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四四話 大好きな彼女のあまあまASMR

「な、にを……言っているのですか」


 ヨアンヌが訳の分からぬことを口走り始め、置いてきぼりにされた俺は当惑に曝される。


「アーロス寺院教団オクリー派(・・・・・)……? 内部分裂を引き起こして、更なる混乱を引き起こすつもりですか」

「そうだ。教団内の誰もがアタシを信じている。準備が整うまで潜り続ければ計画の遂行は容易いと思うんだが、どうかな?」

「どうかなって、言われても――」


 ヨアンヌの厚底ブーツが木の床の上で踊る。ゴツゴツという彼女の特有の足音が俺の精神を削っていく。俺の心音と重なって脳に響いてきて、著しく不快だった。

 ヨアンヌは壁際まで後退した俺の横にやってきて、机の上に腰を下ろす。そのまま脚を振り子のように遊ばせ、世間話をするような軽さで彼女は話を続けた。


「アタシ思ったんだよ。アーロス寺院教団を滅ぼしつつ生き残って余生を過ごしたいってだけなら、ケネス正教との共生に拘る理由は薄い」

「それは……」

「逆に聞きたい。どうしてオクリーはケネス正教と合流することに拘る? 生き残るだけなら連中はむしろ邪魔者にしかならない。それとも、アタシですら(・・・・・・)知らない(・・・・)理由(・・)でもあるのか? ケネス正教に拘らなくてはならない理由がさ……」


 ヨアンヌが五指を絡ませてくる。動揺を誘うような仕草だった。

 二つの精神が混ざり合った今のヨアンヌは、俺の本心を映す歪な鏡だ。彼女が第三勢力を設立したがっているのも、俺がケネス正教側に流れたがっているのを疑問に思っていることも、全ては俺の深層心理から生まれた疑問なのだ。

 彼女の質問に対する回答を俺は知っている。知っていなければおかしいはずだ。


(俺がケネス正教に拘る理由――)


 ヨアンヌと関わり出す前から抱いている理由を言うなら、俺自身にケネス正教についての知識が大量に備わっているからだろうか。

 原作知識を備えている影響で、俺は正教についてかなり詳しい。内情も大体のことは分かってしまう。未知の脅威に怯える必要がないから、俺はケネス正教に拘ってしまうのかもしれない。


 無論、これは以前の話。状況が激変した今は、もっと強い理由と覚悟を持てている。


「八方美人の生き方は長続きしないよ。本当は薄々気づいていたんじゃないか? この調子でアーロス寺院教団を滅ぼしても、ケネス正教側(向こう側)に逃げ場なんかないってことに」


 狂気から来ていると思っていた第三勢力設立の提案。それが今、彼女の言葉によって思わぬ形で説得力を帯びていた。


「オマエの考えは分かるよ。アーロス寺院教団を滅ぼした後、国外脱出するか辺境の地に逃げるかして、残り少ない寿命を逃げ切るつもりだったんだろう?」

「……そうですね」

「ケネス正教の絶対的な組織力を侮るな。奴らは地の果てまでオマエを追い回し、ダスケル破壊の主犯格を処刑したがるはずだ。連中はアーロス寺院教団に比べれば正当性のある組織だが、歯向かう者には容赦しない。オクリーの死体を確認するまで永遠に追いかけてくるぞ」


 確かに生き残ることだけを追求するなら、ケネス正教に近付くことは逆効果になるだろう。

 それでも、俺はケネス正教を勝利させなければならない。アーロスの野望が完遂された時、この国に住むケネス正教徒数百万人全員が絶命の結末を迎えるのだ。この悲劇を止めるためなら、どれだけの犠牲を払っても構わないと思わせるほどの大厄災が待っている。


 アレだけは絶対に止めないとダメなんだ。そんな強い思念が俺の中に渦巻いていた。


「それと、オマエの寿命の問題はどうする? 勘違いしているようなら悪いが、人間の寿命ってのはその瞬間まで(・・・・・・)健康に(・・・)生きられる(・・・・・)時間のこと(・・・・・)じゃないんだよ」


 日本の平均寿命は八〇歳を超えるが、平均寿命を語る上で欠かせないのが健康寿命という考え方だ。健康寿命とは、介護などの助けを必要とせず不自由なく日常生活を過ごせる期間のことを言う。そして、日本人の健康寿命と平均寿命の間には一〇年前後の差が開いている。

 つまり、孕み袋出身の平均寿命(・・・・)は肉体年齢三〇歳だが、健康寿命に限って言えば更にリミットが短くなるということだ。


 投薬によって限界を超えた成長速度を実現したために、老化やその他の要因による崩壊もまた加速している。投薬の反動により早々に寝たきりとなった教徒などは、生命活動を維持できないために孕み袋の餌へ変えられると聞く。

 現在の俺は一八歳。考えられる余命はおよそ一二年だが、肉体を顧みず無茶できる期間はもっと短いのかもしれない。


 免疫機能や体力の低下に伴って、人はちょっとした風邪や怪我で調子を崩しやすくなる。肉体が老化するほど回復力は落ちていき、二度と健康状態に戻ることはない。限界を迎えた身体は小康状態と症状悪化を繰り返しながら死んでいくのだ。

 今の俺は投薬による肉体崩壊のダブルパンチ――俺の命は二〇代半ばで潰えることになるだろう。


「今のオクリーには隠居できるほどの時間なんて残っちゃいないんだよ。精々残り数年がオマエの全盛期ってところだ。何なら色々と無茶しすぎたせいで、いつガタが来るかも分からない。――だが、アタシの案ならオマエの寿命の問題を解決できる。それを分かってほしかったんだ」


 そうか、やっと分かった。ヨアンヌが第三勢力を立ち上げようとしている理由が。彼女は俺を救いたいのだ。

 アーロスに向いていた矢印が行き場所を無くし、その熱量と質量全てが俺に叩き付けられているのだろう。だからスケールのおかしなことを発言しようと疑問に思わないのだ。俺への愛情が世界を新たな混沌へ導こうとしている。


 前々の俺は、全てが解決すればどこかに隠れて細々と生きていけると思っていた。

 だが、その妄想は脳内の想像にありがちな『過程の脱落』を引き起こし、どのように追っ手から逃げるかなどを無視してしまったのだ。もしくは、不可能だと無意識下で理解していたために反対意見を封殺していた。


 ヨアンヌは、俺の心と一体化する中で矛盾する心を感じ取ったのだろう。解決策を見出すため必死で思考を巡らせたに違いない。

 その矛盾に対する回答が、第三勢力による正教邪教の討滅。オクリー以外はどうでも良いと判断した少女の無茶苦茶な答えだった。


 しかしながら、俺の寿命に係る問題が解決できるという彼女の言葉は魅力的に聞こえてしまう。

 人間の持つ生への渇望は凄まじいものがある。三〇歳を迎える頃には高い確率で死んでいると言われて動揺しない者はいない。絶対に逃れられないのに、他人事のように思ってしまう。いざ目の前にやってきた時、正気を保つことすら難しい。それが『死』なのだ。


「……私の短命を解消する方法は?」

「オクリーの脳を培養器の中の個体に移植して、新たな肉体に自我を移す。そうすればオクリーは永遠の命を得るも同然だろう」


 ヨアンヌが目を逸らす。強烈な不快感で片眉を痙攣させた俺に対して、彼女は軽く手を振った。


「安心しろ、アタシ達にそんな技術はない。あくまで方法の一つだよ」

「では、どういった方法を取るのですか?」

「言えないね。本命の計画はアタシの中にあればいい」

「…………」


 ヨアンヌは短命の解消に興味を示すかどうかを確認したかっただけなのかもしれない。交渉材料をチラつかせ、俺が応じてくれるか否か――その情報を得られただけで大きな収穫だったのだろう。

 小さな唇を弓なりに歪ませて、ヨアンヌは俺を揺さぶれそうな事実を噛み締めていたが――俺は短命でも構わないと呟いた。


 己の死を回避できるかもという期待はあるが、やはり彼女の計画を容易く肯定することはできない。恐らくヨアンヌの献身的すぎる精神が移ったことにより、死の恐怖が緩和されているのだろう。かつての彼女の決意が俺を後押ししていた。


「私は大量の民間人を殺しました。『幹部の評価を上げるため』『後々の数百万人を救うため』――なんて言い訳をしてね。後戻りはできない。ケネス正教を勝利させないとダメなんです」

「……本当に死ぬぞ。アタシと永遠に過ごせる余生が欲しくはないのか」

「魅力的ではありますが、それ以上に譲れないものがあるんです」


 生き残って隠居するなどという目標は、記憶改竄に気付く前までの話だ。今はもう、己の死を受け入れてでも前に進むしかない。

 俺という人間は、狂人や救世主という概念を盾にした自己保身と正当化の化け物でもある。その償いと報いを受けなければならないという理由もあった。


 沢山殺したのだから、惨たらしい死に方をしても文句は言えない。原作ゲームはそんな当たり前のことを教えてくれた。今やっと思い出せた気がする。


「……ふん、まあいい。アタシも北東支部に向かうつもりだし、これからも説得は続けさせてもらうよ」


 地下施設の完成を待たずして、俺は北東支部に飛ばされて危険な任務に就くことになるだろう。一応の大義名分は左遷だが、ダスケル奇襲作戦の成功により失敗分は帳消しになっていると言っていい。

 俺が異動を望んだため、アーロスやスティーラが背中を押してくれた形になる。成長して帰ってきて下さいねとアーロスに念押しされたのだから、彼の(・・)恩義に(・・・)報いるためにも(・・・・・・・)一肌脱がねばならない。


(……精神汚染がジワジワ進んでいるな。今、アーロスに恩義を感じる自分がいた。疑問にすら感じなかった。また矛盾した行いをしないように注意するか)


 皮肉なことに、純粋に俺のためになる行為をしてくれるのは目の前の狂人(ヨアンヌ)だけだ。俺の異常な行為を咎めてくれるのも彼女しかいない。

 これから北東支部でスパイとしての技術を研鑽した後、正教支配下の街に侵入しようと言うのに――その過程で知らず知らずのうちに心変わりして、ケネス正教に打撃を与えてしまうのが最も恐ろしい結末だ。


(今のヨアンヌを頼り過ぎるのは禁物だ。分かり合えたと思っていたが、結局この女は狂っている……)


 ヨアンヌの提案が脳内で反響する。

 正教も邪教も全員殺し尽くせば、この国には何の脅威も無くなる。しかも短命の宿命から解放され、最愛の彼女(ヨアンヌ)と永遠に過ごせるらしい。ほんの少しだけ、その多幸感に満ち溢れたイメージを覗き込むと――

 じわり。

 そのイメージを一瞥した瞬間、ヨアンヌの精神に自我が侵食される感覚が胸の中に流れてきた。剥き出しの心が、ざらざらの赤い舌で削り取られる。

 これが甘美な発狂、あの瞬間ヨアンヌが味わっていた精神の崩壊と融合。なるほど、背徳的な快楽に飲み込まれてしまうな。


 ――だが、どんな具合かは分かった。二度と呑み込まれてたまるものか。


 俺はあくまで正教を勝利させる。その心は変わらない。死ぬ人間の数があまりにも違いすぎる。数十万、数百万の人間が、ただ一人の狂愛のために死ぬことになるのだ。それは許せなかった。

 死ぬのは恐ろしい。途方もなく恐ろしい。それでも、限度というものがある。諦めの境地だ。悲壮感に満ち溢れた覚悟が俺の中に蟠っていた。


 何を言われようと、俺はケネス正教の勝利を望む。たとえ彼らに殺されることになったとしても。

 最悪なことではあるが、アーロス寺院教団を滅ぼした後のことはその時考えるしかない。逃げ場がなかった時はその時だ。


「……じゃ、また後で」


 残念そうな声色のヨアンヌが、うつむき加減で部屋から退出しようと目の前を横切る。ドアに手を掛けて捻ろうとしていたところ、俺は彼女の袖を掴む形で引き止めた。


「気持ちが変わりました。共に正教を滅ぼしましょう」


 あからさますぎる、全くの大嘘を吐いた。

 大きな目を更に見開いた彼女は、窓の縁から腰を下ろして俺の目を覗き込んでくる。


「……本当か?」

「ええ、本当です」


 絶対に嘘だとバレていた。しかし、ヨアンヌは指摘してこない。それも織り込み済みだった。俺のことが大好きなヨアンヌは、本当に(・・・)手を(・・)貸してくれる(・・・・・・)可能性(・・・)を捨て切れない。

 きっと、かつての俺の優柔不断な中途半端さが彼女の決断を後押ししてくれる。その確信が的中し、ヨアンヌの表情は刹那の曇り空のち快晴へと変化した。


「……あぁ――オマエなら分かってくれると信じてたよ。ありがとうオクリー、大好きだよ……」


 俺がヨアンヌの華奢な体躯を抱き締めると、彼女の背中からみるみるうちに緊張が解けていく。

 耳を甘噛みされる。脳裏にペンダントに詰められた耳朶がフラッシュバックする。同時、彼女の舌が俺の耳に侵入してきた。


「――逃げるなよ」


 氷のように冷たく、底冷えした声。

 耳の中に、どす黒く煮え滾る莫大な愛情と熱が流れ込んでくる。


 ――ヨアンヌから醸し出されていた違和感の正体が分かった。

 突然話が合うようになって、迎合できるようになったからではない。


 その内に秘めたる狂気の野望(・・・・・)

 俺の精神とヨアンヌの精神が生み出してしまった怪物が、俺の想定を遥かに超えていたからなのだ。


「……ごめんな。オマエが苦しんでいるのは、この教団が生まれてしまったせいだ。少なくともアーロス寺院教団の駆逐は約束する。その点に関してはアタシを信じてほしい」


 その通りだ。その点に関して今のヨアンヌは信じられる。

 ……それ以外の全てが信じられないんだがな。


 俺は彼女に身体を任せ、脱力した。


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