二五話 鼻塩塩
なるべく顔を隠しながら街の中心部に向かっていると、屋根の上に正座する女騎士を発見した。
(あれは……)
分厚い合金の鎧を着込んだ金髪碧眼の聖騎士。彼女は長いポニーテールを風に揺らして、眼下に広がる街を監視していた。
その美貌には雪膚の如き清らかさがあった。化粧をせず、ピアスなどのアクセサリーもつけず、ただ無骨な金属鎧を身に纏っているだけ。飾り気のない美しさがあった。隠し切れぬ野生と飾り気のない美しさが融合して、まるで一枚の絵画から飛び出してきたかのよう。
(ポーメットも居るのか。今のところ、正教幹部はセレスティアとポーメットの二名……)
あの外見から察するに、屋根の上に鎮座している聖騎士は幹部序列四位のポーメット・ヨースターだろう。
ポーメットは原作屈指の人気キャラで、特に薄い本の人気で言うとセレスティアと並んでトップ争いをしていたはずだ。金髪碧眼の女騎士とかいう容姿から察するに余りある『敗北属性』を兼ね備えてるから仕方ないね。
(二次創作なんかでは何故か即落ち二コマしがちだけど、幹部序列四位って時点で怪物だ。俺の手に追える相手じゃないし逃げるか)
俺はポーメットの目の前を通り抜けて、教会と広場のある街の中心部へと歩みを進めていく。曲がり角を曲がる寸前、彼女が俺の背中を睨んでいた気がするが――気のせいだろうか。
「…………」
(いや、自分の予感を信じて慎重に行こう。慎重すぎて悪いことなんかないはずだ)
道を曲がった後、路地裏に飛び込んで暗闇の中で息を潜める。
直後、元いた場所にポーメットが着地。俺を探すかのように周囲を見渡し始めた。
やはりだ。ポーメットは勘が鋭い。俺が一般人でないことを何となく感じ取ったのだろう。彼女は俺がいないことを確認すると、どこかに向かって跳躍していった。
ここからは裏路地を使って街の中心部に向かった方が良さそうだ。逆に路地裏に張られていたら終わりなんだが、そうなったらもうガン逃げして幹部を召喚するしかあるまい。通常なら逃走する猶予があるとは思えないが、俺を邪教徒と確認するまでは迂闊に手を出せないはずだからな。
路地裏から表通りを警戒して進んでいくと、その他の正教幹部の姿もちらほらと見受けられた。
序列三位の大男クレス・ウォーカー、序列六位のノウン・ティルティ、そして正教が誇る最終兵器こと序列一位のサレン・デピュティ。特にサレンの魔法は対邪教徒に特化した性能をしているため、戦闘モードに入られたら相当絶望的だ。少なくともヨアンヌが勝てる相手ではない。
顔を潰した上で暗闇に紛れているのだから、普通はバレないはずなんだが……どこか不穏だ。いよいよ街の中心部に差し掛かる頃、俺は妙な喧騒の表通りを警戒していた。
背後をつけられている気がする。……一体誰に? ポーメットか? 俺は路地裏から屋根を見上げたが、当然誰の姿もない。後ろの暗闇を睨みつけても、人影一つない。不衛生で危険な路地裏に屯する人間などそうそういるはずもない。
そう思って、計画の最終段階に入ろうとしたところ――コツン、と小石を転がすような異音が路地裏に響き渡った。
「!!」
当たりだ。俺は何らかの理由で誰かにマークされている。顔を潰したとはいえ、ここまで怪しい行動をしたのがまずかったか。
しかし、姿が全く見えないのは不気味だ。電気や磁気を操って光学迷彩のように姿を眩ませることのできる序列三位か、空気を歪ませて己の姿を認知させなくする序列七位の仕業に違いない。
いずれにせよ、正教幹部に目をつけられている可能性が百パーセントに近い今、何かしらの行動を起こさなければ取り押さえられる。話しかけられてしまえば答えざるを得ないし、行き着く先は顔の傷を回復されて正体バレという結末だ。
どうにかこの状況から抜け出そうと考えた俺は、不可視の相手の正体がセレスティアであることを期待して、大きな賭けに出ることにした。もし成功すれば、正教側の情報を得られる上にセレスティアから逃げ切ることができるだろう。失敗したとて、タダでは死んでやらん。
「――セレスティア・ホットハウンド。そこにいるんだろ? 俺は味方だ。二人きりで話をしようじゃないか」
後ろを振り向き、虚空に向かって語りかける。誰もいないはずの闇の中から、はっと息を呑む声が微かに聞こえてきた。
そのか細い声は、どう考えても女性のそれだった。
どうやら俺は賭けに勝ったらしい。数秒程間を開けて、澱んだ空気の中からセレスティアが姿を現す。上等そうな修道服が闇の中から溶け出し、微かな陽光を浴びて黒い光沢を見せていた。彼女の瞳は敵対者を睨むように細められており、片手にナイフを構えた状態。明らかに臨戦態勢である。
対する俺の装備はライターとナイフと少量の毒薬のみ。前提とする身体能力や治癒魔法の有無から考えても、幹部に対して勝ち目などあるはずもない。
だが、精神的優位はこちらに傾いている。俺の正体を掴めないセレスティアは、風を纏いながら一定の距離以上は近付いて来ない。
「何者ですか」
「正教の味方」
「…………」
更に警戒が強まるセレスティア。この物言いを受けて、俺の正体が邪教徒だと察したのだろう――セレスティアは街に被害を及ぼさない程度の強度を持った鎌鼬を飛ばしてくる。威力を絞っているとはいえ、俺を殺すには十分な一撃だった。
鎌鼬は当然不可視の攻撃だが、彼女の攻撃方法を知り尽くした俺が避けられない攻撃ではない。彼女の性格からして、真っ先に狙ってくるのは頭部か首。目線から察するに、今回は喉仏だ。
俺は膝から後方に崩れ落ちるようにして鎌鼬を回避した後、本心から敵対の意思がないことを表すように両手を上げた。
「やめてくれよ。お前とは本当に話をしたいだけなんだって。戦いたいわけじゃない」
ここにフアンキロが居てくれたら、俺の「正教の味方」発言が真実だと確かめてくれたんだがなぁ。
飄々と振舞ってみるが、内心ドキドキが止まらない。街の中心部へのステルスが失敗に終わって賭けに出ている最中なのだから、気分が落ち着かなくて当然である。
ただ、確かめたいことがあったのも事実。どうせセレスティアに正体がバレるのなら、この絶妙な均衡が保たれているうちに話しかける他なかった。
「この前メタシムの街が陥落しただろう。あの時の生存者……アルフィーは元気にしているか?」
「…………」
俺の言葉に返答はない。訝しむような疑念の瞳が俺を貫く。
「あの子は人類の希望だ。いつかアーロスを倒す鍵になる。だから……どうか守り抜いてやってくれ」
頭を下げる俺に対して、セレスティアは首を振って拒絶するような反応を示した。
「あの子に何をしたのですか。まさか洗脳を?」
その言葉で確信に至る。やはりアルフィーは生きていた。メタシムから無事に逃げ出し、ケネス正教に保護されていたのだ。
しかし、セレスティアはアルフィーが邪教の手先だと勘違いしてしまったようで――
(まさか、セレスティアは邪教徒がアルフィーに何かしたと思い込んでいる? いや、全然そんなことは無いんだが……。邪教徒が唯一の生存者に言及したから怪しく思っているだけなのか?)
頭を掻きながら弁明しようとするが、とりあえずは言いたいことだけを言いっ放しにした方が良いと判断。兎にも角にもアルフィーだけは守り抜いてほしい、彼の覚醒と幹部昇格によって少なくとも邪教幹部の何人かはぶち殺せるから――と伝えようとするが――
「――あなたの言葉は不快です。これ以上聞きたくありません」
セレスティアは苛立ったように風の魔法を横薙ぎに打ち払い、家屋ごと破壊させていった。
先程よりも撃たれた距離が短かったため、俺は疾風の一撃を避け切れずに左脚を切断される。大量の鮮血が飛び散り、路地裏を一面の血に染めていく。
「うっ……く、セレスティア、俺の話を……!」
「……その顔を見せなさい、哀れな邪教徒よ。確認した後に天へ送って差し上げましょう」
左脚が滑るようにして地面を転がった。バランスを崩しかかって壁に寄り掛かりながら、倒れ込むようにして数メートル後退する。醜く足掻いてもセレスティアからは逃げきれず、彼女は瀕死の俺に跨るようにして包帯を外し始めた。
血と体液に濡れた包帯を取り除くと、火傷や切傷の痕をまとめて治療される。顔の疼きが解消されていくと同時に、端正なセレスティアの顔が大きく変化するのが分かった。
「あっ……あなたはヨアンヌの右腕の――」
俺の正体に気付いたセレスティアは、パープルの瞳を見開く。彼女にしては珍しい多大な隙。逃げるなら今しかないと考えた俺は、服の中に隠していたペンダントを引っ張り上げ、見せつけるようにして高々と引き千切った。
「――どうして話を聞いてくれなかったんだ、セレスティアァ!! 俺はお前に忠告したかっただけなのに!!」
突然絶叫し始める邪教徒を見て、セレスティアの表情が強ばる。身体が硬直する。彼女の視線は俺の右手に掲げられたペンダントに釘付けだった。
(――この激昂はフェイク。追い込まれた人間は効果的かつ単純な挽回手段に縋りやすい――という心理の虚を突く)
俺はペンダントを彼女の遥か後方に向かって投げ捨てる。
そこにヨアンヌの肉片が入っていると勘違いしたのだろう、セレスティアは俺から視線を外してペンダントに対して全力の魔法を解き放った。
当然、そのペンダントは囮。
俺は彼女がペンダントに気を取られるという確信を持って行動していた。
セレスティアは以前、予想外の場所にマーカーがあったためにヨアンヌの復活を許し敗走した。
その時の嫌なイメージが脳裏に焼き付いたままだと踏んで、俺はペンダントの使用を最後の頼みとして取っておいたのだ。
まともな倫理観を持った人間は、俺の身体に幹部五人の身体が仕込まれているなんて思わない。『マーカー』をペンダントの中に携帯させること自体が強力な戦術なのに、更にその上を行く戦術を編み出しているなんて予想すらできない。
だからセレスティアは俺から目を離してしまった。彼女はペンダントを破壊しようと夢中になっている。
まあ、アーロス寺院教団の幹部が『移動要塞計画』を思いつかないのだ。初見殺しが極まったこの作戦を破れる者など、この世に一人として存在しないと言っても良いだろう。
(これで移動要塞計画は完遂される……)
血痕によって逃走先がバレるのを防ぐため、俺は傷痕を炙って止血しながら街の中心部へと向かった。
壁を上手く使って片脚で跳び回れば、結構なスピードが出るんだなぁと人生初めての発見。転倒しなければ早歩き以上に速く走れるぞ。
ペンダントに気を取られていたセレスティアを振り切った俺は、一人孤独に路地裏で項垂れた。
切り落とされた左脚も勿体ないので持ってきたが、上手く逃げ切れたから結果オーライだろう。これで五人の幹部を呼び出せば、晴れて五体満足の生還が叶うわけだ。
(……ギリギリ……無事に終わったか……)
最後の最後でセレスティアに見つかってしまったが、五人の幹部を安全に召喚できてしまえばこちらのものだ。
俺は最後の力を振り絞って、右手の指を断ち切った。続けて左手の指を切断し――ヨアンヌの薬指が地面に到達する。地面に接触する感覚がヨアンヌの元へと共有され、路地裏の薄闇に五人の悪魔が『転送』されていく。
初めにやってきたのは、拭い切れない血の匂い。身体の芯を通るようにして骨が生成され、続いて敷き詰められるように肉付けが成されていく。筋肉の上に肌が張り付き、あっという間に個人を形作る。
『――素晴らしい働きでした、オクリー君。後は私達に任せておきなさい』
闇の中から這いずり出してきた悪のカリスマは、いつの間にかバツ印の仮面と漆黒の衣装を身につけていた。その素顔を見ることは叶わず、俺の意識が段々と薄れていく。
貧血症状だ。今日だけで血を流しすぎたらしい。人体実験にセレスティアとの邂逅、イベントが起きすぎた。
「あ……ろす様、敵は五名……セレスティア、ノウン、クレス、ポーメット、サレン……です……」
『! えぇ、しかと受け取りましたよオクリー君』
アーロスは厳かに相槌を打つと、空気を読んでかヨアンヌを引っ張ってくる。
「よ……あんぬ、様。申し訳……ありません……。ローブ、掛けられなくて……」
俺はボロボロになった外套を剥ぎ取るようにして脱ぎ去り、闇の中にいるヨアンヌへと差し出す。そんな俺の手をそっと包み込んだヨアンヌは、身体をかき抱くようにして引き寄せてきた。
「ありがとう、オクリー。オマエの気持ち、ちゃんと伝わってるから……」
――そのまま、しばらくお休み。
そんなヨアンヌの言葉に脳を揺らされながら、俺はゆっくりと意識を失った。




