五一話 ブチッ
寝室で治癒魔法を当ててもらいながら、俺は目の縁を吊り上げたヨアンヌに説教を受けていた。
「オマエはバカなのか!? よりによってスティーラの部屋に一人で向かうなんて――本当に――死んだら元も子も無いんだぞ!? 自分がやったことを分かっているのか!? ああっ!?」
今まで見たことのないレベルのブチ切れだった。スティーラではなくヨアンヌに殺されてしまうんじゃないかと思えるくらいの剣幕で激詰めされて、俺は俯いて小さく呼吸することしかできなかった。
この場合むしろ正常なのは彼女の方で、迂闊だったのは俺なのだろう。俺は北東支部――というか、スティーラ・ベルモンドのことを知らなさすぎた。教祖アーロスを除く全ての事柄より優先して発揮される俺への食欲……彼女の精神状態はもはや常人には解析不可能である。
「とにかく急いで来て正解だった。アレックスの報告が無かったらオマエ死んでたぞ……」
「ま、自分じゃ何も出来なかったんで他力本願でしたけどね〜」
ギリギリのところで部屋を脱出した直後、俺はアレックスとヨアンヌに引きずられるようにして寝室へと帰ってきた。そこから治療を受け、容態が安定して今に至る。
あの数秒で相当量の血液を失っていたようで、興奮状態を脱した後、俺の身体には途方もない虚脱感が襲ってきていた。ベッドの上に寝かされながら、先程の傷と目の奥の痛みに意識が朦朧としている。
そんな中、俺の生存を噛み締めるかのように、ヨアンヌは俺の身体を死ぬほど強い力で抱き締めてきた。背骨がバキボキ音を奏でると、深い息を吐いて怒りを鎮めたヨアンヌが俺を解放する。
「本当に……良かった……」
しばらくはその繰り返しだった。ホイップに乗せられたとはいえ迂闊な行動を取った俺への怒りと、そもそも俺を攻撃したスティーラに対する激怒。それと想い人の生存に安堵する感情が交互に行き来して、彼女の行動を一身に受け止める俺は、冷水と熱湯を代わる代わる被せられているような気持ちになった。
一連の流れが完全に終了すると、翡翠の双眸がかっと見開かれる。彼女の瞳は完璧に据わっていた。何故そんなバカなことをしたんだ、と瞳で問いただされているような気がする。
眉間が穿たれそうなくらい睨んでくるので、俺はプレッシャーに折れる形で言い訳じみた理由を捻り出した。
「……ヨアンヌ様、これには訳があるんです」
「ほお。アタシを納得させるだけの理由があるのか?」
真上から顔を覗き込んでくるヨアンヌ。ホイップによる鍛錬の結果だと言えばそれで終わりなのだが――納得してもらえるわけがない。鍛錬の方法があまりにも体当たりすぎた。今振り返ると、スティーラの部屋に飛び込んで生還するのは超難易度の偉業だったんじゃないかと思う。
さて、ホイップの意図を好意的に解釈するなら、アレは予測できない環境に対応できるかのテストだった可能性がある。大変失礼な話だが、スティーラの性質と俺に対する興味を利用して、絶体絶命かつ濃厚な経験を積ませようとしてくれたのではないだろうか。
ホイップの言動を鑑みれば、有り得ない話じゃない。良くも悪くもスティーラへの理解度は高そうだからな。北東支部に帰ってきたスティーラが俺に興味を持っていることを察知したとしても何ら不思議ではない。
今のヨアンヌに嘘をつくのは恐ろしかったので、素直に理由を吐いた。これが俺の知る全てだと。すると、ヨアンヌは更にブチ切れた。当たり前である。
「アタシのオクリーをこんなに怖がらせて……あぁ……イライラする。どうせ遅いか早いかの違いだし、あの女本気でぶっ殺してやろうかな」
螺旋状の瞳が混沌と憤怒の輝きを帯びる。こめかみに青筋が浮かんでいて、半笑いにも関わらず迫力満点であった。彼女は笑顔を取り繕いながら続ける。
「けど、ホイップによる資質向上の鍛錬を受けていたのは良いことだ。オマエ、クレスに接触してセレスティア奪還を焚き付けたいんだもんな? そのためには、潜入にせよ戦闘にせよ数段階のレベルアップが必要になる。身につけた技術は幹部になってからも無駄にならないだろうさ」
「ご理解頂けたようで何よりで――す――……?」
その言葉を聞き終えてから、部屋の中にアレックスがいることに気付いて血の気が引く。
セレスティア奪還について聞かれた。聞かれてしまった。まずい。こうなったからには殺さなければ。俺は傍にあったタオルを手に取り、両手で鞭のように扱って引き伸ばす。
焦点の定まらない視界の中、絞殺を狙ってアレックスに視線を向ける。しかし、手をかけようとしたところでヨアンヌに制された。
「気にするな。コイツは味方だ」
「味方……?」
唖然。味方ということは、第三勢力――オクリー派の味方? どうやって引き込んだんだ?
壊れたロボットのような動きでアレックスを見る。金髪坊主は歯茎を剥き出しにして笑っていた。
「うっす。自分、ヨアンヌ様の家来っすよ」
「は、はぁ……」
「ヨアンヌ様とオクリー先輩の言うことは何でも聞くっす! 改めてよろしくお願いしますよ〜」
胡散臭さ全開のアレックスに何と反応すれば良いのか分からず、押し黙るしかない。
ヨアンヌへの心酔か? それとも破滅願望のある狂人か? スティーラの行動原理と同じく、アレックスについては考えるだけ無駄だと思ったので、この場は黙ってやり過ごすことにした。いずれにせよ信頼はできない……その認識があれば間違いないだろう。
朝礼の時間になると、アレックスとヨアンヌは食堂エリアへと向かうようだった。ヨアンヌは俺に対して『スティーラ接触禁止命令』を発令し、一旦殺してくるわと言い残して扉を閉めた。
典型的なことを忘れていたのだが、そういえばヨアンヌは独占欲が強い。他の女の影がチラついた瞬間、その女の存在を消し去ってから「で、結局あの子誰だったの?」と確かめてくるような女なのだ。矛先がスティーラに向かう分には勝手に戦えと思うばかりである。
数時間後、眠りについた俺は部屋の中で這いずる異音に気付いて目を覚ました。ヨアンヌによるものではない。まるで得体の知れない蟲が岩肌を走っているような……。
目を擦りながら上体を起こすと、そこには蟲を使って部屋の内鍵を解錠し、今まさに部屋の中に侵入しようとするホイップ=ファニータスクの姿があった。黒い塊のような蟲を口の中に収納し、ホイップは勝手に椅子を引き出して俺の傍に腰掛ける。
「……勝手に入ってきたらヨアンヌ様に殺されるぞ」
「そっちこそ、スティーラちゃんには食べられなかったみたいだね? 生還おめでとう!」
「お前……酷い奴だな」
確信に至る。やはりホイップはスティーラの異常性を利用した課題を与えたのだ。幹部としての尊厳の欠片もない扱い方に頬が引き攣る。この場合、スティーラを不遜に扱えるホイップの方がおかしいと思うべきなんだろう。
椅子の背もたれを股で挟み込むようにしながら、ホイップは「で、成果は?」とスティーラの私物を求めてくる。「スティーラ様のお母様の遺骨だ」と言いながらポケットから白い骨を摘み上げると、ホイップはギャッと悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。
「いや重っ! お人形さんとか持ってこれば良かったじゃん!」
「指定は無かっただろ。選ぶ暇なんて無かったんだ」
「えぇ……これ、スティーラちゃんの私物って言えるのかなぁ?」
ホイップは爪を立てて遺骨を観察する。確かに私物と括って良いかは迷いどころだな。ただ、スティーラの部屋から目的物を持ち帰れたので、ホイップの反応はそこそこ好意的であった。
「まぁいっか。とにかくオクリーちゃん、きみ中々素晴らしいよ。短期間で見違えるためには劇的な経験が必要だからね? この調子でどんどん強くなろう!」
「お〜!」と右手を突き上げるホイップ。一瞬、彼女の非人間じみたしいたけの瞳が細くなったのを俺は見逃さなかった。
おどけた様子のホイップだが、親切半分敵意半分という感じである。スティーラを焚き付けてきた時から薄々勘づいていたが、ホイップには俺を始末したい気持ちが燻っているはずだ。もし俺が死ねば幹部候補のライバルが減るし、仮に俺が生き残ったとしても恩を売れる上に組織の強化に繋がる。厳しめの試練で死ぬ程度の人間なら自分のライバルではない、という思いもあるのではないだろうか。
「ところでホイップ、課題のレベルはどんな感じに設定してるんだ?」
「ン? ギリギリ生きるか死ぬかのレベルに設定してるけど? きみくらいの実力者なら大丈夫だと思うよ〜」
やはりそうか。俺への殺意を隠そうともしないホイップに苦笑いしつつ、俺は次の教えを乞う。続いての北東支部流鍛錬法は「蟲食」であった。
「ところでぇ、オクリーちゃんは蟲に興味があるカナ?」
もったいぶった態度のホイップに対して聞き返すと、ホイップは小指の爪ほどの蟲を目の前に持ってきた。
ホイップの周りでよく見かける、ミルクちゃんをそのまま小さくしたような見た目だった。百足とも蚰蜒とも蠍とも見える異形の甲虫は、俺の顔を確認して触覚を伸ばしてくる。ホイップはその蟲を腹の中に収めろと言ってきた。
「短期間でゴリゴリに強くなりたいんだったらコレが一番オススメ! ハイリスクハイリターン! ミルクちゃんの子供の力を借りてパワーアップしないかい?」
ホイップの蟲と一定の距離を起きつつ、鼻の穴や耳の穴、ひいては口をガードするように布団を準備しておく。俺の記憶が正しければ、こういった危険な蟲は『蟲使い』としての素質が無ければ操ることはまず不可能だ。
しかし、極稀にこれらの蟲を使役してしまう人間がいるらしい。それは例えば幹部のような怪物同然の存在や、その他の要因で蟲の攻撃を無効化できる人間に限られるのだが。
「パワーアップって具体的には?」
「反射神経が上がったり、筋肉の出力が上がったりするよ〜。副作用としては寿命がちょっと縮むんだけど、きみって施設出身でしょ? そもそもの寿命が短いんだし、あんまりデメリットにはならないかな〜って思ってさ。うんまあ、嫌なら強制はしないけど」
この蟲は身体の穴という穴から皮下に入り込み、時間をかけてゆっくりと宿主の内側を蝕んでいく。人間の内臓が大好きで、一月もすれば身体の内側が空っぽになってしまう。ホイップの蟲を呑み込んだ瞬間、俺のような人間は死に直面するだろう。
そういうわけで一旦は蟲の受け入れを拒むことにしたが、俺の中にはとある希望的観測があった。
(元々の身体だったら俺は問答無用で死ぬだろうが……今の俺の内臓はヨアンヌのモノだ。そこが蟲に寄生されて食べられようと、彼女の意志によって内臓の損傷は回復させられる。宿主が死にさえしなければ、蟲の力を引き出すことも不可能じゃないはずだ。原理的には……)
今の俺には蟲を操る技能がない。蟲使いとしての素養が完全にゼロである。だが、俺の中に入った蟲が食べなければならないのはヨアンヌの臓器たち。ここに来て、俺の足枷だった他人の内臓が思わぬ副産的効果を生み出していた。
人間を超えた存在である幹部に対抗するためには、これくらいの賭けに出なくてどうするんだ? そんな気持ちとは裏腹に、俺の身体が「これ以上の無理をすれば本当に死ぬことになるぞ」と警笛を鳴らしている。
ヨアンヌの内臓を受け入れた時点で俺の許容範囲を超えているのだ。身体の中で巨大な蟲を飼うことになれば、二度と立ち上がれなくなるかもしれない。そもそもヨアンヌの部分が無際限に回復可能だからと言って、俺の中にある臓器を完璧に治癒できるのかは不確かである。
(……どれくらい強くなれるか分からないし、今はまだ蟲を受け入れるべきじゃなさそうだな)
俺はかなりの時間を悩み抜いた後、ホイップの誘いを断った。彼女は特に残念がるようなことはせずに、俺の選択を尊重してくれるようだった。
「ま、北東支部の生活には慣れてきたでしょ? 朝昼は戦闘訓練、夜は潜入の訓練を主立って行ってるから、遠征組は今日からそういう生活をしてもらうからね〜」
「なるほど了解した」
「……ところでさ。朝礼が終わった後、ヨアンヌちゃんがバチギレながらスティーラちゃんと口論してたんだけど……何かあった?」
「お前のせいだよ」
ホイップの言葉を噛み砕いていると、廊下が騒がしくなっているのに気付く。ホイップの肩を借りながら居住エリアに出ると、どうやらスティーラとヨアンヌの口論がヒートアップし、本格的な対決に発展しそうとのことであった。
「スティーラ様とヨアンヌ様がバトルするのか。俺っちはスティーラ様の勝利に夕飯を賭けるぜ」
「僕はヨアンヌ様に賭けようかな。逆張りだけど」
現在ヨアンヌの身体の中には俺の内臓が詰まっている。スティーラとヨアンヌのバトルを止めるべく、俺は彼女達の行方を追った。
 




