三三話 闇堕ち衣装、露出が激くなる法則アリ
地下にある拷問部屋の出入口付近で待っていると、こってり情報を搾られたであろうセレスティアが階段を上がってきた。
無視できない位置にいた俺と目が合ったセレスティアは、銀の髪を揺らしながらその場に立ち止まる。
洗脳を経て、彼女の容姿には多少の変化があった。艶やかな銀髪ロングヘアーこそ変わらないものの、パープルの瞳にはハイライトが掛かっておらず、以前に比べると表情に乏しい印象を受ける。
素肌を隠していた修道服は色相が反転しており、何故か胸元と腰の部分の肌が露出していた。チャイナドレスもビックリの深いスリットが脚の横に入っていて、いかにも「すいません闇陣営に堕ちちゃいました」という格好である。
俺は彼女に対して何と声を掛ければ良いのか戸惑った。敵対していた頃は当然呼び捨てだったが、今の扱いは邪教の傀儡かつ八人目の幹部という絶妙な立場。しかもセレスティアは過去に数百人もの邪教徒を殺害しており、ヨアンヌなどの邪教幹部を苦しめてきた。
そこら辺の感情がサッパリしているアーロス達はまだしも、一般邪教徒はセレスティアに対する態度を決めかねているようだし――かくいう俺も態度を決めかねた邪教徒の一人だった。
(これまで通り呼び捨てタメ口でも良いんだが、セレスティアの肩書きは一応俺の上司的な存在だ。何となく敬語を使いたくなるが……)
敵幹部がいきなり自組織の幹部かつ上司のポジションに据えられたわけで、初対面の時よりも余程接しづらい。まだ闇堕ちを信じたくないというのもあって、目を背けて逃げ出したいくらいだった。
「……私のことを覚えていますか、セレスティア様」
というわけで、安定の敬語口調で話を切り出す。セレスティアは気まずそうに頬を掻いた。やはり洗脳前の記憶も保有しているらしく、俺と戦闘した時の様々な記憶に苛まれているようだ。
「もちろんですよ、オクリー。あなたには多大な迷惑をおかけしましたが……これからは寺院教団の仲間として共に頑張っていきましょう」
仲間として。その言葉を聞いた途端、俺は強烈な不快感と目眩に襲われた。
セレスティアは幹部の力を保有しているが故に第八の邪教幹部として扱われているが、実際の所属は正教幹部七位にある。
いつかセレスティアやサレン達と共闘したいと思っていた。だが、こんな形で肩を並べたくはなかった。身体を揺さぶって「正気に戻れ」と泣き叫びたくなる気持ちを抑えながら、俺は努めて平静を装った。
「よろしくお願いしますセレスティア様。……敬語が良いようでしたら、このまま続けますが……」
「うふふ、砕けた口調で構いませんよ。出会った当初は呼び捨てでしたもの、そちらの方があなたも接しやすいでしょう?」
セレスティアは柔らかく微笑む。ハイライトの消えた瞳が細められると、そこには正常だった頃の彼女と変わらぬ表情が現れていた。原作プレイ時、セレスティアルートに突入して彼女と紡いだ穏やかな日常と思い出が想起されて切ない気持ちになる。
セレスティアは俺が初めて攻略した思い出のヒロインだった。正教ヒロインは今でも全員好きだが、やはり最初の攻略ヒロインというのは特別なもの。俺はセレスティアの顔に手を伸ばそうとして、爪が食い込みそうなくらいに握り固めて衝動を押さえつけた。
俺の情緒はめちゃくちゃだ。この感情をどこにぶつければいい?
そんな俺の様子を見て、戦闘時の恐怖が残っていると勘違いしたのか、セレスティアは「落ち着ける場所に行きましょうか」とメタシムの街を歩き始めた。
「メタシムの街も随分と復興したのですね。一時期はどうなることかと思いましたが……」
「アーロス寺院教団の聖地になる街だからな。アーロス様は街の復興と発展に尽力なさっている」
結局、セレスティアの擬似的マーカー作戦は衝動的な独断専行だった。俺を取り逃がしたことで起こったダスケル崩壊はセレスティアの心に重大なダメージを与え、冷静な思考を不可能にさせていたのだ。
そうして失敗の穴埋めをしようと緊急で決行された『転送』作戦も、アーロスの知略によって失敗に終わった。
そもそもヨアンヌ以外の転送射程は長くとも精々一キロ程度。たとえアーロスの拘束から抜け出せたとしても、あの場にいた六人の邪教幹部から逃げ切れたとは思えなかった。マーカーについて熟知している邪教に対して仕掛けるには、些かお粗末な作戦だったと言わざるを得ない。
そして、セレスティアは動揺しているせいで自決すらできなかった。スティーラに食べられる寸前の内臓に転送すればまだ逃亡の可能性はあったと思うが、心を塗り潰すほどの絶望によって判断力が奪われていたのだろう。
数々の要素が積み重なって、ダスケル奇襲作戦は考えうる限り最悪の被害を叩き出したわけだ。
セレスティアに案内されて、街で最も高い建造物である時計塔に登る。かつてのメタシムでも街のシンボル的存在だった建造物は、あの日の戦いで焼け落ちなかったらしい。
見晴らしの良い高台は、あちこちの部分にヒビが入っていたが、外側で暴れなければ崩れない程度の強度が保たれていた。
「……不思議な感覚です」
崩壊し、再生しようとする街を見下ろして呟くセレスティア。彼女のうなじを撫でた風が、絹のような髪を舞い上げていく。
「この街を見ていると、悲しみと絶望……そしてどうしようもないくらいの喜びがごちゃ混ぜになって湧き上がってくるのです」
「正教にいた頃の記憶と混濁しているんだろう」
「ええ、理解しています。もはや正教には何の思い入れもないと言うのに、あの時感じた激情はどうも忘れられそうにありません」
高台の外縁をぐるりと囲う柵に近付き、セレスティアは大厄災の爪痕が残る街並みを見渡す。
正教兵の駐屯所だった場所――ヨアンヌが先制攻撃の投擲を仕掛けた地点――には未だに巨大な岩石が伸し掛っており、腐り落ちた棘も撤去されずに放置されたままだ。
目を閉じれば、開戦直前の張り詰めた空気感が思い出される。
ヨアンヌが岩を持ち上げ、ポークが毒の棘を巻き付け、投擲した毒の岩が駐屯所に着弾するまでの緊迫した一瞬。発狂寸前で常に心臓が跳ね回っていたあの日。
何もかもが変わってしまった。後悔できないほどに。俺はセレスティアを横目で捉える。メタシムを見下ろす彼女の目は濁ったままだった。邪教と正教の狭間に置かれて葛藤しているわけではなく、記憶中の感情と現在の心情の差異に純粋に驚いているだけのように思えた。
「オクリー、マリエッタという女の子を知っていますか?」
「あぁ、一応は……」
唐突に聞き慣れた名前が飛び出してきてぎょっとする。
「マリエッタ・ヴァリエール……メタシムの街から唯一逃げ延びた赤眼茶髪の少女です。もしマリエッタに出会ったら、躊躇することなく彼女の息の根を止めてください」
「え……」
俺はセレスティアの発言に凍りついた。
何故マリエッタを殺さなくてはならないのか。あの子は虫も殺せぬような心優しい少女なのだ。メタシムを生き延びることができたのだから、もう放っておけば良いではないか。そう思いながらも口を出せないでいると、セレスティアが淡々と言葉を紡いでいく。
「メタシム崩壊からただ一人生き残った日、あの子は『殺してやる』と呟き続けていました。しばらく面倒を見るうちに落ち着きを取り戻していったのですが……ある日の深夜、わたくしは鏡の中の自分に向かって『殺してやる』と言い続けるマリエッタを目撃してしまったのです」
「それはまた……」
「地獄を生き延びた彼女の精神は極致に達しています。……その後マリエッタと少しだけ話して分かりましたが、あの子の怨嗟は相当のものです。ゆくゆくはケネス正教幹部の座に登り詰め、わたくし達に牙を剥くでしょう」
アルフィーの代わりに生き残ったマリエッタ。確かに彼女は心優しい少女だったかもしれないが、あの地獄を経験して心境が激変し――原作のアルフィーと同じように覚悟を決めたということなのか。
だが、俺と話した時は極々普通の女の子にしか見えなかったぞ? それは上手く取り繕っていたということなのだろうか。
(……いいや、よく考えてみろ。あの子は中学生くらいの年齢なんだぞ。その頃の俺と言えば、ゲームだのテストだのに追われて『死』なんて考えることすらしてなかった時期。そんな年齢で地獄を体験してみろ……普通の人間は心のネジが吹っ飛んでしまうだろう)
メタシムから生き残ってしまった彼女は天涯孤独の身。家族や友人を喪い、失意のどん底に叩き落とされていたはずだ。そんなマリエッタの元に、追撃を与えるかのように五人の邪教徒が襲来した。
――そんなの、正気で居られるはずがない。まだ成人していない、中学生くらいの女の子なのだ。発狂に至るほどの激情が一周回ってしまい、戦況を静観できるような精神状態に陥ってしまうのも納得できた。
あの時のマリエッタは普通に話せていたからこそおかしかったのだ。
(となると、アルフィーの枠にマリエッタが収まって……世界の救世主枠は受け継がれたってことなのか? 世界情勢を考えると嬉しい誤算ではあるが、アルフィーとマリエッタの人生を考えると最悪だ。アルフィーにしてもマリエッタにしても、世界の救世主なんて重荷を背負うべきじゃない。クソッ、やり切れないな……)
世界の救世主と言えば聞こえは良いが、実際は血反吐を吐いて寿命を擦り減らし、人殺しをし続けなければならない悲劇の英雄だ。なまじ治癒魔法が身につくせいで簡単に死ねないし、限られた七人の幹部の枠を埋める以上、そこには莫大な責任が付き纏う。
戦いと何ら関係ない場所で、平凡な人生を送る方が百万倍マシなのだ。覚悟と狂気は紙一重。そんな悲しすぎる覚悟は決めない方がよっぽど良い。
「何よりも恐ろしいのは本当の覚悟を決めた人間なのですよ、オクリー」
そんなこと、幹部連中と戦ってきて身に染みている。
セレスティアがマリエッタを殺さなければならないと宣う理由は十分理解できた。目まぐるしく変化する情勢と情報を整理した後、俺はセレスティアの洗脳を解く薬を探すために時計台の階段を降りていく。
「ありがとうセレスティア、俺はこれで失礼するよ」
そんな俺の背中に、少し様子の違ったセレスティアが声を掛けてきた。
「最後にひとつ、確認したいことがあるのですが……」
風に波打つ銀髪を押さえながら、瞳の奥を見透かすような微笑みを浮かべて――
「あの時わたくしに言いましたわよね。俺は正教の味方だと。アレはもちろんわたくしを欺くための虚言なのですよね?」
瞬きした直後、セレスティアの姿は消えていた。
そこには、彼女の残滓を残した風が吹き荒んでいるだけだった。




