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四九話 小さな世界に至る計画


 これはオクリーが北東支部に異動する以前のこと。聖地メタシムの外に呼び出されたアレックスは、ヨアンヌ・サガミクスの到着を待っていた。

 指定時間になって数秒が経過した頃、オクリーのローブを羽織ったヨアンヌが姿を見せる。相変わらず美しい人だと彼は思った。


 最近のヨアンヌは更に綺麗になった。狂気的な双眸の中に、潤んだ妖艶さが潜んでいるような。より大人びた女性の雰囲気が漂っているような――恋する女性は美しくなるとか、そういう類の変化なのだろうか。それはさておき、一体どんな用で自分を呼びつけたのだろう。


「よう。待ったか?」

「とんでもないっす。ヨアンヌ様のためなら何日でも待ちますよ」

「そうか」


 熱烈な愛の言葉を軽々躱すヨアンヌ。その反応を少し残念に思いながら、アレックスは人目のない場所に呼ばれた意味を聞き出す。


「ところでヨアンヌ様、お話をするなら別にメタシムの外じゃなくてもいいんじゃないっすかねぇ? ヨアンヌ様のお部屋で……とは言わないっすけど、拷問部屋なり何なりで話せばいいことじゃないっすか?」

「……これから話すことは、他の誰かに聞かれたらまずい。非常にまずい。だから他言無用で頼む。オマエを信頼しているから話そうと決めたことなんだ」

「信頼……」


 その甘美な響きにアレックスは酔いしれる。あのヨアンヌが自分を信頼してくれている? そんなの、最高じゃないか。他言無用だろうと何だろうと、約束を守るに決まってる。

 嬉々として首を縦に振るアレックス。そんな彼に対して、ヨアンヌは周囲の闇を気にしながらぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。


「……アーロス寺院教団をどう思う?」

「どう思うって言われても分かんないっす」

「――教団が国盗りに成功したとして、そこに皆の望むような楽園が生まれると本気で思うか?」

「えっ……」


 想像していたものと全く違う、緊張感のある空気が流れ始めたことに冷や汗を流してしまうアレックス。愛すべき幹部ヨアンヌのイメージが崩れてしまう予感がした。これ以上聞いてはならない。アーロスに対する莫大な恐怖で縛られているアレックスは耳を塞ごうとする。

 そんな金髪坊主の細い腕を掴み、耳を塞がせないヨアンヌ。具体的な反骨心を持っていることがバレた以上、彼を逃す気はない。ヨアンヌは蜘蛛の巣でじっくりと嬲るようにして、アレックスの耳元で危険な言葉を並べ立てた。


「アーロス様の計画は、正教徒を全て生贄に捧げ、完全な神となって理想の国を創ることだ。だが、その先はどうなる? 理想の国は続くか?」

「どういうことっすか」

「所詮アーロス寺院教団はカルト集団だ。非人道的なことに手を出して、あらゆる集団に喧嘩を売りまくっている。……そんな奴らが、この広い世界に(・・・・・・・)一つも(・・・)存在しない(・・・・・)理想の国(・・・・)()創るだと(・・・・)? ……不可能だ。できるわけがない。オマエだって薄々分かってるんだろう、アーロスの計画は夢物語なんだよ」

「……ちょ、ちょっとすんません。思考が追いついてないんすけど。アレっすか? ……風邪。風邪引いてんじゃないっすか? 今日のヨアンヌ様、とびきり変っすよ……」


 アレックスは様子のおかしなヨアンヌから目を逸らせない。彼女が何を考えているのか分からなかった。アーロスは素晴らしい人だ。彼の計画に則れば、どんな不可能だって可能にできるはずではないのか。アレックスは混乱する。夢でも見ているんじゃないかと思う他なかった。


「頬を抓っても無駄だ。これは現実だよ、アレックス」


 アレックスは節くれだつ指で頬を抓る。現実のものに間違いない痛みに襲われて、彼は目玉をぎょろぎょろと動かした。


 ヨアンヌの発言は、教団に属する人間としては見過ごせない思想だ。……だが、他の誰も知らないヨアンヌの部分を知れているのだと思うと、全身の血が沸き立つように悦びが溢れてくる。

 危険分子は排除しなければならない。そう教わったはずなのに、アレックスの精神は彼女の危険な輝きに吸い寄せられていく。


「……話を戻そうか。理想の世界って何だと思う?」

「わ、分かんないっすわ。まあ、殺し合いとか戦争が頻発するようなら嫌っすねぇ……」

「そうだな。争いのない世界が理想だな」

「アーロス様にしか実現できないっすよ」

「実はそんなこともない」

「えっ?」

「アーロス様は中途半端なんだよ。そう思わないか? 愛する者以外を全員殺せば、その後は(・・・・)争いなんて起こらない。理想の国どころか理想の世界ができる。そうだろ?」


 背中にびっしょりと汗を滲ませながら、アレックスは狂乱した。まさかヨアンヌがこんな考えの持ち主だったなんて。危険すぎる。それ以上に、彼女の言葉を聞いてワクワクした。ドキドキした。心臓が痛いくらい悲鳴を上げていた。


「――アタシと一緒に『小さな世界』を創ろう、アレックス。すまないが、教祖アーロス・ホークアイを裏切ってくれ」


 憧れの人が内部離反を企てていたなんて。と言うか、これを聞いてしまった以上ヨアンヌに従う他無いのでは? ――ああ、そんなの最高じゃないか! どこまでも堕ちよう。自分はアーロス様の恐怖よりヨアンヌ様のドキドキを取るぜ! アレックスは口角が持ち上がるのを堪え切れなかった。


「――もしかしてヨアンヌ様って天才なんすかぁ!?」


 ヨアンヌにどこまでもついて行きたい。いや、行かねばならない。彼女の言葉がアレックス染め上げるのに時間はかからなかった。


「サイコーじゃないっすかヨアンヌ様! つまりこういうことっすよね? ――ケネス正教も(・・・・・・)アーロス(・・・・)寺院教団も(・・・・・)それどころか(・・・・・・)世界全部を(・・・・・)滅ぼしたい(・・・・・)! もっと早く言ってくださいよぉ! 楽しそうだなぁ!?」

「――あぁ、良かった。やっぱりオマエは信頼できる」


 ヨアンヌは安堵と共に肩の荷を下ろす。彼女はアレックスの瞳が嘘をついていないことを確認すると、この男は使えるぞと確信に至る。彼は破滅を望む道化師のような性格をしているようだった。


「オマエはアタシの忠臣として働いて欲しい。良いか?」

「もちろんっすよ。何でも言うこと聞くんで、言っちゃってください」

「分かった。これから小さな世界を作るための計画を話してやる。よく聞けよ?」


 アレックスは身を乗り出してヨアンヌの話に聞き入った。

 計画の根幹に位置する人間はオクリーであること。短命の肉体を治すためにオクリーを寿命という概念からかけ離れた存在に変えなければならないこと。そのためには、申し訳ないが、世界中の全ての人間がオクリーのための犠牲になってもらわないといけないこと。全人類を滅ぼした結果、我々は争いのない世界を創り出すことができて、永遠の幸せを享受できること――


 つまるところ、ヨアンヌの『小さな世界に至る計画』の根幹は、ゲルイド神聖国の国民全てを捧げようとするアーロスの惨劇以上の大厄災を引き起こし、世界全てを崩壊させてでもオクリーの命を永らえさせることだった。

 アーロスの計画を上回るスケールの大きさに、アレックスは度肝を抜かれる。想像するだけで鼻っ面から汗が噴き出した。


「禍根を残せば次の争いの火種になる。個人では分かり合えたとしても、人が増えれば摩擦が増える。アタシは、アタシとオクリーだけで完結した小さな世界が欲しいんだ。もちろん、その小さな世界にはオマエの居場所が用意されている」


 普通と狂気、二つの異なる精神が混じり合って、ヨアンヌの内側には誰にも想像のできない混沌とした精神が完成している。何の躊躇も容赦もなく、全ての人間を愛する人のために差し出せてしまうほどに。

 ヨアンヌの野望は、人生は、愛する人のために捧げられようとしていた。


 計画の全貌を知らないオクリーは、彼女の手のひらの上で踊らされることになるだろう。

 最悪なことに、オクリーの『正教勝利ルート』とヨアンヌの『小さな世界計画』は途中まで同じ道筋を通っていた。具体的に言えば、正教と邪教の戦力の均一化――そのために行わなければならないヨアンヌ達の内部工作が、オクリーの行動に半ば乗っかる形になっていた。


 故に、ヨアンヌはセレスティアの『洗脳返し』を全力でサポートするだろう。そのまま両陣営の戦力を均一化させ、鎬を削ってボロボロになったところで掠め取る。

 その過程でオクリーは勘違いするかもしれない。もしかすると、ヨアンヌは本当に俺の味方になってくれたんじゃないか――と。それはオクリーにとって致命的な勘違いだが、ヨアンヌにとっては純然たる真実であった。


 ヨアンヌはオクリーの味方だ。オクリーのためを思って行動している。オクリーが長生きできる、これ以上の幸せなんて有り得ない。だって、そうだろう? 想い人に長生きしてほしいと思うのは、おかしいことじゃないはずだ。

 計画を完遂するまでに、オクリーとは何度も何度も衝突することになるだろう。対話を超えて、殺し合うことになるだろう。しかし最終的には彼も納得するはずだ。感謝してくれるはずだ。「ヨアンヌ、幸せな世界を創ってくれてありがとう」と。


 オクリーのためなら何でもしてあげるし、何でもさせてほしい。今はまだ彼の中に雑念が混じっているから心を溶かすようなコミュニケーションを取れないけれど、全てが終わったら、今までのように皮膚の下での対話を繰り返したい。彼の中で疼きを繰り返して、微かな不快感さえも共有できる身体の一部でありたい。彼の身体の内側から支えてあげられるような女の子になりたい。普通の恋人のような甘い行為もしてみたい。何の意味もなく見つめ合って、耐え切れなくなって、吹き出したようにくすくすと笑い合う。何で笑うのと聞いて、何でもないよと返されたり。手のひらを擽って、いじらしく誘ってみたり。どちらともなく近づいて、軽い口づけ。爛れた行為に及んで、深い交わりに堕ちたい。ただの抱擁でも良い。触れているだけでいいのだ。彼の証が欲しい。時間が許す限り、彼を感じていたい。彼の弱い所を知りたい。自分の弱い所を知ってほしい。あなたの弱さを抱擁してあげるから、わたしの弱さも認めてほしい。彼の子供を授かりたい。胸の中に沈めて、溺れさせたい。身体を味わいたい。血、体液、肉、油。赤、紫、黄色。大好きな彼より先に死にたくない。一緒に死にたい。彼を看取りたい。


 ――彼と一緒に、何の憂いもなく生きていたい。

 幸せ、原始、退廃、野性的な何かが満ちた、光の中のような、何の縛りもない、滅びた世界で……ずっと……。


 それがヨアンヌの願いだった。


(おっと、また空想に耽けってしまった。アレックスの手前、しっかりしないと……)


 正気を取り戻したヨアンヌは、咳払いして金髪坊主に話を続ける。


「いずれにしても、オクリーには力をつけてもらわなきゃ困る。アレックス、オマエにもだ。絶好のチャンスがあったら幹部の半身を吹き飛ばせるくらいの実力をつけてもらわなきゃ、アタシの計画にはついてこれない」

「なるほど、だからオクリー先輩に続く形で自分も北東支部に行かせられるわけっすね」


 最終的には、ケネス正教だけでなくアーロス寺院教団の面々とも対峙しなくてはならない。実力は高ければ高いほど良かった。


「北東支部の滞在が終われば、オクリーは何らかの理由をつけて正教の街に潜入するだろう。だが、今回ばかりはアタシも付きっきりで守ってやれない。だから、オマエにはオクリーを守ってほしいんだ」

「ええ、ええ……! もちろんっす、自分に任せてくださいよ!!」

「……ふぅ。改めて聞くけど、良いのかよアレックス。アタシはアーロス様に逆らおうってんだぜ」

「気にしてないっすよ。ヨアンヌ様に助けられた時から、全部ヨアンヌ様のために捧げようって思ってた命っすから」

「そうか……」


 ヨアンヌは息を吐く。良い部下を持ったなと思った。アレックスもまた、サイコーの上司がいるじゃないかと思っていた。サイコパスとサイコパスが手を取り合い、オクリーを最上の結末へと導いていく。


 そして現在。オクリーの動きを監視していたアレックスは、オクリーがスティーラの自室に引きずり込まれる現場を目撃してしまった。


 オクリーの護衛を頼まれていたアレックスは、その一部始終を見て絶望した。


「ひぇ……オクリー先輩が食べられちゃう! ダブルミーニング……」


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