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四〇話 大好きだよ


 絡み付く二人の身体。支え合う手と手。至近距離で交差する視線。オクリーとヨアンヌはドロドロに溶け合いながら、やっとの思いで身体を起こした。

 粘ついた体液が二人の間に橋をかけ、密着を惜しむように糸を引いて消えていく。


「……残った部位で交換できそうなのは、骨格と頭部だけか」


 ヨアンヌが行為の終わりを嘆くように、寂しげに呟いた。すっかり冷たくなったオクリーの肌をヨアンヌの細い指がなぞり上げると、満身創痍の彼が激しい貧血に苦しみながら小さく反応する。

 吐血しながら焦点を合わせた彼は、絶叫のせいで枯れた声のまま呟いた。


「人体の不思議ですね」


 何故自分は死んでいないのか。何故こんな凄惨な目にあっても前を向き続けられるのか。自問自答しながら、オクリーは精神の快復を待って再びの勝負に備える。

 ――パーティが始まって二時間が経過していた。腹部にナイフが入れられてから、ずっと腹の中が空気に触れている。激痛と混乱の混沌に掻き混ぜられて、五感で体験してきたこと全てが非現実のように思えた。


(もしかすると、俺はもう既に狂人の類なのか……まぁ、そうであろうとなかろうと関係ない。俺はただ前進するのみだ)


 普通、自分の身体を切り裂かれる場面を瞬きもせずに眺めることになったら酷いパニックに陥るだろう。オクリーはそんな恐怖を自ら進んで体験した。

 彼が瞬間的に気絶していた時はあるが、それはあくまで失血によるもの。彼の精神が折れていたわけではないし、あくまで一般人の肉体的限界にぶち当たっただけである。


 むしろここまで張り合えていることが異常なのだ。ヨアンヌとオクリーの対話は最終段階に突入し、あと一押しの勝負に至っていた。


 交換できそうな臓器は粗方やり終えている。胴体内にある臓器は全て入れ替えが完了しており、男女に特有の器官以外は処置済みだ。その他の例外は脳や眼球などの頭部に近い器官と、筋肉や骨といった切り離しと接着の難しい部位。後者の部位は記憶転移とあまり関わらない上、頭部に関してはオクリーに死の危険があるため触りづらい。

 既に人間性を感じさせない猟奇的行為をしていたが、彼のことを思うとこれ以上は手の施しようがなかった。勝負が付かないとは思ってもみなかったヨアンヌは、ゆっくりと天井を見上げる。


「打ち止め、だな」


 部屋の中で唯一汚れていないのは、彼女が見上げる天井だけ。部屋の中を照らすランプは鮮血で光を遮断され、壁も濃淡入り混じった(まだら)模様に染められている。

 新調したベッドは真っ赤な海に水没しており、床には大量の血液が波打っていた。どちらかが動く度に波紋が広がり、浅瀬を伝って部屋の隅にまで波が伝わるほどだ。


「……決着が付く前に、死んでしまいそうなのですが」

「それはダメだ。このアタシが折角一肌脱いでやったんだから、もうちょっと頑張ってくれよ?」

「これ以上頑張れと? ははっ、酷い人だ……もう視界がボヤけてるし、耳もよく聞こえないんですよ」


 激痛と精神錯乱による耳鳴りを掻き分けて聞こえてくるのは、ヨアンヌの微かな息遣いと優しげな声だけ。視界は白と黒に染まり、痺れるような余韻のせいで呂律が回らない。

 自我と他我が入り交じって苦しむ中、オクリーもヨアンヌも「そろそろ相手の精神が折れそうだ」と確信していた。お互いの全てを知って、記憶を見せ合って、もはや隠し事などない。相手のことをどれだけ大切に思っているかは嫌というほど理解できたし、溢れるほどに流し込まれている。


 限界は近い。

 互いの愛に染まり切る結末の予感は、どこか甘美な芳香を孕んでいた。


「もう終わりか。もっともっとオマエを感じていたかったのにな……」


 交換するモノのなくなったヨアンヌは、力尽きそうなオクリーに唇を落とした。めいいっぱいの愛を与えたかったヨアンヌは、その衝動のままに舌を伸ばした。

 口腔で交わる愛。不慣れでぎこちなくて、優しくて甘ったるくて、そして愚直な愛情に満ち溢れた少女の愛撫が、オクリーの心をドロドロに溶かしていく。血液の滴る音に混じって、一生懸命な少女の口から漏れる吐息と声が部屋を支配した。互いの内臓が震え、人の心が持つエネルギーが爆発的に燃焼していく。


「好き――好きだよオクリー。だから、もう諦めてさ……アタシの色に染まって、一緒に生きよう……?」


 啄むように、呑み込むように、オクリーの精神を侵食するヨアンヌ。内部からの侵略に加え、彼への愛情を実際の刺激で与えることによってオクリーを無力化しにかかる。

 だが、彼は折れなかった。少女の折れそうな体躯を抱き留めながら、かつての正気の芯を全く失わず、そして何より狂気的な覚悟と目標を見失っていなかった。


 あの日、崩壊していくメタシムで犯したミス。思い出すだけで息苦しくなるような、支離滅裂な過ちは二度と犯さない。

 どれだけこの少女を愛しいと思っても――思わされるよう仕向けられていても――アーロス寺院教団が行ってきた非道の数々を見過ごすわけにはいかないのだ。


 奴らはオクリーの人生を滅茶苦茶にした。偽の家族の記憶を植え付け、心を弄んだ。満足な人生の選択肢が与えられることはなく、強制的に教団に尽くさなければならなかった。教団に尽くしたところで、彼には孕み袋出身の宿命である『短命』という枷がある。現在オクリーには一〇年程度の寿命しか残されていなかった。

 しかも、オクリーのような人間が教団や世界に溢れ返っているのだ。産まれた時から教団に尽くすことを強制された者、資金源になるべく売られた者、能力不足で孕み袋の食材になる者、ポークの操り人形にされる者――前世の記憶を思い出さなければ、オクリーはゴミのように死んでいく人間のひとりだった。


 孕み袋や教団に関わる全ての人間は冒涜されている。アーロス寺院教団は誰も幸せにしていないではないか。何の罪もない人々を殺すか、殺すも同然の扱いをした。まともな人権が与えられていないと言っていい。


 その事実が燃えるような憤怒となって、オクリーの意識を繋ぎ止める。

 ギリギリのところでオクリーの自我は染まらない。


「どうして……? どうして染まってくれないんだ、オクリー。こんなに……アタシはこんなにオマエを大好きなのに……!」


 瞳の色を変えないオクリーに対して、涙を流して縋り付くヨアンヌ。そんな彼女に対して、あくまで優しい視線のオクリー。ヨアンヌは精神をぐちゃぐちゃにされながら、彼の首に腕を回して抱き締めた。


 大腸を交換した時が最も苛烈だった。大腸には多くの神経細胞や毛細血管が通っている。腹の調子が悪ければ気分が沈んでしまうように、大腸と脳の間には深い関係があるのだ。

 大腸の交換を終えた時、オクリーは過去一番の激烈な精神攻撃を受けた。見目麗しい美少女による、純度の高い愛情の波状攻撃だ。脳を蕩けさせ、思考停止に陥らせてしまうような、多幸感の塊のような何かが流し込まれた。


 絶対的な(・・・・)快楽と(・・・)幸せに(・・・)包まれ(・・・)誰もが羨む(・・・・・)美少女と(・・・・)一生を(・・・)過ごせる(・・・・)確約(・・)である(・・・)

 彼女はその愛故に、彼が求めること全てを受け入れるだろう。人間の潜在的渇望である『幸せな家庭を持つこと』のイメージと撹拌されて、その多幸感のイメージはより狡猾な形でオクリーの自我を攻撃した。


 考えてみてほしい。

 誰もが目を奪われてしまうような――それこそ世界中の誰もが手中に収められないような絶対的美少女が、一生自分と一緒に居てくれると言うのだ。しかも、その未来への決断は自分自身に委ねられていると来る。


 普通の人間であれば、どんな地雷が隠れていようと立ち止まって考えるはずだ。

 その未来の可能性について。


 だが、今この瞬間において――

 肯定的に(・・・・)考えることは(・・・・・・)敗北と同義だった(・・・・・・・・)


 何故なら、考えてしまった時点で脳にリソースを割かせてしまい――イメージを介した他我の侵入を許してしまうからだ。


 オクリーは、多幸感のイメージに対して一分の隙すら(・・・・・・)見せなかった(・・・・・・)

 如何なる雑念も抱かなかった。

 文字通り、一切(・・)


 人間は弱い生き物だ。初志貫徹できる人間はそう多くない。欲望の捌け口を求めたり、責務から目を背けて楽な方へ逃げてしまう。手の届く範囲に果実があれば、少なくとも視線くらいは投げかけてしまうもの。

 オクリーにはその弱い心を握り潰す強さがあった。思考を高速回転しながら、考えることを放棄した。


 普通の人間では不可能な芸当だった。

 だが、オクリーはやってみせた。


「どうしてオマエはそんなに強いんだ……?」


 思わず唇から零れる言葉。

 ヨアンヌからすれば、オクリーは可愛い(・・・)存在だった。


 首を飛ばせば死んでしまうし、肉片から再生することもできない。喪った部位を生やせないし、強靭な筋肉で高く跳躍することもできない。

 強大な存在たるヨアンヌにしてみれば、オクリーは庇護と恋心の対象でしかなかったはずなのに――


 それなのに、彼はあまりにも強かった。生命体としての弱い姿を晒しながらも、ヨアンヌが感嘆し驚嘆してしまうほど強靭な精神を以て立ち塞がった。


 ヨアンヌはあと一押しのところまで来たのに、彼の心が絶対に折れないことを直感してしまった。

 己の記憶の全てを与植え付けても、己の感情全てを与えても、己の表現全てを用いても、絶対に折れない極限の狂気的正気。悲しかった。寂しかった。悔しかった。狂おしいほどの愛を伝えているのに、彼もこの愛に応えてくれているのに、決定的な部分で敵わない辛さ。ヨアンヌは己の敗北を悟り、子供のように泣いた。わんわん泣いた。声を上げて、大口を開いて泣いた。しゃくり上げて、鼻の奥に慣れない痛みを感じて、その痛みの覚悟ができていないから嗚咽して。そのまま大粒の涙を決壊させて、膝下に広がる血の海に溶かしていった。


 ヨアンヌはオクリーが大好きだ。

 教祖様(アーロス)が大好きだ。

 大好きな二人。皆で一緒の方向を向いて、幸せな世界を作りたかった。


 でも、もう、それは叶いそうにない。

 ごめんなさい。ごめんなさい教祖様。


「ああぁ、ああぁぁぁあああ」


 少女は初めて完全な敗北に直面した。退路を断ち、己の全てを賭けた勝負に負けたのだ。涙の中に、からっとした新鮮味のある感情が混ざり合っていた。震えるような悔恨の味。苛立ちや絶望を感じたことは沢山あったが、ここまでの悔しさを感じるのは生まれて初めてだった。

 胸をすくような、清涼な感情の乱れが身体中を駆け巡る。


 あぁ、彼は知らないことを沢山教えてくれるんだな。

 喪われていく意識の中、ヨアンヌはぼんやりと思った。


 心残りと悔しさの隅っこで、微かだが確かな嬉しさが込み上げる。

 それでこそ、アタシが好きになった男だ――と。


 ヨアンヌの心は強かった。だが、僅かな隙を見せないことは彼女でさえ不可能な芸当だった。ちらつく甘美な結末に、ほんの少しだけ(・・・・・・・)視線を投げかけてしまったのだ。あくまで姿形を確認しようと一瞥しただけだったのに、それが結果的に他我の侵入を許すことになった。

 ヨアンヌの頭の中が塗り潰されていく中、彼女は多幸感に包まれていた。ベッドの上に寝かされたヨアンヌは、身体を密着させながら真横で見守るオクリーを上目遣いで眺める。


「……アタシは、負けたんだな」

「あなたの敗因は私を愛してしまったことです」

「……オクリーだってアタシのことが好きじゃないか。こうして傍にいてくれるくらい、愛してくれているじゃないか」

「……私のことを好き過ぎた(・・・・・)んですよ」


 ヨアンヌはその言葉を聞いて、力が抜けたかのような笑みを浮かべた。


「惚れた弱みだな」


 最後にオクリーの胸に額を預けたヨアンヌは、満足そうな表情のまま眠りについた。


 ――激情のぶつかり合う勝負は、狂気と愛の末に終焉した。


 勝者はオクリー・マーキュリー。

 誰よりも強い覚悟を決めた男が、初めて幹部に打ち勝った瞬間だった。


 『ヨアンヌ』という少女の精神は深い眠りにつき、『オクリー』と『ヨアンヌ』の間で生まれた新たな精神が覚醒する。

 肉体交換の末に生まれたその新たな自我(生命)は、まるで二人が成した子供のようだった。


「……おやすみなさい、ヨアンヌ様」


 慈愛に満ちた表情でヨアンヌの髪の毛を梳くオクリー。


 二人を映した部屋の光景は、あまりにも狂気的で――一枚の絵画のように美しかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 凄まじいとしか言いようがない 主人公の覚悟が誰よりもガンギマってきている
[一言] これ原作視点だとモブNTRスチルかぁ~(震え声)
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