二〇話 幹部公認カップルかな?
その日の夜。先刻までヨアンヌと肩を寄せ合っていた俺は、自分の中に渦巻く妙な感情に魘されていた。
ほんの一瞬。彼女の目が正気に戻ったあの瞬間だけ、ヨアンヌのことを可愛いと思ってしまった。遂に邪教に染まってしまったのかと俺は俺自身に失望しているのだが、それとは別にヨアンヌの真っ直ぐかつ超質量の好意に絆されかけている自分がいた。
(男はチョロい。自分のことが好きな女の子を認知した瞬間、その子を無条件で好きになってしまう哀れな生き物なんだからな……)
前世の俺だったらドン引きしていたであろうヤンデレ要素も、死がすぐそこにある邪教徒生活を続けていると色々麻痺してくるものだ。ヨアンヌから与えられる恐怖が麻痺してきて、その分彼女からの好意を敏感に感じ取れるように身体が変化している。
正気に戻れ、俺。気を確かに持つんだ。
……いや、もう手遅れな気がするわ。日本にいた頃よりも価値観が歪んでいるし、自分の身体を顧みる余裕すら無くなってしまった。死ぬよりマシかを実践できるのは割と狂人寄りな気もする。
(いや、そんなはずはない。確かに覚悟の準備は出来ているが、結局俺の中の目標がガラッと変わったわけでもないしな……)
俺の目標は変わらず『生き残ること』と『邪教徒の殲滅』。この世界がゲームの世界そっくりだと気付いた時からその目標は変わっていない。
セーフだセーフ。毒されているのは間違いないが、まだ正気の範疇だ。俺はぶるぶると首を振った。もしかすると、正気度チェックのために定期的に自問自答するべきなのかもしれない。検討しておこう。
ふと隣を見ると、ヨアンヌがいないことに疑問を抱いてしまった。そうだ、ヨアンヌは幹部会に移動要塞化計画を提案するべく一時的に帰還しているんだった。さっきまでベッタリだったから、逆に何で居ないんだろうって思ってしまったのか。
……正気度チェックは早くも失敗に終わりそうだ。
(本当に見た目がなぁ……普通に可愛いのが困るわ)
そんな思考が脳をもたげて、俺は握り固めた拳を自分に喰らわせた。まずい。尋常じゃないレベルで精神を侵食されている。早く邪教徒滅ぼさなきゃ。
俺の奇行に驚いたゾンビがビクッと跳ねていたが、努めて無視しておいた。
話を戻すと、ヨアンヌは幹部会で計画を報告した後にまたメタシム地方にやってくるらしい。
ヨアンヌは俺のメンタルチェック担当になったみたいで、俺の精神が落ち着くまではしばらく様子を見に来てくれるってさ。北東支部異動の件もあるから、ポークのゾンビと合わせて監視役なのだろう。
残念ながら、彼女の帰還まで人体実験はお預けである。ひょっとすると、帰還後は他幹部を含めた複数人で実験することになるかもしれない。
俺は様々な思考を巡らせながら、生きた邪教徒用の寝所に潜り込んだ。他の皆は、疲労の色こそあるもののやる気に満ち溢れている顔付きである。
アーロスの目的は、正教徒を滅ぼしゲルイド神聖国を支配すること。その目標に同調した教徒達は、メタシム街侵攻がゲルイド神聖国陥落の第一歩だと沸き立っているわけだ。自分達が捨て駒として使われているのにも気付かないで。
「…………」
少しだけ、スティーブのことを思い出してしまう。彼は結局ポークの操り人形で、俺と出会った時には既に死亡していた。メタシムの復興作業中も彼の姿を見たことはない。役目を終えて廃棄されたのだろうか。
まぁ、人形が多すぎてもポークとしては面倒だろうからな。可能性は高い。
スティーブと関わったのはほんの数日程度。その間に交わした会話も多くはないが、生まれて初めて同じ人間と話せた気がしていた。
彼の人格全てがポークによって形作られていた訳じゃないはずだ。恐らく、本当にアーロス寺院教団のことをおかしいと思っていて、ある日拠点から逃げ出そうとしてそのまま死んだんだろう。
拠点の外にはポークの棘が設置されていて、一帯を囲むようにして敷き詰められている。柵を超え、道以外を通って逃げようとすれば、薄暗い茂みの中に隠された棘が身体の何処かに必ず刺さる。そうして身体を毒に侵されたスティーブは、身体を駆け巡る猛毒によって命を落としたのだ。
当初、スティーブの身体は死体と気付かないほど綺麗な状態だった。外傷や損傷なく死ぬとすれば、ゆっくり毒に侵される以外の理由は考えられない。
俺もスティーブのように人知れず死んでいたかもしれない。俺と彼の違いは、前世の知識の有無だろう。普通の教徒は幹部の魔法の細かい知識なんか知らされないし、当然ポークの棘が何処に張られているかも知らないのだ。脱走を企ててゾンビ化する教徒は少なくないと思われる。
改造されたメタシムの街にも同様のことが言えるだろう。まず、四方を外壁に囲まれているため逃げ場がない。それに加えて、出入口以外の空間は蜘蛛の巣の如く毒の棘が支配している。これでは聖地と言うより監獄だ。
まあ、どんな宗教であっても『聖地』は重要な意味を持つ。元々メタシムはアーロスの故郷であり、彼が復活の奇跡を起こしたのも同地だとされている。教徒にとってこの場所が精神的支柱となるのは間違いないし、彼らがやる気になって復興を行っているのも頷けた。
それから数日間、ポークやヨアンヌとの接触は起こらなかった。
たまにポークの死体がこちらを見つめてくるのは察知していたが、この前と視線の質が違うような気がする。
(何故か前よりも警戒されてるような……)
適当なゾンビに声を掛けたところ、驚きの返答が返ってくる。
「ポーク様」
『……キミ、結構ヤバい奴?』
「はい?」
いきなりヤバい奴にヤバい奴発言とは。客観的評価に基づくなら俺よりポークの方がヤバいって。
『ヨアンヌから聞いたよ。あんな計画を思いつくなんてねぇ……いい線いってるとは思うけど、ちょっとねぇ……』
「何です? 勿体ぶって」
『薬指見せて。……わ〜、本当に交換してるよ』
そこまで言われて分かった。ヤバいヤバいと言われているのは薬指の交換と移動要塞化計画のことらしい。確かに事実だけを見れば常軌を逸しているだろうが、『マーカー』を元々やらせていた側も相当のモノだと思う。何だよ他人の身体の一部を持ち運べって。普通に前提からおかしいだろ。
ポーク操るゾンビは俺の左手を恐る恐る覗き込んで、「ひえ〜」といったふうに両手を口に当てる。何となくムッとなってしまったので、軽く反論してみた。
「ヨアンヌ様と薬指を交換したのは単純な思い付きです。このようにピッタリ癒着するとは思っていませんでした」
『実行するのがおかしいんだけどね』
「この行為をおかしいと糾弾するより、これによって齎された実利に目を向けるべきでは?」
マーカーが腐らなくなっていちいち交換しなくても良くなったとか、この交換のおかげでヨアンヌが移動要塞化計画を思いついたとか、結構実利ある発見だったはずだ。
それを指摘すると、ポークはバツが悪そうに口ごもった。
『いやね、理解はしてるよ。移動要塞化計画は中々素晴らしい計画だと思う』
「ヨアンヌ様からお聞きになりましたか」
『うん、幹部全員集めて聞かされたよ』
幹部全員。つまりスティーラや他の幹部もヨアンヌの計画を聞いていたわけか。
幹部会について掘り下げてみると、教祖アーロスは驚嘆した後に大層喜んでいたとか。曰く、素晴らしい、私でも思い付かなかった、やはりオクリー君は類稀な才能の持ち主だ――と、べた褒めだったらしい。あんまり嬉しくない。
ついでに、体液交換フェチのフアンキロは「その手があったか」と手を叩き、例のカニバリズムのやべーやつ――スティーラも興味津々だった様子。血肉ドバドバな非人道的計画に疼きを隠し切れなかったらしく、二人は血走った目でヨアンヌの薬指を睨んでいたとか睨んでないとか。
もしかすると俺、新たなヤンデレにロックオンされたのかもしれない。フアンキロには一応弱みを握られたままだし、何かこう凄まじい体液交換を要求されるかもな。もしくは、スティーラのいる北東支部で食べられちゃうかもしれん。ガチの方で。
『アーロス様が前向きに検討すると仰っていたけど、肉体同士の相性もあるからね。今後はオクリーとヨアンヌの様子を見て判断していくそうだ』
「なるほど、ありがとうございます」
この口ぶりからすると、オクリー移動要塞化計画は始まってしまったようだ。元々原作のグランドフィナーレルート突入は怪しい状況だったが、この秘策を編み出してしまったことにより更に遠のいた気がする。
……いや、主人公のアルフィーならこれ以上のことをやってくれるだろう。アイツ相当ヤバい奴だしな。発想も度胸も。
『というわけで、ヨアンヌとオクリーには今後多くの実験をしてもらうことになる』
新たなゾンビが接近してきて、『実験内容リスト』と題された紙を手渡される。
アーロスの直筆らしき機械的な文字に目を通していくと――あら不思議、俺がやろうとしていたテセウスのオクリー的な実験内容が箇条書きに記されているではないか。
即死しない肉体箇所を切断し、即座にヨアンヌの身体と交換してみて問題が起こらないか――多分魔法の所有権がどちらに移るかの条件を確認したいのだろう――などの猟奇的な実験内容である。
俺は頭部の交換が起点になると予想しているが、流石に頭部の切断と交換はご容赦いただきたい。普通に即死だから。
『それにしても、キミの狂気は拭える感じが全然しないねぇ。ヨアンヌの報告を聞く限りだと、どんどん悪化しているように思えるよ』
「はは、私はいつでも正気ですよ」
『どうだか。いずれにしても、近いうちに北東支部で鍛え直してもらうからね』
「承知しています」
そう言うと、ゾンビの動きが固まる。糸の切れた人形のように脱力したかと思うと、街の作業を手伝う『自動運転』を再開し始めた。
ポークの能力、本当に便利だな。普通に正体がバレてなければ最強クラスだ。他人事のように思いながら、俺は夜が更けるまで作業に没頭し続けた。
こうしてメタシムの街で作業し始めてから二週間程が経過したある日、刃渡り五〇センチ程もある刃物と刈込鋏を持ったヨアンヌがやってきた。
――例の幹部スティーラを引き連れて。




