三一話 闇堕ちキャラは得てしてハイライトが消えがち
先程ハイキックを浴びせた時の和やかな雰囲気はどこへ行ったのか、疑いがあるなら今すぐにでも晴らしておかなければならない、という緊張した雰囲気が場を支配する。
肩を組んでニコニコ笑っていたフアンキロは、いつもの調子を取り戻したように粘着質な視線を向けてきた。
「ねぇポーク。ワタシ達が勘違いしてただけで、オクリー君は実のところ全然狂ってないんじゃない?」
フアンキロの爆弾発言に俺は身を竦める。ポークは「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げると、大袈裟な身振りでその説を否定しにかかった。
「いやいや。彼が結構イッちゃってるのは以前分かったでしょ? それこそ精神的にイカれてないと説明できないことが沢山あるじゃないか。メタシムの街での意味不明な行動とか、移動要塞計画だって彼の提案が発端らしいし――なぁヨアンヌ?」
話を振られたヨアンヌは一瞬固まった後、うんうんと首を縦に振り始める。
「そっそうだぞ。オクリーが提案したからアレが生まれたんだ。アタシのオクリーは凄いんだぞ」
「ボク達幹部でも思い至らなかった合理的かつ斬新なアイデアの根源は、彼の中にある忠誠心と狂気のブレンドによるものだろう。やはりメタシムでの不可解な行動は頭イッちゃってないと不可能だよ。直接見てきたボクだから分かる、賭けても良い」
強く言い切られたフアンキロは、ぐうの音も出ないようで沈黙する。
結論は尋問されたあの日に出ているのだ。それを掘り返された瞬間は肝が冷えたが、前世や原作知識などの決定的な事実は俺の脳に秘匿されている。故にフアンキロ達が確固たる答えに辿り着くことはない。
一貫性と整合性と計画性のないメタシムでの行動、破綻した俺の精神状態は客観的に見れば狂人そのもの。狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり――結果的に俺の行いは狂人の枠組みに当てはまるものであり、この一文の例に漏れず俺は狂った人間だと言えた。
「……フアンキロ様の鎖が対象者の認識に委ねられるのなら、結局その問いに意味はありませんよ。人間、いつだって自分が正気だと信じているものですから」
用意されていたかのような答えに、フアンキロは唇をへの字に歪める。
「皆分からないかなあ。ワタシの中には言語化できない違和感があるのだけど……もどかしいわね」
そこまで言われて察知した。フアンキロは俺が狂気を装った正気の人間だと確信しているのだ。
鎖の弱点を突いて疑惑から逃れた俺は、確かにフアンキロからしてみれば運が良すぎるというか――何故窮地を脱するためのそれしかなかった言い逃れができたのかを考えているのだろう。
実際、俺がフアンキロの鎖から逃れられたのは偶然に近かった。狂人判定を期待していたとはいえ、フアンキロやポークがそう判断してくれたのは意図しない運の良さ――定期的にアーロス様サイコと言っていることを聞かれていたとか――があったからだ。
ヨアンヌと両想いであるという嘘を見抜いていたフアンキロにしてみれば、何もかもを『狂人の主観』という盾で煙に巻かれてしまうのは嫌なのだろう。その推理は当たっているし、実の所正しい。
ヨアンヌとの距離が縮まったのはセレスティアと戦った後のこと。それまでモブ邪教徒だった俺は、彼女との戦闘をきっかけに邪教幹部と深く関わるようになった。フアンキロからしてみれば、セレスティアと繋がって唆されたのかと思うのも仕方の無いことだ。
ポークの操り人形であるスティーブに対して、教団の違和感や微かな敵意を暗喩して話したのもまずかった。その会話は、俺がスティーブに話を合わせただけ、と読み取ることもできるが、フアンキロがそう受け取ってくれたかは怪しい。
決め手はメタシムの街での裏切り行為。俺はスティーブを攻撃し、アルフィーに会おうとする暴挙に出た。
フアンキロからすれば、遂に尻尾を出したかという感想だったに違いない。
(そんな怪しい人間が、いざ尋問してみれば都合良く狂人判定されるなんて……そりゃフアンキロは有り得ないって思うよな)
彼女の疑念は、積もりに積もった事実によって形作られている。
先の移動要塞計画も、見方によっては懐疑的な立場を払拭するための実績作りに見えなくもないわけで。
この場は俺に同情的な幹部が多いおかげで凌げそうではあるが、フアンキロに対してはしばらく警戒を緩められそうもないな。
俺は服の下にびっしょりとした冷や汗を掻きながら、未だにフアンキロの鎖から解放されないことに不安を抱いた。
「あ〜じゃあ、最後の質問にするわね。結局、オクリー君の思うアルフィーって何? 君がアルフィーに会っていたとしたら、何がどうしてケネス正教の弱体化に繋がっていたわけ? あの時は聞けなかったけど、今はちゃんと答えてよね」
「……!?」
フアンキロの問い掛けに声を漏らしそうになるセレスティア。俺はありったけの感情を込めてセレスティアを睨み付けた。頼むからお前は黙っていろ、と。その祈りが通じたのか、セレスティアは訝しげな顔をしながらも息を潜めてくれた。
「……アルフィーはケネス正教の幹部に登り詰める器を持った人間だと……私はそう思っていました」
「ふむ」
「私がアルフィーに会うことで、そのきっかけを潰せるのではないかと考えた次第です」
俺がアルフィーを救っていたら、彼は英雄として孵らなかっただろう。邪教徒の俺に救われたアルフィーの覚悟は揺らぎ、「邪教徒にも良い人がいるんだ」という結論に行き着いてしまうかもしれないからだ。
故に、今の発言はギリギリのところで虚偽にならない。結果的に、俺は英雄誕生のきっかけを潰す行動をしていたのだから。
当然ながらフアンキロの鎖は反応しない。セレスティアは訳が分からないといった様子である。やり取りを後ろで聞いていた幹部達も、あまり話についてこれないようだ。
この雰囲気なら狂人の妄言のまま押し切れるか――と半ば安心していると、フアンキロは諦めたように鎖を異空間に引っ込めていった。
「つまり正教幹部候補になり得る一般人を見つけて、そいつを潰そうとしたって話か。な〜んか引っ掛かるけれど、これ以上は時間の無駄だろうからやめておくわ」
彼女は部屋の隅に歩いていき、音を立てながら勢い良く椅子に腰掛けた。フアンキロの口調は最後まで軽妙なものだったが、彼女の中にある疑念は根深いようである。
「気にすんなよオクリー。アイツ、教祖様に認められ始めたオマエに嫉妬してるだけだから」
「ヨアンヌ、うっさい」
頬を染めながら視線を逸らすフアンキロ。そういう事情もあったのかと思っていると、部屋の中央に座っていたセレスティアがその瞳を目まぐるしく動かしているのに気付く。
(……何だ? セレスティアのやつ。……まさか! おい、言うなよ!?)
不可解な行動を取るセレスティアの口を無理矢理にでも塞ごうかと考えたが、どうやらセレスティアは俺のことなど眼中にない模様。スティーラやシャディクが彼女のことを観察し続けているものの、特に気にしていない様子だ。
ふと彼女の視線を追うと、セレスティアは建物の外を気にしているようだった。
「……あなた達は、こんなことをしてただで済むと思っているのですか?」
会話がひと段落ついたところで、セレスティアが恨み言を切り出す。圧倒的不利状況から放たれる捨て台詞にしか聞こえなかったが、妙な威圧感を纏った言葉に俺は思案し始める。
『こんなこと、とは?』
「メタシムやダスケルを攻撃し、多数の死者を出したことです。罪なき人々を殺して何になるというのですか」
『罪のない人々……ですか。大多数の人間はそうかもしれませんが、ケネス正教の信者であるという時点で無視できることです』
「何――」
『残念ですが、もはや我々の対立は議論の域を超えています。互いのどちらかが死に絶えるまで、死力を尽くして戦うのみ……どれだけ話し合おうと、この事実が揺らぐことはありません』
現状を蒸し返すようなセレスティアの発言。彼女の考えが読めない。良からぬことをしようとしている――という予感だけが燻っている。
(……アーロスから情報を引き出そうとしている? そんなふうに見えるな。まあ、最期の抵抗として少しでも情報を得ようとするのは理解できるが――)
ふと、左手の薬指に意識が移る。
瞬間的に様々な要素が脳裏を過ぎり、俺は思考回路を高速回転させた。
セレスティアの絶妙な余裕。
情報を引き出そうとする言動。
そして彼女自身が移動要塞計画に行き着いていた事実――
それら全てが混じり合い、俺はひとつの結論に至った。
――セレスティアはマーカー役を用意しているのではないか。
電撃が走る。明瞭に浮かぶ予感。一度そう思ってしまうと、その答えが俺を逃がしてくれなかった。
(まさか――いや――これはどうなんだ……!? 止めるべきか、見送るべきか――)
その予感をアーロスに耳打ちしようとして、ギリギリのところで思いとどまる。
――移動要塞計画の概要に気付いていたセレスティア。彼女が無謀にもアーロス達を追ってきたのは、同じことをしているから――つまり一度だけなら死んでも良いという保険が効いているからではないのか。
迸るような閃きに襲われて、俺は口元を押さえてしまう。
セレスティアの肉体を隅々まで観察する。耳、目玉、指、足、その他表皮――欠損箇所は見当たらない。
しかし、見た目に惑わされてはいけない。肉体の『転送』は内臓の切り取りによっても可能である。表ではその損傷が見当たらなくとも、身体の内部を遠くに置いてきた・或いは誰かに手渡している可能性が捨て切れない。
アーロスが可能な『縛り』は『アーロス寺院教団に所属する者に対しての敵対行為』のみ。自殺ならば組織に敵対する行為には当たらないため、満足に遂行することが可能だろう。
先程から視線を動かしていたのは、己のマーカー役が無事かどうかを確かめつつ、自殺を止められないために邪教幹部達の位置が自分から多少離れているかを確認していたから……?
(そ、そうか……。正教側は人道的観点から移動要塞計画をできないものかと思っていたが、少し前のヨアンヌのように、単に肉片を持たせるだけならその限りではない。恐らくセレスティアのマーカー役は、ポケットやペンダントに内臓を隠し持っているんだろう……)
正教故に『移動要塞計画』の実施は無理でも、単なる『マーカー役』を設置することはできる。マーカー役を地下に置いて転送距離を満足させたり、メタシムの街にスパイを紛れ込ませたり、やりようはいくらでもあるからだ。
ヨアンヌ程の転送射程はないだろうが、それでも一キロ程度なら余裕で飛べるはずだ。
(いいぞ、セレスティア――そのまま逃げてしまえ!)
正教側はフアンキロの存在と能力を知らなかった。そのため、今すぐに帰還したとしても十分な新情報を持ち帰ることができる。フアンキロが非戦闘員だと割れたのも大きいはずだ。
俺の心が希望に満ちていく。
アーロス寺院教団は狡猾だが、ケネス正教だって負けていないんだ。
そう思って顔を上げようとした瞬間――
背後の鉄扉が開き――
「アーロス様、スパイを捕らえました」
――俺の胸に絶望が叩き付けられた。
視線の先には、拷問室に詰めかけた一般邪教徒達と、彼らに捕らえられた正教スパイの姿があった。
スティーラの小さな唇が弓なりに歪んだかと思うと、頭のネジがぶっ飛んだかのように笑い出す。わざとらしい動作で疑問のポーズを取ったアーロスは、顔面を蒼白にしながらワナワナと震えるセレスティアに接近していく。
『おやおやおや……この方は誰ですかセレスティアさん? スパイ……スパイと仰りましたか? それはいけませんねぇ……』
「ど――どうして――」
セレスティアの顔が、今度こそ絶望に染まる。アーロスの『影』が影響力を増し、彼女の身体を呑み込んでいく。
『ヨアンヌの戦法を利用して意表を突こうとする……実に素晴らしいことです。しかし、我々が対策をしていないとでも思ったのですか? ねぇスティーラ?』
「……アーロス様の言う通り。……スティーラは、鼻が利く。……血の臭い、肉の臭い、脂肪の臭い、骨の臭い、組織液の臭い……全て嗅ぎ分けられる。……セレスティアの臭いは、この数日で覚えていた」
『裏を読み、先を読み、相手に主導権を握らせない。集団戦闘の鉄則です』
正教のスパイに手を掛けるスティーラ。肉が弾け飛ぶ音、石臼を引き回すような音がして、あっという間にスパイが胃の中に収まっていく。悲鳴が木霊する拷問室で、最後の希望であるセレスティアの内臓がスパイの懐から零れ落ちた。
スティーラは肉片を拾い上げて「いただきます」と両手を合わせると、セレスティアの双眸に見せつけるかの如く、舌の上で転がし、ゆっくりと何度も咀嚼し、絶品料理を味わうかのように嚥下していった。
「……あぁ……セレスティアの絶望の味……二度と味わえない最高の一品ね……」
その様子を見ていたセレスティアの瞳から、一粒の雫が流れ落ちる。
部屋の隅にいた俺も、言葉ひとつ発することができない。まさか、ここまで先読みしていたなんて。セレスティア以上の絶望を叩き付けられた気分だった。
『セレスティア、あなたの希望は断たれました。でも、安心なさい。あなたの絶望は、満ち足りた希望へと変わるのです』
アーロスの袖口から影が噴出し、絶望を見上げるシスターに襲い掛かる。
小さく「嫌――」と悲鳴を上げるセレスティア。そこで彼女の声は掻き消えた。
数十秒程、粘性の黒い液体で形成された球体が部屋の中央で蠢いた後――卵の殻を破るように、内側から何者かが孵っていく。
卵の中から姿を現したのは、色相の反転した歪な修道服を身に纏ったセレスティアだった。
その瞳は暗黒に染まり、光を反射していない。椅子の拘束から解き放たれたセレスティアは、ゆっくりとその場で立ち上がった。
『第八の幹部――セレスティア・ホットハウンドよ! ようこそアーロス寺院教団へ! 皆さん新たな仲間を拍手で迎えましょう!』
アーロスの一声に、ワッと盛り上がる拷問室。
拍手喝采に満ちた部屋の中で、俺は独り深い絶望に包まれていた。




