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六二話 マリエッタとポーメット


 セレスティア・ホットハウンド失踪の余波は正教上層部を震撼させた。純粋な戦力面の話はもちろん、セレスティアという精神的支柱――お節介焼きな面や聖母のような優しさは組織内でも有名だった――を失ったことによる動揺が最も大きかった。

 セレスティアと仲の良かったポーメットは、取り留めのない話のできる相手が唐突に消えてしまうことの辛さを思い知った。大男クレスと修道女セレスティアのやり取りを端から眺めているのが好きだったのに……彼女が消えて一年。幹部序列三位クレスの顔色はずっと晴れない。


 セレスティアが消えてから、大陸中を駆け回って彼女を捜索した。街の中、森の中、地下洞窟――ゲルイド神聖国中を虱潰しに探し回った。それでも彼女は見つからない。当然だ。最後にセレスティアの姿を目撃したのは、敵の手に落ちたメタシムへ強行して赴いた時なのだから。

 セレスティアは何らかの形で捕虜にされている。それが導かれる結論だった。不死鳥の神殿内に眠る『聖遺物』の一つ――幹部の生命状態を知らせる『命の灯火』が消えていなかったのも判断を後押しした。


 生きていることは素直に喜ぶべきだ。

 しかし、何故生かされている? これが陣営の疑問だった。


 仮に捕縛されるくらい追い詰められても、魔法を無力化する能力でもない限りは拘束されるはずがない。四肢を鎖に繋がれたとしても、自傷と治癒魔法を使えば拘束から逃れるのは容易いからだ。

 例外的に、継続的な毒の投与で昏睡状態が続いている場合、海底に沈められる等して溺死させられ(・・・・・・)続けて(・・・・・)脳に酸素が行き渡っていない場合、氷漬けにされて動けない場合などは脱出が困難だが――セレスティア含む正教幹部はそれらの状況に回答を持っている。

 例を挙げるなら、『転送』による脱出が基本戦略になるか。自らの魔法による自傷で肉片を飛ばし、身体を再生させて危機を脱するのだ。酸素が足りない場合でも、セレスティアなら風の魔法で空気を運んで来られる。つまり幹部を無効化することはほとんど不可能に近いのだが、セレスティアが帰ってこない以上は更に最悪な状況を考えなければならなかった。


 ――予想された能力は、幹部に対しても有効な洗脳(・・)という手段。思考回路を都合良く書き換えるその能力だけは防ぎようがない。正教幹部の予想では、セレスティアは洗脳を受けているものと予想されていた。


 ケネス正教はアーロス寺院教団幹部の魔法を完全に把握しているわけではなく、その能力を理解し切っているのはシンプルな能力のヨアンヌくらいなもの。他の幹部の全容は掴めていないし、何なら拠点内に引きこもっているフアンキロの存在に関しては全く知られていない。

 正教幹部たるポーメットであっても、全貌の見えない教団を相手に戦い続けるのは精神的に辛いものだった。


 そんな中でも、ポーメットや一部の正教徒が密かに楽しみにしていることがある。マリエッタの成長を見守ることだ。

 ポーメットにとって、メタシムとダスケルの惨劇から生き延びた少女の存在は、セレスティアで空いた心の穴を埋めてくれるような気がしていた。


 ――マリエッタ・ヴァリエール。齢にして未だ一五歳の少女。その背中には、家族や友人の死、故郷の滅亡という重すぎる悲劇を背負っている。

 だが、だからこそマリエッタは強かに成長していた。辛い過去が起爆剤になって、マリエッタの成長を後押しする。彼女には類稀なる精神力が秘められているのだ。過酷な現実に打ちのめされ、圧縮され、少女は正教幹部の原石になる権利を得たと言って良いだろう。


「さっきは……悪かったな。弔いを妨げてしまった」

「いえ、気にしてませんよ。一日たりとて修行を休むことはできませんから」


 一五歳を迎えたマリエッタは、ポーメット達を頼ってケネス正教の兵士に志願した。アーロス寺院教団という邪教徒への怨嗟を人一倍蓄えたマリエッタは、厳しい訓練を苦にせず心身を鍛え抜いてきた。既に同期の中でも抜けて評価が高く、ポーメットがこうして特別訓練を施す程度には手厚く育成されている。


 ポーメットはケネス正教の兵隊を取り纏める立場にある。つまり花の女騎士団長だ。騎士というだけあって馬の扱いにも長けているが、最近は馬に跨ることも少なくなった。マリエッタとの訓練に馬を用いることもない。

 馬での戦闘が減ったのは、アーロス寺院教団のせいと言えるだろうか。彼らは暗くて足元の悪い山奥や地下洞窟を好む。敵対する存在が人間か魔獣であるかによって必要な戦闘スタイルは変化するため、ジメジメした邪教徒を相手取るのに馬の足では分が悪いのである。


 金髪碧眼の女騎士はマリエッタをボコボコにした後、倒れて動けなくなった少女に治癒魔法を掛けてやりながら、彼女の尻の上に腰掛けた。


「ぐぇぇ……容赦なさすぎるよこの人……」

「これでも手加減してる。ワタシが本気ならマリエッタは一秒も立っていられないさ」


 涼しげな瞳を細めて微笑するポーメット。彼女の魔法は、精神エネルギーを刀身に変える能力だ。流し込んだ精神エネルギーの量によって刀身の長さを自由自在に操れる上、万物を切り裂く特性上折れることもない。

 自在に剣の長さを変えられるというのがミソで、理論上なら刀身の射程は無限である。つまり、空に浮かんだ星すら一刀の元に切り捨てることが可能なのだ。


 ポーメットの本気はそういう次元にある。どこかの誰かが痛感していたように、一般人は逆立ちしたって敵わないのだ。

 ただ、幹部の馬鹿力を制限した状態の稽古でも歯が立たないというのは、マリエッタ的には悔しくて悔しくて堪らなかったらしい。物理的にポーメットの尻に敷かれている少女は、悔しさを紛らわせるように口を尖らせた。


「ポーメット様、重いです」

「重っ……!? いや、ワタシは重くない。鎧の重さだ」

「稽古中は鎧着てないじゃないですか」

「…………」


 ポーメットの澄ました横顔が強ばる。ちらりと女騎士を見上げると、露出した耳が真っ赤に茹で上がっているのが分かった。


「……ワタシ、太ったのかな?」

「えっ……いや、ガチ凹みしないでくださいよ。嘘ですから」

「嘘なのか」

「はい」

「正直に言ってみろ。本当はちょっと重いだろ」

「そりゃ平均的な女性よりは重いですよ。でもそれってポーメット様が鍛えてるって証左ですから」

「それはそれで複雑だ」


 ポーメットは股の間に突き立てていた模擬刀を杖にして「よっこらしょ」と立ち上がると、片手で軽々とマリエッタを立ち上がらせた。


「まあいい。とにかく、マリエッタは筋が良い。今後成果を上げれば、小隊長クラスにはすんなり昇格できるだろうな」

「本当ですか! めちゃくちゃボコされたんで複雑ですけど嬉しいです!」


 茶髪の少女は太陽のような笑みを浮かべる。その屈託のない笑顔にポーメットは安心していた。

 メタシムから唯一生き残り、ダスケルの難から逃れたばかりのマリエッタは精神的に著しく不安定だった。家族友人の死に加えて命の恩人たるセレスティア失踪の報を受けて、彼女は更に酷く塞ぎ込んでしまった。生きることに絶望し、一時期は食事すら取らずに部屋に引きこもっていたくらいだ。


 ……こうして言葉で表すだけなら可愛いものだ。実際はもっと悲愴的で、絶望的で、どん底だった。圧倒的な絶望に敗北し、生きることを緩やかに諦めてしまった者を幾度となく目撃してきた。マリエッタも残念ながらその一人になるのだろうと最初は思っていたものだが――


「……ポーメット様。覚えていますか、あの日を」


 ふとセレスティアのことを思い出して瞳を曇らせたポーメットを見てか、神妙な様子のマリエッタが問いかける。

 ――あの日(・・・)。マリエッタを見かねたポーメットが部屋の扉を叩いた日だ。


 ポーメットは不器用な方の人間である。口下手なために人の励まし方なんてよく分からないし、背の高い美人ということで威圧感があると言われるし。

 だから、打ちのめされた人間に寄り添おうと思った時、彼女はいつも愚直な行動で感情を伝えるのだ。


 ポーメットがどん底のマリエッタを救った行動は、ただただ少女の身体をめいいっぱい抱き締めることであった。

 しかし、単なる抱擁ではない。聖母のように優しくて、苦労も、悲痛も、恐怖も、不安も、絶望も、どんな後ろめたい感情すら包み込んでしまうような。そんな抱擁だった。

 彼女は泣きじゃくるマリエッタを抱き締め続けた。抱擁に慣れていないのか、ポーメットの両腕の動きは固かったけれど……何も言わずに、ずっと(・・・)傍に寄り添っていた。

 マリエッタは言葉でない言葉を知った。傍に人がいる――それだけで何と嬉しいことか。ポーメットを含めた多くの人が、知らず知らずのうちに自分を支えてくれたのだと分かったのだ。悲しみを抱き締めて立ち直ったマリエッタは、辛い過去をバネにして今を生きている。


「あの日、あたしは救われたんです。辛いことは誰かと分かち合うことで乗り越えられるって、ポーメット様が教えてくれたんですよ」


 先の出来事と日々の疲れによって塞ぎ込んでいたポーメットは、間合いに入ってきたマリエッタの動きを捉えることができなかった。気づいた時には、少女の腕の中にしかと抱き締められていた。

 ポーメットの身体は殺意に反応するようにできている。幹部になって相手の動きを見切れなかったのは初めてだった。


「……すまない。こういう時、どうすればいいのか分からない」

「あの時のあたしもそうでしたよ」

「そうか……」


 ポーメットは熱い吐息を少女の胸の中に漏らす。限界寸前だったマリエッタを支えていたあの日のポーメットとは立場が逆転している。精神的にも肉体的にも成長したマリエッタに支えられているとは。ポーメットは情けないような嬉しいような、絶妙な気持ちになった。

 マリエッタに元気を貰ったポーメットは、小さく息を吸って背中を軽く撫でる。「ありがとう」という言葉を貰ったマリエッタは、「どういたしまして!」とふやけるように笑った。


「……本当に」


 本当に、マリエッタが生きていて良かった。ポーメットは人の存在というものを噛み締めた。

 騎士団長たるもの、弱みを見せてはならぬ。表情を一変させたポーメットは、やや大きめな声で咳払いする。


「うっほん。……稽古が終わったことだし、拠点に帰ろうか」

「ですね!」


 帰り道、マリエッタと雑談になる。ダスケルの街で命の恩人に助けてもらったという話だ。

 その話は過去に何度かしたのだが、ポーメットには引っかかることがあった。


「はぁぁ、あたしを助けてくれたオクリー(・・・)さん、今どこで何してるんだろう」

「……まぁ、生きてはいるだろうな」

「え〜! 分かるんですか!?」

「勘だ」

「え〜……」

「ちなみにワタシの勘はよく当たる」


 命の恩人の名前はオクリー(・・・・)。ごくありふれた名前ではあるのだが、この名前はポーメットだけではなく他幹部にも違和感を抱かせていた。

 何せ、オクリーという邪教徒(・・・)こそがダスケルの街を壊滅させた男なのだから。


 マリエッタとオクリーが出会ったのはダスケル崩壊の真っ只中。崩れ落ちてきた外壁が二人を巻き込むような場面だったと言う。しかし、オクリーはマリエッタを庇うようにして瓦礫から逃れたらしい。

 殺戮ないし誘拐を繰り返す邪教徒が、危険を冒してまで少女を救うはずがない。邪教徒には狂人が多いと言うから、異常者の気まぐれと言ったらそれまでだが……幹部の間では、邪教徒のオクリーと同名だが違う人間なのだろうという一先ずの結論が出ていた。


(……オクリー・マーキュリーとマリエッタの言う『オクリー』は……名前どころか外見の特徴すら一致している。マリエッタから『オクリー』のことを聞く度に、心が掻き乱されるようだ……)


 ポーメットは複雑だった。透き通るような黄金色の髪を梳いて、生返事を繰り返しながら思案に耽ってしまう。


(嫌な予感しかせんな。この話を聞く度に、ワタシに襲いかかってきたシャディクとポークを怯ませてくれたあの青年(・・・・)の存在がチラつく。彼は亡くなったアルフィー少年を探していた。聞いてみれば、マリエッタを救った『オクリー』もアルフィーを探していたそうではないか)


 とにかく引っ掛かる。物凄く。極めつけは「頑張れよ、ポーメット」という他人事のような別れ際の発言だ。老若男女から支持される彼女だからこそ分かる違和感があった。

 オクリー……気になる男だ。


「ちょっと、聞いてます!?」

「うん!?」


 突然大声を上げるマリエッタのせいで現実に戻されたポーメットは、ビクンと跳ねながら会話の内容を聞き返す。


「同期の間で話題になってたんですよ! 魔獣被害に遭った村に向かった小隊の話!」

「あ、あぁ。どんなだ?」

「かくかくしかじかで――村に到着した小隊が目撃したのは、件の魔獣の死体! 何と小隊が到着するより前に魔獣駆除が完了していたのです!」

「ほう。それは何故?」

「何と偶然通り掛かった旅人が殲滅しちゃったそうです!」


 どうやら、その旅人は聖都サスフェクトを目指すと言ってさっさと村を発ってしまったとか。


「名も無き強者だな」

「ですよね〜! さすらいの旅人が魔獣の群れを相手に剣一本で無双するとかかっこよすぎるでしょ!」

「マリエッタがその領域に至るまではまだ時間がかかる。あまり浮かれるなよ」


 ポーメットは名も無き強者がいることに若干の思いを馳せながら、まだケネス正教は死んでいないのだと心を奮い立たせた。


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