四六話 北東支部へ
古城拠点を経由して、スティーラ様御一行は三日目の旅路に差し掛かる。積荷を持ち込んだ馬車はずっと走りっぱなしだ。
俺達は言わばゲルイド神聖国の国敵であるため、目立たないように商業団などが通る主要な陸路を避けて馬車を走らせていた。なので基本的には森か山の悪路を突っ切るルートを取っている。
集落に寄って宿泊するなんてこともできないので、補給物資は拠点で詰め込んだ水と食料のみ。休憩時間は馬が必要とする時以外に存在せず、夜間帯は月明かりを道標に速度を落として走行している。
寝ている間もサスペンションのない馬車に揺られ、心身の休まる暇は一秒たりとて存在しない。しかも俺達のような平の間で馬の操縦を回しているため、肩書きのない教徒達はかなり疲弊しているわけだが――安全な旅が出来ているだけマシだろうと思えてしまう。
風雨に当てられて悪路に揺られて死ぬほど疲れるだけならまだ可愛い方だ。正教に見つかって幹部に駆けつけられたら、ヨアンヌとスティーラ以外の一般教徒は文字通り蹴散らされることになる。
しかも、正教側の人間に直接見つかることがなくても、ケネス正教幹部序列五位――ジアター・コーモッドの操る召喚獣に見つかれば結局おしまいだ。こればっかりは運だ。巡回中のステルス個体に見つからないよう、俺達一般教徒は祈るしかなかった。
四日目の旅路に差し掛かる。いよいよ大地が色を変え、植物の緑よりも雪の白の方が目立ってきた。
この四日間でヨアンヌ様専用抱き枕の称号を得ていた俺だったが、ずっと締め付けられていたために右半身がバキバキに凝り固まっていた。馬番が回ってきても、利き手が痺れて手綱を上手く握れなかった。
馬休憩の途中、茂みで大きい方を済ませていると、見知らぬ男邪教徒がズボンを下ろしながら俺の横に蹲踞し始める。
凄まじい勢いだった。何でわざわざ近くで大便しやがるんだと鼻をつまんで頬を引き攣らせていると、男は排便の途中にも関わらず邪教徒スマイルで話しかけてくる。目がキマッていた。
「オクリー先輩、おいっす!」
「……おいっす?」
「自分アレックスって言うっす、よろしくお願いしゃす!」
アレックス……俺を慕ってついてきた邪教徒の一人だろう。骨と皮のような刈込金髪坊主で、前歯の一本が欠けている。また、目の下に隈ができており、焦点が定まっていないようであった。
見た目で人を判断するのは良くないが、見た目は人を判断する材料のひとつではある。教団の女幹部よろしく地雷臭をぷんぷん漂わせており、まさに関係を持ちたくないタイプの人間そのものだった。
「……アレックス、ウンコ中なんだから元気に話しかけるのはやめてくれ。というか覗き込まないでくれ、普通に引っ込む」
「あ、さーせん。いやでも自分と馬車違うんで、こういう時間しか先輩と話せる機会がないじゃないっすか。可愛い後輩の話くらい聞いてくださいよぉ」
無視し続けようとしたが、こういうタイプは相手がどんな顔をしようとペラペラまくし立て続けてくるもの。呆れた表情をする俺に対して、アレックスは嬉々とした様子で何故自分がオクリー先輩に惚れ込んだのかを話し始めた。
やはりダスケル奇襲作戦の移動要塞計画を提案・実行してみせたことが惚れ込んだ点らしい。振り返ってみれば過剰なアーロスポイント稼ぎだが、その過剰さが俺の心理を隠してくれている気がする。俺の犯した行為に対して「先輩マジでイカれてますぜ」とドラッグジャンキーじみた男に褒められるのは妙な感覚だった。
「そもそも俺はお前の先輩でも何でもない、ただのマーカー役だ。その口調はやめてほしい」
アーロス寺院教団の内部序列的に言うなら、確かに幹部ヨアンヌの専属マーカー役の俺は先輩に当たるかもしれない。聖地メタシムの拠点に個室を与えられるくらいなのだから、実際の扱いも相当高位に位置しているだろうし。
だが、未だに正式な役職は与えられていないので、俺の役職は平である。マーカー役はあくまで作戦時に与えられるものなのだ。
先輩呼びが嫌だった他の理由は、アレックスの方が年上に見えたからだ。孕み袋出身だろうと、そうでなかろうと、見た目的に。
「いいじゃないっすかぁ、先輩と自分の仲でしょぉ?」
「初対面だが?」
「いやいや。メタシム侵攻の時、先輩の後ろにいたっすよ。確かに話すのは初めてっすけど、一瞬視線が合ったり合わなかったりしましたよねぇ?」
「そうだっけな」
アレックスのような限界人間は割と沢山いる。加えて、フードを被っていたから覚えていなかったのだろう。
俺は尻を丸出しにしながら考え込んで、ふと正気に戻った。
……この教団の人間は、排泄行為すら満足にさせてくれないのか。
いつの間にかアレックスのペースに乗せられて、無理矢理会話に引き込まれていた。だからこういう口の回る人間は厄介なんだ。トイレの時くらい休ませてくれ。
「あれ先輩、さっきから全然出てないっすよ」
「……下痢なんだよ」
「先輩くらい凄い人でも下痢ピーになるんすねぇ。お先に失礼します、早くしないと置いていかれるっすよ〜」
木の葉で尻を拭ったアレックスは、けたけた笑いながら馬車に戻っていく。この世界にちり紙やトイレットペーパーは存在しない。川の近くに設置されたロープだとか、落ちてる綺麗そうな植物だとか、もしくは自分の手で汚れを処理するしかないわけだ。そういう点も地味なストレスになって俺を襲っていた。
(……最近、下痢ばっかで腹も減らない。流石にスティーラにことわって眠らせてもらおう。下痢と腹痛の最中はこの世の終わりみたいな気分になる……)
数ヶ月前より痩せた感じがする。ストレスのせいか、例の交換による慢性的な体調不良のせいか。馬車に戻ると、俺の帰りを待っていたのか集団が走行を再開した。
「……オクリー、くさい」
「すみません、下痢でして」
「へえ、オマエでも下痢するんだな」
「どういう感想ですか。私も人間ですよ」
「だって……スティーラ……なあ?」
「……オクリーは下痢しなさそうだし、驚き」
何なんだこいつらは。俺は舌打ちを堪えて、ふて寝しようと腕を枕にして縁に寄りかかった。
が、ヨアンヌに上半身を引っ張られて、強制的に膝枕の形にさせられる。俺の視点からは張り詰めたワイシャツの膨らみしか見えず、ヨアンヌの表情は見えずじまいだった。
「……良いことを教えてあげる。……アーロス寺院教団の幹部は全員、排泄行為を必要としないの」
「本当ですかヨアンヌ様」
「当たり前だ。幹部なんだからトイレなんてしない」
二人によく分からない冗談を言われたのを最後に、俺は眠りについた。
俺達は暗闇と山道に紛れて、誰にも勘づかれることなく北東支部へと近付いていく――
――そして七日目。
「見えてきた。アレが北東支部だな」
ヨアンヌが俺の見ている窓に近付いてきて、景色の中のある一点を指し示す。険しい岩山と降り積もった雪に隠れるようにして、北東支部拠点がひっそりと口を開いていた。
何の目印も存在しないただの洞窟であり、土地勘の優れた者でも辿り着けるか分からない隠れた洞穴だ。
スティーラが熱線を発生させて雪を溶かしているおかげで道を進めているが、彼女の力が無ければ雪の中で前後不覚に陥って凍死していたかも分からない。
入口の狭さと視界の悪さも隠密性に一役買っており、雪や木に隠れて相当接近しないと見えてこなかった。ギリギリ馬車が通れるか通れないかという狭い入口を抜けると、松明の煙で黒くなった壁が照らされる。
しばらく進むと内部空間が広くなり、松明を掲げたフードの集団が馬車を取り囲んできた。スティーラが視線で「扉を開けろ」と指示してくるので、俺は馬車のドアを開けて彼女を洞窟内に導く。
スティーラとヨアンヌが下車すると、アレックスやその他の教徒が疲労感を露わにしながら馬車から転がり落ちてくる。俺も体裁を投げ出して倒れ込みたいくらいには疲れていたが、ヨアンヌやスティーラについてきた手前地面に四肢を投げ出すような真似はできなかった。一応の幹部候補として、ここにいるであろうホイップ=ファニータスクに舐められたくないという思惑もあった。
スティーラがフードを被った集団に歩み寄る。彼女はいつもより声色を上ずらせながら、あくまで憮然とした様子で彼らを見渡した。
「……みんな、ただいま」
その声が洞窟内に響き渡ると同時、ワッと勢い付いて小柄なスティーラを取り囲み始める北東支部の邪教徒達。次々にフードを脱ぎ、彼らは傷だらけの顔を曝していく。荒くれ者達は慣れ親しんだ様子でスティーラと言葉を交わしており、彼女はアーロスとは別の形で信頼されているようだった。
少し距離を置いた場所で、先んじて北東支部に到着していたセレスティアが顔を覗かせる。漆黒の集団に混じっていても違和感のない彼女は、露出した胸を抱えるようにして腕を組んでいた。
「オクリー、ヨアンヌ、遅かったですね。待ちくたびれましたよ」
微笑してくるセレスティア。ヨアンヌが彼女と話し出したので、珍しく俺は放置される格好になった。仲間に揉まれるスティーラを観察していると、俺の横に這いずるようにして金髪坊主がやってくる。
丁度いいので、情報通そうなアレックスにホイップ=ファニータスクのことを聞いてみることにした。
「アレックス。ホイップ=ファニータスクという教徒を知っているか?」
「ホイップ先輩すかぁ? もちろん知ってますよ! 北東支部のヒーロー的存在っすから」
「どいつだ?」
「アレっすよ」
アレックスの木の枝のような指がある一点を示す。フードを脱ぎ捨てた男集団の中に、紅一点の異形が混じっていた。背丈は周りの屈強な男に比べれば頭ひとつ小さいのだが――何と言うか、纏っている雰囲気が幹部クラスのそれだった。
金髪ロングで、ケネス正教の修道服を着込んだ少女。遠巻きに見ているだけでも、骨格というか肉質というか――指摘できないどこかが人間離れした容姿だった。客観的に評価すれば正統派の美人に間違いないのに、その違和感が拭えなくて視線が離せない。
ヨアンヌ、スティーラ、セレスティアともまた違う……アーロスに近しい雰囲気に包まれた少女だった。
「おかえりなさいスティーラちゃん! 元気にしてた?」
「……そこそこね。……スティーラにとっては、こっちの気候の方が過ごしやすいかしら」
所謂しいたけ目の煌びやかな美少女。俺と同じくらいの身長……一七〇を少し超えるくらいか。ホイップ=ファニータスクはスティーラとじゃれ合いながら俺の方に視線を寄越してくる。
「お、きみがオクリー・マーキュリーちゃん? 孕み袋出身の最高傑作と名高いイレギュラーだよね?」
「確かに俺はオクリーだが、そんな評価は聞いたことがないな」
しばしの間、視線が交わされる。しいたけ目の瞳からは何も読み取れなかった。彼女は俺から視線を離すと、ヨアンヌやアレックスを見て声を張り上げた。
「皆さん初めまして、ホイップ=ファニータスクだよ! 聖地メタシムからわざわざお越しいただきありがとう! おもてなしの準備は整ってるから、どうぞ中に入ってもらっちゃって!」
スティーラやヨアンヌを導くようにして洞窟の中に手招きしてくるホイップ。その様子を見てアレックスが飛び跳ねる。
「うわ、歓迎ですって! 何か嬉しいっすねぇ先輩、まるで客人みたいだぁ」
歓迎会が罠ということは無いだろう。……ただ、スティーラの部下である以上、おもてなしの内容には警戒せざるを得なかった。
 




