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二八話 主人公は


 ヨアンヌのさり気ない誘導によって、俺は街の中心部から二キロほど離れた場所まで逃れることが出来た。

 しかし、幹部同士の戦いから距離を置いても、辺り一帯は血と土と魔法が飛び交う戦場だ。流れ弾のような魔法が空から飛んできて、瞬きする度に民衆が吹き飛び、ゴミ屑のように命を散らしていく。怒号と悲鳴と轟音が耳を麻痺させる。頭上から降ってくる土と血を押し退けて、俺は街の外に出るべく外門を目指した。


「ここでゾンビの群れを倒せ! 後ろには行かせるなぁ!!」

「オレ達が民衆を守るんだ!」

「他エリアはノウン様がおひとりで食い止めてらっしゃる!! 俺達も続けぇ!!」


 大通りから外門にかけたエリアでは、ポークのゾンビと正教兵士が戦っていた。ゾンビ共は自動運転故におざなりな動きだが、痛みも恐怖も存在しない。ただ、死と毒のみを撒き散らす厄災のような兵隊だ。正教兵が死力を尽くして足止めしているが、倒した分だけ新しいゾンビが生まれるので大勢は変わらない。


 幹部同士の戦闘の余波によって、あちこちで爆撃が巻き起こる。街の石畳と瓦礫が盛り上がって散ったかと思うと、俺は数十メートルほど宙を舞って地面に叩きつけられていた。

 こんなに魔法が飛んでくるなんて聞いてないぞ。スティーラやポーク、アーロス辺りが狙って街の被害拡大に努めているんだろうが――なまじ幹部達から離れたせいで、俺も被害を受けるハメになってしまった。


 誰が敵か味方かも分からない。俺は爆発に揉まれながら、やっとのことで外門の付近にやってくる。

 その頃には俺の衣服は血と泥に塗れており、怪我をしているのか無傷なのかも分からないくらい全身が憔悴し切っていた。


 幹部同士の戦闘の音は遠くに消えていき、ゾンビも先の爆発によって全滅した。外壁前には満員電車のようになった民衆が集っており、門の順番待ちをしている様子。とりあえずここに居れば外に出られそうだ。


 やっと死の恐怖から逃れられたと胸を撫で下ろそうとしたのも束の間、頭上から鎧を着込んだ美女が吹っ飛んでくる。

 左肩から先の部分と頭部を再生させながら受身を取る金髪碧眼の女騎士、ポーメット。その後を追ってくるシャディクとポーク。俺は戦慄しながら家の中に滑り込んだ。


(う、運が悪すぎるだろ……もう楽にさせてくれ……!)


 やっと街から脱出できると思ったらコレだ。

 慌てて家の中に飛び込んで息を押し殺したが、幹部同士の戦いにおいて建物などウエハースに等しい。街の外壁がそうだったように、この家もサクッと行かれるだろう。


 ポーメットの能力は、精神エネルギーを刀身に変換できる特殊な剣を操る力。精神エネルギーの消費に応じて剣の長さを自由に操ることが可能で、その剣が折れることはない。

 ポーメットが気迫を込めて剣を横薙ぎに振り回すと、俺の隠れていた家が横滑りしながら倒壊していく。瓦礫に押し潰されたら人は死ぬ。またもや逃げるように家から退散し、俺はポーメットの様子を盗み見るのだった。


「貴様らをこの先に行かせるつもりはない!! ワタシが街の皆を守り抜くっ!!」


 ポークの棘を一刀両断し、シャディクの纏わりつくような剣を捌くポーメット。彼女の背後では沢山の民衆が固唾を飲んで見守っている。この最悪の状況がポーメットに力を与えたのか、彼女は邪教幹部の攻撃を凄まじい剣技によって受け流し始めた。

 しかし、彼女は二人の幹部に押されて次第に身体を削られていく。さすがにポーメットが死ぬのはまずい。彼女レベルの幹部が欠ければ戦力ダウンは必至。どうにかポーメットをアシストできないかと周囲を見渡すと、視線の先に崩れかかった塔が見えた。


 鍛えた身体をここで使わずしてどうする。ポークのゾンビはおらず、俺の場所は全員の死角。俺は瓦礫の中に埋まっていた木材を引っこ抜き、塔の壁の脆くなった部分に突き刺して思いっ切り持ち上げた。

 火事場の馬鹿力か、てこの原理か、それとも両方のおかげか――俺の狙い通り、崩れかかった塔はシャディクとポークに向かって降り注いだ。


「おぉ!?」


 予知能力を持つシャディクはいち早く回避したが、予想外の方向から倒れてきた塔にポークが巻き込まれる。

 塔の大質量を集約させた棘で受け止めるのを見計らって、隙だらけのポークの頭部に聖騎士の一閃が飛んだ。


 標準的なリーチの剣が、唐突に射程二十メートルの剣へと変貌する。ポークの口元に向かって一直線に伸びたエネルギーの刀身は、彼女の歯を砕きながら脳幹までを貫いた。

 男装の麗人がぐりんと白目を剥くと、術者が意識を失ったことで街中の棘の支配が枯れていく。数秒後にはどうせ復活するのだろうが、その数秒の時間が戦況を変えた。


「ちぃっ、儂らつくづくチームプレーが苦手じゃのう……!」


 あくまで全員が無事に帰還することを目標にダスケルの街を荒らし回っていたのだろう。シャディクはポークの身体を抱えて街の中心部へと退却していく。同時、わっと雪崩込むように民衆が外門に殺到し始めた。

 ポーメットは崩壊した塔の根元に倒れていた俺を見つけ出すと、深々と頭を下げた。どうやら俺が邪教徒とは気付いていないらしい。


「君がワタシを助けてくれたのか。感謝する」


 ポーメットを目の前にして言葉に窮してしまう。貧血と疲労のダブルパンチで全身に悪寒が走っており、脳に供給される酸素量が足りていない。

 何か言うべきだろうか。何がするべきだろうか。彼女を殺すべきだろうか。彼女に守ってもらうべきだろうか。判断が鈍っている。分からない。頭が上手く回っていない。だが、正教幹部とフラットな状況で話せる機会などそう何度も訪れないだろう。俺はアルフィーのことを聞いてみることにした。


「……人を探している。アルフィーという少年を知っているか?」

「アルフィー? 済まない、ワタシは知らないな」

「そうか……まあいい。頑張れよ、ポーメット」

「……? それでは失礼する」


 ポーメットは不思議そうな顔をしながら、シャディクとポークを追跡するため高く跳躍していった。


(……セレスティア以外はアルフィーの行方を知らないか。今の時点ではただの子供だし、有名じゃないのも仕方ないけどな)


 メタシム陥落の後、アルフィーはこの街まで避難してきたはずだ。セレスティアの微妙な反応からして、恐らくそう(・・)だと考えていい。

 そうなると、この街の中でアルフィーの所在を掴めていないのはまずい気がする。既に街の外に脱出したなら良いが、もし彼が逃げ遅れているとしたら? 幹部同士の戦いに巻き込まれて死んでいたら?


(仮にそうなったら……俺の計画はぐちゃぐちゃになるな。もしかしたら心が折れて発狂するかもしれん。だが、アルフィーなら必ず生き残る。結局メタシム陥落の際も生き残ったんだ、持ち前の悪運と精神力でこの惨劇からも生き延びるさ)


 俺は外門付近に集まる民衆に近付き、倒れ込むようにして彼らに混ざる。悲壮な表情をしながら避難する民衆に混ざるだけで、あら不思議。オクリー・マーキュリーはあっという間に哀れな一般人の仲間入りを果たしてしまった。

 ボロボロで血塗れの衣服を着た俺は、やはり普通の人間から見れば一般人か正教側の人間に映るのだろう。ゾンビや魔法の流れ弾の脅威が去った外門付近にて、安堵の表情をした人々に紛れて街の外に出ていく。


 その流れに乗って街を脱出したところ、一人の少女が俺の身体にぶつかってきた。少女はあっと声を上げながら尻餅を着いてしまい、その際顔を隠していたフードが取れてしまった。

 どこかで見覚えのある顔に、俺ははっと息を呑んだ。


「いたた……ごめんなさい……」


 心臓が跳ねる。見覚えのある顔(・・・・・・・)――と表現したのには他でもない理由があって。

 柔らかい茶色の髪。赤い瞳。幼い佇まいの中にある大人びた女性の雰囲気――その少女の顔が、主人公の幼馴染のマリエッタ・ヴァリエールに瓜二つだったのである。


 環境音が遠のき、身体の内側の音しか聞こえなくなっていく。

 ――お前は死んだはずだ。何故ここにいる。


 口をぱくぱくと開閉させるが、言いたいことはひとつも出てこない。


 辛うじて、人名が零れる。


「アルフィー?」

「……え?」


 少女がきょとんと目を見開く。やはりだ。彼女はアルフィーを知っている。あぁ、当たり前か。彼女はアルフィーの幼馴染なのだから。


「君……アルフィーと知り合いじゃないか?」

「……え、あ、はい。知り合いです……」

「アルフィーはどこにいる」


 絞り出した俺の言葉を聞いて、マリエッタは唇を結んだ。悲壮感溢れる表情からは、その先の言葉が容易に予想できた。


 聞きたくなかった。でも、聞くしかなかった。


「その……アルフィーは……メタシムの街で…………」


 その先の言葉はない。

 轟音のように渦巻く風の音だけが場を支配していた。


 嘘だと言ってくれ。


 ぞわぞわと全身が粟立ち、膝に力が入らなくなる。その場に崩れ落ちそうになったが、ここで倒れた瞬間何かが終わる気がして、すんでのところで耐え切った。


 じゃあ、あの時(・・・)見た死体は誰のものだ?

 あの日、火の海になったメタシムで見た地獄のような光景。心が折れかかって、発狂寸前になって、主人公という希望に縋っていたあの時――マリエッタの家へと続く曲がり角の先で見つけた、見慣れた格好の焼死体。身体を横倒しにして、膝を抱え込むようにして上体を丸め込み、黒焦げになっていた子供の亡骸。あの子は誰なのだ?


 あの死体は、ゲームをプレイしていた時、ディスプレイに全画面表示された黒焦げの人影の一枚絵と瓜二つだった。アレは明確にマリエッタの死体として描写されていたはず。


 見間違えた? いや、そんなはずはない。俺は確かに見た。あの時あの瞬間、ゲーム内とそっくりな亡骸を。


(……こ、この世界はゲームとそっくりだ。でも、ゲームそのものの筋書きをなぞるわけじゃない。考えられる可能性としては――)


 ――アルフィーがマリエッタを助けて身代わりになった?


 まさか、まさかまさか――

 あの死体の正体はマリエッタではなくお前(・・)だったとは言うまいな、アルフィー。


 確かに、思春期を迎える前の子供の体型は、性別がどうあれそこまでの差はない。極限の苦しみを味わって、身体を丸めて耐え忍ぶような体勢になるのも想像に容易い。


 だが――その死体がよりにもよって――世界の救世主に成り得るアルフィー・ジャッジメントのものだったなんて――


 全てを理解した俺は、全身に濡れた外套のようなしつこい重さを感じ始める。頭の中は腐った泥が詰まったかのようにぼんやりし始め、首を固定することが出来なくなってしまう。

 このまま死んでしまえたら、どれほど楽なのだろうか。そんな思考が脳裏を過ぎった時、頭上から外壁の一部が降り注いできた。


「っ!? お兄さん、上から――!」


 マリエッタが叫ぶ。全てを受け入れようと俺は目を閉じた。

 しかし、反射的に身体が駆け抜けていた。マリエッタを抱えて滑るように瓦礫を回避してしまった俺は、何度目か分からぬ後悔に襲われた。


(……はは、ははは。何で俺は死ねないんだ)


 マリエッタの小さな身体を地面に下ろしながら、俺は一周回って爽快な覚悟の笑みを浮かべた。


(あぁ、そうだ。ここからだ(・・・・・)ここから(・・・・)何とかしよう(・・・・・・)。それが俺の覚悟だ。一般人の本気を舐めんなよ、アーロス……)


 この状態でも前を向けるなんて、逆に思考停止しているのかもしれない。俺はくつくつとした笑いを堪えながら、街の外に避難させたマリエッタと視線を合わせた。


「助けてくれてありがとう、お兄さん」

「どういたしまして。……君、名前は何て言うんだ?」

「……マリエッタ」

「マリエッタか。俺の名前はオクリーだ」

「オクリーさん」


 首を傾げながら俺の名前を反芻するマリエッタ。何度かその名前を呟いた後、彼女は「一緒に逃げましょう」と言って俺の手を引いてくる。俺はマリエッタの手を優しく振りほどくと、彼女の背中を押した。


「……俺にはやることがある。君は逃げるんだ」

「そんな」

「ほら、早く行け。巻き込まれるぞ」


 背中を押されたマリエッタはたたらを踏むと、そのまま俺の意図を汲んで闇夜の中を走っていく。


「あなたのことは忘れません! またどこかで!」


 そんな言葉を残して、マリエッタはどこかへ消えていった。

 恐らく最寄りの街へと避難するのだろう。そちらの方向にはダスケルの街から逃れた民衆が沢山いる。人の流れに身を任せれば何とかなるはずだ。


(…………)


 マリエッタを見送った後、俺は木の幹に寄りかかって項垂れた。


「アルフィーが……死んだか……」


 彼がいない正教は戦力的に見る影もない。

 さて、どうしようか。


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