向こう側に大型の獣が現れた。音も臭いもしなかった。あまりにも唐突な接敵に双方しばらく硬直していたが、飢餓に苦しんでいた俺にとってはご馳走同然の出会いであった。


 何という名前の動物かは分からないが、とにかく肉付きが良い。恰幅の良いずんぐりとした胴に、それを支える太い四肢。毛並みは黒光りしていて美しく、四足歩行ながら体高は俺の胸ほどもある。逆関節の脚から見るに、走行性能は相当高いはず。どうせ逃げ切れないのなら戦って腹の足しにするしかないな。

 巨大な獣を前にしても、何故か凄まじい自信に満ちていた。いや、自信と言うよりは確信に近い。もっと強い奴(・・・・・・)と戦ってきたから負けるはずがないという冷静な感情だ。ひょっとすると、先程から感じている余裕は正常性バイアスというやつなのだろうか。とにかく身体が戦い方を覚えているような錯覚があった。


 ゆっくりと歩みを進めて接近する。草木を掻き分けて、少し開けた獣道の上に陣取る。互いに間合いの外ではあるが、確実に戦いが勃発しようかという距離感。

 俺の接近に警戒を高める敵は、横向きになって身体を大きく見せてきた。たまに目を逸らして気のないふりをしつつも、横目に俺を捉えている。まるで言葉を持たない獣が身につけた最後通牒のよう。俺は足元にあった太めの木の枝を拾い上げ、声をかけて挑発した。


「お前、やっぱり美味しそうだな」


 その声を合図に、漆黒の獣が身体を沈み込ませた。目にも止まらぬ速さの疾走。隠していた牙と爪を剥き出しにして、前脚を横撫でするようにして俺の横をすり抜けた。

 思考より先に身体が反応して、ギリギリのところで回避。鋭い爪が空を切る。身を翻した獣は再び出方を窺ってくる。なるほど、近くに来ると体格の雄大さがよく分かる。分厚く太い毛皮は、木の棒の殴打程度なら受け流してノーダメージにしてしまうだろう。


 武器は木の棒と己の四肢だけ。対する敵の爪や牙は人の柔肌を容易く切り裂く鋭さを有している。防御性能も機動力も段違い。いきなりやってきた絶体絶命にも関わらず、やはり俺は落ち着けている。心臓が全く動揺していない。

 俺は近くの岩石を背にして、漆黒の獣を待ち構えた。唸り声と同時、再度の突進。太い木の棒を脇に挟んで獣と正対し続ける。最短距離を突っ切ってくる巨体を真正面に見つめながら、俺は背後の岩の位置関係を確認して鋭く息を吐いた。


「そのまま来い」


 先程は回避行動を取ったが、次は正面から受けて立つ。勝負は一度きり。木の棒の強度と運に全ては託された。

 大口を開ける獣。両肩に押し付けられるようにして前脚が乗り、重厚長大な爪が肩口に食い込んでくる。その爪が表皮を貫いて深々と突き刺さり、思わず呻き声を上げて歯を食いしばった。それでも木の枝は離さない。


 圧倒的体重差による突進の勢いは単なる衝突程度では無くならず、猛獣諸共俺の背中が岩石に激突することによってやっと慣性が殺された。そして、体重と速度を利用した衝突エネルギーこそが俺の狙い。のしかかってくる敵の体重と速度を木の棒の先端に集約させ、その腹部を刺突によって貫くことが賭けの内容だった。


 結果から言えば、俺の策略は成功した。俺が岩壁に後頭部を強打すると同時、脇に挟んでいた木の枝を通して、肉を掻き分ける独特の感覚が伝わってくる。完全に腹部に突き刺さっていた。

 大口を開いていた獣は喉奥から水音を漏らし、次の瞬間その口から大量の血液を吐瀉する。激しく抵抗して遠吠えのような悲鳴を上げる敵。何が起こっているのか分かっていないようで、脚をバタつかせながら頭部を激しく動かしていた。


 共倒れは御免だ。俺は挿入した木の棒を掻き回し、敵の内臓を破壊しにかかる。その際、いち早く絶命させるべく心臓を狙ったのだが――何故か(・・・)心臓の(・・・)位置が(・・・)手に取るように(・・・・・・・)分かってしまった(・・・・・・・・)ため、ものの数秒で心臓を破裂させることに成功した。

 キャインと甲高い声を漏らした獣は最後にか細い遠吠えをして、ゆっくりと地面に崩れ落ちていった。瞳の中の生気が失われていき、胴の上下運動が消える。

 あぁ、今、完全に絶命したのだ。大型獣の最期を見届けた俺は、軽く溜め息を吐いてその場に座り込んだ。達成感や罪悪感のためではない。単なる疲労のせいだった。


(何かこう、身体が戦い方を覚えてたな。昔の俺、何者だったんだ?)


 記憶を失う前の俺は何者だったんだろう。普通、身の丈を超える動物を徒手空拳で仕留められるものなのか? 自分の常識が若干信じられないとあって、意味の無い疑心暗鬼に陥ってしまう。


「まあいいか。とにかく肉を食おう」


 俺は腹部に空いた毛皮の隙間に指を入れ、内側の肉を夢中で貪り始めた。生肉だから不味いんじゃないかと思ったが、中々美味いじゃないか。胃の中にずっしりとした感覚が収まっていき、多幸感に包まれる。

 満腹になった俺はほっと一息ついた。だが、満腹感による怠惰な時間は許されず、強烈な目的意識による思考回路の矯正が行われる。


「……そうだ。聖都サスフェクトを目指さなきゃ」


 俺の声ではない、落ち着いた低い男声が『聖都サスフェクト』を目指させる。この森で目覚めてから半日ほど経過したが、『彼』の声は数えるのが嫌になるくらい聞こえてくる。

 それと同時に、『彼』の声を掻き消そうとする雑音のような少女の声がするのだ。残念ながら何を言っているかは聞こえないのだが、とても大事な内容な気がした。


「幻夜聖祭の日、俺は聖都サスフェクトに居なくちゃいけないんだ」


 衝動に支配されるまま獣の死骸を放置してその場を後にしようとしたところ、後方の茂みの中から女性の悲鳴が聞こえてくる。

 声のした方向を振り向くと、そこにいたのは尻もちをついた中年の女性だった。


「おぉ、人だ! 丁度良いところに!」


 聖都サスフェクトへの道が分からなかったので質問しようと歩み寄ったところ、女性は頭部を覆い隠すようにして蹲ってしまう。俺の言葉に耳を傾けてくれるどころか、激しく拒絶するような反応だった。


 上半身血塗れの俺を見てビビり散らかしているのか。確かに鬱蒼とした森の中で血みどろの人間と会うのは怖いだろうな。

 俺は足元に沈黙している獣の死骸を指差し、こいつを倒した時に浴びた返り血だと優しく伝えてみた。実際はこいつを食べ散らかした時に付着した鮮血なんだが、余計に怖がらせることもないだろうと黙っておく。


「……こ、この魔獣を貴方が一人で……? 信じられないわ、夢でも見てるのかしら……」

「マジュウ? 何ですか、それ」

「……貴方、魔獣を知らないの?」


 その魔獣とやらの死骸をまじまじと見つめる女性は、俺の疑問に怪訝な表情をしながらこちらを一瞥してくる。どうやら、『マジュウ』は一般常識らしい。ということは、今の俺は常識すら覚束無い状態なのか。

 先程とは別の意味で怪しまれていると肌で感じた俺は、どうせ誤魔化すのも無理があると思って洗いざらいを話すことにした。


「あ〜、えっと……実は俺、何かの拍子に記憶を失ってしまったみたいで……魔獣どころか自分の名前すら分からないんですよ。こいつも偶然倒せただけで、この通り怪我しちゃってますし」

「それはまぁ――色々と突っ込みたいことはあるけれど――大変ね。とにかく話は後よ、肩の傷をすぐに治療しなきゃ! 近くに私の村があるから、寄っていきなさい!」

「え、あ……ありがとうございます!」


 眉を顰めながら俺の状況を咀嚼した女性は、肩の様子を気にしてくれながら獣道を歩き出した。

 彼女の村に行けるのなら、聖都サスフェクトへの道を知ることもできそうだ。偶然の収穫である。それに、村には食糧が沢山あるはずだ。沢山の肉が。良いことずくめだな。


 歩くこと一〇分、頭上に茂っていた林冠が急激に数を減らした。夕刻の陽射しを顔に受けて思わず手を翳したところ、幾つもの小さな家と農耕形態の土地が見えてくる。

 農具を持った数人の村人が緊張した面持ちで俺の方に向かってくるが、先程の女性――マケナと名乗ってくれた――がそれを制した。


「魔獣にやられた怪我人よ。事情は後で話すから、通して頂戴」

「魔獣被害に遭ったか、可哀想に。……外部の人間だが仕方あるまい、受け入れよう。まずは怪我を治してもらわないとな」

「通りな坊主、マケナさんは村一番の医者だ。安心して治されるこったな」


 マケナさんと俺に道を譲ってくれる村人数名。魔獣というのはそんなにヤバい存在なのだろうか、魔獣被害に遭ったと伝えるだけで皆すんなり通してくれた。

 数名の子供が興味ありげに俺の後をついてくる。やがて母親らしき女性に首根っこを引っ張られて、子供達は建物の影に消えていった。どこか慌ただしいけれど、活気に溢れた村なんだなと思った。


 マケナさんのお宅にお邪魔させてもらうと、身につけていたボロ切れ同然の茶色い服を脱がされる。両肩の怪我が露わになると同時に、栄養不足で浮き出た肋骨や鎖骨がありありと曝け出された。それに加えて、喉仏の下から臍の上部まで一本線を引くような謎の傷痕が姿を現す。

 白髪の混じったマケナさんの顔が著しく強ばるのが分かった。唇がきっと結ばれ、先程までテキパキと動いていた手が完全に止まってしまう。


「……貴方、人体実験でも受けてたの?」

「え? いや、それもよく分からないと言うか……」


 俺もこの傷痕は気になっていたところだ。不気味な傷痕は胴体だけではなく、身体のあちこちに刻まれている。

 正中線の傷痕意外に目立つのは、何故か肌色とサイズの違う左手の人差し指・中指・薬指だろうか。人差し指からは莫大な畏怖の念を、中指からは悲しみに満ちた希望を、薬指からは愛憎入り交じった複雑怪奇な感情を感じさせる。


 少し呆然としたマケナさんは、気を取り直したように治療行為を再開した。戸棚から引っ張ってきた壺を傍らに置き、中身の軟膏を指の腹にたっぷりと乗せる。澱みない動きだった。


「まあいいわ。少し染みると思うけど我慢しなさいね」

「分かりまッ――いっってぇぇ!?」

「ほら我慢!」


 肩に空けられた大穴だが、既に熱を持って腫れ上がりつつある。そんな感じで「触らないでね!」と言っているような傷口に対して、マケナさんは軟膏を容赦なくガッツリ塗り込んできた。神経を直接刺激され、電撃のような激痛が上半身に染み渡る。白目を剥いて意識がぶっ飛びそうだった。

 地獄のような痛みが続く中、マケナさんが何故あそこにいたかを話してくれる。気を紛らわせるためだろう。マケナさんは薬草採りにやって来ていたらしい。そこで魔獣の悲鳴を聞きつけて様子を見に来たところ、血みどろの俺に遭遇したと。


 薬草を使って調合薬を作っているらしく、だから村一番の医者と呼ばれていたのかと涙目になりながら納得。しかし、妙齢の女性だろうに、家族の姿が見えない。他の者はどうしているのだろうか、という感情の機微を感じ取ったのか、マケナさんは包帯を巻きながらぽつりと零した。


「……実は私、息子がいたのよ」

「息子さんですか?」

「そう。元気にしていたら丁度貴方と同じくらいの歳頃だったのだけど……数年前、邪教徒共に拉致されてからは行方不明なのよ」

「邪教徒……? その息子さんのお名前は?」


 突然邪教徒という新ワードを出されて戸惑ったが、ここは最後まで話を聞くタイミングだと察して息子さんの名前を聞くことにする。


「スティーブよ」


 スティーブ。どこかで聞いたことがあるような名前だ。


「あの子は小さな頃から山に繰り出して薬草を採取するのが好きでねぇ、よく私の真似をして、『お薬だよ〜』って自称調合薬を呑ませようとしてきたものよ」


 その話を聞いて、心のどこかが鋭く傷んだ。


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