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五七話 最後の晩餐


 身体能力に優れない者がワンチャンスをかっ攫う方法なんて、身体能力に依存しない道具を使う他には有り得ない。爆発物でドカンとやれば、幹部候補(ホイップ)だって一発ノックアウトだ。上手く運用すれば一撃限りの必殺技として使えなくもない。一つくらい爆弾を潜ませておくのも悪くないと考えて、俺は爆弾作りを開始した。

 ヨアンヌがベッドの上で足をパタパタと動かして寛ぐ中、爆薬のレシピを思い出しながらペンを走らせる。原作で爆弾を作らされることはあったが、流石にそこまで覚えているわけじゃないからな。ほぼ手探り状態だ。


「オクリー、何してんだ?」

「爆弾の製法を思い出しています」

「へ〜。アタシ知ってるぞ」

「本当ですか」


 ベッドから腰を下ろしたヨアンヌが、机で作業する俺に近づいてくる。魅惑の生脚がちらりと覗いて視線のやり場に困ったが、こんな感情を抱いてしまうのは今更感しかない。

 後ろから抱きついてきながら、ヨアンヌはあれこれと口出ししてくる。彼女の助けもあって割と直ぐに爆弾のレシピが完成した。素材を集めるのはまた今度になりそうだが。


「ところで爆弾なんて物騒な物、何に使うんだ?」

「自衛ですね。スティーラ様に食べられそうになった時、口に突っ込んで頭ごと吹っ飛ばしてやれますから」

「ま、大事なことだな」


 軽装のヨアンヌは溜め息を吐くと、がっくり項垂れるようにして俺の肩に顎を乗せた。椅子に座る俺に対して、そのまま両腕を回してきつく抱き締めてくるヨアンヌ。肩甲骨の辺りに柔らかい感覚が押し付けられ、彼女らしくない神妙さを孕んだ吐息が耳朶をくすぐった。

 何となしに胸の前で交差した白い両手に触れると、少女は小さく声を漏らす。普段だったら恥ずかしがりながらも揶揄ってくるだろうに、そんな様子もない。彼女の様子は少しおかしかった。


 胸の前で固く繋がれていた少女の両手を解く。ヨアンヌは軽く拒絶してきた。身体が押し付けられ、まだ俺を抱き締めていたいと無言の圧力。するりと滑り込ませるようにして少女の左手に指を絡ませると、互いの左手薬指が重なり合った。

 少女の瞳は、双方の薬指に誓いの指輪を幻視しているかのように、ぼうっと瞬きを繰り返す。意を決したように鋭く息を吐くと、ヨアンヌは真正面から俺の双眸を捉えた。


「ちょっと……話さないか」


 心臓が嫌な跳ね方をする。ヨアンヌは俺の両手を固く握り締めながら目の前の椅子に腰掛けた。そのまま少女が口を開くのを待っていたが、いつまで経っても気まずそうに唇を結ぶだけ。らしくない伏し目に優しく問い掛けると、彼女は涙でも流すのではないかという思い詰めた表情で話し始めた。


「ついさっき、セレスティアから伝言があった。近々大規模な作戦が展開されるらしい」

「その作戦は我々にとって不都合なものなんですね」

「あぁ。細かな内容はまだ決まっていないらしいが、聖都サスフェクトに攻め入って『聖遺物』を奪う作戦が計画中なんだと。アタシの想像よりも数年早い……」


 今まで支配者然としていた勝気な様子が嘘のように、彼女の顔色は優れない。しかし、それが理解できてしまうほどの事態が起こっている。『聖遺物』という単語が出てきた以上、俺も気が気ではなかった。


 ケネス正教の『聖遺物』とは、世界で初めて魔法を持って生まれた『黎明の七人』の遺物群、もしくはその中の一つである『天の心鏡』のことだ。ここで言う『聖遺物』は主に後者の意味合いが強い。

 アーロスに狙われる聖遺物のルーツは遥か過去に遡る。かつて黎明の七人が一般正教徒だった頃、彼らは夢の中で『天の心鏡』を見た。そして鏡の中を覗き込んだ時、彼らは神と思しき上位存在の姿を目の当たりにしたらしい。その後彼らが力に目覚めたとされていることから、その鏡は神器であるとして民の信心を集め続けている。


 その逸話の信憑性が乏しいこと、いつ『天の心鏡』が作られたのか不明なこと、そもそも『天の心鏡』が誰の持ち物だったのかよく分かっていないことから、今なお(原作ファンの考察を含めて)議論の尽きない『聖遺物』であるが――

 ――そんな『聖遺物』争奪戦が勃発するのは、原作で言えば中盤から終盤に当たる。具体的な年月で言えば、約三年半くらい後の出来事なのだ。そんなにアーロスの計画は順調なのか? 年単位で計画が前倒しされるなんて、想像もしなかった。

 恐らく移動要塞計画が上手く運用できていること、セレスティアを思わぬ形で傀儡にできたことが要因だろう。


 何故アーロスがケネス正教の『聖遺物』に拘るのかと言えば、理由は単純だ。この『聖遺物』は存在するだけでゲルイド神聖国ひいてはケネス正教の格を高め、更には多くの巡礼者や旅人すら引き寄せるメリットを持つ。これを持ち出すという行為そのものがケネス正教の弱体化と混乱を招くと言っても過言ではない。

 また、アーロスは『天の心鏡』にただならぬ力が封じ込まれていると直感し、国盗り計画に転用しようと考えたのだろう。実際、『天の心鏡』は本物だ。聖遺物の名に恥じぬ力を秘めた器とも言えるだろうか。


 だからヨアンヌの様子がおかしいのにも納得できた。アレをアーロスの手に渡してはならない。正教の聖遺物と邪教の教祖がどんな化学反応を起こすか分からない以上、天の心鏡は聖都に納めておくべきだ。

 しかし、ヨアンヌの憂慮は俺とは違う点にあるようで――


「作戦が始まったらアタシは敵と戦わなきゃならない。どれだけ上手くやっても怪我は免れないだろう。つまり、オマエと交換したモノを元に戻さないといけない」


 胸に手を当てるようにしてヨアンヌは呟く。なるほど、情勢の心配ではなく俺の心配をしているのか。彼女は俺の体内を見透かすように目を細めた。今のヨアンヌの行動原理は俺に傾倒している。交換の際にかかる激烈な負担を考慮した結果の態度なのだろう。

 幹部同士の戦闘が勃発するなら、ヨアンヌは何度も身体を吹き飛ばされることになる。彼女の頼りない防御性能を鑑みれば、体内に収まった俺の臓器の心配をするのは当然のことだった。


 交換直後に比べれば、体力はある程度回復した。失った血も戻ってきた。だが、人の身体は幾度もの臓器移植に耐えられるほど頑丈ではない。臓器移植の後でも不自由なく生活できる者はいるが、激しい運動ができなくなる者もいる。結局は個人差と捉えられるものの、やはり交換しないのに越したことはない。むしろ少し前の俺は何故臓器交換を攻撃手段にしようと思ったのか。息苦しさから逃れるための打開策としては悪くなかったが、あまりにも無謀である。

 それに、俺とヨアンヌの場合は記憶転移の前例があるため、単純な影響に収まるかは全くもって不明だ。ヨアンヌの中で熟成された俺の臓器が爆弾になっている恐れもある。激烈な記憶転移が起これば、俺は間違いなく発狂するだろう。今だってそうだ。少し意識してしまえば、背後の闇からざわざわと迫り来るものがある。


「あの現象の再来を恐れているのですか? ……私がヨアンヌ様と同化するのは、本来喜ばしいことなのでは?」

「……確信に近い予感がするんだよ。これ(・・)を戻したらオクリーの精神は間違いなく壊れてしまうって……破壊の結果、今までの記憶を忘れてしまうんじゃないかって……アタシの中のオクリーが警笛を鳴らしてるんだ」


 ヨアンヌは俺のモノが敷き詰められた下腹部を撫でる。ぞわりと恍惚に似た悪寒が襲った。

 修行に打ち込んでヨアンヌの侵食から目を逸らしてきたが、いよいよ誤魔化しが効かなくなってきた頃にこの仕打ちか。日に日に影響力を強めるヨアンヌの他我は、間違いなく俺の心に蓄積して精神を腐らせている。何せ、俺がこの世で最も愛してやまない、殺したくてたまらない少女の甘美な願いなのだ。どれだけ無視し続けていても侵食は止まらない。アレから数ヶ月に渡って狂気に曝されているのだから、なおのこと。磁力に引き寄せられるように、布に水が染み込むように、心がヨアンヌの色に染まっていくのを感じていた。


(……記憶を失ったら俺の優位性は消え果てる。今以上に追い込まれることになるぞ。今まで生き残ってこれたのは前世の記憶のお陰なんだから。しかし……交換したままの内臓を放置するのも危険だ。俺の臓器を人質に取られた状態でヨアンヌが身体を吹っ飛ばされたら、戻す用の臓器が無くなって死んじまうからな。また八方塞がりってことかよ……)


 何度目か分からぬ絶体絶命。迷っている暇はなかった。

 たとえ記憶を失ったとしても、思い出せるツテはあるのだから。


 ……アーロスが俺のことを相当気に入ってくれているなら、セレスティアを洗脳した時と同じように、上手いこと脳を弄って記憶を取り戻してくれる……かもしれなかった。

 だが、俺はアーロスの能力を信用している。何でも出来てしまうのウチの教祖様の可能性に賭けるしかなかった。


「オマエを壊したくない。でも、このまま作戦が始まればどのみち死ぬことになる。……アタシはどうすればいい?」

「どうもこうもありません。やるしかないでしょう」


 ヨアンヌの中に俺の一部を収めておけるのはここまでだ。俺は一刻も早い開腹を望んだ。

 彼女の顔はみるみるうちに萎れていき、ただでさえ小さな体躯が矮小になっていく。ウルフカットの少女は消え入りそうな声で「分かった」と呟くと、俺を引き連れて部屋から退出した。


 連れ立った場所は誰もいない深夜の食堂。無造作に置かれた椅子や机たちが、寂しげなランプの光を受けて薄く影を伸ばしている。青々とした岩盤を削って生まれた空間を更に歩いて、ヨアンヌはキッチンに侵入していった。彼女の後を追うと、ヨアンヌは包丁の前で儚げに微笑んでいた。


「……最近、包丁を触る機会があった」

「それは何用で?」

「性に合わないとは分かってるんだが……将来を見据えて料理を覚えるために、かな。料理のための包丁をこんなことに使うハメになると思うと……少し……いや、かなり複雑な気分だ……」


 定位置に収まっていた包丁を、しゃらんという音と共に抜き取る。少女の上腕程もある長い包丁を悲しげに見つめたヨアンヌは、つかつかと歩み寄ってきて無造作に俺の腹を切り裂こうとしてきた。

 だが、俺は彼女の手首を掴んで制止する。俺の拒絶反応を見て動きを止めるヨアンヌ。眉をひそめて上目遣いで睨んでくる。そんな彼女に語り掛けるように、耳元で囁く。


「ヨアンヌ様の料理を食べたいです」

「……何?」

「……こと(・・)が始まる前に、あなたの料理が食べたいんです」

「っ……馬鹿なことを。まだ下手くそなんだぞ、アタシは……」


 少女の瞳の中の螺旋が大きく歪む。透明な液体で満たされたかと思うと、すぐに決壊して端から零れ落ちていった。ヨアンヌの泣き顔は純朴な少女のそれに間違いなかった。彼女自身に収まっていた想い人の欠片との別れが恋しいのか、それとも双方に及ぶ記憶転移の破壊が恐ろしいのか、それは分からなかった。

 俺は、あの時選んだ臓器交換という手段が間違いでなかったと信じている。更なる苦しみを生み、未来に分厚い暗雲をかけたが、微かに希望のある世界を見せてくれているのだから。全ては俺の選択だ。やり直しのできない不可逆な決断。濁流に揉まれるようにして、俺の未来は確定していく。


 彼女は言う。

 ――全てが終わったら、オクリーと食卓を囲んで団欒したいなあ。一緒に料理したり、ご飯を食べさせ合ったり……ふと思い出した時、暖かな光に満ちているような……そんな食卓を作りたいよ。次にアタシの料理を食べる時は、オマエが喜んでくれるような味付けにするから――


 少女が一生懸命に作ってくれたのは、肉と野菜のシンプルな炒め物だった。

 甘ったるくて、塩の加減すら覚束無い味。

 俺はこの料理の味を忘れないだろう。


「じゃあ、切るからな――」


 ――入刀。刹那、電撃のような熱さが迸る。体重があっという間に軽くなり、赤紫の肉塊が恭しく持ち上げられる。覚醒と断絶の狭間に精神が追い込まれ、とてつもない浮遊感に襲われた。

 彼女の意志の刻み込まれた肉塊が戻ってくる。口を開いて、ぱくぱくと空気を吐き出す。辛い。苦しい。ヨアンヌに呑み込まれる。精神が燃えているのが分かる。


 激痛に苛まれながらの、心地よい旅だった。


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