一九話 とある英雄たちの一日
アーロス寺院教団とは、数十年前に突如として現れたカルト教団である。彼らは素性一切不明の男アーロス・ホークアイを教祖とし、アーロス以外を崇めるケネス正教を敵視している。
ゲルイド神聖国の最高指導者はケネス正教幹部であり、そもそも正教の膝元で異教を唱えることは敵対行為に他ならない。当然正教はアーロス寺院教団を敵対視していたものの、アーロス達が明確な殺人や拉致を行うまでは退国や解散等を勧告するに留めていた。
しかし、正教は教団が七人の魔法使いを抱えていることを知らなかった。それから一度目の衝突が起こり、戦闘の結果正教幹部一名が消滅。とある村の住人が虐殺され、女子供が攫われていった。
これをきっかけに、二つの教団の対立は決定的なものとなる。 ケネス正教は邪教徒を排除する旨の公式声明を発表し、国外にもその模様が伝わることとなった。
その宣言から数十年が経過したある日。ケネス正教幹部序列七位のセレスティア・ホットハウンドは、国中で同時多発的に発生した魔獣の群れの対応に追われていた。
公務などが無ければ、正教幹部は基本的にゲルイド神聖国の領地を巡警する決まりになっている。アーロス寺院教団以外にも魔獣や災害などの脅威があるため、幹部は身体の休まる暇が無かった。
「魔獣に邪教徒の出没ですか……しかも国土のあちこちで同時に発生するとは」
教会に助けを求めに来た人々と幹部からの報告を聞いて、修道服を身に纏ったセレスティアは武器を手にして現場へと向かう。
既に他の幹部が現場の対処に向かっており、また邪教幹部出没の情報も浮上しため最高指導者以外の幹部が総出動という形になった。
風に乗って空を飛ぶセレスティア。彼女は現場に蔓延していた魔獣共を屠りながら、妙な胸騒ぎに駆られる。
(……何でしょう。妙なモヤモヤを感じますね)
気になったのは、魔獣と邪教幹部の出没場所が国土の北から東に集中していること。今南西エリアで何らかの被害が起これば誰も対処しに行けない。
(考え過ぎですかね? しかし奴らは狡猾な手を使う。なるべく急いで魔獣を倒さなければ)
巨大な蜘蛛を鎌鼬で撃ち抜き、風に乗せて石礫を飛ばすことでとどめを刺す。残る魔獣は二百体以上。一体一体は大した敵では無いが、殲滅するとなると単純に時間がかかる。村が付近にあるため、超広範囲に及ぶ大魔法などは使えない。様々な思考を巡らせながら、セレスティアは敵を倒すペースを上げていく。
そんな時、脳内に聞き覚えのある声が木霊した。
『セレスティアちゃん、やべぇぞ!! メタシムの街が襲撃されたって情報が入ってきた!!』
その声の主は、幹部序列三位のクレス・ウォーカーだった。雷の力を操る大男で、戦闘能力は正教でもトップクラス。彼は北部の魔獣の殲滅に当たっていたはずだが――先程感じていた嫌な予感が的中してしまった。セレスティアはクレスの声に応答しながら、数十体単位で魔獣を屠っていく。
「襲撃犯は魔獣の群れですか? ドラゴンですか? ……それとも邪教徒ですか?」
『邪教徒だ! しかも教祖と棘の女と怪力女がいるってよ!』
怪力女。セレスティアはその言葉に聞き覚えがあった。三度戦い、三度取り逃した忌々しい宿敵――セレスティアがよく知る敵幹部のヨアンヌ・サガミクスがメタシム地方を襲ったのだ。
一瞬彼女に気を取られ、二の腕に魔獣の攻撃を受けてしまうセレスティア。即座に回復するため何の問題にもならないが、力を込めた攻撃を当てなければ死んでくれない魔獣に苛立ちが積もる。
「その情報は誰から?」
『ジアターちゃんの召喚獣だ。もう倒されちまって、本人はダウンしてるらしいが』
ジアターは幹部序列五位の少女で、彼女自身は戦闘能力を持っていないものの、特殊な魔法を用いて召喚獣を召喚することができる。恐らく空を飛ぶ召喚獣にメタシム地方を巡回させ、情報を得たのだろう。ジアターが情報源なら信用できる。セレスティアは無造作に魔獣を薙ぎ払い、ほんの三十分程で魔獣の群れを殲滅した。
「襲撃のことは他の方に伝えましたか?」
『一応な! ただ、現場に向かえるのはオレとセレスティアちゃんだけになる』
「分かりました。わたくしは一時間ほどでメタシム地方に向かえますが、そちらは?」
『あぁ、オレも一時間……いや、五十分で向かう。その頃にはもう手遅れかもしれねぇな、クソッタレ』
銀髪をたなびかせながら、セレスティアは全速力でメタシム地方へと飛んでいく。雷の魔法を操るクレスも高速移動が可能だが、さすがに瞬間移動レベルの移動速度は持ち合わせていない。十分速いことには間違いないのだが、国土を横断してメタシム地方に到着するまで少なく見積っても一時間はかかる。
この一時間がどれだけ致命的になるかは、メタシムの街を襲撃した三人の幹部の名前を聞いて嫌という程分かっていた。
実際、メタシム地方の襲撃が始まってから既に三時間が経過しようとしているため、彼女らが駆け付けるまでは都合四時間のラグが生じることになる。既に襲撃は完了しており、街の生存者は絶望的な状況だった。
(教祖アーロスに、幹部のポーク、そしてわたくしが仕留め損ねたヨアンヌ……この三人がメタシムの街を? 最低最悪の事態が起こっていますわね……)
教祖アーロスの全貌は未だ明らかになっていないが、他幹部とは一線を画する魔法を操ると聞いている。教祖と戦闘経験のあるクレス曰く、アーロスは『影』に関する魔法を使ってくるらしい。
格は落ちるが、アーロス以外の二人も常人には対処し切れぬ化け物である。ポークが操る無尽蔵な棘の能力と、死体を操る毒の存在。そしてヨアンヌの化け物じみた回復力と、正確無比な投擲能力。彼女達を倒せる者など、正教幹部以外には殆ど存在しないであろう。
セレスティアはヨアンヌの顔を思い浮かべると、忌々しい失態の記憶に苛まれた。
(あぁ……っ。わたくしがあの時……あの男を先に排除していれば……! あの女は復活しなかったはずなのに――!!)
夜空を高速飛行しながら、セレスティアはとある邪教徒の名前を思い浮かべる。その男の名は、確か――
(……オクリー。確かそんな名前だったはずです)
忘れもしない。ヨアンヌとの一騎打ちの最中、クロスボウで横槍を入れてきたこと。肉片を一欠片も残さずに消し飛ばしたはずのヨアンヌを復活させたこと。ヨアンヌの肉片を隠し持たせておくことで、緊急の復活先として保険を掛けておける――なんて発想のできる邪教徒共は、どう考えたってまともじゃない。
既にオクリーの存在は幹部会で報告済みだが、幹部の肉片を所持することのできるあの男は何者だ? 未だに燻る疑問。ケネス正教の把握していない厄介な人間が、オクリーの他にも居るかもしれない。その事実はセレスティアの胸に蟠りを残していた。
(恐らくオクリーという邪教徒はヨアンヌの右腕的存在なのでしょう。今頃彼はメタシムの街でヨアンヌの補佐を務めているはずです)
オクリーは最優先で殺さなければなりませんね、と呟くセレスティア。無論、それは理想の話。オクリーを殺そうとすればヨアンヌから注意を外すことになり、致命的な隙を晒すことになる。逆にヨアンヌを殺し切ったとしても、オクリーが肉片を所有している限り何度でも復活してしまう。
あちらを立てればこちらが立たず。オクリーと一対一をすれば負ける道理などないのだが、その状況を作り出すのは不可能に近い。考えれば考える程、オクリーという男の厄介さが際立つ。
(そもそもの話、肉片を所有するのがオクリーである必要すらないかもしれませんね。結局必要になってくるのは邪教徒の駆逐……そして本体以外の肉片の警戒ですか)
考えさせられることが鬱陶しい。セレスティアは思考を振り払った。
メタシム地方へと飛び続けて五十分。いよいよ見えてきた件の街は、あちこちに黒々とした煙が立ち昇っていた。真夜中だと言うのに街は明るく、火事が止まる気配はなかった。
変わり果てた街の様子に心臓を握り潰されたような痛みを覚えながら、セレスティアは地面に着地する。空を飛び続ければヨアンヌの投擲の良い的だ。それに、三人の幹部がいるのだから、少なくともクレスと合流しなければ敗北は必須である。
地上から街の方へ向かう途中、背後の茂みが大きく揺れた。
「セレスティア、オレだ。魔法を撃つのは止めてくれよ?」
「……いるなら声を掛けてください。邪教徒かと思いましたよ」
暗闇から姿を現したのは、滝のような汗をかいた大男クレスだった。雷を纏うと高速移動が可能な彼は、この状態で超長距離を走ってきたようである。
これで、クレス、セレスティアという都合二名の正教幹部がメタシム地方の郊外に到着したことになる。
「セレスティアちゃん、準備は良いか。街に近付くぞ」
クレスの言葉を受けて、二人は闇の中を進む。遥か遠くから聞こえてくる炎の轟音と、火に照らされて昼のような明るさを保つ街の空。先を急ぎたくなる二人だったが、この先に教祖アーロスがいる以上迂闊な行動はできなかった。
森の中を抜けて平地に到達すると、辺り一面に張り巡らされた毒の棘がいち早く目に入る。それがポークの罠だと察知したクレスは、唇を噛み締めて渋い表情になった。
「……この様子じゃ、外壁の中は絶望的だぜ……」
「言ってる場合ですか。道を切り開きますよ」
「待て。そこに誰かいるぞ」
クレスは近くを流れる川に小さな人影が立っていることに気付く。セレスティアがそちらを振り向くと、下水特有の異臭が鼻を突いた。下水道の出口が付近にあるようだ。
闇夜の中目を凝らす。出口の近くに立つ人影は小さく、子供のようにも見える。
「誰だ」
クレスが呟くと、その人影は力尽きるようにして地面に倒れ込む。セレスティアが風を纏って人影の近くに舞い降りると――そこには全身を火傷し煤に塗れさせた少女が横たわっていた。
「クレス、生存者です!」
「何?」
慌てて少女の身体を抱き留め、治癒の魔法を掛けるセレスティア。クレスは近くに寄ると、「マジかよ」という驚愕の表情に変貌する。
「殺してやる……」
少女は大粒の涙を流しながら、壊れた玩具のように何度も何度も呟いていた。気絶していてもおかしくない――いや、死んでいても不思議では無い大怪我をしているというのに、まだ意識があるとは。
「君。街の中に生存者は――」
「全員――全員殺された!! ママもパパも――生きたまま身体を食べられて――!!」
絶叫しながら暴れ回る少女。セレスティアは少女の口を押さえ、漏れる声の量を減らそうと必死になった。
生存者はいない――その発言を聞いてクレスは俯いた。彼女以外は全員死ぬか連れ去られてしまったのだろう。最後に突撃か退却かの決断をするべく、彼は外壁に向かって跳躍した。
ポークの棘の毒に侵されながらも壁を登り切ると、彼の眼には地獄絵図となった街の光景が飛び込んできた。燃え盛る街並み、あちこちに転がる死体、暴れ回る邪教徒。そして――遥か遠くからクレスを認知する三人の幹部。不気味な仮面の男が呑気に手を振ると同時、闇に溶けるように姿を消したのが分かった。
「――クソッタレ」
ひと目で分かった。生存者は彼女の他に存在せず、この街を取り返すのは不可能だということが。
「セレスティアちゃん、退却だ! この街は一旦諦める!」
外壁から飛び降りたクレスは、セレスティアと少女を抱えて走り出す。直後、クレスが立っていた場所に教祖アーロスが出現し、森の中へ走り出した三人の姿を発見した。
「ま、待って!! 嫌だ!!」
「黙ってろ、舌噛むぞ!」
両脚に雷を纏い、目にも止まらぬ速さで森を駆け抜けていくクレス。彼の脇に抱えられた少女は、その絶叫をセレスティアによって塞がれた。
アーロスが追跡してくる。セレスティアは風の魔法によって三人の姿を隠蔽し、仮面の男の追跡が無くなるまで魔法を掛け続けた。
そうして走り続けること数十分。クレス達を諦めたのか、アーロスの姿はどこにも感じられなくなった。
ゆっくり減速していくクレスは、息を荒らげながら顔面を蒼白にしていた。
「ヤバいことになったな、セレスティアちゃん」
「……そうですね。今後あの街には認識阻害の魔法が掛けられ、様々な防衛手段が講じられるでしょう」
「取り返すにしても時間がかかる、か……」
メタシム地方から離れた三人は、最寄りの街に到着すると同時にメタシム陥落の一報を伝えた。どうすることもできなかったセレスティアは、無力感に苛まれながら唯一の生存者を横目で捉える。
セレスティアの外套を掛けられた少女は、故郷のあった空を見上げながらずっと呟き続けていた。
「殺してやる……」




